63.友人関係
通されたのはとても豪華な客室だった。お嬢様の屋敷のものとは広さも装飾も比べ物にならない部屋。
俺は柔らかくてとても座り心地の良いソファーに座らされ、出されたお茶に口をつける。
うん、味がしない。
混乱と緊張で味覚が仕事をしていない。
この見るからに高級品のカップがいくらするのかとか、俺が王城の客室中でもかなり良い部屋に通されたこととか、目の前でニコニコと座っているのがこの国の王女様であるだとか。
ちょっと何が起きているのかがわからない。
誰か説明してくれ。
あ、その説明をクレア王女がしてくれるためにこの部屋に連れてこられたんだっけ。
「レイドさん」
「え、あ、はい」
「……そんなに緊張しないでください。と言っても難しいかもしれませんが、ここには私たちしかいません。礼儀作法については気にしないでください。命の恩人に不敬罪などといいませんから」
「そ、そうか……」
彼女の言う通り、この場にいる人間で俺の無作法を咎めるような者はいないだろう。
俺、クレア王女、彼女の足置きになっている女騎士。
……足元は見なかったことにしよう。
「レイドさん。貴方には本当に感謝しているんです。私の浅はかな行動に巻き込まれただけの貴方は、最後まで私を見捨てようともせず守ってくれました。会って間もない見ず知らずの私のために命を懸けてくれた」
「そりゃあ、俺は貴女に雇われたんだ。守るのは当然だし、そもそも女の子が命の危険に晒されてるのに見捨てることなんてできないだろう」
「あの状況なら普通は見捨てるものですよ。命は惜しいですからね」
「俺も命は惜しいさ。だから戦ったんだ」
あの場で一人で逃げ出したとしても、夜狐はクレア王女を殺した後で俺を始末しにきたことだろう。
あいつに刺されるまで――いや、刺されていることにすらすぐには気がつかなかった。
転移系の魔法や道具は王都の結界で使用を制限されているから、こちらの認識に干渉する力を使われたのは間違いない。それもかなり強力な。
毒ナイフで腹を刺されたから何とか助かったけれど、喉や心臓を狙われていたら気がつかない内に絶命していた。
そうしなかったのは慢心か何かしらの制限や理由があったからなのかはわからない。または使っていた毒がかなり強力なものだったことからして、狙いやすい場所を狙っただけなのかもしれない。掠り傷程度でも殺せるようなことを言っていたし。
「どのみち怪我を負った時点で逃げ切ることは無理だった。なら、一か八か敵を倒すか、せめて相打ちまで持っていこうと思っただけだよ。不意打ちで腹を刺されたんだ、それくらいしないと気が済まなかったんだ。だから、そっちも必要以上に気にかけることはない」
「まあ、謙虚なのね」
謙虚ではない。
助けたのがメイドではなくこの国の王女様だったのだ。メイドの少女から感謝されるのと、一国の王女から感謝の念を向けられるのでは話が違う。
ごく普通の一般人だからな、俺。
前世と合わせても小市民としての感覚しか持ち合わせていない俺にとって、殿上人である王女からお礼なんて言われたところでどうしていいのかわからない。
手に余る、身の丈に合わない、何がどうしてこうなった。
ある意味ファンタジーより非現実的な状況に内心ではずっとパニックだ。
落ち着け、落ち着け。
まったく現実感が湧いてこないけれど、今のこの状況は夢ではない。
状況を整理して冷静さを取り戻すのだ、本格的になにかヤバい粗相をする前に。
KOOLになれ。
「そういえば、どこまでが本当の話だったんですか?」
「? どの話でしょうか?」
「貴女が俺に語った身の上話というか、ことの経緯というのか」
目の前の少女はクレア王女ではなく、クレア王女に仕えるメイドのアンとして俺に接していた。
事情を説明するにしても、素性を偽っている以上は伏せなければいけない部分や嘘もあったはずだ。
彼女が語ってくれた話の内容がどこまでが本当でどこまでが嘘なのか、俺にはもうさっぱりなのだ。
「あぁ。貴方に指摘を受けてからの話には一切嘘は含まれていませんよ。確か、王城から逃げ出して来た、辺りからの話はおおむね本当のことしか話していません」
「……えっと、それにしてはずっと貴女のことをメイドのアンだと勘違いしていたんですけど?」
「嘘には敏感だと仰っていたので、嘘は言わなかったのです。すべてが本当のことでも語り方ひとつで、聞き手に勘違いさせることはできますからね。主語をぼかしつつ、前後の話から相手に間違った解釈をさせたり、とか。貴族の嗜みですわ」
……貴族こわっ!?
