八 三人目の小姓
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依然、那古野城への帰途である。
「そういえば」
重郎左は話題を変え、前々からなかさんに聞きたかったことを聞いてみた。
「なかさんは乳母ですよね?子どもは居ないんですか?」
「あら?」
なかさんがちょっと驚いた顔をする。
乳母は育児役でもあるが、元来生母に代わって母乳を与える役である。当然であるが、出産しないと母乳は出ない。ただ、そのことを数え六歳の男子が知っているのは少々不自然かもしれない。
「あ、いえ…ほら吉法師様には勝三郎さんがいるじゃないですか」
「ああ」
なかさんは笑いつつも、ちょっと困ったような顔をする。
「若様の乳兄弟は生まれてすぐに亡くなっちゃったんですよ」
「…そうだったんですか、すいません」
「いえ、お気になさらず」
この時代は医学が発達していないため、乳幼児の死亡率は極めて高い。
だからこそ節目の年齢まで生き残れた時に、七五三で祝うのだ。
それまでは人生のお試し期間として当時の戸籍に相当する台帳にも記載されない。それを生き残って、初めて人として認められるのである。
とはいえ、この時代であっても子が死んで悲しくない親などいないだろう。
重郎左は嫌なこと聞いてしまったなあと後悔したが、逆になかさんは自分の事を気遣ってくれる。本当にいい人だ。
「若様も乳兄弟欲しかったですよね、お寂しいですよね」
「いえ、大丈夫ですよ」
別にそういうわけじゃなく、純粋な興味で聞いただけなのだが、まあそういうことにしておこう。
それにこれはなかさんではどうしようもないことだ。
「一応若様より三つ年上の子が居るには居るんですが」
「大秋城に?」
「はい」
ほう、それは初耳だ。数え九歳なら可愛い盛りに違いない。
「女の子なので、こちらに呼ぶにはちょっと」
「ああ、なるほど」
重郎左は中身は女子なので別に気にしないが、そういうわけにもいかないだろう。
「たまには、会いに行ってあげてくださいね」
「いえ、若様の側を離れるわけには」
「私は大丈夫ですから」
まあ、となかさんは少し涙ぐみながら重郎左を優しく抱きしめる。
気丈な子だと思われているのであろうが、何せ中身はアラサー女子である。
就職してからはずっと独り暮らしだったし、最初に就職したブラックIT会社では毎日独りで深夜二時まで残業なんて生活もしていた。
それから比べれば、今は全然寂しくないし、天国である。
「ありがとうございます、たまに会いに行くことにしますね」
「そうしてください」
こうして、なかさんはたまに休暇を取って大秋城に戻るようになった。
余談であるが、いろいろ曲解・勘違いしたなかさんが奮起して休暇を有効活用し、その結果翌年元気な男子を出産する。
かくして重郎左は無事遊び相手を確保することになるのだが、女の子だったらどうするつもりだったんだろうかと疑問は尽きない。
その翌日。
重郎左が部屋でくつろいでいると、聞きなれた廊下をどすどす歩く音が近づいて来た。
「若子はあるか!」
重郎左は、あわわわわ、と慌てふためきながら、散らかしていたもの―主に大秋城での土産だが、それを片付けた。
そして居住まいを正したところで、ばーん!と襖が勢いよく開けられる。
毎度毎度、その登場の仕方何とかして欲しい。心臓に悪い。
「聞かせい」
吉法師様は重郎左の目の前に、どっかと座って言った。
(あ、しまった…)
そう言えば、昨日は那古野城に戻ってから、疲れてそのまま寝てしまった。
吉法師様の許可を得て大秋城に帰城したのであるから、戻ったらまず報告するのが筋である。
