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29.やりたいこと

 そろり、そろりと足音を忍ばせ、曲がり角の手前でさっと身を寄せる。少しだけ頭を出して覗き込んで、誰もいないことを確認して移動を再開させる。

 時には物陰に身を隠し、近くの部屋に忍び、何もないところでは跳び上がり手足を伸ばして壁に引っかかり天井近くで使用人たちが通り過ぎるのを見送る。


 それはまるで、屋敷に忍び込み情報を盗まんとする間者のようだ。

 ちょっと楽しい。


 戦いとはまた違うスリルに、鼓動が早くなる。たまらない。

 誰にも見つからないよう緊張しつつも、屋敷の中を移動する。ここ数日はずっと退屈していたので、それがまた一つのスパイスになっているのかもしれない。

 最初はただ暇すぎて言いつけを守らず抜け出して来ただけだったが、思いもよらない娯楽を見つけてしまった。


 さて、このまま誰かに発見される前にレイドを見つけ出してやるんだから!


「何やってるんすか、ウルちゃん?」


「うひゃっ!?」


 物陰から廊下の様子を窺っていると、肩をぽんと叩かれる。完全な不意打ちだったので、思わず声を上げてしまった。


「な、ナナリーさん」


「さっきからこそこそして……はっ、まさかウルちゃんも調理場へつまみ食いに行こうとしてるんすね!」


「いや、違うから」


 私を発見して変なことを言っているのはメイドのナナリーさんだ。しかし、メイドのはずなのだけど、私は彼女が仕事をしているところを一度も見たことがない。メイド服を着ているが、ただ飯ぐらいの居候だ。私と似たようなものだ。


「ケイトちゃんに大人しくしてるように言われたんだけど、暇すぎて抜け出してきたの。見つかったら連れ戻されるちゃうでしょ?」


「あー、なるなる。つまり私と似たような状況というわけっすね」


 つまみ食い犯と一緒にしてほしくない。

 でも、屋敷の人に迷惑を掛けようとしているというところは変わらないことに気づく。人のことをとやかく言える立場ではなかった。


 自分ではもう問題はないと思うんだけど、ケイトちゃんがしつこいくらいに安静にしているように注意してくる。また部屋を抜け出していることを知られれば、忙しいのに仕事を中断してこちらに向かってくるだろう。


 これ以上面倒をかけるのは忍びないし、とっとと部屋に戻るべきだろうか。

 けど、戻ったところで待っているのは退屈だけだ。一時間も持たずにまた部屋を抜け出そうとする自分の姿が容易に想像できる。


「ねえ、レイドがどこにいるか知らない?」


 退屈を紛らわせるなら、同じく暇人に付き合ってもらうのがいいだろう。本当は稽古の続きをするつもりだったけど、仕方ないので室内で遊ぶことにしよう。


「レイド君ならさっきまでアリーシャ様から執務室に呼び出されてたっすよ。今は、あそこに」


 ナナリーさんが指さすと、丁度その先の角からレイドが姿を現した。

 おおっ、グッドタイミング。

 折よく現れて歩いてくるレイドに、こちらからも歩み寄る。


「レイド、今から私と……あれ、出かけるの?」


「ああ」


 気分が高揚していたため気づくのが遅れてしまったが、レイドは服装を外出用のものに着替えていた。話しかけたら足を止めてくれるが、早く出かけたいのかどこか落ち着きがない。


「犯罪奴隷の奴隷紋が消えたらずっと行きたいところがあってな。用事ならできれば帰ってからにしてほしいんだけど」


 うーん、それなら引き留めるわけにはいかないよね……。


「大した用事じゃないからあとでいいよ。呼び止めてごめんね」


「ありがと。悪いな」


 申し訳なさそうにお礼と謝罪を言い残し、レイドはすぐに立ち去っていた。

 彼が何かを待ち望んでいたのは知っていたし、私の我儘でそれを妨げるわけにはいかない。


 彼には大きな恩がある。

 馬鹿な思考に凝り固まっていた私の目を覚まさせてくれた。それだけじゃなくて、居場所まで与えてくれた。使用人の中には私の正体を知って怯える人もいるけど、アリーシャ様をはじめ気にせず受け入れてくれる人がここにはたくさんいる。

