黒い噂
お正月番組はつまらない。
売れない芸人もここぞとばかりに出てくる。
雑煮とセットだから、仕方なく見ている感がある。
だけど。
「ふふふ…うふふふ…」
私は、そのつまらないテレビを前にしながら、湧き出てくる笑いを制すことが出来ない。
腕に抱いたクッションはぎゅうぎゅうと潰されてばかりいる。
「気持ち悪…さすがに妹と言えど、20代後半の女が元旦に不気味に笑ってるのは気持ち悪ぃぞ」
珍しく実家に帰省していた兄が、痛いものでも見るかのような目つきで私を見下ろす。
「なんとでも言って、お兄様」
今の私には、何のその。
何を言われようとも、私が喜びの余韻に浸るのを妨げることはできない。
「あー、寒い。鳥肌たった」
相手をしていても無駄だと悟った兄は、わざとらしく腕を擦りながら部屋を出て行く。
私はその後ろ姿を見ることもせずに、またうひひと声を立てて笑った。
だって、仕方ないでしょう。
中堀さんが、まさかの、告白。
夢みたい。
新年早々、一年の全ての運を使い切ってしまったんじゃないだろうか。
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『花音』
初めて、呼ばれた自分の名前。
大好きなその人の声を通して、空気を振るわせた、名前。
花音という名前で良かったと、心底思った。
大きくなるばかりの会場の騒めきよりも、心臓の音と、回された中堀さんの腕と、私の耳を掠める中堀さんの息の方が大きく感じた。
頭の中は、零という存在が、このカウントダウンライブで、しかもファンが沢山いる前で、私なんかに構っていて大丈夫なんだろうか!?とぼんやり思いつつも、中堀さんが自分の名前を受け入れることができたんだという事実の嬉しさが、ほとんどを占めていた。
大好きなその名前を呼べば。
回された手に力がぎゅっと籠もる。
中堀さんが、柔らかく笑った気配がした。
良かったな、本当に良かったなとぼろぼろ涙を流したのも束の間。
『俺…あんたのことが、好きなのかもしれない。』
その涙が引っ込む程の爆弾発言が、私の耳に届いた。
『えええええええっっっ!?!』
余りに驚きすぎて、仰け反った。
『危ねぇ』
中堀さんのちょうど顎部分に当たりそうだったらしく、彼の腕の力が緩む。
『ってか、、うるさいよ』
目を飛び出してしまいそうな位見開いて振り返れば、中堀さんが痛そうに耳を塞いでいた。
『いやっ、だって…!だって!!!!』
『あのな、よーく聴けよ?好きとは言ってない。好き、かもしれないって言ったんだ』
中堀さんは、興奮気味の私の肩を掴むと、子供に言い聞かせるようにそう言った。
『は!?』
当たり前だけど、私の頭は混乱する。
だって。
かもしれないってどういうこと!?
それはもう、好きでいいんじゃないかな?!
『だから、勘違いするなよ?』
『え、その、ちょっと、理解が…』
『はいはーい!!そこまで!!』
中堀さんの意図をなんとか汲み取ろうと訊ねかけた所で、メリッサが割って入った。
それこそ、チョップで。
私の肩を掴む中堀さんの腕を切ったのだ。
そして。
『零、勝手なことされちゃ、困るわ。さっさと客とファンの子たちに愛想振り撒いてきなさい』
こそこそと中堀さんに耳打ちし。
『さ、行くわよ花音!!!』
何故か、今度はメリッサが私と肩を組んで、半強制的に退場させられた。
この時に、初めて、会場の普段は黄色い声の主達が。
『何あのブス!』
『やだー。でもきっとまたすぐ駄目になるわよ。』
『零の悪い癖よ』
どす黒い言葉を吐いていたのを、拾った。
中堀さん。
人気者の自覚を持ってください。
『ったく、零の奴やってくれたわねぇ…』
力強い腕でぐいぐい引っ張りつつ、メリッサが苦々しげに呟いた。
すれ違い様に、見知らぬスタッフ達が目を丸くして私達を見ている。
ちょっと、恥ずかしい。
『あれー?メリッサ、花音ちゃん、何かあったの?』
受付を通り過ぎると、ケイがきょとんとした顔で、訊ねてきた。
『話は後で。花音を隠して。じゃないと大変なことになるわ』
メリッサはそれだけ言うと、顎で受付の後ろのドアを示し、背を向ける。
『あれれ?やばい感じ?』
ケイは苦笑いしながらも、来て、と私に言うと、後ろのドアを開けた。
先日、中堀さんのステージを見るために、ケイが内緒で連れて行ってくれた時にも通ったドアだった。
『こないだ花音ちゃんが行ったのはここ、今日はもう少し上に上がるよ』
ふかふかの絨毯が敷かれた階段を上っていると、ケイが教えてくれる。
あの時は、初めての場所とか、初対面の人とか多すぎて、周囲を見る余裕がなかったけれど、いわれてみれば、階段はまだ続いていた。
『とりあえず、ちょっと寒いけど、ここに避難してて。お客もぼちぼち帰るだろうから。どうせ、零絡み、 だろ?』
階段を上りきった所にあったドアを、ケイが開けてみれば、そこは屋上だった。
『…あ、はい』
とりあえず、返事だけして、外に出る。
『じゃ、俺下行ってくるから、くれぐれも顔出したりして、客に見つからないようにねー。』
ケイは軽い調子でばいばーい、と手を振ると、ドアから離れた。
ガチャン、とドアの閉まった音がした。
でも、私は振り返らずに、空を見上げた。
夜が、明けている。
薄青い空が、広がっている。
今日は、良い天気になりそうだ。
くどいようだけど、中堀さんの名前を呼べて、良かったな、と思った。
にしたって。
『………寒い…』
なんで、避難場所が屋上なの!?
