最悪の初夜
結婚式の鐘が鳴る。
大聖堂の高い天井に、鐘の音が幾重にも響いて消えていく。フォンレーヴ王国の王女、リーシェ・ヴァレンティの目の前には、銀の髪が美しい美青年が立っていた。
カイル・イース。シュヴァルツリート皇国の皇帝。
背は高く、氷のような青灰色の瞳をしている。表情はほとんど動かず、口角がわずかに下がった無愛想な顔つきなのに、纏う空気だけで周囲を圧するような、そういう美しさだった。
(こんなきれいな人と、平凡な見た目の私が結婚するなんて。なにかの夢かしら)
(いえ、浮かれちゃいけないわ。『大事な使命』があるのだから)
栗色の髪を結い上げ、丸みのある茶色の瞳をまっすぐカイルに向けた。誰もが振り返るほどの美しい造作ではないが、親しみやすい顔立ちをしている。小柄な体で元気よく動き回る様子は、城の使用人たちからも「なんだか放っておけない」と評されていた。
司祭が声を張る。
「シュヴァルツリート皇国の皇帝カイル・イース、フォンレーヴ王国のリーシェ・ヴァレンティ、御神の御前にて、永遠の愛を誓いますか」
「――誓う」
「はい……」
カイルの顔がゆっくりと近づき、唇が重なる。触れた部分は驚くほど冷たいのに、その冷たさが伝わった箇所から、リーシェの心臓だけが妙に熱く波打っていった。
儀式のためだけの、ほんの一瞬の口づけ。それでも、初めて知る他人の温度に、リーシェは詰めていた息をそっと吐いた。
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「陛下、どうか私と子作りしてください!何卒!お願いいたします!」
夜、案内された皇帝の寝室には、すでに夜着に着替えたカイルが待っていた。扉が開いた音に振り返った彼の前で、リーシェは勢いよく膝をつき、そのまま額を床にこすりつけた。
「陛下は女性がお嫌いだとお聞きしております。愛してほしいとは生涯考えませんので、子作りだけはどうか……!」
カイルは冷たく言った。
「なぜそんな奇妙な頼み方でいけると思ったのか、全く理解ができないな」
リーシェが顔を上げようとするより先に、カイルの声が続く。
「女に媚びられるのはうんざりするほど経験してきた。だが、土下座で子作りを頼まれたのは初めてだ」
「そう言っていただけると光栄です!」
「褒めていない」
カイルは短く切り返してから、腕を組んで壁に寄りかかった。
「知っての通り、俺は女が嫌いだ。ここに来たからといって、何かをするつもりはない。しきたりに従って部屋に来ただけだ」
「土下座までしろと、国王に言われてきたのか?」
「いえ、父ではありません」
リーシェは顔を上げ、両手をぱたぱたと振った。
「うちの王家はあまり政治の駆け引きが得意ではないのですが、フォンレーヴにはそういうのが得意な家が別にありまして!」
「この縁談自体、うちが皇国に持ちかけたものなんですよね? 陛下にとっても利のある話だから受けてくださったが、結婚自体は正直嫌々って感じだったと聞いております。なので、このつながりをできるだけ早く盤石にしてこいって、送り出されてきたんです。それがつまり、子作りだと!」
あまりにあけすけに言われて、カイルは片眉を上げた。
「理屈の上ではその通りだが……」
「あ、もちろん清い体じゃなきゃいけないって言われていましたから、実際の男性の体を見てもいませんよ! この日までに『そういうお仕事』のお姉さんを呼んで特訓したんですけど、短期間過ぎて全然わかんなかったです!」
カイルは額に手を当てた。
「そういうことは少しは隠せ」
「だからもう、土下座することにしました。どうか私と子作りしてください」
「断る。そもそも女は嫌いだし、お前のような珍妙な女はもっと無理だ」
「はぁ……さっそく失敗ですか。まぁ、もともと無理筋だとは思っていましたが」
リーシェは案外あっさり引くと、不思議そうな顔で尋ねた。
「でも陛下は、これからどうされるのですか。相手が私である必要はありませんが、イース家の跡取りは必要でしょう?」
「さっきから、ずけずけと言いたいことを言いすぎだ。お前には関係ない。もう寝る」
カイルはそう言うと、ベッドの真ん中に本を数冊並べていく。等間隔にきっちり並んだ本の背表紙が、この皇帝の性分をどこか物語っていた。
「ここのラインからこちらに入ってくるなよ。あとこれ以上話しかけるな」
「そんなぁ」
「――お前を抱く気はない。だが、ここに寝かせておかないと、明日にはフォンレーヴから『皇妃が冷遇されている』と騒がれるんだろう。しきたりというのは、そういうものだ」
