30.感謝の手料理です
玄関を出た瞬間に走り出した。
ただ一度も立ち止まることなく、住人たちが往来する大通りを全力で駆け抜けた。
そして、そこにたどり着いた時の俺の感情をなんと表現すればいいのかわからなかった。
『定休日』
「……へ?」
滝のように流れ出る汗を拭うこともせず、ただ扉の前に掲げられた看板の文字を見つめていた。
「…………へ?」
どれほどの間立ち尽くしていただろう。
何度目かもわからない「へ?」で我に返ったときにはすでに荒かった息も整い、吹き出す汗も止まっていた。まだちょっと現実が受け止めきれないけど。
何で休み? よりにもよって今日?
運の悪さに愕然としながらも、回り始めた脳がこれからどうするかを思考し始める。
店の前で長い間棒立ちして「へ?」とひたすら呟いていた不審人物へと向ける通りすがりの人たちの視線が痛いけれど、我慢する。
黙考の末、決断した。
「……よし! 出直すか!」
休みということは訪ねたところで留守にしているかもしれない。そもそも、家に直接訪ねるような間柄でもないし、今日にこだわる必要ではない。また日を改めればいいだけの話なのだ。
今日は残念だった、というだけだ。
……なんか、帰ったらとあるメイドさんに鼻で笑われそうだなぁ。
ため息を残して元来た方角へと踵を返す。
「あ」
肩を落とし、帰ったときのことを考えて憂鬱になっていると、聞き覚えのある声を拾った。
反射的に顔を上げると、ばっちりと目と目があう。
「……ご無事、だったんですね」
驚愕に見開いていた少女の瞳にみるみると涙が溜まり、薄っすらと頬が赤みが差す。微かにうわずっていた声は確かに安堵が込められていた。
どうやら俺のことを覚えてくれていたらしい。その上、心配までしてくれていたようだ。
「えっと……元気だった?」
泣いている女の子を目の前にして、何とかしようとしたが気の利いた言葉の一つも浮かばない。
だから、もうちょっとしっかりしてほしい、俺よ。
「はい、おかげ様で」
そんな俺の言葉に、少女は太陽のような笑顔で答えてくれた。
……うん、やっぱり笑ってる方がいいな。
こうして、俺は以前助けたパン屋の娘との再会を果たした。
◇
「――――ようやくの思いでたどり着いた薬草の群生地。やったぞ、と大喜びでみんなで薬草をかき集め始めました。けれど、そこはポックルたちの巣でもあったのです」
「まぁ!」
「イガの実を大量に投げつけられましてね。全員、慌てて逃げ出しましたよ。それでも量が量でしたので誰も避け切ることができず、あの独特の匂いを浴びることになって、互いに臭い臭いと言い合って帰りましたよ」
「確かに、あれは酷い匂いですものね」
「あまりの臭さに門番に止められて何時間も街に入れないくらいにね」
当時のことを思い出してげんなりすると、それが可笑しかったのか目の前の彼女はくすくすと笑う。
パン屋の娘と再会を果たすと、俺は何度も感謝の言葉を貰い、あの時のお礼がしたいと家の中へと案内された。無事な姿が見れたので辞退しようかと思ったのだが、あまりの勢いに断り切れなかったのだ。
そうして、淹れてもらったお茶を飲みながら冒険者時代の話をして盛り上がっている。
「ちょっと、なんでお母さんがそんなに盛り上がってるのよ!」
……彼女の母親と。
「だって、お昼の準備は私がする、って台所から追い出したのはミリィでしょう? 折角、娘の恩人に来てもらっているのに、誰もお相手しないのは失礼だわ」
「うー……っ!」
ひょこりと台所の方から顔をのぞかせたミリィが、恨みがましい視線で母親を睨んでいた。
一方で、母親の方は娘の視線を受けても肩をすくめるだけだ。
「レイドさんがいるのにそんな大声を出してはしたないわよ? それに、よそ見をしていると焦がすんじゃないの?」
「わかってるよ! レイドさん、もう少しだけ待っててくださいね」