スタッフルームじゃ、駄目なの?!
それに、さっきの、メリッサとケイの慣れてる感じ。
どうせ、零絡みでしょって言葉。
え。
ちょっと待って。
もしかして。
こういうことって、よくあるの?!
そうなの?!
寒さに震えていると、何やら外が少し騒がしい。
どうも、客人が帰っているらしい。
何を言っているのかはさすがに聞こえない。
『また、浮かれすぎたのかなー』
中堀さん関係のことになると、どうも感情の箍が外れてしまう傾向にあることを、自覚している。
外気より更に冷たい手すりを両手で握ると、すっきりと晴れた空をまた見上げた。
『空、生…かぁ。』
ずっと中堀さんと呼んでいた人のことを、アオと呼ぶのは、少し恥ずかしい気もする。
心の中も、空生と呼ぶのに慣れなければならない。
あー、練習しなきゃ駄目だな。
なんだか、くすぐったい。
『あお、アーオ、あお』
アーオだとなんか猫の鳴き声みたいだな。
『何か用?』
『あおあおあおあおあお…ん?』
今、私のではない声が聞こえたような…
私はひっぱるようにして、手すりに掴まって空を見上げていた体勢を、もう少し反らして、背後の方へ目をやった。
あ。
なかぼりさ…
『あぁぁぁきゃぁぁぁっっっ!!』
驚いて、手から力が抜けたら、もっと驚く結果になりました。
あんな体勢でひっくり返ったんだから、絶対にコンクリに後頭部を打ち付けることになるだろうと覚悟していた。
思わず目をぎゅっと瞑って、来るであろう衝撃に身体を固くするけれど、一向に痛みは襲ってこない。
代わりに。
『…ったく。本当に阿呆だな、あんたは。』
もう定番になってしまった呆れたような、声と。
背中に当たる、コートの感触。
腰にしっかりと回された腕の力。
甘い、大好きな、香り。
『な、かぼ…いえ、えっと、…空生、さん』
しどろもどろになって、そう呼べば、彼は噴き出す。
『何、それ。』
そうして、私を片手で抱き寄せたまま、自分のコートの中へ、少し強引に招いてくれる。
『空生で、いい』
この体勢では残念ながら、彼の顔を見ることができない。
『冷たいね、花音。』
だけど、ぽつりぽつりと落とされていく言葉が。
甘い香りが。
胸を掻き乱して仕方ない。
『だ、だって、メリッサとケイが何も言わずに突然ここに連れてきたから…』
私は口を軽く尖らせながら呟いた。
もしも、中堀さんが迎えに来てくれるのがわかっていたら、喜んで屋上で待っていたに違いない。
だって。
身体はすっかり冷え切っていたけれど、今は中堀さんの熱が伝わってくる。
『…うん。もう、大丈夫だから。帰ろう。』
中堀さんはそう言って、私からぱっと離れると、羽織っていたコートを脱いで私に掛けようとした。
『いや、大丈夫ですから!私、下にあるし…』
『いいから、黙って。』
慌てて断ろうとするけれど、結局ぶかぶかのコートにすっぽり包まれてしまった。
初めて逢った時も、中堀さんは黒のコートを着ていた。
あのコートを私が着たら、下に引き摺っちゃって大変だろうと思っていた。
『あの…』
『何?』
そして、それは現実となった。
『これ、これじゃ…その…』
あぁ、どうしよう。
見てわかるだろうに。
その不機嫌そうな眼差しに、言葉が出てこない。
『ぶっ…くくっ…』
『!?』
笑ってらっしゃる!?
