エピソード1夜遊びは程々に
これは作者の実体験をもとにした半分フィクションのお話...
俺の名は山中裕人。どこにでもいるただの会社員だ。
そう、ただの会社員——のはずだった。
パリーン、と甲高い音がファミレスの店内に響き渡る。
割れたグラスの破片と、溢れた水がテーブルから床へと滴り落ちていた。
「お前は何回言ったらわかるの!? なんで『好きだ』って言ってるのに、何回も何回も何回も確認してくるの!? ねぇ、なんでわからないの……っ!」
耳をつんざくヒステリックな悲鳴。店内の客が一斉にこちらを振り返るが、彼女は全く気にする素振りも見せない。
上野玲明。中学の同級生で、誰もが見とれる才色兼備——だがその実態は、感情の起伏が異常に激しく、一度スイッチが入ると手がつけられない生粋の狂人だ。
「だって……だって玲明、君が最近冷たいから……」
向かいで縮こまり、声をもらしているのは佐藤頼人。こいつも中学の同級生だ。根っからの弱気で、何をどれだけ言い聞かせても理解できない哀れなバカ。
「『だって』って何よ! もう知らない……鬱陶しい!」
二人は付き合っている。いや、「付き合っている」という言葉で片付けていいものか迷う。
今や頼人は玲明に異常なまでに依存していた。彼女のためなら金もプライベートも、人としての尊厳すらすべて差し出す。そして恐怖しているはずの玲明もまた、自分を絶対的に求めてくる頼人を手放せないでいる。都合のいい道具として扱いながら、どこかで彼に依存しているのだ。
そして何より最悪なのは、俺がこの二人から「唯一の理解者」として個別に恋愛相談を受けていることだった。
深夜に及ぶ長電話、呼び出し、愚痴の数々。正直、面倒くさくてたまらない。最近ではいっそのこと、二人とも事故にでも遭って死んでくれればいいのにと本気で考えるようになっていた。
どうにかして距離を置かなければ、俺まで狂ってしまう。
——そう決意した、数日後の深夜だった。
枕元でスマホが激しく振動し、俺は不快な胸騒ぎとともに目を覚ました。
画面を開くと、画面を埋め尽くす通知の数々。差出人はすべて玲明だ。
見たくない。関わりたくない。
そう思いながらも、俺は吸い寄せられるように画面をタップしてしまった。
今思えば、このときメッセージを見ずに二度寝していれば。
着信拒否をして、携帯を放り投げていれば。
また違う結末があったのかもしれない。
画面に並んでいたのは、目を疑うような罵詈雑言の嵐だった。
『コイツ殺していい?』
『どうしたら一番苦しんで死ぬかな?』
『ゴミ』『クズ』『死ね』
これらはまだマシな方だった。下にスクロールしていくと、数分の動画ファイルが添付されていた。
胸の奥で警告音が鳴っていたが、嫌な好奇心に負けて再生ボタンを押す。
暗い部屋の映像が流れた。
カメラが切り替わると、画面の端に玲明の顔が映る。
「やっほ〜、裕人! 今からコイツをいたぶっていきま〜す」
狂気を孕んだ笑みを浮かべる玲明。カメラが下に向くと、そこには床に丸まり、震えている頼人の姿があった。
「じゃあまず初めに〜。私の前に這い出せ。土下座しろ」
「は……い……っ」
頼人は抵抗することもなく、床に額をこすりつけた。その頭に、玲明がハイヒールのかかとを容赦なく踏み下ろす。ぐちり、と嫌な音が響く。
「キャハハ! これは傑作だわ! ねぇクズ、喜べよ。もっと楽しめよ?」
「なんで……こんなことするの……? 僕は君を愛しているだけなのに……っ」
「で? だから何? 愛してる? ふふ、おもしろいw」
玲明は頼人の頬を何度も強くはたき、髪を引っ張り上げてカメラに向けさせた。頼人の顔は腫れ上がり、鼻からは血が垂れている。それでも彼の目には、玲明への狂信的な愛情と怯えしか浮かんでいなかった。
「もっと鳴けよ。もっと、もっと見苦しく鳴けよ!」
そこで動画はブツリと切れていた。
直後、玲明からメッセージが入る。
『どう? 面白いでしょコイツw 裕人も来て殴る?w』
手指の震えを抑えながら、俺は短く打ち返した。
『遠慮しとくね』
すぐに既読がつき、返信が来る。
『えー勿体無い、面白いのに笑』
画面を見つめたまま、俺は絶句していた。完全に異常だ。歪んだ上下関係と、暴力を介した依存。
今すぐブロックして逃げ出すべきだ。頭ではわかっている。
だが、もし俺がここで手を引いたら——頼人は本当に玲明に殺されてしまうのではないか。
「俺が助けてやらなきゃいけない……」
そう自分に言い聞かせる。
しかし、本当にそうだろうか?
心のどこかで、この惨劇を一番特等席で見ている優越感や、狂気に対する恐怖と好奇心に捉われているだけではないのか。
俺はこの「無駄な正義感」という名の言い訳を盾にして、底なしの泥沼へと自ら足を踏み入れようとしていた。




