11.春の息吹
血塗られた剣を持つ王殺しにして、父親殺しの男に、二人の男が忠誠を誓う。
「我が王よ」
深々と頭を下げて跪き、新しい王に誓いの言葉を捧げるハリエスの横顔は厳粛さに満ちていた。
「アッティラの新しい冬の王よ」
瞼は閉じられ、瞳に映る感情の全ては覆い隠されていた。
「私の剣と持てうる限りの知恵を貴方に捧げることを――」
だが、揺れる睫毛の動きに、フレイヤは今まで自分の目が見えていないも同然であった事を知った。
「今は亡き祖国アーヴァスと、我が一族の名に掛けて誓います」
これまで自分は何を見聞きしていたのだろうか、フレイヤは壁に手をつき立ちあがりながら思った。
ここにいるのは自分と同じく家族を奪われ、疲れた中年の男だった。
「お前の家族の御霊が神々と共にあらんことを」
今にも崩れ落ちそうな背中へと、エウシェンが静かに語りかける。
決して大きいとは言えないその声は不思議に響き、聞く者を圧倒した。たとえ血で濡れた手を持っていようとエウシェンはこの場において、誰よりも清廉に見えた。
美しく高潔な魂を持った新しい王だった。
「頭をあげよ、ハリエス・エークマン」
ハリエスの頬に、血で濡れた剣先を走らせる。
「お前に、故郷アーヴァスの統治権を与える。我が名の元によく治めよ」
剣は、男の顔に一筋の赤い線をもたらせた。
「その傷を見るたびに、お前の主君が何者かを思い出すのだ」
ハリエスは痛みを感じさせない表情で、また深々と頭を下げる。
絨毯に出来た涙が入り混じった赤い鮮血が答えだった。
◇◇◇
「……裏切ると思うか?」
「わからん。だが、如才ない立ち回りと口先の上手さで、父上に取りいった男だ。油断はしない」
ハリエスが出て行った後、二人の男は閉められた扉を見ながら、いくらか緊張を解いた状態で言葉を交わす。
「俺にまで黙って」
「すまん。正直なところ、最期まで奴が信用できるかどうか分からなかったのだ」
眉をひそめて渋い顔をするネルニィアの肩を軽く拳で小突きながら、エウシェンが薄く笑う。
「結果的に上手くいったから良かったんだぞ」
エウシェンを睨みつけながらも、ネルニィアの表情は明るい。
ーー子供の遊びだ。
フレイヤは思う。二人のすぐ側には無残な死体が転がっているというのに、彼らの様子はまるで悪戯が上手くいった少年たちのようだ。
エウシェン達の様子に呆れながらも、フレイヤ自身も肩の荷がおりたかのように身体が軽くなるのを感じた。
ずっと気が張っていたのだから仕方がないと首を振り、二人に近づこうとしたその時ある変化が目にとまった。
フレイヤは動きを止め、じっとイーヴァルの死体を見つめる。いや、死体ではない。
彼は生きていた。
胸を突かれてもなお彼は死んでいなかった。何度も眩しげに瞬きを繰り返す瞳はまだ光を失っておらず、不器用に指がうごめく。
フレイヤは無意識のうちに、イーヴァルの机の上に置いてあった小型のナイフを手に取っていた。
「フレイヤ、もう――」
エウシェンが振り向いて手を差し出すが、フレイヤの姿を見て笑顔が固まる。
「……フレ」
眉をひそめた後、彼女の視線を追って、表情を一気に引き締める。
傍らに立つネルニィアも剣を抜いた。
エウシェンは手を押しだして、フレイヤを抑えようとするが、彼女の方が早かった。なんとか身を動かして立ちあがろうとするイーヴァルの側に跪き、その顔にナイフを当てる。
「……あなたはもう終わり」
胸から流れた血はあたり一面を赤黒く染め、濃厚なまでの死への気配で男を彩っていた。
「もう終わりよ、イーヴァル」
イーヴァルの頬骨から顎先にかけてナイフの切っ先を走らせながら、フレイヤは天使のように微笑む。
なんとか動きもがこうとするものの、イーヴァルはそれ以上手足を自由にすることができず、フレイヤを睨みつけてくる。