『笑い事じゃありませんっ!』
抗議の声をあげるけど。
『!?』
突然浮いた自分の身体に悲鳴すら出なかった。
『おお、降ろしてくださいっ!』
『動くなよ、落とすぞ』
『!!!』
降ろすのと、落とすとのじゃ違いすぎる。
これは、えっと、俗に言う、お姫様抱っこ、という奴で。
私、重たいのに、中堀さんは涼しい顔をしている。
こういう時、中堀さんは強引だ。
いや、いつもか。
この場合は、観念して、心を無にするのが一番良い。
どんなに恥ずかしかろうとも。
『手、首に回して』
片手でドアノブをくるりと回すと、中堀さんは絨毯の階段をすいすいと下りていく。
あっという間に、受付に着くと、閉店作業をしているスタッフ達が驚きの声を上げる。
穴があったら入りたいとはこの事か。
いっそのこと眠っているフリをしようか。
『帰る』
あろうことか、中堀さんはその場にいるスタッフ達にそれだけを告げると、フロアを突っ切り、スタッフルームへと向かった。
『あの、その、もう、私歩けますから…コート、大丈夫ですから…』
廊下を歩いている時も、必死で伝えるが、中堀さんは完全無視。
でも私はもういっぱいいっぱい。
ちょっと甘めの彼と、その首に回した自分の手。
痺れそう。
そこへ。
『あーーーーー!!!零、何してんだよー!!』
響いた、大声。
これは、ケイの声。
『零のせいで、こっちは色々大変だったんだからなー!!急に居なくなりやがって!』
スタッフルームの入り口で、ケイがぷんすか怒っている。
『それをなんだよー、花音ちゃんとエンジョイしてるのか…ぶっ!』
『邪魔』
中堀さんに蹴飛ばされたケイ。
哀れ過ぎる。
腹部を抱え、蹲るケイを横目に、部屋の中へ入ると、中堀さんはやっと私を降ろしてくれた。
地に足は着いたけれど、中堀さんの首に回した腕を解くのが、少し名残惜しい。
『…何?』
首筋の、きれいな金色の髪に、そっと触れれば、中堀さんは不思議そうな顔をする。
茶色の瞳と視線が絡み合う。
どうしよう。
今の雰囲気、空気、大丈夫だよね?
間違ってないよね?
どうしよう。
唇に触れて良い?
ううん、触れたい。
時間が、止まりそう。
胸が、熱い。
良いかな?
良いよね―
そっと目を閉じて―
~♪
まさかの、笑点ソング。
閉じかけた、私の目はくわっと見開かれる。
プラス、恥ずかしさで震えが走った。
目の前の中堀さんの、手の甲で口元を隠している姿が、私の痛さ加減を物語っている。
ああ。
この、着信音は―。
実家だ。
どうして、もっとマシな着信音にしなかったんだろう。
なんでこんなフザけた音楽にしちゃったんだろう。
これがムーンリバーとか…いや、そんな贅沢は言わない。
せめて、マナーモードだったなら!!!
あの雰囲気をぶち壊しにする事などなかっただろう。
最悪…
とうに、だらりと垂れた腕で、私はよろよろと鞄から携帯を取り出した。
フザけた着信音を憎しみを込めて止めてから、耳に当てた。
『…はい』
《あー!花音!?年明けたわね!!!帰ってきなさい!》
久しぶりの、母の底抜けに明るい声が、鼓膜を直撃する。
『いや、今年は―』
《いいから!!うだうだ言わないでさっさと帰ってくる!今年は皆揃うから!今すぐ新幹線乗りなさい!》
『え、ちょっとま…』
なんで。
私の周りには、一方的に通話を切る人ばかりなんだろう。
愕然としながら、私は携帯を見つめる。
『帰りなよ』
後ろからかかった声に振り返れば、中堀さんがソファに腰掛けて私を見ていた。
まだ半笑いな所が、腹が立つ。
『だって…』
『俺は、大丈夫だから。』
私が言いかけた言葉など、分かりきっているというように、中堀さんは頷いてみせた。
『花音が居てくれて、俺は帰れたから。だから花音も帰ってやって。』
『……ずるい』
『え?』
私はぎゅっと唇を噛んで俯く。
わかってないな、中堀さんは。
そんな風に言われたら、帰らなくちゃいけないじゃない。
確かに、中堀さんを、あの家に独りきりにしてしまうのが心配なのもあるけど。
でも。
そんなの関係なく。
ただ、一緒に居たいって、思うのに。
折角、掴めた気がしたのに。
今直ぐ、引っ張らないと、しっかり、掴まないと、次のチャンスはないかもしれない。
『…花音、こっちおいで』
複雑な心境を上手く消化できないでいる私を、中堀さんが手招く。
渋々、傍へ寄るけれど。
中堀さんは私を見ているのに、私は中堀さんを見れないで居る。
目に映るものはといえば、絨毯、だ。
何を言われるんだろう。
何を言われても私は絶対に納得しないんだから!