重郎左は前世の記憶と経験をそのまま受け継いでいて、精神的にもアラサーであるが、戦国時代の作法とか常識にはそのアドバンテージは通用しない。
まだ元服前のたかだか数え六歳であり、お目こぼしの範疇かもだが、気をつけるに越したことはない。
何せ目の前に座っている美少年は、将来第六天魔王と呼ばれ、部下を容赦なく粛清した信長なのである。
「申し訳ありません、報告が遅くなりました。重郎左、昨日戻って参りました」
「良い、聞かせい」
(おや、お怒りではないのかな)
そういえば吉法師様は自分の事を「姫」ではなく「若子」と呼んでいた。重郎左をそう呼ぶ時は比較的機嫌が良い時だ。
面を上げてみると、吉法師様がきらきらと少年の目を輝かせながら、自分の言葉を待っている。
どうやら純粋に自分の大秋城の土産話が聞きたいだけのようである。
重郎左は胸をなでおろし、吉法師様に報告を始めた。
「ええと、大秋城は那古野城から西に一里弱ほどでして…」
吉法師様は興味深げに自分の話を聞いている。
そういえば、自分と同じで吉法師様は那古野城外に出る機会がほとんどない。
昼間はずっと講義や乗馬の実技など英才教育を受けており、自由時間はあまり無いし、仮に城外に出かけるにしても供の物が数十人単位で随行することになる。
ちょっとそこまで、みたいに気軽に外出できるものではない。
前世では、信長の幼少時代と言えば、いつも城外をぶらぶらしている「うつけ殿」のイメージがあったが、実際は全然違うようだ。
大人びてはいるが、まだ数え九歳である。本当は城外に出て思い切り遊びたいに違いない
池田勝三郎は織田信長の乳兄弟で、一般には池田恒興として知られる。
林筆頭家老を「『信長の野心』で政治力七〇ぐらいのモブ武将」と評した失礼な重郎佐であるが、池田恒興については「初期から織田家にいるから序盤は役に立つけど、すぐにお蔵入りする武将」という認識である。これまた失礼な評価だ。
確かに「信長の野心」を織田家でプレイすると、最初武闘派の武将は佐久間盛重、平手政秀、池田恒興ぐらいしかいないので、序盤は重宝する。
だが、稲生合戦イベントで柴田勝家が仲間になり、そのうちに丹羽長秀、前田利家、羽柴秀吉、滝川一益らの士官イベントがあり、美濃を落とすころには美濃三人衆と竹中半兵衛も入手できるので、利用機会がめっきり減ってしまう。
まあそれは前世の、しかもゲームでの記憶の話。
とにかく声が大きく、パワフルで元気印の少年というのが勝三郎さんの第一印象だった。いつも笑顔であるが、その顔のまま怒ることもあるので、もともとそういう顔なのだろう。その上、目が細めなのでイマイチ本当の表情が読み取れない。
勝三郎さんは、自分より一つ年上で自分と同じ御伽小姓である。
一つしか違わないのに、あちらは既に身長が四尺(約一二〇cm)ある。納得いかない。
「新五郎様も居ると口うるさいですが、居ないとそれはそれで退屈ですなあ」
勝三郎さんは体育会系タイプで筆頭家老様の政治系の講義は苦手である。
それに吉法師様がうんうんとうなずく。
今日は何か重要な要件があるとかで、四家老の方々が古渡城に登城し留守にしているので、普段の吉法師様の講義はない。自習という名の自由時間である。
「殿、相撲でもやりましょうぞ」
「やるか」
というわけで、本丸主殿の中庭に場所を変える。
中庭とは言うが、要は出陣前に武将たちを大勢集めて「えいえいおー」ってやったり、主殿に上がれない身分の低い商人を目通りさせて「これが南蛮渡来の種子島にございます」とか献上させたり、御前試合をしたりする、あの場所だ。いわばイベントスペースだ。
かなり広いので、相撲を取るぐらいのスペースは十分ある。