下町の商人とそれなりにやり合えるからといい気になっていた自分が恥ずかしい。
これまでの人生のほとんどを城の中で過ごして来た年下の女の子が、そこらの商人よりも油断できない話術を持ってるとかなんなんだよ。
「……騙していたことは謝ります。必要ではあったとはいえ、レイドさんからすれば気分のいい話ではないでしょうし」
彼女の身分を考えれば仕方のないことではあるし、怒っているかと聞かれれば怒っていない。
ただ、こうしている間にも騙されていることにも気づかず、簡単に手玉に取られているのではないかという怖さはある。
けど、年下の女の子にビビってます、なんて言えるほど正直者ではない俺は見栄を張って落ち着いた感じに肩をすくめてみせる。
「気にしていない。そちらにも事情があったのだから」
うん、いい感じ。ちょっと棒読みになった気がしなくもないけど。
突っ込まれる前に咳払いをして誤魔化す。
「えっと、城に夜会の者が侵入して、知り合いの貴族に応援を頼むために城から抜け出したんでしたよね。一介のメイドならともかく、よく王女様が城から出られましたね。この非常時なら、護衛や警備も厳しいでしょうに」
「そこはまぁ、私と体格の似たメイドから密かにお仕着せを拝借したり、頭の足りない欲望に忠実な護衛騎士を甘言で唆したり、王族しか知らされていない隠し通路を使ったりしましたから」
……うーん、見た目は御淑やかなお姫様だけど、その実結構ろくでもない子じゃないのかな、この子?
「……危ない状況なのはわかっていたでしょう? なぜ人を使わずに自分から直接動いたんです?」
「危ない、とは聞かされていましたけれど、実感がなかったんです。城での行動が一層制限されて、不満ばかりが募っていきました。助けを求めに行くというのは本当でしたけど、建前でもあったんです。久しぶりに城下で羽を伸ばす、という目的もあったので」
「……そういえば、呑気に屋台で買い食いしようとしてましたね」
道案内にも迷いがなかったことから、平時からちょこちょこと城下で遊び回っているのだろう、この王女様は。
「でも、夜会が活動していると知っているのにあまりにもそれは軽率でしょう」
「それはそうなのですが……私の突発的な行動に相手が動いてくるなんて、本当に襲われるなんて思っていなかったんです」
人は誰しも自分だけは危険な目に合うことはないと心のどこかで思っている。
雷雨の中、自分に雷が直撃するとは思わない。
道を歩いていて、事故に遭うとは思わない。
不審者が出るとは知っていても、警備の多い街中で自分が遭遇するとは思わない。
万が一、とは思っても、自分は大丈夫だろうと考えている。
危機意識が薄いとは思うけれど、まだ十代前半の箱庭育ちのお姫様だ。危険に晒されずに生きて来たような人種に危機感を持てと言うのも難しい話かもしれない。
そんな内心呆れていたのが表情に出ていたのか、クレア王女はむっと頬を膨らませる。
「私だって用心はしていたんですよ? 守護精霊のアルフィーには常に周囲を警戒するように言ってありましたし、レイドさんを雇ったのもそうです。それに、目的の屋敷までたどり着けば安全だったのです。道中の僅かな時間に襲われるだなんて、本当にまさかの事態だったんですっ」
本人は自分なりに対策を立てていたようだ。急遽、俺を護衛にするという思いつきも結果としては正解だったわけで、まるで危機感がなかったわけではないのだろう。
「いえ、でも、相手は夜会ですよ? 目的の貴族に会えたからって確実に安全とは言い切れないでしょうに」
「そんなことないわ。彼女の元が一番の安全地帯よ。断言できるわ」
「彼女?」
「行こうとしていたのはお友達の家なの。今は城にいるから呼んでいるところなのだけれど……」
するとタイミングよく部屋のドアがノックされた。
「来たみたいね。貴方にも紹介してあげる――――どうぞ、お入りになって」
ドアがゆっくりと開く。
向こうから現れた人物に思わず顔が引き攣る。
「ごきげんよう、クレア王女殿下――――レイドも元気そうで何よりだわ」
深紅のドレスを纏った美しいアリーシャ様がそこにいた。