口を動かし不明瞭な言葉を吐くが、それが相手に伝わることはなかった。
「残念ね」
決してナイフを手から離すことなく、フレイヤは首を振る。
「あなたの野望はもうお終い」
もうお終いよ、ともう一度言って優しく微笑む。
「あなたはもう北部を統一することも、ミッラレスをも超える国を作ることもない」
フレイヤは身をかがめると、イーヴァルの耳元に顔を近づけて囁く。
「それはね、私の息子がするの」
誰かが息を飲む音が聞こえ、イーヴァルの口が戦慄き震える。
喉から漏れたうめき声は悔しさのせいだろうか。
「あなたが殺した兄の孫が」
片手をお腹にあてながら、フレイヤは顔いっぱいに口を開いて笑うと、ナイフをイーヴァルの首に一気に突きたてた。
「未来の冬の王となるのよ」
イーヴァルの上半身が震える。両腕が痙攣したように動き、フレイヤの体に手を掛けようとしてきた。
フレイヤはナイフの柄を両手で握りしめ渾身の力を込める。その手に力強く大きな手が複数重なった。
顔をあげると、エウシェンとネルニィアが彼女の手にそれぞれの手を重ねていた。
つかの間、視線が交錯した後、三人は無言で力を込め続けた。
イーヴァルの喉が裂け、血が飛び散り、三人の手に、腕に、顔に鮮血が飛び散っても、イーヴァルが完全に動きを止めたと分かってからも、ずっと手を離さなかった。
ようやく根元までナイフが突き刺さった首から手を離した後、三人の顔はすっかり疲れきり、老成しきって見えた。
それぞれに映る自分の姿を見て、永遠に青春時代がすぎ去ったことを知った。三人はお互いの顔を見て力なく笑ってから、身を寄せ合うように抱き合い声を押し殺して泣いた。
◇◇◇
どこまでも澄み切った空に彩りを与える渡り鳥の旅立ちが、季節の終わりを知らせる。すぐに短い秋が訪れ、あたり一面を雪で覆い尽くす日も近いだろう。
その間、この国は長い冬眠期間に入る。新しい国王と共に、その後の政策を着々と進めながら。
城下街の道々に溢れかえり、中庭にまで詰めかけた群衆の新しい王の誕生を祝福する声が、裏門へと通じる暗い半地下にいるフレイヤにまで聞こえてきていた。
「……あなたが、エウシェンと共にミッラレスへ情報を流していたのね」
旅装束姿のネルニィアが外へ出る扉の前に立ったままよどみなく答える。
「エウシェンと私の教師が、いまミッラレスの宮廷にいるのです」
「それで?」
フレイヤは眉をあげてその先を促す。
「ミッラレスの国王のご意見番にして、王子の教育にも関わっています」
ネルニィアが肩をすくめて笑うのを見て、彼女もおかしそうにくすくす笑う。
「では、かの国と我が国の関係は安泰といっていいのかしら?」
「分かりません。でも、この先平和協定に入ることは確実でしょう」
フレイヤの無邪気な笑い顔を愛おしげに見つめてから、ネルニィアは振り切るように頭を深くさげる。
「あいつの事をよろしく頼みます」
顔をあげながらまだ膨らみの見えない腹部に目を走らせ、口をつぐむ。
「ええ」
フレイヤは目を伏せるネルニィアに手を伸ばしかけてから、結局引っ込めて腹部におく。
「ずっと彼と共にいるわ。この子も一緒にね」
ネルニィアが何も言わず小さくうなずく。
「あなたはこの先どこへ? ミッラレスへ?」
「南の、母の故郷に行こうと思ってます」
詳しい土地名は言わなかったので、フレイヤも聞かなかった。
「フレイヤ様、どうかお健やかにお過ごしください」
フレイヤとお腹の子に言うと、一度祈るように目を閉じてから、ネルニィアはマントのフードを目深にかぶる。
「あなたも。ネルニィア」
フレイヤの言葉を背中に聞きながらネルニィアは扉を開け、外に出て行った。
閉ざされた扉を見ながら、フレイヤは遠い空の向こうにある美しい南の土地を思った。
きっと実り豊かで、ネルニィアに似た朗らかな笑顔の持ち主たちが、真っ白な砂浜であたたかな波に足を濡らしているに違いない。
