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第九章『獣の砦と英雄』

 軍用馬車というものは、速度こそが正義である。

 旅人が乗る馬車や荷物を運ぶ運搬用の馬車と違い、その乗り心地はとても悪く

 兵士の快適さなど微塵も考慮されていない。

 鉄枠の車輪が石を噛むたびに、暴力的な衝撃が座席を突き上げ、アリシアの胃を容赦なくかき回した。

 そして、予定より数日は早い十日目、二人は陥落した町の麓、冬季の寒空の中、砂埃が舞うアストリア王国軍の拠点へとたどり着いた。


 降りた瞬間アリシアはその道端へよろよろと移動すると、その場で吐いた。

 アチャフは心配そうに眉をひそめ、彼女の細い背中を、リズムを刻むように優しくさすった。


 そんな二人の背後に、重々しい金属音を響かせて近づく足音があった。


 リリー「いやはや、急な召集、申し訳ないねぇ!『英雄』殿!!」


 突き抜けるような快活な声が響く。


 リリー「初めましてかな?あたしは第8騎士団、団長、名前はリリー、リリー・アンブルーだ!よろしく頼む!!」


 そこにいたのは、燃えるような活力を瞳に宿した中年女性、リリーだった。


 彼女は屈託のない笑みを浮かべ、アチャフに無造作な、だが力強い手を差し伸べる。アチャフはその手を見つめ、姿勢を正してしっかりと握り返した。


 アチャフ「初めまして、アンブルー閣下。貴殿にお目にかかれて光栄です」


 アチャフの声には、若さゆえの硬さと、軍人としての規律が混じっていた。


 アチャフ「私はアチャフ・バントン。要塞ポグレムにて補給将校を務めております。まだまだ若輩の身ではありますが、精一杯の尽力をさせていただきます。以後、お見知りおきを」


 リリー「はっはっはっ!! 謙虚であるな、『英雄殿』は!」


 リリーが豪快に笑い声を上げ、アチャフの肩を叩く。

 その賑やかな挨拶のすぐ傍らで、静かに動く影があった。

 彼女の背後に控えていた副騎士団長、ブルドだ。


 彼は深く被ったフードの陰から、未だにうずくまっているアリシアを見つめその後、アリシアの介抱を始める。


 アリシアの顔は蒼白になっており、その目は白目を向いている。


 リリー「……ん? そちらの娘は『英雄』殿の付き添い人かい?」


 アチャフとの挨拶を終えたリリーの視線が、地面に突っ伏したままの少女へと向けられた。メイド服の上に旅用の外套を羽織ったその姿は、およそ軍の拠点には不釣り合いなほど華奢だった。


 アチャフ「……はい、そうです。彼女、軍用馬車の揺れに慣れていなかったようで。少し休ませてやって……」


 アチャフが言葉を続けようとした時、リリーの顔つきが変わった。

 鋭い眼光がアリシアを射抜き、鼻を鳴らして記憶の糸を手繰り寄せている。


 リリー「ん……? ん~~っ? どこかで見た顔だねえ……」


 そう呟くやいなや、何かを思い出したリリーは介抱していたブルドをどきな!と言わんばかりに片手で引き剥がした。

 代わりにアリシアの両肩をがっしりと掴み、強引に揺さぶり始める。


 揺すられるたびに、アリシアのカチューシャから垂れる鈴がちりんっちりんっと、情けない音を立てて鳴った。

 若草と枯れ草を混ぜたような不思議な色の三つ編みが、まるで振り子のように左右へ激しく踊る。


 リリー「ああ! あんたっ! 2ヶ月前にあたしの『店』に来た娘じゃないか!! 転勤とは聞いてたけど、まさか行き先が要塞ポグレムだったのかい!? 随分とまぁ、遠いところまで飛ばされて、奇妙な縁もあったもんだねぇ!!」


 喜びに任せてガクガクと揺さぶっていたリリーだったが、ようやくアリシアの目が白目を剥き、魂が抜けかけていることに気づいた。


 リリー「おっと、いけない!景気付けだ、これを飲みな!」


 彼女は腰のベルトから、独特の刺激臭が漂う気付け用の革袋をひったくると、有無を言わさずアリシアの口にその革袋の口を突っ込んだ。


 アリシア「ごふっ、げほっ……!? 」

 

 渋みと苦みの強い喉を焼くような安酒の衝撃に、アリシアは目を白黒させながら、肺にある空気をすべて吐き出す勢いでむせ返った。


 涙目で、ようやく焦点の合った視界を泳がせる。

 そこに映ったのは、騎士団長という軍の司令官としての威厳など微塵も感じさせない、見たことのある「商売人」の顔だった。


 アリシア「……えっ、なんで……『食堂のおばちゃん』が……ここに……?」


 それは、アリシアが王宮を追放され、途方に暮れていた道中に訪れた食堂。

 9日目に出会った、あの懐かしくも強烈な長話好きな『食堂のおばちゃん』その人であった。


 だが、その格好は以前アリシアが見た姿とは、あまりにもかけ離れている

 