そう、思ったのに。
「!!」
一瞬の出来事だった。
何の前触れもなく。
唇が、唇と、触れ合った。
それは、ほんの、一瞬の出来事で。
目を閉じることもできなかった。
直ぐに離れた唇の持ち主は、まだ触れそうな距離のまま、ちゃっかり閉じていた瞼を開き、私を見つめる。
『送ってく』
相変わらず長い睫毛。
大きな茶色い瞳。
あーあ、本当にずるい。
この、元詐欺師。
こうして、私の心を繋ぎっぱなしにして。
『もう、戻ってこないかもしれませんよ』
『それは、寂しいね』
私が帰ってくることを、絶対に確信しているに違いない。
ぽんぽんと、子供をあやすみたいに、私の頭を撫でて。
ゆっくりと手を引いていかれたら。
言うとおりにするしかないじゃないの。
こんな、ドキドキな展開、昨日までは想像もつかなかったんだもん。
身体も心も付いていけない。
だけど、これだけは言える。
着信音が間違っていなかったら!
マナーモードだったなら!
そもそも、あのタイミングにお母さんが電話なんか掛けてこなかったなら!
もっと甘ったるい時間が、あった筈。
…多分。
悔しさと恥ずかしさと照れとで悶々としながら、私は中堀さんの手を握り返した。
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「ん、あれ?」
回想終了。
にやにやタイムも終わりを告げる。
誰も居なくなったリビングで一人、私は首を傾げた。
「そーいえば…なんでお母さん帰って来いって言ったんだろう?」
ええと。
電話でなんて言っていたっけ。
今年は皆集まるとかなんとか。
え、なんでだろう。
そういや、お兄ちゃんが居ること自体が珍しい。
となると、お姉ちゃんも帰ってくるってことかな?
そーだよね、うん。
だけど、急いで帰ったわりに、母は不在。
父と兄がこたつに入って、雑煮を食べているという風景があっただけだった。
「で、どーして、今誰も居ないの。」
さっきまで居た筈の父も兄も見当たらない。
雑煮の餅を口でひっぱりながら、ま、いいかと思い直した。
そして、にやにや再開…
「ただいまー!!!!」
できなかった。
肺活量たっぷりの母の声が、玄関から聞こえてきたからだ。
「おかえりー…だけど、ただいまぁ」
雑煮を取り合えず置いて、玄関に出迎えると、母が荷物を置いて一息吐いた所だった。
「あ、花音、良かった。帰ってたのね。」
母は満足そうに頷いて、荷物を運ぶのを手伝えと指示する。
「いつも2日には帰ってたじゃない。なんで元旦に電話掛けてきたのよ。私だって色々あるんだからねっ」
文句を言いながら、紙袋に手を掛けると、意外と重い。
しかも三つある。
一体何が入っているんだろう。
軽く覗くと、薄い冊子のような物がぎっしりと詰まっている。
「ちゃーんと、理由がありますっ。もうすぐお姉ちゃんも帰ってくるし、皆揃ったら話すから。」
母は涼しい顔で、疲れた疲れたと騒ぎ、洗面所へと向かう。
「…なんか、恐いな…」
あの顔は、母が何かを企んでいる時の顔だ。
その上、何か面白がっている。
母が面白いということは、大抵私にとって面白くないことだ。
「あーあ、早く帰りたい…」
小さく一人言ちて、溜め息を吐いた。
居間に荷物を運び終えると、奥の和室から神妙な面持ちをした兄が出てきた。
「あれ?今までそこに居たの?」
訊ねるが、兄は心ここにあらずの状態。
「信兄?」
「あ、ああ。花音か…」
再度呼びかければ、今気付いたというような反応。
兄に続いて、父も和室から顔を出した。
「あれ、お父さんも。二人して、何話してたの?」
「いや、うん。ちょっと、な。ま、あれだ。あとは花穂が帰ってきてからにしよう。」
父も怪しい位にしらばっくれているけれど。
これは。
父と母がグルになって、何か企んでいるな。
失敗した。
母が帰ってくる前に、にやにやタイムなんかしてないで、父に探りを入れておくべきだったか。
母と違って、父のガードは甘い。
でも、探りを入れたらしい兄の様子を見ると、簡単な問題ではないようだ。
兄はちゃらけた性格をしているので、大体のことは笑い飛ばす。
そんな兄でも。
少なくとも、聞いた直後は、暫く放心状態になる程の事らしい。
「母さん、帰ってきたのか?」
とぼけた質問を父がするもんだから、少し苛々しながら頷いた。
「ただいま」
ちょうどそこへ、トタトタと母が登場。
「あなた、とにかくテーブルの方へ座って。信も、花音も。」
一体これから何が始まるというのだろう。
若干ドキドキしながら、言われたとおりに席に座った。
「こたつがいいな…」
父がぽつりと溢した言葉を、その場に居る全員が聞き取った筈だが、私も兄も反応せず、母だけ冷たく笑んだ。
そこへ―
「ただいまー!あー、疲れた…ったく、なんなのよー!?」
我らが長女、花穂が到着の雄たけびを上げる。
「…揃ったわね。。」
うふふと、楽しそうに微笑む母を見て、私は誰かを思い出す。
誰だっけ。
えーと。
あぁ、そうだ。
私を騙すことに成功した時の。
悪戯っぽく笑う、中堀さんに、似ている。