 ほんの少し前までは、毒竜である私が人の輪に交じって笑って話し合ったり、一緒にご飯を食べられるなんて思っていなかった。

 レイドに出会わなければ、未だに私は死に場所を求めてどこかを彷徨っていたと思う。


 だから、暇だからなんて理由で邪魔をしてはいけない。


「ウルちゃん、すっごく残念そうな顔してるっすよ~」


「えっ」


 姿が見えなくなるまで彼の後姿を見送っていたら、ナナリーさんが肩に抱き着いてニヤニヤと笑みを向けてきた。指摘に思わず顔を撫でる。


「そんなことないよ」


「いやいや、構ってとアピールしているのに飼い主に放置された子犬のような目をしてたっす」


 ……まさかね。そんなわけないって。

 確かに残念だなとは思ったけど、そんな子犬みたいに寂しいとまでは思ってないし。

 やりたいことがなくなっちゃったし暇だから早く帰ってこないかなー、くらいにしか思ってない。


 そう主張したのだが、「強がっちゃってもう」と生暖かい目を向けてくる。ため息を吐きやれやれと言った風に肩をすくめる。


「しょうがないっすねぇ、そんな寂しがり屋のウルちゃんのために、レイドに代わってお姉さんが遊んであげるっす」


「……」


 うわっ、腹立つなぁ。

 けれど暇つぶしの相手をしてくれるというのなら頼んでもいいかもしれない。この人も暇人なので屋敷の仕事に支障は出ないはずだ。


「それじゃあ組手、しよ?」


「なんでそんな可愛い感じで誘うのが組手? それと、曲がりなりにも私メイドなんですけど」


 嫌っす、と一蹴されたけれど私の強敵センサーは反応している。ナナリーさんは結構な手練れだと思う。いつも仕事をサボり、隙を見ては昼寝やつまみ食いをしている彼女だけど、見つけられたとき肩を叩かれるまで気配を感じなかった。絶対にワクワクする勝負ができると思うのだ。


「それに、激しい運動は禁止されてるんじゃないんすか?」


「うっ……軽くでいいから……」


「軽くでも付き合ったら私までケイちゃんに怒られるから嫌っす。それに、そういう荒事はヨハンやケイちゃんの担当っす」


 どうやらナナリーさんは全く乗り気ではないようだ。それに禁止令のことを出されてはこちらは反論できない。


「それに、ウルちゃんもケイちゃんも乱暴すぎっす。すぐに暴力に走るような女の子は男子に嫌われるっすよ? ウルちゃんもケイちゃんみたいにならないように私のような御淑やかなさを身に着けるべきっす」


「そうなの?」


 あれ? 組手とかって挨拶の類じゃないの?

 朝一に一発ずつ殴り合って互いに調子を確かめるのが里では普通だった。外ではあまり見かけないと思ったけど、どうやら拳のコミュニケーションは普通ではないらしい。

 竜人は拳で語り合い仲を深める。しかし、他種族ではそうではないみたいだ。

 あれれ? じゃあ、ずっとレイドに稽古を誘ってたけど、もしかして迷惑がられてたの?


 文化の違いに背筋が冷たくなる。

 その上、さらに凍てつくような声が耳朶を叩く。


「ほう。ナナリーにとっては仕事を放棄して油を売ることを御淑やかというのですね。そうなると、確かに私は御淑やかではありませんね」


 瞬間、温度を奪い去るような絶対零度の威圧に凍り付いた。

 ナナリーさんが。


「一度、御淑やかという言葉の意味のすり合わせをしませんか?」


 直接向けられていない私も震えてしまいそうな威圧を発しながら、優雅な立ち振る舞いで現れたのはこの屋敷の使用人の頂点であるケイトちゃんだ。

 問いかけるケイトちゃんの表情はいつもの不愛想なものとは打って変わり、とても可愛らしい笑顔だ。綺麗な顔立ちをしているため、服装がメイド服ではなくドレスならまるで語り合いを楽しむお嬢様に見えるだろう。けれど、そのアイスブルーの双眸だけは全く笑っていない。