フレイヤは自分が永遠に見ることのない風景の中で男が根をおろし、安息の時を手に入れることが出来ることを祈った。
「ゾーイ、待たせたわね。行きましょう」
フレイヤは廊下の端で待たせてあった、ゾーイの元へ歩きながら微笑みかける。
「……姫様、お綺麗です」
ほおっと感心したように言ってから、ゾーイは慌てて両手で口を覆う。
「申し訳ありません、……フレイヤ王妃」
「ゾーイったら、さっきも見たでしょう? あなたが用意してくれたんじゃない。それに、二人の時は姫様でもいいわよ」
「とんでもございません!」
ふるふると首を振りながら、即位用の礼服を身にまとうフレイヤをまた眩しそうに見る。
「でも……。やはり今日は一段と美しく見えます」
フレイヤは目元を緩めると、手を伸ばしてゾーイの手を軽く握ってからすぐ離した。
握られた手を、ゾーイが大事そうにもう片方の手で包み込む。
二人は幼いころから共に育ち、共に遠い土地へ来て、共に家族を失った少女たちだった。
「行きましょう」
優しく誘いかけると、嬉しそうに笑顔で頷かれた。
ゾーイは以前より頬の線がこけ、顔つきも鋭さが増したが、見る者の心をあたたかくさせる笑顔だけは変わらなかった。
この笑顔を守るためにすべきことがたくさんあった。それは、フレイヤの贖罪の一つだった。
中庭が見下ろせるバルコニーに向かうその一歩一歩に、フレイヤは身が引き締まる思いだった。廊下の両側に一定の間隔で立つ衛兵たちが、美しい王妃の姿を余すことなく見ようと目で追いかけてくる。
フレイヤは階段をのぼり、二階へと出る。バルコニーへ通じる控えの間で、ハリエスが家臣達と共に待っていた。彼女の姿を見ると、皆一様に敬礼をする。
家臣の顔触れは依然と随分と変わり、あの日ハリエスと共にフレイヤを糾弾し、イーヴァルに付いたものは容赦なくその首が切られた。
開け放された窓の外から、エウシェンとフレイヤの名を呼ぶ声が聞こえてくる。
バルコニーから一番近い場所に、フレイヤの愛する男が立って、彼女が来るのを優しく見守っていた。
フレイヤ同様、礼服に身を包んだ姿は威風堂々としており、その男ぶりに感嘆の声が秘かに漏れた。
その傍らに、影のように立っているのはアスティンで、フレイヤを見つめる眼差しは、エウシェン同様優しさに満ち溢れており、愛情の深さはネルニィアを思い起こした。
「フレイヤ」
エウシェンが手を差し伸べ、フレイヤを側に引き寄せると、その姿を丹念に見つめて目を細ませた。
「今日の君はとても美しい」
フレイヤの額にそっと口づけすると、声をひそませる。
「彼は?」
「行ったわ」
フレイヤが短く言うと、エウシェンは小さく頷く。
「寂しい?」
「少しね。いや……とってもかも」
「素直な人ね」
気弱そうに微笑むその顔を睨みつけた後、すぐにフレイヤは笑う。
「でも、私がいるでしょ?」
「ああ。それにこの子が」
フレイヤのお腹に手を置きながら、エウシェンは嬉しそうに言う。
その笑顔を見ながら、フレイヤはエウシェンの両肩に手をかける。
「……ねえ、エウシェン」
「なんだい?」
「もう私に隠し事はしないで」
笑顔を崩さず、なにも言わないエウシェンに更に続ける。
「私たちは一心同体よ。あなたの敵は私の敵。その逆も同じこと」
神官たちが二人にバルコニーに出るようにというのに頷きながら、フレイヤは訴えかける。
「結果的に家族と国を犠牲にした自分を、私はきっと一生許せない」
「フレイヤ……それは」
「エウシェン、違う。私のせいでもあるのよ。私は子供で、何も知らず、また知ろうともしなかった」
否定しようとするエウシェンを抑えながら、二人は横に並んで歩きながらバルコニーへ向かう。
「でも、これからはそうはいかない。あなたの妻として、この子の母としてね」