―一体母は何を考えているんだろう。
家に着いてから数時間が経過したが、少しも掴めない。
「花穂、据わって。」
長いテーブルを囲み、何故か上座に母。
父と兄が隣同士。
そして。
「一体何なのよ?畏まっちゃってさぁ。私仕事まだあるから、終わったら帰るから。」
着いたばかりで、空気を読み取れて居ない姉と私が隣に座る。
「まぁまぁ、落ち着いて。」
父が姉のことを宥める中、母が口を開いた。
「年明け早々、皆に集まってもらったのにはちゃーんと訳があります。」
母はおもむろに、さっき運んだ紙袋を一つ一つを、姉、兄、私の前に置いていく。
「花穂は35、信は30、花音は25歳になったわよね。」
そう言って、母は更に笑みを深くした。
「あなたたち、今年中に結婚しなさい」
空気が凍りつくとは、このことだ。
私は、目が線になった母を見つめながら、声を上げることも、反応することもできなかった。
恐らく兄は、項垂れているのだろうが、それすら確認する余裕もない。
「は?」
一番最初に声を上げたのは、姉、だった。
「え?意味わかんないんだけど。何それ、何で急にそんなこと言われなきゃなんないの?」
怒りの籠もった声。当然だろう。
「急、じゃないわよー?それ、それぞれのお見合い写真だから、見て決めてね。」
母はそれをなんなくかわして、うふふと笑った。
「ちょっ…と待ってくれよ。自分で相手を見つけることもできないわけ?」
兄もやっと口を開く。
「そんなことないわよ。そういう相手がいるんなら連れてらっしゃい。但し―」
母は相変わらずにこにこしながら、人差し指をピンと立てた。
「半年以内、よ。それが無理ならお見合いしてもらうわ。」
その言葉に父も頷いた。
目の前に置かれた紙袋が、さっきより数倍重さを増したように見える。
「あの…それ、お姉ちゃんとお兄ちゃんは、わかるけど…私は、まだ早くない?」
隣からの突き刺さりそうな視線に耐えながら、私もやっとのことで訊ねる。
だって、私、まだ25だもん。
10個も上の姉とは訳が違う。
しかも半年のタイムリミットなんて、有り得ない。
主張が通れば、私だけは免除される可能性はある。
縋るような目で、母を見上げるが。
「駄目よ。面倒だもの。」
一蹴された。
しかも、面倒って…理不尽だ。
その上、姉に鼻で笑われた。
「そもそも、なんでそうなったわけ?」
姉が腕組みをしながら言えば。
「おばあちゃんが、そう言ったからよ。」
思いも寄らない角度からの返答だったので、一同が目を見開いた。
「おばあちゃんが?なんで?」
我が家の父は普通のサラリーマンだ。
だけど、父方の祖母は実は金持ちで。
地主だから、中々の権力を有している。
会社も持ってたかもしれない。
でも、ほとんど会っていないから、よくは知らない。
親戚の付き合いや、法事などで遠くから見かける程度の付き合いしかしていなかった。
その理由が何なのかは知らないけど、恐らく母との結婚を反対したまま、今に至っているのではないかと思っている。
だからこそ。
その祖母が、今更どうしてそんなことを言い出したのかわからない。
そもそも、そんなことを言い合える仲だったか。
「病気がわかってね。余り長くないらしいの。それで―」
母の言葉を、目で頷いてから父が継いだ。
「お父さんはあそこの末っ子だったから、色々ばあちゃんにはわがままを言ったんだ。無理無理通したこともある。そのせいでばあちゃんとは喧嘩したままみたいになっちゃって、疎遠になっていたんだが―」
「そうよ、ほとんど顔を合わしたこともないじゃない。なんでそんなこと…」
「花穂」
噛み付く姉を手で制する母。
「お前達に、何かしてやりたいと思ったらしいんだ。」
「余計なお世話よ!こんなことに口出ししてくるなんて。」
「花穂!」
姉は立ち上がって、鞄を掴む。
「わかってるでしょ、おばあちゃんの命令は絶対よ。」
母のその言葉がやけに背中に重たく圧し掛かる。
姉もそれを聞くと、力が抜けたように溜め息を吐いて、再び椅子に座った。
確かにそうなのだ。
祖母が言うことはいつも現実のこととなる。
ということは、この紙袋の中身は全て祖母一押しの人間たちということだ。
祖母の容態がどうであれ、今度のことも本気なのだということが伺える。
「…まぁ、俺達も、お前等が身を固めてくれると嬉しいし、ばあちゃんが見たいというんだから、いいかなと思って。」
「多分、婚約ってだけで、納得してくれるんじゃないかとは思うんだけどね」
父と母がうん、と頷きあう。
「…そうかぁ…俺、本当はここのところニュースの特集でやってた『結婚できない子供達』を見て思い立ったんじゃないかと思ってたよ。」
「そんなふざけた理由だったら、ぶち切れてこの家ぶち壊してやるわよ」
兄のとぼけた言葉に、姉がギロリと睨んだその時。
父が背筋を固くしたのを私は見てしまった。
母はさすがのポーカーフェイスだが。
実際の所、真実は大したことではないようだ。
末っ子は賢いので、ただ黙って見逃すことにした。
って、自分で落ち着いている場合じゃない。
結婚って。
結婚、だよね?