「あ、あはは……すり合わせるまでもないっすよ、いや、ですよ。この世で一番御淑やかなのはケイちゃ、いや、ケイトさんですよ。ケイトさんと言えば御淑やか。御淑やかと言えばケイトさん。むしろ御淑やかがケイトさんと言っても過言ではありませんね」


 慌てて口調を取り繕いながら、イマイチ何を言っているのかよくわからないことを口走り始めた。視線は縦横無尽に泳ぎ回り、冷や汗が滝のように流れている。動揺ぶりがすごい。


「ナナリー」


「ひゃいっ!」


 名前を呼ばれただけでナナリーさんの肩が飛び跳ねる。それほどまでに見慣れないケイトちゃんの笑みには凄味がある。

 普段の無表情とはまた別の迫力。まるで人が変わってしまったようだ。


「この世で一番御淑やかで世界一なのはアリーシャ様に決まっているでしょう。貴女は何を言っているのですか?」


 あっ、いつものケイトちゃんだった。

 やはり表情が違うだけで中身は変わらないらしい。


「そ、そうでしたね。一番はアリーシャ様です」


「そのアリーシャ様から任された仕事を放置して何をしているのですか? 新人達の教育はどうなっているのでしょう?」


「じゅ、順調ですよ。いやー、今回の新人は筋がいいですね。鍛えがいがありましたので、教育係がいない状態でも自分たちでどれだけ判断できるか見てみようかと思いまして、私は一時的に離れていたというわけですよ」


「つまりさぼっていたわけではないと?」


「はい、そうですとも!」


「あれ? さっきつまみ食いに行く途中って」


「ウルちゃん、しーっ!」


 私の失言に慌てて口を塞ごうとしてくるが、もう遅い。威圧がさらに重くなる。


「ウルさんが言う前から貴女のしようとしていたことは気づいていましたよ。仕事を放りだしたうえ嘘をつくとはいい度胸ですね、ナナリー」


「あう、あう……」


「また一月ほど汚物処理係でもしますか?」


「すみませんでしたぁ! 私が悪かったです。ですから、それだけは、それだけは! あの匂いはほんとにきついんでやめてください!」


 涙目になりながら額を床にこすりつけるナナリー。どうやら本気で嫌な仕事らしい。逃れようと必死だ。

 最初から真面目に仕事をすればいいのに。


「さて、ウルさん。私は部屋で大人しくしているようにと言いましたよね?」


 呑気にしている場合ではなかった。ナナリーさんが終われば次の標的は当然私だ。

 本能的に逃げ出そうとする足をぐっと抑える。逃げたところですぐに捕まえられるのは今朝の時点でわかっている。下手な言い訳をするのもナナリーさんの二の舞になるだけだ。


 ここは正直に言おう。


「やることがなくて暇だったの!」


「だからと言って無断で部屋から抜け出さないでください。子供ですか」


 正直に言えばいいというものではなかった。

 私の訴えはぺちんとはたき落されてしまい、これから私もお説教食らうことはわかり切っているので自然とうな垂れる。


「はあ……」


 盛大な雷が落ちてくると身構えていると、聞こえてきたのは拍子抜けするようなケイトちゃんのため息だった。


「何がしたいんですか?」


「へ?」


「本来なら貴女はまだ動くべきではありません。一刻も早く完治するためにも寝ているべきです。けれど、部屋に押し込めてストレスをため込むのもよくありませんからね」


 えっと、つまり一応私の我儘を聞いてくれるってこと?


「……部屋に戻らなくてもいいの?」


「できるなら部屋で安静にしていてほしいですよ。近いうちにウルさんにも仕事を回すことになっていますからね。けど、このまま連れ戻してもまた抜け出したり、今度は部屋の中で暴れそうですし」


 うん、否定できないね。

 じっとしてるのとか苦手だし。


「私としては、本でも読んで大人しくしていてほしいのですけれど」


 読書が苦手でごめんなさい。

 ともかく、ケイトちゃんがやりたいことをやらせてくれるというのなら、これは絶好の機会だ。


「じゃあ、ケイトちゃん。私と手合わせを」


「却下。それ以外でお願いします」


 言い終わる前に、にべもなく切り捨てられた。

 聞いてきたくせに、ひどい!