吉法師様と勝三郎さんは早速、服を脱ぎ捨てて褌だけの姿になり、わちゃわちゃと子犬のようにじゃれ始める。
重郎左は主殿の縁側に腰かけて眼福眼福と眺めていたが、しばらくすると、
「若子もやれい」
矛先が自分に来たので、重郎左は慌て始める。
「い、いえ大丈夫です。間に合ってます。私見る専なので、どうかおかまいなく!」
「やれい」
「だ、だめです。お二人には敵いませんから、時間の無駄ですから!」
「やれい」
「若子殿、観念されい」
「ひえええ」
勝三郎さんが近づいて来たので、慌てて逃げようとするが、いとも簡単に捕まってしまった。
あううーと呻く重郎左であるが、勝三郎さんにぽいぽいと服を脱がされ、土俵まで連れていかれる。
抱きかかえられたとか、服を脱がされて褌姿を見られたとか、色々あって、この時点でもう精神的に重郎左のライフはゼロである。
「うう、お手柔らかにお願いします…」
「さあさあ、かかって来なされ」
勝三郎さんは四股を踏んだ態勢のまま手招きしている。
「い、いきますよ!」
ぺちん、ぺちん。
重郎左は張り手で勝三郎さんを押し倒そうとするが、びくともしない。
「ふん、むー」
戦法を変えてまわしを取って動かそうとするが、全く動かない。
勝三郎さんは何もせず様子を見ていたが、しばらくすると四股の態勢のまま、まわしも取らず、ずいっと一歩押してきた。それに応じて重郎左が一歩分押し込まれる。
ずい、更に一歩。
ずい、更に一歩。
勝三郎さんの胸板が迫って来て、重郎左の体がどんどん土俵際に追いやられていく。
「あああ、だめだめ負けちゃう」
重郎左は成すすべもなく、そのまま土俵を割ってしまった。
負けてしまったが、勝三郎少年の胸板を十分に堪能して、むしろ重郎左にはご褒美と言える。
だが、吉法師様の方はそんなに優しくなかった。
「ぎゃー」
吉法師様の張り手一発で重郎左は土俵の外まで吹っ飛んでしまい、仰向けに倒れる。
受け身は取ったが背中が痛い。張られた胸も痛い。
「弱すぎるな」
「だ、だから言ったんですよ!お二人には敵わないって。年齢だけじゃなく体格も違うんですから」
「で、あるか」
結局、吉法師様と勝三郎さんの組み合わせに戻った。
が、しばらくするとそれも飽きて、三人で縁側にごろんと横になる。
「せめてもう一人いればな」
「ですな」
「うう、お役に立てなくてごめんなさい…」
「よい」
そういえば、と勝三郎さんが上体を起こす。
「三人目の小姓が決まったらしいですぞ」
筆頭家老の新五郎(林秀貞)様が二番家老の五郎右衛門(平手政秀)様と話していたのを立ち聞きしたらしい。
重郎左は前世の癖で「話していいのかそれ、調整中の人事情報じゃないのか。小姓に守秘義務とか無いのか」とか思ったが、当然、個人的には興味ある。
何せ、自分の同僚になる人物である。
「どなたですか?」
「誰ぞ?」
「荒子城(名古屋市中川区)城代の前田蔵人(利昌)殿の四男、犬千代殿だそうです。確か若子殿と同い年ですな」
「ふ、ふえ!?」
非常に聞き覚えのある名前が挙げられて、重郎左は石のように固まった。
言うまでもない。前世の亜希子の一番の推し武将。前田利家の事である。
【解説】
信長が「うつけ」と呼ばれる要因となった領内散策活動を行っていたのは、元服前後の非常に短い期間と言われており、それまでは城内で徹底的な英才教育をほどこされ、城外に出る機会は少なかったと思われます。
四家老の方々が古渡城に登城する「重要な案件」とは美濃守護土岐頼芸の受け入れの件で、これをきっかけに織田弾正忠家は美濃の斎藤利政(道三)と敵対していくことになります。
そして次回、前田利家登場回、急展開です。