 木綿と麻で織られた野暮ったい黄色いブラウス、使い込まれた緑のエプロンドレス、後頭部で乱暴にまとめられた髪を覆う赤いバンダナ。


 そんな「下町の女主人」の装いはどこにもない。


 今の彼女が身に纏っているのは、陽光を跳ね返すほどに磨き上げられた、白銀の全身甲冑フルプレートだ。


 唯一、変わらないものがあるとすれば――。


 眩いばかりの金髪と、周囲の空気を震わせるような豪快な笑みだけだった。


 リリー「いやはや、あんたがここにいるって分かってたなら、もっと色々用意してたのにねぇ!」


 驚愕に固まるアリシアなどお構いなしに、リリーは再会を喜ぶ近所のおばちゃんそのものの口調で喋り続ける。


 リリー「ほら、ブルド! この子が例の娘だよ。王宮料理人を追放されて転勤の道中に、あたしの店へ寄ってくれたっていった、あの可愛い娘だよ!」


 リリーが隣のブルドの肩をばしばしと叩きながら話を振る。

 ブルドは、フードの奥に広がる闇の中で、深いため息を漏らした。


 その吐息には、奔放な上司に対する長年の諦念が混じっている。


 ブルド「リリー、今はその話ではありません。……奪還作戦について、『英雄』殿と協議するのが先でしょう」


 脱線しかけた話題の舵を、ブルドが冷静に引き戻す。

 リリーはああ!と、忘れていたと言わんばかりに手をポンと叩くと、改めてアリシアとアチャフに向き直った。


 リリー「そうだね! 作戦の話をしようじゃないか!! ここじゃ落ち着かないし、とりあえず本部へ案内するよ!」


 言うが早いか、リリーはアリシアの手を引っ掴んで歩き出した。


 引きずられるアリシアは、もはや混乱の極致だった。

 以前、入ったことのある食堂のおばちゃんが騎士団長で、自分がなぜ連行されているのか。

 処理しきれない情報の濁流に目を白黒させ、ぐるぐると視線を泳がせる。


 その後ろ姿を、アチャフは

(大丈夫かなぁ……)

 と、言いたげな、この上なく不安そうな顔で見送るしかなかった。


 ――――――――――――――――――――――…




 ―「ふむ、あれが例の『英雄』か、」


 その時、リリーがなにかしら会話をしてから、その小柄なメイド服の少女の手を引いて歩き出し

 その状況を心配そうに見守りながらついて行くアチャフの姿を遠くから見ている者がいた。


 全身は土埃にまみれて薄汚れており、その身体には内側にインナーを着用し、その上から革製の鎧、だらりと妙に長く見える腕に真鍮しんちゅうの篭手と、右肩には真鍮の肩当てを付け、頭にはやけに大きく目立つ青い羽のついた真鍮の西洋兜を被って、常に面頬を下ろしているのでその素顔を隠した、全体的に古く使い古された装備で、大変みすぼらしい姿の男、


『鉄級冒険者』のカルヴァルである。

 今回の『ブルートニク奪還計画』の緊急クエストとしての依頼に参加した冒険者の一人として、アストリア王国軍の拠点の一つにいたのだ。

 彼は拠点のテントの支柱を共にいる他の冒険者と一緒に運びながら、横目で見て目の前の『先輩』にそのしゃがれの一つもないとても綺麗な男性の声で話しかけた


 カルヴァル「ヴァルトス先輩、あの方々が今回の作戦の要ってのは本当なのかな?」


 ヴァルトス「…ん?あぁ、らしいな。噂じゃ獣人将軍の首を単騎で討ち取ったって話らしいぜ

 …お!まさかカルヴァル、お前『英雄様』に御目通りでもしたいってか?」


 カルヴァルの話しかけた冒険者先輩である黒金級の先輩こと『戦斧使いのヴァルトス』は、珍しく顔も見せないこのよくわからない彼が興味を持っているものがあることを知って、彼をいじるつもりで話しかける

 しかし、彼は支柱を支えながら肩を竦めた


 カルヴァル「ふふ、まさかそんなのじゃないよ

 ただ、ちょっと思ったより普通の兵士さんだねって思っただけさ」


 ヴァルトス「ははっ!確かにな!

 だけど本当に強い奴ってのは案外見た目じゃ判断できねぇ!」


 そう言いヴァルトスはカルヴァルの支える支柱に、持っている槌で楔を打ち込みながら話す


 ヴァルトス「昔、俺も酒場で絡み酒をするうっとうしい奴がいて追い払ったら後でそいつがあの銀級冒険者のリーズ・オズヴォンだったなんて時にゃマジで驚いたしなァ!」


 カルヴァル「それは面白いね、

 その後、ヴァルトス先輩はどうしたんだい?」


 ヴァルトス「ん、まぁその次の日に酔いの覚めたそいつが俺に謝ってきたな…その後はたまに酒場で話したりするかねぇ

 まぁ、ちょっとした酒の飲み仲間ってとこだ

 ―だからカルヴァル、お前ぇもたまには酒場来いよ冒険者は横のつながりが大事だからな!」


 カルヴァル「ふふふっ…うん、今度お邪魔させてもらうよ」


 カルヴァルはそう言うとヴァルトスと共に次の支柱を立てるためにその場を離れるのだった。

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