第十章『獣の砦と英雄と料理人』
リリー「さて、では作戦会議といこうか!」
陥落町『ブルートニク』の麓。
冬空の乾いた風が、王国軍拠点の天幕を絶え間なくはためかせている。
テント内を暖める簡易暖炉の赤々とした火照とランプの光が、円卓を囲む騎士団長たちの白銀の鎧と将軍たちの黒い軍服を照らし、鎧は鈍くぎらついた光を放ち軍服はその光を吸いまるで影のようになっていた。
漂うのは、使い込まれた武具の油と鉄さびの匂い、それを固定する革の重苦しい香りと微かな火薬の臭い、そしてく緩らされた葉巻の煙。
そして、猛者たちが放つひりつくような威圧感。
息を吸うのさえ躊躇われる沈黙を破り、リリーが声を張り上げた。
メンバーとして
第1騎士団、団長フォーク・ブリビオ
第2騎士団、団長カルネラ・ポギー
第3騎士団、団長ピック・シャイアー
第4騎士団、団長ダン・ザンバ
第5騎士団、団長レイア・ライアー
第6騎士団、団長ロイド・カイティス
第7騎士団、団長ゾヤー・パックス
第8騎士団、団長リリー・アンブルー
及び
東方要塞バンガム、将軍ダニケ・ヴァダン
南方要塞ナイムーン、将軍ヤハー・ピーア
北方要塞ベイディア、将軍モス・ハゥスキー
そして、最後に、
西方要塞ポグレムの補給将校『英雄』のアチャフ・バントンである
そして、今から陥落した町『ブルートニク』奪還計画の作戦会議を行う――。
そんな、刃物のように冷たく肺が押しつぶされそうな重圧の中、リリーの懐から、か細い枝のような小さな手が上がった。
―「…あのぅ…えっと、なんで…私…ここに……いるんですかぁ………?」
声は、今にも消えてしまいそうなほど頼りなく、小刻みに震えている。
金属製の膝当ての冷たい感触をその小さな尻と細い太ももの裏側で感じながら、その少女は身を縮めていた。
彼女のメイド服の袖から覗く手首は、騎士たちの太い腕に比べればあまりに華奢で、暖炉によって温まっているはずなのに、生まれたての仔犬のように震えが止まらない。
潤るみ色褪せた赤い瞳に溜まった涙が、暖炉の光を反射して光る。
そして彼女の鼻腔をくすぐるのは、自分自身のくすんだ茶色と緑の髪を、一つに纏めたその三つ編みと服に染み付いた香ばしい肉の油の匂いと甘い小麦粉の匂いであり、それはこの戦場のような鉄さびの空間には、あまりにも不釣合いな平和な香りだった。
そう、その少女こそ要塞ポグレムの『英雄』アチャフの付き添いである小柄で華奢な料理人、アリシア・ヴァンシィである。
現在、なぜかアリシアは第8騎士団長リリーの膝の上で抱きかかえられた状態であり、その腕の中にすっぽりと収まっている。
その革の防具越しに伝わる体温だけを頼りに、少女は顔を伏せ、耐え難い視線の集中から必死で逃れようと肩を震わせ、その場を離れる事が出来ないでいた。
リリーは、怯えるアリシアのその色褪せた若草と枯れ草を混ぜたような不思議な色の頭を大きな掌でわしゃわしゃと撫で回すと、屈託のない笑い声をあげた。
リリー「いやー、ごめんごめん! 抱き心地がいいもんだからね! 難しい話が終わるまでもうちょっとだけじっとしててね!」
その明るい声は、張り詰めたテント内の冷たい空気を一瞬だけ弾けさせた。
しかし、リリーはアリシアを解放するどころか、さらに腕の力を強めて、何事もなかったかのように地図へと視線を戻す。
…その光景を、アチャフは身動きこそしなかったがその眉間には深い皺を刻み、胃のあたりを焦がされるような心配顔で見つめていた。
会議が進むにつれ、テント内の温度は暖炉の火とは裏腹に、じりじりと下がっていくようだった。
攻略対象は、陥落町『ブルートニク』の中心にそびえる『獣の砦』。
未完成とはいえ、守るは一人当百の『獣人』の軍勢たちだ。
円卓の上に広げられた羊皮紙の地図には、幾筋もの赤い進軍ルートが書き込まれては、その無謀さに誰からともなく溜息が漏れる。
そして、一つの報告が第2騎士団、団長カルネラ・ポギーによってとどめを刺すように場に投げ落とされた。
カルネラ「……すでに砦には、『獣人将軍』ギャバーが陣を敷いているとの噂だ」
その名が読み上げられた瞬間、空気は氷水を浴びせられたように凍りついた。
ダニケ「ギャバー…『冬の使者』…か」
東方要塞のダニケがつぶやく
獣人の一兵ですら脅威であるというのに、その頂点に立つ『将軍』の一人が君臨している。
地図を指していた第1騎士団、団長フォーク・ブリビオと葉巻をくわえた要塞将軍モス・ハゥスキーの手が止まり、鎧の擦れる音さえも消えた。
絶望という名の黒い霧が、円卓を囲む者たちの視界をじわじわと覆い尽くしていく。
そんな空気を霧散させるべく、リリーは沈黙を打ち破るように、豪快に机を叩いた。
リリー「まあ、そんなに心配するな諸君! なんたって今回はその真打ち、将軍の一人を討ち取った『英雄』がいるからね!」
彼女の視線がアチャフへ向けられると、彼はわずかに顎を引き、背筋を真っ直ぐに正した。その動作一つで、使い込まれた革の防具がギュリ、と重い音を立てる。
