悪役令嬢は見た! 帝国の裏側!!
執務室に入った皇帝はイライラしていた。そこに侍従長のライムートが入室する。
『陛下、お呼びですか?』
『うむ、リリアンヌの件だ。仕立て屋を呼んでやれ』
『お召し物をプレゼントなさるのですか?』
『移動中の事故ですべての荷物を失った。側妃とはいえ妻を着たきり雀にしていたのでは、俺の沽券にかかわる』
『お召し物の他の、身の回りのものも用意した方がよろしいでしょうか?』
『そうしてくれ。必要な金は皇室の予算から出せ……足りそうか?』
『お召し物の数と種類にもよります』
『後宮で過ごすための普段着だけでいい。公務をさせる予定はないからな』
『公務をさせない?……それで、よろしいのですか?』
『条件面でまだ合意できていないから、仕方がない』
『条件面、ですか?』
ここで突然皇帝がキレた。
『信じられん! あの女、俺に靡かなかったばかりか、理屈をこねて条件を付けてきやがった!!』
皇帝は食堂での会話をぶちまけて、愚痴をこぼした。
『あんな女、初めてだ!』
ライムートはどう答えてよいか、少し迷った。
『夫婦というより、雇用主と使用人の会話のようですな』
『たぶんそういう感覚なんだろう。自分が人質だとは思っていないようだ』
『普通であれば祖国のために陛下に取り入ろうとするものですが……祖国に対する忠誠がないのでしょうか?』
皇帝は上を向いて「あー」と声を漏らした。
『あいつにはないな。少なくとも今の王室にはない。帝国の属国になったから人質になれと王に命じられたとき、あいつは王や国の重鎮たちを売国奴呼ばわりしていた』
『なんとも気性の激しい令嬢ですな。生殺与奪の権を握られているというのに、それすら気にしないとは』
『いや、握っていない』
『……今、なんと仰いましたか?』
『俺はあいつの生殺与奪の権を握っていない。正直に言うと、あいつと一騎打ちをやって勝てる気がしない。よくても相打ちだな』
『それは真ですか!?』
『大陸じゅうを探しても、あいつに勝てる魔導士はいないだろう。あいつが本気で出ていこうとしたら、俺も含めて誰も止められない』
皇帝は頭を抱えた。
『いくら魔導士としての実力があっても、しょせんは女だから籠絡できるだろうと思っていたんだが、俺の魅力が全く通用しない……帝国はとんでもない猛毒を呑み込んでしまったのかもしれない』
『……いっそのこと、国元に送り返しますか?』
『それはもっとまずい。少なくとも今は雇用主としてある程度は制御できそうだ。だが国元に送り返したら、完全に制御できなくなる』
『ではどうなさいますか?』
『しばらくは放置だ。生活を保障すれば敵対しないと約束してくれた。後宮で好きにさせるしかない』
───◇───
執務室の様子を魔法で覗き見していた私はため息を吐いた。
「人のことを何だと思っているのよ。毒蛇だって手を出さなければ噛まないのよ……毒蛇じゃないけど」
でも側妃一人のドレス代で足が出るか心配しなければいけないなんて、この国の皇室予算はどうなってるのよ。貧乏貴族並みなの? こりゃハーレムなんか作れるわけないわ。
一代限りの男爵(黒幕は辺境伯だろうけど)が躊躇なく皇帝の側妃を殺そうとするなんて、どれだけこの国の皇帝は軽んじられてるの?
───◇───
ライムートは壁をチラッと見た。アングルの問題で何を見たのかは分からない。
『陛下、そろそろ軍との約束のお時間です』
どうやら時計を見たようだ。
『軍? ああ、転移魔法陣の整備か。仕方がない。行ってくる』
二人は執務室から出ていった。
───◇───
私は覗き見の魔法を一時的に止めた。
皇帝は軍が使っている転移魔法の魔法陣を、自分で整備しているらしい。転移魔法は命綱だから、迂闊に他人には任せられないのだろう。でもこれは長い目で見ればまずい。皇帝が整備士の真似をしているようでは、貴族ばかりか兵士からも軽く見られるようになってしまう。このままだと皇帝はただの運送屋になってしまう。本人はそのことを分かっているのだろうか?……分かってなさそうだな。
ここまで皇帝に国をまとめる力がないと、そう遠くない将来、帝国は瓦解する。周辺国にとっては結構なことのように思えるけど、その周辺国を巻き込んだ内乱に発展したり、転移魔法陣がよからぬ勢力に流出したりすると、地域を巻き込んだ長い戦乱が起きかねない。
私は地域の平和と安定に責任なんて持てないけど、見て見ぬふりをするのも心苦しい。
王道のおとぎ話なら、私は現皇帝を支えて帝国を立て直すんでしょうけど、はっきり言ってやりたくない。肝心の皇帝がアレだし……魔導士として優秀な分だけ元婚約者よりはマシとは思うけど……再教育より洗脳が必要じゃない?
無能な皇帝を廃立して帝国の頭をすげ替える手もあるけど、その候補者は前皇太子の皇兄しかいない。公式には病気療養中ということになっているけど、どこにいるのか、本当に生きているのかも分からない。皇兄が生きていてやる気満々だとしても、弟の現皇帝よりマシな人物かは分からない。
───◇───
皇帝が執務室に戻ってきた。ライムートも一緒だ。
『やっぱりアレをやるぞ』
皇帝が何やら不穏な台詞を口にする。
『アレと仰いますと?』
『リリアンヌだ。隷属の魔法をかける』
『大丈夫でしょうか? リリアンヌ様はかなりの手練れなのでしょう』
『真正面からだと無理だが、不意を突けばなんとかなる』
『やはり危険なのでは?』
『あいつも転移魔法が使えるんだ。魔法陣の整備はあいつにやらせる。男爵たちに襲われそうになったときは、魔法陣に細工をして自分を追えなくしていたからな。このままだと俺の皇帝としての威厳がなくなってしまう』
『そのような危険を冒さずとも、それを側妃の業務としてリリアンヌ様に依頼してみてはどうでしょうか?』
『それだと今度はあいつに足元を見られる。俺は皇帝なんだぞ。この国で一番偉いはずなんだぞ。それなのに、どいつもこいつも俺のことを軽んじやがって!』
皇帝というより、癇癪を起こした子供のような主に、ライムートはなにか言いたそうだったが、出てきたのはたぶんそれとは別の言葉だ。
『では例の部屋の準備をしてまいります』
そう言うとライムートは執務室を出ていった。
───◇───
自分が軽んじられていることと、このままじゃまずいことは分かっていたのね。でもどうしたらいいかは分かっていないみたい。
こういうときは助言をしてくれる側近が必要なんだけど、いないみたいね。平民出身らしい侍従のライムートじゃ荷が重いか。
私は覗き見の魔法を操って、そのライムートの後を追った。
どんな罠か分かっていれば怖くはない。むしろ逆に利用できるかもしれない。
隷属の魔法は私も興味本位で研究したことはあるけれど、悪趣味すぎて使う気にはなれなかった。でも相手が私にそうしようとするなら、話は別だ。
あのお子様皇帝を再教育するのは面倒だろうけど、言われたままに動いてくれる操り人形になってくれるのなら、だいぶ楽ができそうだ。
国のためとか貴族の務めとかと言われてファビアン王子の婚約者を十年近く務めたけど、今となっては人生の一部を無駄にしたとしか思えない。もう他人のために人生を無駄にするつもりはない。今後の人生は自分のために使おう。
ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。