リーシェは一瞬きょとんとしてから、こくこくと頷いた。
「陛下って、ちゃんと考えていらっしゃるんですね」
「当然だ」
カイルが布団にもぐると、数分でリーシェの寝息が聞こえてくる。
(こいつ、緊張感のかけらもないな)
カイルは横目でその寝顔を一瞥し、小さく息を吐いて目を閉じた。
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翌朝、カイルは胸元に感じる重みで目を覚ました。まぶたを開けると、境界線代わりに並べたはずの本がベッドの上に無残に散らばっていて、その真ん中で、リーシェが猫のように丸くなって眠っていた。
カイルは顔を真っ赤にしてリーシェを突き飛ばした。
「起きろ、バカ!」
「あ~、おはようございます、陛下」
リーシェは大きなあくびをする。淡い栗色の髪が寝乱れて、頬に一筋張り付いていた。
「皇国のお布団はふかふかですね。よく眠れました」
「本を積んだ意味を台無しにしたな、お前は」
「あら、そうでしたか? 全然覚えてません」
悪びれもせず笑うリーシェに、カイルは何か言おうとして、結局ため息だけで済ませた。
「朝ごはんも豪華なのかな~。お魚があるといいな。我が国は山の中なので、海の幸はなかなか食べられないんです」
「肉か魚か選べるぞ」
「あらぁ、それはうれしいですね!」
「……食堂に案内しよう」
歩き出したカイルの背中に、リーシェが小走りで追いついてくる。カイルはちらりと横目でそれを見て、聞こえないくらいの声で呟いた。
(フォンレーヴ王国の希少金属目当てで結婚の打診を受けてしまったが、こんな奇妙な女が来るとは……)
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食堂に着くと、カイルは料理長を呼びつけた。
「二人分、朝食を用意してくれ。肉は魚で」
「お二人分、ですか。しかし昨日は……」
言葉を濁した料理長の肩を、カイルの従者エヴァンがすかさずつかみ、耳元でささやいた。
「二人分って言ったら二人分なんですよ。お願いしますね」
料理長は小声でつぶやきながら厨房に入っていく。
「奥方様と顔を合わせたくないから時間をずらして食べる、と昨日はおっしゃっていたのになぁ」
エヴァンはにやりと笑って背後から顔を覗かせた。
「気が変わったってことじゃないですか? 一晩経って、奥方様のかわいさに気づいちゃったとか」
「あぁ、そういうことか。気が利かなくてすまなかったね。じゃあ今日はいつも以上に気合を入れて料理を作らねば。奥方様にこのシュヴァルツリートを気に入っていただけるように」
少し離れた席で、カイルはその会話を聞こえない振りで聞いていた。耳の先が、わずかに赤い。
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程なくして運ばれてきた皿には、白身魚のソテーが香草を纏って盛られていた。リーシェはそれを見た瞬間、目を輝かせた。
「わぁ、こんなに立派な魚、初めて見ました! フォンレーヴだと川魚くらいしか食べられなくて」
「大陸一の芸術がある国のくせに、魚には縁がないんだな」
「山と温泉と芸術は自慢できるんですけどね。海は隣国を通らないと行けないので……あ、でも、川魚も美味しいんですよ。特に秋に上ってくるやつは脂がのっていて」
リーシェはフォークを片手に、身振りを交えて説明を始めた。カイルは黙って聞いていたが、途中で小さく口を挟んだ。
「その川魚、どうやって食べるんだ」
「え、興味あります? 塩焼きにして、皮をパリッとさせるのが一番なんですけど、宮廷だとバターで焼くこともあって」
「後で料理長に伝えておく。今度、お前の国の料理も出せるように」
リーシェは一瞬、フォークを止めた。
「……いいんですか?」
「別に、お前のためじゃない。皇妃の国の料理を知らないままだと、外聞が悪いだけだ」
「ふふ、そういうことにしておきます」
リーシェが笑うと、目尻がくしゃっと下がって、頬にえくぼが浮いた。見ているだけでつられて笑いたくなる顔だった。カイルはその顔から視線を逸らすように、皿の上の魚に集中し始めた。
しばらく静かに食事が進んだ後、リーシェがふと呟いた。
「陛下って、思ったより話しやすい方ですね」
「お前が一方的に話しているだけだろう」
「聞いてくださっているじゃないですか」
「……否定はしない」
カイルはそっぽを向いてそう言うと、残りの魚を黙々と口に運んだ。その様子を見ていたリーシェは、なんだかおかしくなって、口元をそっと緩めた。




