第七十話 シャドーレ
「シャドーレ…本当に良かったのですか?私としては、貴女が桜色の都に留まってくれて嬉しい。ですが、流転の國は貴女にとって大切な場所なのではありませんか…?」
マヤリィ、ミノリ、クラヴィスを見送った後、ヒカルはシャドーレと話し始めた。
「陛下のおっしゃる通り、流転の國は私の大切な場所です。…されど、今の私は桜色の都を離れるわけには参りませんの。『クロス』の隊長という立場にある私が無責任なことは出来ません。それに、私は陛下が目指される国づくりに貢献したいと申しました。その気持ちは今も変わっておりませんわ」
ヒカル王は自由で平等な国を目指して改革を進めている。シャドーレは自分が生まれ育った桜色の都が良い方向へ変わってゆくのを見たいのだ。
「シャドーレ…!前に私が話したことを覚えていてくれたのですか?」
「当たり前ですわ、陛下。貴方様から伺った大切なお話を忘れるようなことは致しません」
シャドーレはそう言うと、
「私は桜色の都の御為、身命を賭して働かせて頂く所存にございます。どうか、これから先もシャドーレを良き様にお使い下さいませ」
ヒカル王の前に跪き、頭を下げる。
「はい。こちらこそ、よろしく頼みます…!」
その後、ヒカル王は『クロス』の「特別顧問」という役職を復活させ、再びシャドーレを任命した。彼女を時間的に余裕のある立場に置くことで、国政に携わらせるのが目的だった。
「行って参りますわ、ミノリ」
「はい。行ってらっしゃいませ、シャドーレ様」
そう言ってミノリ嬢はシャドーレを見送る。
ツキヨの白魔術によってミノリ・アルバ嬢の傷痕は綺麗に消え、シャドーレ邸のメイドに復帰することが出来たのだ。一方、マヤリィの一件で王宮に呼ばれたツキヨだが、また何かあったらいつでも頼って欲しいと言い残してエアネ離宮に帰ってしまった。
そして、シャドーレが特別顧問に任ぜられたのと同時に、ウィリアムが隊長に昇格した。二人の関係は続いており、結婚も視野に入りつつある。特にシャドーレの叔母である公爵夫人はウィリアムを婿養子として迎え、レイヴンズクロフト家を継がせようと考えている。ウィリアムは伯爵家の三男だし、双方にとって悪い話ではない。
しかし、シャドーレはあまり家のことは考えていなかった。
「…ウィル、私は本気で貴方と結婚したいと思っていますの。我が家の存続はともかくとして、貴方と一緒になりたいのですわ」
「メアリー、私だって同じ気持ちです。爵位を疎かに考えているわけではありませんが、それは二の次でいい。貴女の伴侶となれるならば、私にとってこれ以上に幸せなことはありません」
ウィリアムは真っ直ぐにメアリーを見つめる。
桜色の都の貴族達は出世欲が強く、高い身分や名誉に固執している者が多いが、ウィリアムは違うらしい。
「ウィル…嬉しいわ」
メアリーは安心したように微笑み、優しい眼差しを彼に向ける。
「メアリー…」
彼女の美しい瞳を見つめながらウィリアムは言う。
「愛するメアリー。私の全てを貴女に捧げたいと思います。いつまでも傍にいさせて下さい」
「ウィル、私も貴方を愛していますわ。こんな私を受け止めてくれて、ありがとう」
メアリーはそう言ってウィルにキスをする。
ウィルは微笑みながらメアリーを抱きしめる。
そこへ、
「あ、あの…お忙しいところ申し訳ないのですが…」
「あら、ごめんなさい。ここがどこかということをすっかり失念しておりましたわ」
気まずい様子で声をかけてきた隊員に対し、シャドーレは悪びれることなく微笑む。
…そう。今はデート中でもなく、二人きりで過ごしているわけでもなく、ここは『クロス』の宿舎なのだ。しかも共用スペース。
そして、宿舎の入り口ではヒカル王が呆然と立ち尽くしていた。隊員はそれを告げるタイミングを逃しまくった結果、やっとシャドーレに声をかけることが出来たらしい。…ご苦労様です。
「ごきげんよう、陛下。…いつからこちらにおいででしたの?」
シャドーレは笑顔を作りながらヒカル王に挨拶する。
「す、少し前です。貴女とウィリアムが抱き合っているシーンは見ていませんよ」
絶対見てた。
何を話しているかは聞こえなくとも、一部始終を見ていたらしく、ヒカル王は頬を染めていた。
純粋培養された若き国王は女性と付き合ったこともなければキスをしたこともない。
「ウィリアム隊長は…29歳ですよね」
ヒカルは18歳。ウィリアムはシャドーレと歳が近くて良いな。とこの期に及んでも思ってしまう。
しかし、
「いえ。30になりましたわ、陛下」
残酷な事実がヒカル王に襲いかかった。
「さ、30代に入りましたか、そうですか…」
一方のシャドーレは36歳。桜色の都の女性としては遅すぎる結婚だが、本人は全く気にしていない。むしろ、自分が結婚する日が来るとは想像もしていなかった。
(人生、何が起きるか分かりませんわね…)
男女関係なく魅了してしまう恋多き魔術師。
そんな彼女の心を射止めたのはウィリアムだった。
…はずだが。
「シャドーレ様。これから先も貴女様の御為、誠心誠意働かせて頂くことをお約束致します」
「ええ。よろしく頼みますわよ、ミノリ」
結婚後、二人は新しく建てられたレイヴンズクロフト邸に住むことになり、ミノリ・アルバ嬢は今もメイドとしてシャドーレに仕えている。
あの魔力事故以来、雷系統魔術は使っていない。
本人は魔術適性を手放したいと思っているが、シャドーレにはどうすることも出来ないのが現状だ。
「今帰りましたわ、ミノリ」
国政に関わることの多くなったシャドーレが王宮から帰ってくると、ミノリ嬢はいつものように笑顔で出迎える。
「お帰りなさいませ、シャドーレ様。…旦那様は今夜も宿舎に泊まられるのでございますか?」
『クロス』の隊長だった頃のシャドーレと同じように、現隊長を務めるウィリアムも宿舎に泊まり込む日が多い。
ミノリはウィリアムのことは名前ではなく旦那様と呼ぶが、一度シャドーレを奥様と呼んだら返事が返ってこなかった。どうやら自覚がないらしい。
「ウィルも色々と忙しいみたいですわね。お陰で、以前のようにミノリとこうして過ごせるのですけれど」
シャドーレはそう言うとミノリ嬢を抱き寄せる。
「今夜も二人きりですわよ?ミノリ」
「シャドーレ様…またわたくしを困らせるのですね…?」
「ええ。話が早くて助かりますわ」
結婚してもシャドーレさんはシャドーレさんだった。そしてミノリ嬢も慣れてきている。
「ミノリ、大好きよ…」
「んっ…シャドーレ様ぁ……」
キスを交わし、服を脱ぎ、一糸纏わぬ姿で抱き合う奥様とメイド。
旦那様がいない夜はいつもこうである。
…大丈夫。ウィリアムは寛容な人だから。
桜色の都に留まったシャドーレの後日譚。
レイヴンズクロフト家の跡を継いだウィルとメアリー、そしてメイドのミノリ嬢は幸せに暮らしています。




