第13話
「ハァ、ハァ、ハァ……」
すごく息が切れて、しんどくて、立っていられなくなっているけれど、決して強大な敵に立ち向かったわけではない。この身体で初めて、1人での最長距離の移動に挑戦した結果である。
「フゥ……」
日本の武術の道場がそうであるように、少し離れたところにそういう訓練をする場所があると思っていたけれど、案の定だった。
建物から少し離れたところに少し開けたところがあり、そこには訓練用の剣や槍、弓矢がたくさん置いてあった。
息が整うのを待って、そのうちの一つを掴む。
「お、重い……」
おかしいな。この前、人さらいたちを倒したときはもっと力が出ていたはずなのに、ピクリともしない。「よいしょ」と掛け声を上げてもう一度持ち上げる。やっぱり持ち上がらない。というか、重すぎる。疲れてきたので、剣から手を放して座り込む。
自分の腕をまじまじと見た。見た目は16歳の女の子の腕である。でも、前は剣を持てて、持てたどころか振り回して敵を倒したのだ。
なのに、今は持ち上げることもできない。目いっぱい力を入れて、ようやく地面からわずかに浮くくらいだ。年相応の筋力に戻ったみたいだった。
なら、前もてたのは火事場の馬鹿力からと言う奴だろうか。不思議に思いながらもう一度剣の得に手を触れてみた。
ドクリドクリと心臓が鳴る。
やっぱり無理をしたせいか苦しくなってきた。
膝を抱えてやり過ごそうとしたとき、突然息が詰まった。
決して体調呼吸が止まったわけではない。緊張した時、息をするのもままならない、あの状況である。
体中に警戒するように力が入る。
腕をの筋肉、腕を支える筋肉全てに力が入り、私は先ほどまで持ち上がらなかった剣を軽々と持ち上げて立ち上がった。
そして、何も考えることなく、後ろ向きに剣を構えた。
ガキンと甲高い金属音が響いた。
振り向き様に背後から私を襲おうとした者の振り下ろした剣を受けたのだ。
私は体勢を低くし、危なげなく剣を受けている。
拮抗している力をうまく逃がして剣を弾き、距離をとる。
私を襲ってきた相手は戦士だった。
ここに入ることができるのはローゼン家と祭事に関わる日とだけのはずだからこの人のどちらかだと思う。けど、その人が私を襲うだろうか。一応私は巫女らしいので皆が頭を垂れて祈りを捧げる人までいるのに。
侵入者?
ドクリと心臓がなる。
ーー相手が何者かなんて些末なことだ。
ーー相手は戦士で、こちらもあちらも武器を構えて向かい合っている。戦わない理由がどこにある。
「キェアアアアッ!!!」
喉からすごい声を出しながら、戦士が距離を詰め斬りかかった。
剣と剣とが合わさる。
手から伝わる重い感覚に気分が高揚した。
ゴクリと無意識につばを飲み込んだ。
力任せに相手の剣を押し返す。
ゲームみたいに、相手が吹っ飛んだ。
比喩ではない。
本当に、バッターが撃ったボールのように相手が吹っ飛んだ。
屋敷を囲う塀に衝突して、地鳴りのような音がした。
塀の壁には亀裂が入っている。
私に吹っ飛ばされた人は動かなくなった。
「…………まずい」
我に返った私は急いで吹っ飛ばしてしまった人へと駆け寄った。
しかし、途中、カクンと足の力が抜けて膝から崩れ落ちる。全身が酷い倦怠感に襲われた。その場で何度もクルクル回ったかのように視界が廻る。
そのまま動けなくなっていると、視界の端で動く影があった。私に吹っ飛ばされた男が目を覚ましたのだ。
「うぅ……」
苦しそうな唸り声をあげてその人が起き上がった。
マジか。
塀の壁に亀裂が入るくらいなのだから相当な力で吹っ飛ばされたはずなのに、すぐに起きるだなんて丈夫過ぎる……。
事態を飲み込めないのかキョロキョロしながら体の痛むところを抑えたりさすったりしている。
「いたたた……――――――って、大丈夫か?!」
起き上がりながら辺りを見渡し、ようやく、その人は私に気づいたのか駆け寄ってきた。
私は動けなかったので彼が起きてからこちらに気づくまで一部始終を見守る羽目になった。
駆け寄って、その人は私を抱き上げる。
「見ない顔――――――って、ヒィ、み、巫女様ッ!!」
人を、まるでお化けでも見たかのような悲鳴を男は上げた。
「お、俺、なんてことを、え? というか、俺は一体巫女様に何したんだ? ……え?」
先の気迫はどこへ行ったのかとても情けない声を出した。誰が見てもわかる通りに混乱している。周りに武器が散らばっているのを気づいたようだった。
彼は自分が何かしたと思っているようだけれど、むしろ何かしたのは私の方なのだ。しかし、口を開くのも難しく、ただただ、見守るしかない。
「何やら楽しそうだね」
涼やかな声が響いた。
「何しているの?」
覚えのある声、覚えのある緊張感――――ディアルムドさんが現れた。瞬間、意識が冴えて、身体に力が入る。
それこそ、さっき私に切りかかろうとした時と同じくらい身体に力が入っている。
「私も混ぜてくれないかなぁ?」
「ヒィ!! すみません、領主様!!」
ディアルムドさんの言葉が終わるか終わらないかくらいで1秒と掛けずに彼は平伏した。まるで魔王に出くわした村人Aのようだ。ディアルムドさんは興味無さそうにその様を見た。周りの状況から大体何が起こったのか察したらしい。
「…………ふぅん、まあ、うちの娘が君ごときにどうにかされるとは思ってないけど」
