28.彼と彼女の純情
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山代が、帰る、というので駅まで送っていくことにした。山代は遠慮したが、半ば強引に送ることにする。駅までは、それほど距離があるわけでもないし。年頃の女の夜道は年々物騒になっていく今日この頃だ。万が一この帰り道で何かがあったら寝覚めが悪い。
そういうわけで、山代が外に出た後でさりげなくトイレで所用を済ませ、上着を一枚羽織っただけで外に出た。
寒い。
吐く息が白い。
というか、なんとなく空も明るくなりつつあるような。
戸に鍵をかけて、部屋の前で待っていた山代と並んでアパートの階段を下りていく。
白い息を吐きながら、物騒になったよなあ、と思う。夜道の不審者もそうだが、戸締りも油断ならない。さすがに冬場に外で全裸の変態に遭遇することはないかもしれないが夏には頻発するし、夜窓を開けて寝ていて、ふと目覚めたら枕元に見知らぬ男が立っていたなどというホラー紛いの事件もあった、と大学で注意報が出ていた。
そういう、露出したり侵入したり、といった連中は、何が楽しくてそんなことをするのだろうか、と思う。けどまあ、どうしたって理解できないのだろう。
頭がおかしいのだ、と切り捨てれば早いのだろうが………
さりげなく、横目に山代を窺う。
山代は、身体の前に城ケ崎から借りた本を数冊、抱くようにして持っている。部屋を出る前にもう数冊、山代が借りたいと言ったのだ。古本とはいえ、城ケ崎は一度読んで気に入った本しか買わないため、部屋を埋めている本は全て厳選されたものなので、そうそう安易には貸したりしない(しそもそも借りに来る奴などいない)のだが、山代ならまあいいだろう、と快く貸すことにした。全て一度は読んでいるものなのだ。ちなみに初見は図書館から借りる。
山代は、歩く足先の少し先を見て歩いていた。
悩んでいるのだろうか。
考えているのだろうか。
決めたのか、とも、どうするのか、とも、訊かない。
まだ決まってもいないかもしれないし、聞いたところでもう城ケ崎にできることなどないのだ。
責任無責任の話を離れて、もう、完全に山代の話、山代の物語である。部外者とまでは言わずとも、当事者でない城ケ崎に立ち入れるところはもう、ない。
しかし沈黙はキビシイ。何か話さなくてはいけないような気がする。考え込んでいる山代にとっては今の城ケ崎などいないも同然だろうが、城ケ崎としては何か話さなくては気まずいような気になる。そこの辺りはやはり、対人経験の浅さによるのだろうなあ。かといってこういうときに展開できる小粋なトークなど何一つ思いつかないし、さてどうしたものか。
さっき思い出した不審者変質者の話なんて今チョイスするにはタイミングがおかしいし、でも他に話題なんて………変態しか話題がないって、これは俺、何かもっと重大なものが欠如してるんじゃないか………?
何だか見当違いのところで少し落ち込んだ城ヶ崎だった。
「――――ねえ、この本」
「ん?」
見ると、山代は腕の中の本を見下ろしながら、
「いつまでに、返せばいいのかな」
「ん、ああ、別に、読み終わったらでいいぞ。いつか返してもらえれば」
もちろん返すよ、と山代は返し、ありがと、と微笑した。ん、と城ケ崎は返しながらも、
ちょっとでも笑えるんなら、大丈夫なんかな………
そう、思った。
結局その後は会話らしい会話もなく、二人は駅の階段を上り、改札前までたどり着いた。
電車はまだ来ていない。構内にも人影は皆無だった。駅員はどこかにいるのかもしれないが、今は詰所にはいないようだった。
上着のポケットから財布を出し、改札にかざしかけた山代は、しかしそこで動きを止めた。
「――――ねえ、城ケ崎」
「ん、何だ?」
こちらには背を向けたまま、山代が言葉を寄越す。
「今日は、ありがとね。御免ね? いきなり押しかけて」
「いや………別に、いいさ」
城ケ崎が答えたところで、構内に電子音の鐘の音が響いた。続けて女性のアナウンスが、ちょうど山代の帰る方角の電車が近づいていることを告げる。
山代、と声をかけようとしたところで、重ねるようにして再び、
「城ケ崎、さ」
「――――ん?」
遠くから、電車が近づいてくる音が聴こえてくる。その音の中で、山代は言った。
「私と美樹が、これから先、どうなっても――――友達で、いてくれるかな」
どうなっても、というと。
友達のままでいても。
恋人になっても。
そして――――最悪、破綻、してしまっても。
それでも?