今年中?
しかも相手が居るなら半年以内に連れてくる…?
「え!!!!!!」
「何?花音、急に…」
隣の姉が迷惑そうに眉を顰める。
「無理無理無理!そんなの、無理だって!」
激しく首を振る私を、家族一同が怪訝な顔で見つめる。
「だから、どうしたの?」
「いや、だから、結婚相手…」
半ば呆れ顔で訊ねた母に、話題を引っ繰り返す私。
だって。
私の今の相手って。
中堀さん、だよ?
絶対無理でしょう。
家に来てくれないでしょう。
その前に、一体なんて話したらいいの。
やっと、それっぽくなってきたばかりの今の展開で。
結婚する人を家に連れて来いって言われたから、一緒に来て下さいってお願いする。
中堀さんはうん、って…
頷かないと思う。
絶対に、いやだって言うと思う。
しかもその、なんか、逆プロポーズみたいなの、嫌だし。
NO理想だし。
「だから、婚約ってだけでもいいって。どうせ居ないならその中から適当なの選んじゃいなさいよ。一応、おばあちゃんのお目がねに叶わないといけないんだから。」
母が、ほんと花音は鈍いわねぇと要らん一言を付け足して、お茶をずずっと啜る。
「俺は一応今付き合ってる人、居るから。今度連れてくるわ。結婚とか、まだ考えてなかったけど…」
弱ったなぁと兄が頭を掻いた。
けれど、最初よりは大分回復してきたようだ。
さすが楽天家。
「私も居るには居るけど。仕事が忙しすぎて、今それどころじゃないのよね。面倒だわ。」
姉はその言葉通り、ひどく面倒そうな顔をした。
いいよ、あんたら二人は。
心の中で私は舌打ちする。
今までのどうでもいい付き合いを続けていたとしたら、お見合いも別に一回やっておいたって悪い気はしなかったかもしれない。
結婚する気は更々なかったし。
ただ寂しくなければそれで良かった。
それなりに上手に女やれたし、かわいく振舞えば向こうもそれで満足するに違いない。
だが。
今の本気の相手は、あの中堀さん、だ。
分が悪すぎる。
私は中堀さんのことが本気で好きだし、結婚とかそんなことまで考えられるレベルじゃないけど、それでも一緒に居たいと思う。
だけど、私の思うように中堀さんは動いてくれない。
それどころか、今回みたいに、予想もしていない行動をして、私の寿命は縮まるばかりだ。
更にいえば、彼は女を知り尽くした元詐欺師だ。
私の思うことなんて大半がバレている、気がする。
半年で婚約まで持っていくなんてレベルの高い技、私にできるわけがない。
せめて、フリでいいからって、お願いするべき?
でも嘘でしてもらうのも、虚しい。
あー!!!!どうしよう!!!!??
櫻田花音、25歳。
手の届かなかった人に、やっと触れられそうなこの頃。
思わぬ人からの思わぬ要求に、早くも危険な雲行き。
やっぱり。
今年の運は、今朝使い果たしてしまったに違いない。
ちょっとずつ使えたら一番良いんだけど。
もしかして、これからは悪いこと続きなの?!
新年早々、頭が痛いです。
========================
仕事始めの日。
生憎の雪空だった。
「相変わらず、寒いなー」
休みぼけした身体を鞭打って、駅から会社までの道のりを歩く。
実家には結局二泊して、次の日は戻ってきて中堀さんと電話した。
中堀さんもオフばかりで、珍しくゆっくりしているみたいだったから、本当は行きたかったのだけど。
「けほっけほっ…」
ほんと、ツイてないとゆーか。
風邪をひいてしまった私。
電話でも勿論バレて、来るな命令が出てしまったのだ。
仕事始めが5日からだったため、無理をするなということなんだろう。
「仕事より、中堀さんのが本業なのにー…」
ちぇーと俯きながら、歩いた。
あーあー。
冬の休みも、あっという間に終わっちゃったなぁ。
色々収穫はあったけど。
口が自然と緩む。
仕事、行きたくないなぁ。
あ、でも憲子が居るもんね。
憲子には話しておいた方が良いよね?
だって…だって、ねぇ?