俺に対してそう笑いかけて後、また母親であるオルラさんに悔しそうな目を向け「私がいないところで変なこと絶対に言わないでよね!」と釘を刺して台所へと戻っていった。
「すみません、あまり行儀のなっていない娘で」
「家族の前ならあれくらいは普通でしょう。むしろ彼女のああいう活発なところに惹かれるお客もいるくらいですし」
というか店の手伝いをしているだけあって、礼儀作法は平民にしては十分丁寧だ。あれで行儀が悪いって言ったら、女冒険者に行儀の良い奴なんてほとんどいなくなる。あいつらはもう、行儀が悪いとかがさつというより『おっさん』と言っていい。
それに比べれば、親子のやり取りということを含め、まったく眉をしかめるようなものではない。
「そうですか……」
オルラさんは優し気に目尻を下げ台所の方を見た後、こちらに向き直りゆっくりと頭を下げた。
「元気なあの子と今のように話すことができるのはレイドさんのおかげです。ミリィを救ってくださったこと心より感謝しています」
「……あれは、ただ体が動いただけですよ」
現場を見た瞬間、少女を連れ去ろうとしていた男を考えなしに殴り飛ばしただけだ。もう少し冷静さを持ち合わせていれば、あれだけいた野次馬が誰一人としてミリィを助けに動かない理由が分かったはずだ。
平民が貴族を害することは重罪にあたる。貴族の方が悪事を働いている側だとしても、向こうは容易に真実を捻じ曲げられる力を持っている。
今はこうして平穏な時間を過ごせているが、何か一つ違えば、俺だけでなくオルラさんの一家全員が不幸な目に合っていたかもしれない。
「結果的には無事に済みましたけど、もしかしたら助けようとして、逆に貴女達に迷惑をかけることになったかもしれません。……短絡的に暴力で片付けようとしただけで、決して褒められるようなことじゃない」
アリーシャ様からは可能性は低いと言われているけど、またあの男がやってくる可能性は捨てきれない。今度はもっと大きな権力を行使してくることも考えられる。恨みを買っているのだ、さらに過激な行動も躊躇わないだろう。
俺はそんな先のことも考えずに、衝動に駆られて目先の問題を無理やり解決しようとした。
振り返るたび、もっと上手い方法があったのではないかと思ってしまう。
「レイドさん、顔を上げてください」
オルラさんが俺の手を両手で包み込んだ。いつの間にか気持ちにつられて沈んでいた顔を持ち上げる。
「あの時、貴族の力に怯え誰もが動くことができなかった中、貴方が飛び出してくれたおかげで娘は助かった。もしかしたら、より悲惨なことになったかもしれないけれど、現実には私たちはこうして今まで通りに暮らせている。今ある結果が全てだと、私は思うわ」
「……偶々、無事に済んだだけですよ」
「偶々でも、いいじゃない。こうして娘といられる。その事に私は感謝しています。だから、自分のやった行いを間違いだったとは言わないで。畏まらずに、お礼を受け取ってください」
もしかしたら、自分の短絡的な行動のせいで助けようとした彼女たちを酷い目に合わせてしまったかもしれない。
そんな考えが、ずっと頭に張り付いていた。けれど、今は少しだけ気持ちがすっきりとした。
「そう、ですね。ありがとうございます」
「もう、お礼を言うのはこっちの方なのよ?」
……まあ、いい結果に終わったのに、悪いIFを考えていつまでも頭を悩ませるなんて馬鹿らしいか。
今までは考えなしに行動してきたが、これからはもうちょっと先まで考えて動こう。
俺は、どうして自分がそんなことで悩んでいたのか深く考えないまま、オルラさんとの会話を弾ませた。
「それでミリィったら、泥だらけの格好のままシーツに飛び込んで」
「お母さん!」
娘の思い出話をし始めて火がついたのか、小さかった頃の話を喜々としてどんどん語りはじめていたオルラさんの口を、戻ってきたミリィが悲鳴を上げて無理やり閉じる。