「そりゃ勿論」
城ケ崎は即答した。
それは考えるまでもないこと、悩むまでもないことだ、と。
山代が、あるいは相生が、友達だとそう思っていてくれる限りは――――城ケ崎は、二人の友達だ。
「そっか」
ふ、と山代の肩から力が抜けた。
「――――有り難う」
そして今度こそ、山代は財布越しに定期をかざし、ピ、という電子音とともに改札を抜けた。改札の先、階段の上からは、いよいよ電車が入ってくる轟音が響いてくる。
数段を上り、こちらよりも頭数個分の高さまでなったところで、初めて山代はこちらへ振り返った。片足はもう一段上にかけながら、半身をこちらに向けた。
「城ケ崎、さ!」
「ん、何だ?」
電車の音に消されないように、お互いに声を張って応答する。
「また、相談してもいいかな」
表情には、わずかな不安。対して城ケ崎は、
「俺なんかでいいのなら」
頷きとともに、またそう即答した。
うん、と山代も頷きを返した。そして、そっか、と顔を上げる。
その表情は、微笑で。
それじゃあ、と山代は片手を上げ、また、と城ケ崎も片手を上げて返す。
それを見届けて、山代は今度こそ完全にこちらに背を向け、急ぎ足に階段を上って行った。既に電車は到着しているが、山代が乗り込むまでには間に合うだろう。山代が階段を上り切り、角を曲がって見えなくなるまで見送って、ふ、と城ケ崎は肩の力を抜いた。
はあ、と息をつき、両手をポケットに突っ込んで、改札に背を向ける。
そういえば、とふと思って、券売機の横に掲げられた時刻表を見る。こんな時間まで電車走ってるんだなあ、終電何時なんだろう。
よくよく見てみると、終電は深夜11時発だった。
あれ、とさらに視線を走らせる。ちなみに始発は4時。
慌てて駅舎内の時計を捜し、見れば時刻は確かに4時寸前だった。
ぽかん、と口を開けたまま時計を見上げ、やがて、ああ、と小さく吐息した。マジか、と呟きながら再び歩き出し、人気のない駅を出る。
そこでちょうど時刻になったらしく、サイレンとともに電車が発進していく。電車の方向は、城ケ崎のアパートとは逆方向だ。
駅の前に立ったまま、城ケ崎は無言で電車を見送る。あのどれかに乗ってるんだろうなあ、などと思いながら。
やがて電車すらも完全に見えなくなったところで、ん、と大きく伸びをした。ふあ、と欠伸も添える。目尻に浮いた涙を拭う。
山代がどうするのか、相生との関係をどうしていくのかは、今はまだわからない。
だが、どうなっていくにしろ、城ケ崎としての立ち位置は変わらないつもりであり、友達でいるつもりだけども、
………いいように、なっていくといいよなあ。
今や完全に夜が明け、太陽が稜線から身を乗り出しつつある。今から帰っても………寝る時間は、さすがにもうないだろう。
完徹は、そういえば大学入試以来かなあ。
そんなことを思いながら、城ケ崎は歩き始めた。
凛、と冷え澄み切った、人のいない中を、歩いていく。
ぽかん、と口を開けたまま、今日を思い、明日を思い、山代を思い、相生を思って。
「とりあえずは、まあ………コーヒー買って、帰るか」
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