「運動系は禁止に決まっているでしょう。身体を壊したら、レイドと仕事に行けなくなりますよ」


 あ、それは嫌だな。

 しかし、困った。組手とか運動系がダメとなると、やりたいことが全く思い浮かばない。

 今まで武道一辺倒で一人で生きてきたので、それ以外となるとなにをすればいいのかよくわからないのだ。


「具体的にやりたいことが思い浮かばないのでしたら、漠然としたことでもいいのですよ?」


 うーん、と腕を組んで考え込んでいると、ケイトちゃんが助言をくれた。

 漠然としたこと、か。


 とりあえず、自分が何をやりたいか考えてみる。

 まず浮かぶのは体を動かすことだ。走ったり、跳んだり思う存分動き回りたい。

 でも、今回はダメ。


 その次に浮かんだのは、レイドの顔だった。


「……恩返し、したい」


「恩返し、ですか?」


「私、レイドには面倒掛けてばっかりだし、この前のことでもちゃんとしたお礼がしたいかなって」


 闘技場での件のお礼もあるが、しつこく手合わせを強請っていた。今朝は受けてくれたけど、渋々といった感じだった。私は楽しかったけど、レイドは面倒に思っていたのかもしれない。

 人間と竜人ではやはり文化が違う。竜人は肉体言語が九割だけど、人間たちはそうではない。竜人ならお礼に決闘でも吹っ掛ければ大喜びだけど、レイドは嬉しくないみたいだ。どういうお礼をすれば喜ばれるか、同じ種族の彼女たちに意見を聞いた方が上手くいくだろう。


「なるほど、そうですか」


「ほっほ~う」


 なぜか、ケイトちゃんといつの間にか顔を上げていたナナリーさんからまたも生暖かい視線が。


「なんですか?」


「いえ、なんでも。……お礼がしたいのなら、手軽なところから料理なんてどうでしょうか?」


 料理……。


「知らない間柄ではないですし、手料理を振る舞ってもそれほどおかしくはないでしょう。物送るなら仕事上で実用的なものが一番喜ぶでしょうけど、手に合わない可能性もあるので今回はやめておいた方がいいですね。その点料理なら形として残りませんし、気持ちもわかりやすく伝わると思いますよ」


「レイドなら女の子の手料理ってだけで喜びそうっすもんね」


 料理か。でもなぁ……。


「私、料理あまり得意じゃないんだけど」


「大丈夫ですよ。私も手伝いますから」


 ケイトちゃんがそう言ってくれてとても心強かったけど、私には懸念があった。

 里にいたころに私が手渡した木の実が原因で、友達がお腹を壊した。里を出てからも、人の集落に交じって暮らした時期があったけれど、その時に振る舞った相手が倒れてしまったことがある。


 私には他人に食べ物を渡すという行為に、あまりいい思い出がない。今回もそれでレイドを傷つけてしまうかもしれない。

 不安がお腹の中で渦巻いていると、ぽんと肩を叩かれる。


「安心してください。貴女は努力して自身の能力を制御できるようになったのでしょう?昔のような失敗はしませんよ。それに私がついているのですから」


「ケイトちゃん……」


 彼女の言葉にじんっと目頭が熱くなる。


「それにもし毒が多少入ったところでレイドなら死にはしませんよ。その前にも毒見役をつけますから」


「……その毒見役って私っすか?」


 顔を引きつらせて即座に逃げ出そうとしたナナリーさんの首根っこを押さえ、ケイトちゃんはすぐに戻ってくる。


「さあ、調理場に向かいましょうか」


「うん」


 ナナリーさんをずるずると引きずるケイトちゃんの隣に並んで、一緒に調理場まで歩いていく。

 二人してどんなものを作るか話し合う。


 ……よぉし、がんばるぞ!


「うわーん、仕事をさぼってごめんなさーい! ゆるしてくださーい!」


 気合を入れる一方で、泣き叫ぶ彼女の声は自業自得だと聞き流すことにした。


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