思考回路がまたあらぬ方向へと向かおうとしたその時。
「下向いて歩いてると危ないぞ」
ちょうど、いつか中堀さんと出会い頭にぶつかった角に差し掛かった所で、後ろから声が掛かる。
「え―」
びっくりして立ち止まり、きょろきょろと見回すと、幾らか少ない歩行者の中から知った顔を見つけた。
「藤代くん…」
「年明け、めでとー」
少しもめでたそうな顔をしていない、眼鏡の藤代くんが私の隣を歩く。
「あ、明け、たね。。。」
さっさと歩いていくので、私も少し早歩きするけど、戸惑いを隠せない。
「あ、の。藤代くんって電車通勤だったっけ…?てっきり車かと―」
「友達と朝まで飲んでたから。」
そう言って、藤代くんは悪戯っぽく舌を出して見せた。
あー駄目だ。
なんか、藤代くんと一緒に居ると、緊張してしまう。
中々上手く声が出せない。
私はコートの中に手を突っ込んで、ひたすらブーツの踵を鳴らすことに集中していた。
「どっか、行った?」
「…実家だけ。藤代くんは?」
「どこも。」
つ、続かない。
この話を振ったのは、藤代くんなのに。
「ま、またまた~、そんなこと言っちゃってー。藤代くん、彼女とどこか出掛けたりしたでしょう?」
そうそう、藤代くんはモテた筈だ。
「今、居ない。」
「………」
しまった。
なんか、埋まってた不発弾、見つけちゃったような気持ち。
藤代くんの、横顔を盗み見ても、感情は読み取れない。鼻が赤い、それ位が良いとこだ。
ぎくしゃくとした空気を纏いながら、それでも何とか会社に辿り着いた。
自分だけで歩くなら駅から会社まで早いのに、今日は何故かすごく長く感じた。
見慣れた会社は久々とはいえ、この状況だと何故か落ち着く。
複雑な心境のまま、自動ドアを抜け、挨拶しながら受付の前を通る。
―あれ。
気のせいかな。
受付の子、私の声、聞こえなかったのかな。
今、無視された気がした。
それだけじゃない。
私のことしっかり、見てた。
睨んでた?
この会社で私が余り評判が良くないことは自覚している。
でも、受付の子は、中堀さんとの一件があってから、私を見る目つきが変わったようだった。
挨拶もしてくれていたのに。
「櫻田?」
隣で藤代くんが声を掛けてくれたお陰で、私ははっと我に返った。
「ご、ごめん。なんか、ぼーっとしちゃって…」
心がざわざわする。
落ち着かない。
何だろう。
何か良くないことが、起ころうとしているような。
「大丈夫か?咳出てるし、体調悪いんじゃ…」
「大丈夫!あ、エレベーター着てるよ。行こう。」
なんとか笑顔を取り繕ったけど。
エレベーターの中でも、チラチラと何人かに振り返られることがあって、胸騒ぎは増していくばかりだ。
藤代くんはそんな私を、黙って見つめていた。
視線には気付いていたけど、何て言えばいいかわからなかった。
でも、社内に何か良くない噂が飛び交っているのだろうと言う事はわかる。
中堀さんと逢ってから、社内を賑わすような恋愛も行動もしていなかったから、今の状況に慣れかけていたけど。
この感じは、覚えている。
身体が強張る。
毒のある、アホウドリの再来。
「いやー、花音ー!久しぶりー!!」
オフィスに入ると、憲子が待ってましたとばかりに笑顔で私に飛びついた。
実際は一週間ぶりくらいだけど、年を越すと、久しぶりに感じるのは何故だろう。
でも、今は。
メンタル面が、ふらふらしていて、憲子の顔を見ただけで泣きそうになった。
「おはよう、憲子。」
だけど、泣くわけにはいかない。
この会社に入って、どんな噂が流れても、私は泣かなかった。
それが、ここでの、私のプライドだ。
藤代くんはそんな私を横目に、何も言わず自分の席へ向かった。
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昼の時間。
「えーーーーー!!!!!うっそぉーーー!!!」
憲子を誘って外へランチに出た。
お気に入りのこの小さなお店は雑居ビルの中の3階に入っていて、とても落ち着く。
謎の何かに対して張り詰めていた緊張が、ほっと緩んだ。
「中堀さんがそんなことをっ!!!なんていうか、、、相変わらず煮え切らないずるい男だけどっ、これは良い線来たって感じだね」
中堀さんとの出来事を聞かせると、憲子は自分のことのように喜んでくれた。
「でも、その、かもしれないっていうのがね―」
引っかかっている言葉を呟けば、憲子もうんうんと頷いた。
「ずるいって言うのはソレよ!後でやっぱり勘違いでしたっていうのもアリだからね!」
「うーん…ね、なんか、気になる。」
「何なのかしらね。とりあえずそこらへんの本心を聞き出してから行動にでないと、花音が後で泣く羽目になるよ。」
わかっちゃいるけど、改めて憲子から聞くと、重たい宣告だ。