「その通りでございます」
「そこの壁が壊れてるのとか、君の所為かな?」
「いえ、それは……」
「私の所為ですお父様」
「おや、そうなのかい? もしかしてその男に乱暴にされそうになったところを撃退したのかな?」
男が震えあがった。
「い、いえ、それは、それは、えっと……」
「違います」
記憶がないゆえに絶対違うとは自分で言えないのだろう。戸惑っているので先に返事をした。
「確かに、彼は、私に襲いかかってきましたが、おそらく、彼の意思ではありませんでした。明らかに理性がなかったんです」
だから、私だから襲ったんじゃなくて、目についた人を襲ったんだと思います。
言おうとして、呂律が上手く回らなくなった。けれど、私の言葉から言わんとすることを読み取ったのだろう。なるほど、とディアルムドさんはうなずいた。
「ふーん。君もか……最近多いな……」
ディアルムドさんは面倒くさそうにつぶやいた。
「君」
「はい!」
「もういいから持ち場に戻りなさい」
「え?」
「この屋敷のものなら祭事の準備中だろう? 君の担当は?」
「自分は祭事の警備を担当しているので今日は当日の巡回ルートを確認していました」
「結構。じゃあ、持ち場に戻りなさい」
「はい、あの、お咎めは……」
「この件で君を罰するつもりはないよ。気をつけろと言ってどうにかなるものでもない。いわば流行り病のようなものだ。私は病にかかったものを責める趣味はない」
「で、でも……」
「娘だって傷ついたわけじゃないしね。いいよ」
「そんな、でも、じゃあせめて巫女様を部屋までお運びさせてください。とても辛そうです」
「え? そう?」
ディアルムドさんはそのとき、初めて気づいたような声を上げた。
私と、8年ぶり(?)下手したら初めて会うようなこの人と年に何度か会っていたこの人とでは私の今の状態が異常かどうかわからないだろう。いつもこんな調子の私としか会っていないディアルムドさんからしたら辛そうには見えないに違いない。父親として、どうかと思うけど。
ディアルムドさんと目が合う。
「立てるね、ディアマンテ」
「………………」
ディアルムドさんの声にスクリと立ち上がる。ふらつきそうになったのを何とか踏みとどまった。背後では男があわあわと不安そうにして、立った私を支えるべきかどうか迷っているようだった。
身体は辛いのに、持てる力を総動員して立っていた。
急に立った所為か頭はふらふらするし、視界は狭くなったし、吐き気がしてきた。
顔色は最悪に違いない。
辛いのなら、私を心配してくれるこの人の手を借りればいいのだろう。
けど、誰かの手を借りるとなんだか負けな気がして嫌だった。
「部屋までは私が送っていくから安心しなさい」
男の人に向かってそう言ったディアルムドさんは満足そうに笑っていた。
「さあ、行くよ」
そう言ってディアルムドさんが歩き出したので慌ててついて行く。一歩目さえ踏み出してしまえばめまいがしても、身体が怠くて重くても案外身体は動いた。
私の前を颯爽と歩くディアルムドさんに、まるで紐で結ばれたように私も同じ速度で後ろからついて行って部屋まで帰った。私は部屋に帰る頃には胸の痛みが酷く、浅かったり深かったり不規則な呼吸になっていた。やっとの思いでベッドへ座る。
「うん。今日はもう休んでなさい。明日からよそから来た客人があいさつしに来るからね」
「はい」
「ちょっとバタバタするかもしれないけど、あくまで形式上だから顔合わせ程度に思えばいいから気軽にしていなさい。彼らだってお前の顔が見られたら満足するさ」
「はい」
そう言えば、この人は貴族で、私は貴族の娘だったっけ? と思い出す。あいさつといわれても、当然一般市民だった私に優雅な仕草とかは不可能だし、こんな状態なら起きていられるか心配だ。
「すまないねぇ。8年に一度のお祭りで、戦巫女がお披露目される。面倒なことにもの好きが集まってくるんだよ」
「……大丈夫ですか? ディアルムドさんは先ほど私を襲った者の状態を“流行り病”と言いました。その、“物好き”の方々が何人来るかは知りませんが、誰か同じ状態になってしまう危険性があるのでは?」
「あるよ」
「……それでは、何か対策が?」
「無いよ。さっきも言っただろう? これは天災だって。我々の意思でどうにかできる話でもない。さっきの彼は軽めだったから正気に戻るのが早かったけど、これからはどうなるか」
「何もしないのですか?」
「ああ、しない。できないからね。まあ、暴れる輩が出る事なんてここじゃあ日常茶飯事だし、誰も気にしない。それに、フフ、この領地に住む者たちがあんなのに負けるわけがないからね。天災が収まるのが先だろう」
断言する姿に、あのような乱闘がここでは日常であることがわかる。よっぽど強さに自信があるのだろう。
「でも、私やディアルムドさんがあのようになってしまったらどうするのですか? 今、ここには殿下もいらっしゃいますし……」
「お前が心配するほどのことではないよ。余計なことは考えず、休んでなさい」
ニッコリと有無を言わさぬ笑みで会話を打ち切り、ディアルムドさんは私をベッドに横たえると部屋から出て行った。その瞬間、糸が切れたみたいに身体から力が抜け、鉛のように重たくなる。殿下の癒しの魔法やディアルムドさんのお陰で忘れていた苦しみだった。