一歩バルコニーに足を踏み入れれば、湧き立つような歓声が身を震わせる。
「……また彼らの王妃としてもね」
「そうだね」
群衆に手を振りながら、エウシェンはフレイヤの肩を引き寄せ、頭に口づけを落とす。
「フレイヤ、やっぱり変わったね」
仲睦まじい二人の様子に、歓声は更に高くなった。
もしかしたら、今この時も遠い地へと向かうネルニィアの耳にまで届いているかもしれない。
「当り前よ」
フレイヤは子供みたいに口をとがらせた後、両腕を伸ばしてエウシェンの首にまわす。
「フレイ、ヤ!?」
「しっ」
意図に気づき動揺するエウシェンの口を己の口で塞いだ。
視界の端でハリエスや神官たちが、顔色をせわしなく青くしたり赤くしたりするのが見えたが構うものかとばかりに、フレイヤは口づけを止めない。
エウシェンが支えてくれるのをいいことに、ぐいぐいと身体を押しつけ伸しかかんばかりだ。
あまりに深く長い口づけに最初は騒いでいた群衆たちも、やがてしんっと静まり返った。
ようやくフレイヤは顔を離すと、目を白黒させているエウシェンの頬を両手で軽く叩いて微笑みかけた後、己の口に両手を当てるとそれを全開の笑顔と共に群衆に投げつけた。
わっとまた弾かれたように歓声が巻き起こる。
その前よりもずっとずっと大きな歓声に、笑い声が混じり、甲高い口笛に、楽器を奏でる音、犬の遠吠えが止まらない。
何事にも荒々しく、厳粛な冷たい冬の国ではついぞなかった事だ。
きっと、今日の光景は後の世に語り継がれることだろう。もしかしたら吟遊詩人が遠い南の地まで運んでくれるかもしれない。
「……まったく」
冷や汗を拭いながらエウシェンが困ったような、可笑しそうな顔をする。
「君はとんでもない子だな、フレイヤ」
「だって、エウシェン。あなたを愛してるんですもの」
無邪気なフレイヤの言葉に、エウシェンが絶句する。
「あなたが私を愛してくれなくてもいいの。だって、私があなたを愛してるんですもの」
「だがっ」
途端に真顔になるエウシェンの口に人差し指を当て止める。
「いいのよ。あなたが言いたいことはわかってる。でもね、エウシェン。私は、あなたが好きなの」
エウシェンは困惑の表情を浮かべる。その顔さえ、フレイヤは愛おしかった。
「それに、あなたみたいな人は誰かが側についてないと駄目よ。私があなたの妹になって、姉になって、娘になって、母親になってあげる。あなたの子供の母親になって、もちろん妻にもね。あなたが望むなら子供だってもっと作ってあげる。私達は家族になるのよ、エウシェン」
「……フレイヤ」
「好きよ、エウシェン。とってもとっても大好き」
フレイヤの告白に、エウシェンは何も言わず、ただ眉尻を下げて困ったように微笑むだけ。フレイヤもまた微笑む。
お腹に手を当て、自分達はどんな家族になるだろうと思った。それはまだ分からなかったが、どんな形になろうと自分がエウシェンを愛することは止めない事だけは分かっていた。
来年、春の訪れとともに産声を上げる新しい生命に、あなたには二人の父親がいるのだといつか告げよう。
失った命の分、より多くの人たちに輝かしい生命のきらめきを感じてほしかった。
そのために自分の最善を尽くし、務めていこう。それこそが、フレイヤの贖罪であり義務だった。
その意思を、いずれお腹の子が継いでくれれば、何事にも変えがたい幸福だと思った。
きっと、その道は凍った大地を真っ直ぐに突きぬけ、雪を溶かし、何処までも伸び、北の大地に今まで見たこともない実りをもたらしてくれるかもしれない。
バルコニーに立ったまま遥か遠くを見つめるフレイヤの手を、隣に立つエウシェンがそっと握ってきた。
「幸せかい?」
結婚式の時と同様にその手の平は冷たかったが、自分以上に果てしない情熱と野望に取りつかれているに違いない男を見て、フレイヤは心の底から言った。
「幸せよ」