漬物石が心を潰してる感覚だ。
「ところで、良い雰囲気邪魔したお母さん、一体何の用だったの?」
アボカド照り焼き丼を突きながら、憲子が首を傾げた。
「それが―…」
私は頭を抱える。
悩ましい事が、こうも立て続けに起きるなんて。
私、何かしただろうか。
外へ出れば、温まった身体もあっという間に冷めてしまう。
北風が強くなってきたな、と思った。
真っ直ぐ前を向けないまま、やや風を避けるようにして歩く。
「花音さぁ、もうなんか…同情するよ。」
祖母の納得する結婚相手を連れて行かなきゃならない話を聞いた憲子は、驚きを通り越して、明らかに哀れんでいた。
「私も自分に同情してるよ。」
半ば投げやりな気持ちで言った。
乾いてひやりとした空気が、口の中に入る。
「でもさ、中堀さんと良い雰囲気なんだし、もしかすると、もしかするかもよ?」
並んで歩いている憲子も、かじかむ両手にほぉっと息を当てた。
「うーん…でも、、、中堀さんとは、焦りたくないっていうか…。もっとじっくり時間を過ごしたいから。。。」
「甘っちょろい!甘っちょろいわよ、花音。そんなこと言ってたらお見合いされちゃうわよ?!」
白い息が、空気を濁らせる。
「わかってるんだけど、ね。まぁ、半年あるし、まだ計画を練る時間はありそう。」
季節が、夏に変わろうとしている時期に、私と中堀さんはどんな関係になっているだろう。
そこらへんは、未知数だ。
憲子と話しながら会社に着くと、午前中から感じていた違和感は大きくなった。
同じように昼から帰って来た社員達からの視線を感じる。
多分、この時間に、また噂が広まったのだろう。
「あれ、、何々この感じ。」
首から提げていた社員証をかざし、ゲートを通り抜けた所で憲子が私に耳打ちする。
「また、アホウの櫻田の噂が広まってるんでしょ。」
涼しい顔して答えるが、憲子は腑に落ちない顔をした。
「だって、花音今中堀さんでしょ。広まるも何もないじゃん。…にしたって、受付の泉川、すっごい睨んでますけど。」
「うん、今朝から。敢えてそっちは見ない。」
小さく溜め息を落とし、満員のエレベーターに乗り込んだ。
こそこそ、ひそひそ。
慣れっこになっていた音が聞こえる。
私は黙って唇を噛む。
これが日課だった。
貴方に逢うまでは。
フロアに着くと、憲子がちょっと、と言ってコピー室に手招きする。
この時間、更衣室も給湯室も人が使うから、配慮してくれたのだと思う。
「今回の噂が何かは、私が突き止めてあげる。だけど、どんなものにしたって、花音は今のまま、中堀さんと向き合って、実家の問題とかに集中しなさいよ。外野は気にすること無いわ。」
運よく誰も居なかったコピー室。
憲子は真剣な顔で、私の肩を掴んで言った。
「今までの噂は、あんたも自業自得な所があった。だけど今は違うってこと、私は知ってる。」
「憲子…」
「どこのどいつだかは知らないけど、胸張りなさい。いい?」
「うん…」
小さくありがとうと言うと、親友は目が赤いよと言って笑った。
私は。
いつだって、下を向いて生きてきた。
周りからの視線に気付かないフリをして、敵だと見なして、自分を精一杯強く見せようとしてきた。
自分の名前なんて、知られていなくても、平気だと思おうとしてきた。
だけど、貴方に逢った。
そうだ、貴方はあの時にも。
私の名前を呼んでくれたね。
それだけで、自分が特別に思えたの。
それだけで、前に進めると思い込んでたの。
だけど。
現実は余りにも黒くて―。
「今度の櫻田の相手は随分と悪だねぇ。中堀ってどっかで聞いたことあんなとは思ってたんだよなぁ。」
屋上の、喫煙所。
一人の男と、噂好きの女達が集まって。
「えぇ、でもぉ、櫻田さんのお兄さんだって噂でしたよぉ?」
「兄貴??いや、どう考えたってちげぇだろ。櫻田は出身ここじゃねぇし。俺高校違ったけど、ここらへんが地元だから、中堀のことは知ってるよ。有名だったし。しかもイケメンなんだろ?絶対あいつしかいねぇ。」
じわりじわりと、広まっていく。
「えぇ!嘘だったのー?!超ひっどぉい。あの女、性懲りもなく!」
「とうとう手付けるとこなくて、会社の外、進出したんだぁー!」
「櫻田さんと仲良くしとけばお近づきになれるかと思ってたのにぃ~!!」
「っていうかぁ、それで、何が悪、なんですかぁ?」
媚びるように、長い髪を耳に掛けた女が訊ねた。
悪意のある笑みで、全員が、染まる。
「そりゃ、ひどかったよ、中堀は。あいつと目が合っただけで全員血祭りさ。」
煙草の灰が。
赤く光って、落ちた。
やがて、黒い、灰になって飛んで行く。
「あいつ、確か―」
同時に、黒い噂も、落とされて。
「施設出じゃなかったかな。」
風に吹かれ、飛んで行く。




