第1話 撮影係なんて誰でも同じ
俺は映らない。
姿も声も映し石には乗らないが、俺が起こしたことは映る。魔物が倒れれば倒れたところがそのまま映る。だから画角の外でやる。
ヴェルダ大迷宮、中層十二階。
天井の岩に張りついた石蜘蛛が糸を垂らしかけたとき、俺は左手で映し石の角度を半歩ぶん右へ振った。画面の中央にはジークの背中があって、銀の鎧が松明の光を弾き、今日もよく映えている。
右手の短剣で蜘蛛の腹を裂き、糸ごと落ちてきた死骸を足で壁際へ押しやってから、音を立てずに元の位置へ戻る。
三秒。
誰も振り向かないし、手元の板に流れる神託欄も何も変わらない。
≫戦神ガルヴァ:ジーク、今日は冴えてるな
≫知恵の女神アウラ:十二階で伏兵が一度も出ない。階層の選び方がうまい
≫雷神ドゥル:つまらん。もっと殴れ
伏兵が出ないのではなく、出る前に死んでいるだけだ。
まあ、言う気はない。言ったところで映っていないのだから神様たちには確かめようがない。
神眼、四千二百柱。
白銀の翼はこの迷宮都市で三本の指に入る人気パーティで、神々の視線が四千も集まれば、投げられる加護も相応に厚い。ジークの剣が岩蜥蜴の首を一太刀で飛ばすのも、半分は本人の腕で、半分は今この瞬間に降っている加護のおかげだった。
その岩蜥蜴には二匹目がいた。
一匹目が首を失って倒れる音に紛れて横穴から二匹目が走り出てくる。ジークの死角だ。盾役はまだ一匹目を見ていた。神託欄に「後ろ!」と流れる前に、俺は映し石を盾役の背中へ向けておいて、二匹目の顎の下に短剣を入れた。
倒れる音は一匹目の音と重なった。
石を戻すと、画面の中ではジークが剣の血を払っている。
≫雷神ドゥル:今なんか音がしなかったか
≫知恵の女神アウラ:蜥蜴が壁にぶつかった音でしょう
≫戦神ガルヴァ:細かいことはいい。次だ次
細かいことだと、俺も思う。
撮影係の仕事は映すものを選ぶことで、映さないものを選ぶことでもある。どちらも同じくらい手間がかかって、どちらも誰にも褒められない。
加護は神に見られてこそ降り、見られるためには映らなければならない。だからこの世界では冒険者はみな配信者で、画角がすべてだ。
「エド。もう少し寄れ」
「寄ると盾役の背中で塞がります。このままで」
「……まあいい」
ジークは振り向きもせずに言った。俺も振り向かせる気はない。寄れと言われて寄れば盾役の肩が入り、神託欄には「見えん」が十行並ぶ。そういうことを五年やってきた。
四時間で探索を終えて神眼は四千六百まで伸びた。良い配信だった。
画面の中では。
◇
地上に戻って、ギルドの二階。
報酬の分配はいつもジークが仕切る。今日は白銀の翼の五人と撮影係の俺で六人で、ジークは革袋から銀貨を数えると、俺の前に三枚ではなく一枚と半分を置いた。
「今日から撮影係はこれだ」
「……半分ですか」
「半分だ」
セレスが本から顔を上げた。白銀の翼の魔術師で、この部屋で唯一、何かを考えていそうな顔をする人だ。
「ジーク。今日の十二階、伏兵が一度も出なかったわね」
「運がよかった」
「先月からずっと運がいいわ」
「だから何だ。撮影係の話をしてる」
セレスは肩をすくめて本に目を戻したが、戻す前に一度だけ俺の右手を見た気がした。
俺は何も聞かなかった顔をした。
「理由を伺っても」
「理由?」
ジークは笑った。悪意がないのが、余計に厄介だ。
「お前、自分が何をしてると思ってる。石を持って俺たちの後ろを歩いてるだけだろう。撮影係なんて誰でも同じだ。映らないんだから」
映らないんだから。
その通りだ。俺は無加護で、映し石には映らないし声も届かない。神々から見れば白銀の翼の配信にはそもそも撮影係などいないのだから、神様たちは一度も俺を見たことがない。
石蜘蛛も、岩蜥蜴の群れの二匹目も、先月の十五階の落とし穴も、全部画角の外で片づけた。ジークは知らないし、四千六百柱の神々も知らない。
知らせる気もなかったのは、無加護が剣を振ると知れたら神殿がうるさいからだ。神に見放された者が神の加護なしで魔物を殺すなど、連中にとっては教義の穴で、穴は塞がれる。塞ぎ方はたいてい埋めることだ。
だから俺は、黙って石を持っているほうが都合がよかった。
銀貨三枚なら。
「分かりました」
俺は一枚と半分を取らずに立ち上がった。
「今日限りで辞めさせていただきます」
「は?」
「映し石はここに。明日からは、誰でも同じ誰かにお願いしてください」
ジークがぽかんとした。
盾役が「おい」と言い、治癒師が困った顔をし、斥候は面白そうに口笛を吹いた。セレスだけが本を閉じて俺の顔をまっすぐ見ていて、その目が妙に気になったが、俺は頭を下げて部屋を出た。
階段を降りる途中で、背中に声が追ってくる。
「好きにしろ。撮影係ならいくらでもいる!」
そうだろう。いくらでもいる。
石を持って後ろを歩くだけの撮影係なら。
◇
ギルドの一階は酒場で、壁一面の大水晶に今日の配信が流れている。
人間向けの中継なので、映像だけで神託欄は出ない。客たちは白銀の翼の録りを肴に飲んでいて、画面の中でジークが岩蜥蜴の首を飛ばし、客が沸く。
俺は懐の銀貨を数えた。五年ぶんでいくらか貯めてはあるが、迷宮都市の宿代は安くない。無加護を雇う店は迷宮の外にはないから、明日からまた石を持たせてくれる誰かを探すしかなかった。
銀貨三枚で。できれば四枚で。
大水晶の隅に、ごく小さな画面がある。
神眼が少なすぎて、大水晶の端にしか割り当てられない配信者の枠だ。
流れているのは昼間の録りで、安物の革鎧を着た若い女が一人でゴブリンを追い回していた。剣筋は悪くないが、画角がひどい。足元しか映っていないのは、たぶん撮影係に逃げられて腰のあたりに石をくくりつけて走っているからだろう。
神眼、三柱。
女が転んで、画面が真っ暗になった。
客の誰も見ていないのは、見る価値がないからだ。
俺は革袋の口を締めてもう一度隅の画面を見たが、真っ暗なままだった。
もしあの迷宮で、あの女の後ろに、映らない誰かがいたなら。
──考えても仕方のないことだった。
そう思って酒場を出ようとした俺の足を止めたのは、入口の脇で泣いているその女本人だった。