「だから変なこと言わないで、って言ったでしょ!」
「変なことじゃないわ。昔の可愛かったころの話よ」
「それが恥ずかしいんだってば!」
確か、17歳くらいって話だし、他人にそういうことを知られるのは特に恥ずかしいだろう。
真っ赤になりながら怒るミリィと、のらりくらりと躱すオルラさん。
年頃の娘と母親の戯れる光景に、自然と頬が緩む。
「ほら! レイドさんにも笑われてるじゃない!」
「ああ、ごめんごめん。二人があまりにも仲がいいものだからつい」
俺の家族はお世辞にも仲がいいとはとても言えなかったし、彼女たちの在り方は眩しくて、正直羨ましい。
「まあ、面白かったのも本当だけど」
「ああっ、やっぱり笑われちゃってる!」
「お客さんの前では猫被ってるだけで、今もまだやんちゃなところがあって」
「だから余計なこと言わないで!」
言われてみれば、店で見た彼女は明るくにこにこしていて、こんな風に顔を赤くして大声で母親に詰め寄る姿は想像しにくい。
親しく接しているように思えても、店員と客というラインがあるのだろう。
「い、いつもはこんなんじゃないんです!」
「そういう素の表情も悪くないと思うけど?」
羞恥から真っ赤になって取り繕うとしているので、フォローをしておく。
それに前世の経験から女性の内と外での違いは妹のおかげでよく知っているので、本音をを言えば愛想のいいところよりも、ちょっと油断した部分が見える方が安心できる。……あいつの変身ぶりは女不審になりかけるくらいだったし。
「あ、そ、そうだ。ご飯の準備ができたんです。すぐに持ってきますね!」
「手伝おうか?」
「レイドさんはお客さんですから待っていて。私が手伝いますから。ほら、あんたも照れてないで、早くしなさい」
オルラさんに制され、俺は大人しく座って待っていることとなった。
テーブルの上に、台所から運ばれてきた料理がどんどん並んでいく。一般的な昼食よりは豪勢で量も多い気がする。
「随分と張り切ったわね……」
「時間がなかったからそんなに手の込んだものは作れなかったけど?」
母親のオルラさんが呆れるくらいには力が入っているようだ。本人は納得できていないみたいだけど、俺も感心している。
だって、スープに入ってるニンジンが花の形してるんだぜ?
他にも見た目を彩る工夫が凝らされていて、よくこれだけの質と量を俺たちが談笑している間に作り上げたものだ。
「自分では上手にできたと思うんですけど……」
「いただきます」
手近な料理から口に入れる。
……うまっ!
前世や屋敷の料理に慣れている俺が素直に美味しいと感じるって、滅茶苦茶レベルが高いことだぞ。
「どうですか?」
不安そうに料理の感想を聞いてくるミリィ。
目の前で並んで座る親子はとても良く似ていた。オルラさんから受け継いだ銀色の髪や顔つきがそっくりだ。ただ瞳は父親似なのか、おっとりとしたたれ目のオルラさんとは違い勝気そうな目だ。
そんな瞳が心配そうにこちらを見つめているけれど、この料理は星三つを上げられるので安心してほしい。
「すごく美味い。店のパンも美味しかったけど、普通の料理も得意なんだ」
「そう言ってもらえると嬉しいです。お店のパンの半分以上はお父さんが作ってるんですけどね」
「でもそれって、君が作ったパンも店で並べられてるってことだよね?」
この若さで店主である父親に認められる実力はあるということになる。半端なものであればそもそも店に並べることすら許されないだろう。
ちなみに、今日はそのお父さんは弟と一緒に小麦粉を卸してくれている商人さんのところへ赴いているそうだ。
「店を手伝うためにすごく努力したんだね」
「そんなんじゃないですよ。ただ、料理を作ることが好きなだけです」
うわぉ、女子力が高い。
明るくて美人で料理上手って、うん、素晴らしい。
そんな子の手料理……うん、素晴らしい!
