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第八章『獣の砦』

王宮から追放された料理人のアリシアが要塞ポグレムで馴染んだ頃、アストリア王国王都『ゼワン』より早馬を使って一通の文が届いた。


―「…ふむ、…ふむ、

君、アチャフを呼び給え」


その文に目を通した立派な山のような巨躯に重力に逆らい両サイドにピンっと伸びる立派な太いカイゼル髭を蓄えた堀の深くダンディズム溢れる顔の男、

要塞司令のラフィ・バンキンはこめかみを薬指で数度叩くと隣にいる司令補佐の男に重低音のダンディズム溢れる声で指示を出す。


…それはただの低い声ではなく、感情の起伏を見せず淡々とし、長年積み重ねてきた人生の重みが感じられる多くの経験を経て磨き上げられた、まさに『男の声音』だった。


司令補佐の男はラフィ・バンキンのその言葉を聞くと作業を止め、静かに立ち上がり、まるで流水のごとく音を立てずに補給将校であるアチャフを呼びに司令室を出ていった。


ラフィ「…ふむ、そうか……とうとう来てしまったか」


司令室で一人になった彼、ラフィ・バンキンはそう言いながら窓の向こうに広がる風景を眺めるのだった。


――――――――――――――――――――――…


いつものように勝手に増える精肉と動物油、塩や穀物などの食材に気づいて厨房に向かい、アリシアに説教をした後に過呼吸を起こし、泣きそうになる彼女をあやしてから要塞内の物資などを確認している最中、司令室に呼ばれたアチャフは扉をノックすると


「入れ」


という一言が室内から返ってくる、アチャフは司令室の扉を開き司令室に入った。


―そこにいた要塞司令のラフィ・バンキンは片手に南方より仕入れた珈琲と呼ばれる飲み物を杯に入れ、窓の外を眺めながら飲んでいた。

その様は大変似合っている


ラフィ「よく来たなアチャフ。」


アチャフは敬礼をした後に再び姿勢を正した。


ラフィ「今回、君に頼みたいことがあってここに呼ぶこととなった。

すまないのだが、ひとつ頼まれてはくれないかね?」


アチャフ「はっ、何なりと!」


アチャフがそう答えるとラフィ・バンキンは深く頷き、ゆっくりとかつ優雅に力強くその司令席から立ち上がる。

それは高身長のアチャフが見上げるほどであり、その顔つきとゆっくりとかつ重みのある歩く様は大変威厳のあるものであった。

そして、アチャフに近づき彼の目の前に来ると彼は迷わず『土下座』した。


…それは見事な『土下座』であった。


ラフィ・バンキンはその場に膝から崩れ落ちたる様に身体をゆっくりと、しかし抗いようのない重力に従って、極限の低さへと沈み込んでいった。

背筋は不自然なまでに曲げられ、まるで大きな見えない手によって頭部を地面へ押し付けられているかのようである。

その流れるように正座の形から上半身を前へ倒し、膝の少し前方に両手の掌を隙間なく床につけた。その手のひらは白くなるほど強く床を押し付け、震えていた。


「……すまないぃいいいいっ!!!!」


窓が割れんばかりの大きな声と共に、彼は額を石材の床へめり込ませた。

ダークブラウンの綺麗に整えられた髪が乱れることも、今の彼には関係なかった。

ただ、相手の、アチャフの足元という最も低い場所へ、自身の身体を沈める。


その姿勢は、全身から謝罪の念と、プライドを捨て去った何とも言えない姿であった。


アチャフ「……またですか?」


アチャフはため息をついて呆れた顔をしながらラフィ・バンキンを見下ろす。


その横で司令補佐の男が目の前の出来事に対して何事もないかのようにアストリア王国王都『ゼワン』からの手紙をアチャフに渡した。


内容は以下のものだった。


【王都より西方の近隣町『ブルートニク』が2ヶ月前より『獣人』により陥落、現在そこに『獣の砦』の建造が進められており急を要する、要塞ポグレムを含む4つの拠点に王都は至急支援されたし】とのことだった。


そして最後の文にアチャフは眉をひそめる


【『獣人将軍を討ちし英雄』を要塞ポグレムは連れてきたし】と、


―――――――――――――――――――――――…


アリシア「…えっと……?

それで……、ええっ…と、…

…わたしを……?………なんでぇ…?」


現在、アリシアは要塞ポグレムの厨房ではなく馬車の中にいた。


アストリア王国王都『ゼワン』の手紙を受け取った時点で、要塞ポグレムは命令を厳守しなくてはならない。

本当は『英雄など存在しない』と伝えられれば良いのだが、何せ豚の『獣人』将軍フォグレギビーが要塞ポグレムにてその首を討ち取られたのも事実であり、それを王都側に気づかれた時点で隠すことは不可能であった。


急ぎの命令でもあった為、兵士でもない『ただの』料理人であるアリシアは事情などわからぬまま厨房から連れ出され、陥落町『ブルートニク』に向かっている

その顔はなぜ自分のような料理人が戦地に行くのかという混乱などによって涙目で青ざめ、すでに泣きそうな顔であった。


アチャフ「うん、ごめんね…

怖いよね、でも僕がずっと一緒にいるから大丈夫だよ」


そんなアリシアの隣の席には彼女担当の兵士と化した補給将校のアチャフが座っており、先程まで彼女に説明をして泣きそうになっている彼女を励ましていた。


そして、もう一つ彼が彼女について来ていた理由があった。

それこそがアチャフにとっての最大の任務でもある、すなわち彼女、『獣人将軍を討ちし英雄』である剛腕の兵士や名のある傭兵、高ランクの冒険者でもない料理人、アリシア・ヴァンシィの代わりとなる『英雄の代役』である。

今朝、要塞司令でもあるラフィ・バンキンに泣きつかれたアチャフは『英雄はいない』ということを伝えられないのならば、『誰かが』英雄にならなくてはならない事を考え、それを彼に伝えると彼はさらにそのダンディズム溢れる顔を石材の床に押し付けた。


ちなみに、その時の土下座は司令室が若干揺れるほどであった。


ラフィ「すまなぁいぃい!!アチャフ!!どうか!どぉうかぁ!!!君がなってくれぇええ!!この通りだぁあ!ここの兵は皆口が軽く絶対に言ってしまう!!だからどうかっ!頼むぅ!!!!」


アチャフはこの中で一番口の固いであろう隣の司令補佐を見るが、目の前の上司の情けない光景もアチャフのその視線なども全く気にせず淡々と仕事をしている、彼の体躯は身長こそあるが文官の仕事を主体としているため細く、とても戦闘職の『英雄』にはなれそうにない。


―そんな司令室の出来事を思い出したアチャフは半泣きのアリシアをあやしながらため息をつくのだった。


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