第四話「移ろいゆく」
春の光が、新入生で溢れ返るキャンパスを均等に照らしている。
サークルの勧誘活動で賑わう大通りの隅、人混みに紛れながら、その姿を遠くから見つめる。
ひかりは、短い髪を揺らしながら、慣れない教材を抱えて歩いていた。隣にいる新しい友人と話し合っている声が、微かに届く。
「ボク、次の講義の教室わかんなくてさぁ」
あの夜の恐怖の記憶を抱えながらも、新しい環境でなんとか前を向こうと必死に足掻いている、その横顔。
約束は、忠実に守られていた。
高校を卒業するまでの長い月日も、この大学に入ってからの数週間も、直接言葉を交わすことはおろか、視界に入ることも許されない。それが、あの日ひかりを傷つけようとした罪に対する、唯一の贖罪だった。
けれど。
──五月の連休が明けたばかりの、ひどく静かな朝だった。
大学内の掲示板、そしてスマートフォンの画面を通じて、一瞬にしてその平穏は粉砕される。
「──大学人文学部一年、──あいなさん18歳。
昨日午後6時頃、大学の講義棟の屋上から飛び降り、搬送先の病院で死亡が確認された。自宅には遺書とみられるものが残されており、警察は自殺とみて調べている──。
その文字を目にした瞬間、ひかりはキャンパスのど真ん中で、まるで糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「嘘……なんで、どうして……っ」
教科書が地面に散らばり、泥に汚れていく。
ひかりの脳裏に蘇ったのは、あの六月の夜、体育館の裏で鋏を握りしめていたあいなの狂気と、それを拒絶してしまった自分自身の姿だったに違いない。
「ボクの、せいだ。ボクがあの時、あいなを突き放したから……。ボクのせいで、あいなは死んじゃったんだ……!」
あの日以来、二度と会うこともなかった親友の死。それはひかりの心に、一生消えない、あまりにも重すぎる十字架を突き立てた。
それからの数週間。
ひかりの変貌は、目を見張るほどの速度で進んでいった。
まるで、過去の自分を、あいなが執着した「ボク」という存在そのものを、自ら消し去ろうとするかのように。
そのままでも十分なほど、人形のように愛らしかった素肌になれない手つきで色をのせ、いつもジーンズばかりだった服装は、柔らかなシフォンのスカートや、淡い色のブラウスへと変わっていく。
何よりも、あれほど快活だった少年の動作が消え失せ、誰かに怯えるような、どこまでも「しとやかな女性」としての振る舞いが板についていった。
「──今日、サークルの先輩にね、新しいノートの書き方教えてもらったんだ。私、そういうの疎いから、すごく助かっちゃった」
夕食の席、ひかりは少しぎこちない笑みを浮かべながら、そう口にした。
もう、その口から「ボク」という言葉が零れることはない。
「そうなんだ。ひかりは偉いね、ちゃんと前を向いて、新しい生活に馴染もうとしている」
テーブルの向かい側で、男はいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべ、紅茶のカップを傾けた。
「大学生だし、これからは男性とも関わっていかなきゃいけないから……。ちゃんと、大人の女の子にならなきゃって思うの」
ひかりは、自分を納得させるように強くそう言った。
その言葉を聞く男の瞳の奥で、微かに何かが歪む。
ひかりは外の世界へ行こうとしている──。
あいなの四十九日が過ぎた、よく晴れた週末。
ひかりは白いワンピースに身を包み、手には小さめの白い花束を抱えていた。
「お兄ちゃん、準備できたよ」
「うん。じゃあ、行こうか……」
兄は車のキーを手に取り、玄関の扉を開く。