少し前まで自分の不運を嘆いていたけど、それが嘘のような幸福ぶりだ。もしかしたら、俺は明日死ぬのかもしれない。なんて。
「自分で新しい料理を作ったりするのも好きなの。――――そうだ! 新作パンの試作品があるんですけど、食べてみてもらっていいですか?」
ほう、新作とな。
「待ちなさい。これだけ作っておいて、まだ食べさせる気なの? 流石にレイドさんが食べきれないでしょう」
「いえ、大丈夫ですよ。……むしろ、本当にこんなに食べてもいいんでしょうか?」
冒険者の健啖家ぶりを舐めてはいけない。テーブルいっぱいに皿が並べられているが、問題なく食べきれる。これにデザートだろうが新作パンだろうが、出てきたところでぺろりと完食できる自信がある。
「作ったものとして綺麗に全部食べてもらえることほど嬉しいことはないですよ。それじゃあ、持ってきますね」
席を立って新作パンを取り入ったミリィは、すぐに籠にいくつかのパンを乗せて戻ってきた。
「これはアールクレスト産の小麦粉を使っていてもっちりとしてるんです。こっちは、食べやすいようにフワフワしているんですよ。これは、コルミの実が入っていて」
一つ一つどういうパンなのか説明するミリィの表情は楽しそうで、本当に料理を作るのが好きなのだなと感じさせられる。製作までの苦労話まで混じりはじめ、かなり研究したことも伝わってきた。
「あと、これなんですけど。ちょっと食べてみてください」
「これ?」
指定されたパンを言われるまま一口齧る。見た目は店で売られているものと変わらなかったけれど、食べた瞬間に少し驚いた。
「ジャムパン?」
「あ、知ってたんですか。びっくりすると思ったんだけどなぁ」
いや、ちゃんとびっくりしたよ。
この国にはジャムパンは存在しない。パンはプレーンか木の実などを混ぜ込んだもの、サンドイッチのように具を挟んだものばかりで、こんな風に中身の入ったパンはどこにも見当たらない。
「外国には中にジャムの詰まったパンがあるって聞いて、試しに作ってみたんですけど……」
ものすごいチャレンジ精神だな。しかも、少し聞いただけでこれだけのクオリティのものを作るなんてすごい才能だと思う。
けれど、実際にジャムパンを食べたことがある俺としては、色々指摘したい部分は多い。
「俺が知ってるジャムパンはもっと柔らかい生地を使ってたよ。あと、ジャムの量が多い気がするかな」
「あ、なるほど」
前世のジャムパンを思い出して違いを口にすると、ミリィはわかりやすいほど瞳を輝かせた。その楽しそうな表情を見て、俺は慌てて口を閉じる。
話しぶりからして、ミリィは試行錯誤して料理を作っていくことを楽しんでいる。答えを知っているからと、偉そうに教えて彼女の楽しみを奪うことはしたくない。
「他の種類のパンについては知りませんか?」
聞かれて少し悩んだ後、漠然とした部分ならいいだろうと、思いつく限りのパンの特徴を並べていく。
どんどん例を挙げていくにつれて、彼女の瞳に尊敬のようなものが混じり始めたのが心苦しかった。
「あんパン、しょくパン、かれーパン……試作品が完成したらまた食べに来てもらっていいですか?」
「迷惑じゃないなら」
「迷惑に思うわけないじゃないですか。レイドさんは私の恩人なんですから」
そうやって、助けた本人から言われるのは嬉しい。同時に、やはり面と向かって言われるのは照れくさい。
「連れ去られそうになった時、レイドさんが助けてくれて、本当に嬉しかったんです」
……可愛い女の子からこんな風に言われるのなら、自分の考えなしの行動も悪くないな、と思ってしまうあたり、俺は単純なのだろう。
相手の顔が見られなかったので視線を逸らしたら、こちらを楽しそうに見ているオルラさんと目が合った。
さらに居たたまれなくなったのは、言うまでもない。