―「……それが『本当なら』の話だけどね」
湿った薪が弾けるような、冷ややかな声が円卓に落ちた。
第6騎士団長、ロイド・カイティス。
彼は流れるような仕草で濃い灰色の髪をかき上げると、宝石のように冷たく光るアンバー色の瞳で、アチャフを値踏みするように見下した。
ロイド「確かに身体も鍛えているし、まあまあ戦えるとは思うよ。
……でもさ、僕から見ればどうにも、彼は『それほど』には見えないんだよね」
リリー「ロイド、口を慎め!」
リリーの怒声がテントの天幕を震わせる。その怒気の衝撃に、膝の上で縮こまっていたアリシアの肩がビクッと跳ね上がり、彼女の指先が自分の身体を抱きかかえるリリーの腕の防具を白くなるほど強く握りしめた。
ロイド「なんで? 僕は見たままを言っただけだよ。リリーだって、彼がフォグレギビーを討ち取った『瞬間』をこの目で見たわけじゃないだろ?」
ロイドは薄い唇に嘲るような笑みを浮かべ、悪びれる様子もなく肩をすくめた。
彼のその言葉に
リリーの喉の奥から低いうなり声が漏れ、空気はいよいよ険悪な熱を帯び始める。
アチャフは、リリーの怒りよりも、その腕の中で過呼吸気味に胸を上下させるアリシアの限界を敏感に察知した。
アチャフ「……アンブルー閣下、カイティス閣下。一つ、よろしいですか?」
アチャフの声は、低く、だが驚くほど穏やかに響いた。
それは荒れ狂う嵐の合間に差す、静かな月光のような響きだった。
アチャフが口を開いた瞬間、テントを震わせていたリリーの怒気も、ロイドの冷ややかな嘲笑も、まるで見えない壁に遮られたかのように静まり返った。
アチャフはロイドの射抜くような視線を真っ向から受け止め、わずかに目を細める。その瞳は、嵐の前の湖面のように静まり返っていた。
アチャフ「カイティス閣下のおっしゃる通り、私は一介の補給将校に過ぎません。
私が本当に将軍を討ったのか、あるいはただの幸運だったのか……それを今ここで証明する術はありません」
アチャフは一度言葉を切り、視線を膝の上で震える少女へと落とした。彼女の三つ編みが、小刻みな震えに合わせて頼りなく揺れている。
アチャフ「ですが、この場には戦いとは無縁の者がおります。
…アンブルー閣下、彼女を私の隣へ。
気持ちは分かりますが怒りで判断を誤る者がいては、せっかくの『奪還計画』に支障をきたします。
まずは皆で、彼女が淹れた温かい茶でも飲みながら、冷静に話し合おうではありませんか」
彼がゆっくりと立ち上がると、使い込まれた外套がさらりと擦れる音がした。
彼はリリーへ向けて、拒絶を許さない、だが慈愛に満ちた大きな掌を差し出し、彼女からアリシアを引き剥がした。
アチャフ「軍の胃袋を支える料理人の仕事は、兵と騎士を戦わせること。
……そして、将軍の首を取る『英雄』に、最高の力を出させることです。
彼女がいなければ、私は真価を発揮できません」
普段、凶暴化したアリシアの奇行や、要塞司令ラフィの全力土下座による涙ながらの訴えに揉まれている彼にとって、騎士団長たちの威圧感など、そよ風にも等しいものだった。
姿勢を微塵も崩さず、鋼のような意志を宿したアチャフの瞳。
…実際には諦めに近いものだったが
それを見つめるロイドは、背筋に冷たいものが走るのを覚え、思わず舌を巻いた。
アチャフ「……ですが、どうしても証拠が欲しいというのでしたら。
今回、私が討ち取ったフォグレギビーの頭蓋骨と両手斧を持ってきました。確認を」
アチャフが合図を送ると、要塞ポグレムからついてきた兵士たちが重そうに布に包まれた「それ」を運び込んだ。
円卓に置かれた瞬間、ずんっと重い音が響き、地図が跳ねる。
現れたのは、常人の三倍はあろうかという巨大な獣の頭蓋骨。
そして、禍々しい赤鋼の巨大な両刃斧だ。
ゾヤー「……っ、これは……」
金髪をオールバックにした第7騎士団、団長ゾヤー・パックスが付けていた丸い眼鏡の位置を正しながら『それ』を眺める。
一部の騎士団長と要塞将軍の誰かが息を呑む音がした。
使い込まれた斧の刃には、今なお乾いた血の鉄臭い匂いがこびり付いており、大の男が数人がかりでようやく持ち上がるほどの重量感が、見る者を圧倒する。
騎士団長たちは、その圧倒的な武の残滓を前に、沈黙せざるを得なかった。
……しかし、アチャフの脳裏に去来していたのは、それとは全く別の光景だった。
(あの時、アリシアちゃん笑っていたなぁ……)
アチャフは、少しだけ遠い目をした。
その頭蓋骨から、兵士たちの夕食のためにと満面の笑みでその頭部から肉を削ぎ、その脳みそを匙で掻き出していたアリシアの姿を、
そして、この巨大な斧を片手で軽々と担ぎ、食堂の入り口に彼女が愛用している食堂の看板でもある巨大な肉切り包丁の反対側に飾っていた光景を、
――テントを包む崇高な沈黙の中で、アチャフだけが、胃のあたりがキュッと締まるような現実逃避の感覚に浸っていた。




