01 かたかた
かたかた。
かたかた。
何かの震える音が聞こえる。
骨と骨。
それらがぶつかる音だ。
――西行は向こうの大きな松の向こうからその音を聞いて、渡ることをやめた。
のちに西行戻り松と言われる松が、それである。
「追って来たか」
歌を詠む余裕なんてない。
西行は怖気に震えながら、早歩きでその地を去った。
「まさか、あいつが」
その日の日が暮れた頃、西行はあいつについて、ようやく振り返ることにした。
――鬼の、人の骨を取り集め侍りて人に作りなすやうに、信ずべき人のおろおろ語り侍りしかば、そのままにして、広野に出でて、骨をあみ連ねて造りて侍れば、人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく侍りき。
声はあれども、絃管の声のごとし。げにも、人は心がありてこそは、声はとにもかくにも使はるれ。ただ声の出づべきあひだのことばかりしたれば、吹き損じたる笛のごとし。おほかたはこれほどに侍る。不思議なり。
「さても、これをは何とかすべき。やぶらんとすれば、殺業にやならん。心の無ければ、ただ草木と同じかるべし。思へば人の姿なり。しかじ、やぶれざらんには」と思ひて、高野の奥に、人も通はぬ所に置きぬ。もし、おのづから人の見るよし侍らば、「化物なり」と、おぢ恐れむ。
撰集抄巻五第十五話「作人形事」
それは、西行がまだ出家したばかりで、高野山で修行中の身であった頃のことだ。
「寂しい」
ひとり仏道を修めんとしていると、どうしてもそう思ってしまう。
思ってしまうのは雑念のゆえだとは考えるが、こればかりはどうにもならない。
特に、歌を思いついた時が最も寂しい。
歌人として鳴らす西行は、山内をひとり彷徨して経を誦していると、どうしても興趣が向いて、歌が思いついてしまう。
「あしひきの」
つい、山や峰にかける枕詞を口にするが、誰も答えてくれない。
ああ、歌というのは誰か聞く者がいて、なのだなと思える瞬間である。
しかし西行はそのようなやりとりこそが歌の真髄と感じても、感じたからこそ、空しい。
いったい、自分は何のために歌を詠んだのか。
「やりきれぬ」
西行はそれでも、まだ独り修行の日数が残っているので、寺に帰ることもままならず、寂しさにうめく日々を過ごしていた。
ところが、ある日ついに。
「もうだめだ」
その時、ちょうど西行は、行きだおれたちが最期におもむくという、「墓場」に来ていた。
その証拠に、骨が散乱している。
行きだおれたちは、特に仏道を求めたいわけではない。
ただ、どうせ死ぬのならば浄土に近い高野山で、という一念でここまで来たのだろう。
「そういえば、たしか」
むかし、聞いたことがある。
伏見前中納言師仲という歌人が「鬼の、人の骨を取集めて人に作りなす例」を知っており、たまさかにそれを聞いたことがある。
「たしか、ひろき野に出で骨をあみ連ねて……」
その時、西行は寂しさのあまり、物狂いになっていたのかもしれない。
外法といい、反魂といい、死者をよみがえらせる術は魔道の技である。
それを、仏道の修行をしている最中だというのに、する。
何のための修行なのかと言われてしまう。
だが、西行はかまわなかった。
その時たまたま、砒霜を持っていたのが良くなかったかもしれない。
「砒霜を骨に塗り、か」
およそ風情とはかけ離れたことをしている。
風情を語り合う相手を求めるために。
西行には、そういう自覚があったが、それでも、砒霜を塗る手を止められない。
最初は、しかたなくだった。
でも、そのうち、だんだんと。
「と、止まらぬ」
骨を集めたあたりだったか。
西行は、ほんとうにおのれの意思でこれを為しているのか、わからなくなった。
みずからの意思のようでいて。
それでいて、何者かが自分の手を操って、砒霜を塗らせているような気がしてならないのだ。
「う、ぬ」
それは、誰の声だったか。
西行は、自分の口から発せられた声だと思った。
思ったが、どこかちがう。
ふと、下を見ると。
──うごいていた。
骨が、動いていた。
しゃれこうべの口のあたりがかたかたと。
動いていた。
「う、ぬ」
掠れたような、声。
その声がひびくと、しゃれこうべだけでなく、手の骨──手が、足の骨──足が動き出す。
禁断の呪法は、このようにあっさりと遂げられるものなのだろうか。
これでは、玄宗皇帝が死した楊貴妃を思い、道士に地の果て、海の向こうまで求めさせ、ようやく簪と言葉だけ、というのは何だったのかと思えてしまう。
しかし。
「う、ぬ」
「おい」
「う、ぬ」
……もしかして、それだけしかしゃべれないのか。
よく見ると、骨の体は、かたかた、かたかたと動くだけ。
まるで糸で繋がれた人形のようで、とても躍動感のある動作ができるとは思えない。
ただただ、歩くというか引きずり歩くというか、そういうのしかできない体だ。
そもそも、舌が無い。
それではしゃべれないのではないかと思うが、ともかく声は出ていた。
そういう意味では、「生きている」のかもしれない。
「…………」
とにかく、ついて来いとばかりに西行が歩くと、それは足を動かす。
……だがあいかわらず、引きずり歩く感じだ。
西行はうんざりした。
修行を終えたあと、この国の奥地まで行脚しようと思っている。
これでは、こいつはついていけそうにない。
そういう意味でも、こいつは駄目だ。
……その時は、そう思っていた。




