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「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでと今は言えないのだが」
私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。
結婚祝の宴を終え侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫、ギュスターヴが来るのを待っていた。
私達は学校を先日卒業したばかり、同級生の中では一番早く結婚したことになる。
幸せな気持ちで結婚式と祝いの宴を過ごした私は、それ以上に幸せな夜を過ごす筈だった。
少しの不安と少しの期待でドキドキと高鳴る胸、意味もなく夜着を何度も整えつつ待つ私。
けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、朝日が昇り朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れた彼は、私の前に跪き泣きそうな顔でとんでもないことを言ったのだ。
「ギュスターヴ、様?」
彼の放った言葉を理解した私は、その瞬間に失望したけれど、伯爵家から格上の公爵家に嫁いだ意地で失望も悲しみも怒りも表情には出さなかった。
ただ、予想もしていなかったことを言われ戸惑っているとギュスターヴ様に分かるように、わざと名前をゆっくりと呼びながら考えるのは、これから私がどんな反応を見せればいいかだった。
対応を間違えてはいけない、冷静にならなければと、自分に言い聞かせ考えるけれど正解はまだ見つけられない。
「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があって今は延期するだけなのでしょうか?」
正解が見つけられないまま、私は静かに尋ねる。
どうするのが正しいのか答えは見つけられなくても、延期の理由を教えられていないのだから感情的に相手を追い詰めることだけはやってはいけないと思う。
ギュスターヴ様の考えが分からないけれど、私を好きな気持ちはあるのに延期をしないといけない理由があるのなら、それを聞かなくてはいけない。
実は嫌われているとは思えないし、思いたくない。
もし私を好きではなく私を妻にするつもりがなかったのなら、この人が私に求婚した理由が分からない。
私達は政略で縁を結んだわけではない、ギュスターヴ様が私に好きだと告げ求婚してくれ、私はそれに応えた。
ギュスターヴ様は、婚約してからずっと私に優しかった。
婚約が決まった時、卒業後すぐに結婚したいと望まれたせいで婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでもその間、学内では一緒に昼食を取り休日は一緒に出掛けていた。
どうしても会えない時は手紙や花束が送られてきたから、家族から「愛されてるわね」と揶揄われたものだ。
何も連絡が来なかったのは、彼が授業で迷宮に十日間籠っていた時位だ。
それなのに、二人の関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。
「い、いや! 絶対に勘違いしないで欲しい! 私は生涯あなただけを愛するしあなたの夫の座を誰にも譲るつもりなない。だからお願いだから私を信じて欲しい。私のこの地味な栗色の髪も緑色の目も鍛えることしか趣味が無くて無駄に筋肉がついた体も、生涯あなただけのものだ。地味で華やかさの欠片もない私だが、情けない人間だと知ってもどうか嫌いにならないで欲しい。身勝手なお願いだが、どうか見限らないで欲しい」
泣きそうな顔どころか、本当に泣いている。
広くて豪華すぎる公爵家の寝室、私の実家は伯爵位でも裕福な方に入ると思うけれど、こんな凄い部屋は両親の寝室どころか大広間ですらもっともっと地味で質素だと思う。
ギュスターヴ様はご自分を地味だと仰るけれど、この恐ろしく豪華な部屋に馴染んでいるように見える。寝室よりもギュスターヴ様の部屋も私の部屋ももっともっと凄まじく豪華極まりないのに、どの部屋にいても違和感を抱くこともない。
確かに体は剣士として鍛えているからとても逞しい、でも決して地味ではないと思うし立ち居振る舞いがとても堂々としていて、時々見惚れてしまうほどだ。
そんな彼が今、私の足元で大きな体を丸めてグスグスと鼻を鳴らして泣いている姿に、驚愕以外の言葉が見つからない。
全て本心から言ってくれている気がするけれど、だったらなぜ延期にするなんて言うのか分からない。
「延期というのは、……初夜のことでございますよね?」
勘違いだったら恥ずかしいが、さすがにそれは無いだろう。
寝室に来ての発言で初夜以外ならむしろ何を延期するつもりなのか、私には想像もつかない。
「そうだよ」
「では理由を教えてください。それから話し難いので、せめてここにお座りください」
「え、えええっ。そ、そんなだって私はあの、き、君の隣に?」
ギュスターヴ様は動揺した顔で私を見上げる。
その顔は彼が言う地味なものでは決してない、伝えたことはないけれど私は彼の笑顔が大好きだし、彼はとても頼りがいのある人だと思う。
地味で華やかさが無いと本人は言っているけれど、彼は整った顔立ちをしていると私は思っているし、努力家で人望があるのも知っている。
決して情けない人なんかじゃない。
「シュテフイーナ、あのそれは」
私が手を伸ばすとギュスターヴ様は私が大の苦手にしている蛙みたいに、ピョコンと勢いよく立つというより飛び上がって、そのまま数歩後退ってしまう。
「あのっ」
後退りながら私を見ていて、何かに気がついたのか彼から悲鳴のような声が上がる。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、あの、その」
しどろもどろになりながら突然上着を脱ぎ始めると、ずいっと脱いだ上着を私の目の前に突き出す。
驚きすぎて気が付かなかったが、これは結婚式で来ていた礼服だ。長身の彼にとても良く似あっていた。
でも今までずっと礼服を着ていたのかと不思議に思う、二人一緒に披露宴をしてい広間を出て、それぞれの部屋で入浴したはずなのに。
それも疑問だが、何故上着を脱いだのか理由が分からないし、それを私に差し出す意味はもっと分からない。
「これは?」
「そ、そんな薄着」
上着から視線を上げると、耳まで真っ赤になった顔でギュスターヴ様が私から視線を逸らしていた。
視線を逸らしているは嘘か、顔ごとグイッと横に向いている。
「薄着……あぁ、皆が選んだそうです。無駄になってしまいましたが」
来ないのも困るけれど、来たら来たでこんなのも困るなと、そう思うけれど口には出さない。
でも体が冷えていたから、躊躇いつつも上着を羽織る。
体の大きさが違い過ぎるから、上着はすっぽりとマントみたいに私を包む。
「無駄に……すまない。勇気が出なかったとはいえ、誰か知らせに向かわせるべきだった」
「そうですね、いくら勇気が出なくても……勇気とは?」
もう、眠いし寒いし虚しいし、怒っていいのか泣いたらいいのか分からない、この感情をどうしたらいいの? 頭の中でグルグルと考えていたら、ギュスターヴ様は変なことを言い出した。
それは、私を待ちぼうけさせるつもりは無かったと聞こえるが、どうなのだろう。
「一体なにが」
「信じてもらえるか分からないが、母曰くとても愛らしい白猫に、私はなっているらしい」
「は? 白猫? 冗談でも嘘でもなくですか? 今は人間に見えますけれど」
「そう、今は、正確には朝日が昇ればだが」
この人はこんな真面目な顔で冗談を言う人だっただろうか、私はどんな顔で反応すればいいのか暫し考えてしまった。




