Searching for Paradise - 1
私のお城は、温かい、両親の腕の中だった。
煌めく宝石は、草原に咲く小さな花々。王冠は、心の中にかかげられて。
今は本当のお城にいるのに、なにが変わったのだろう。
Chapter 3: Searching for Paradise 1
「これ、よろしくお願いします」
いつになく神妙な顔つきをしたエマニュエルから手紙を受け取ると、マスキールは小さく首を傾げ、片眉を上げて見せた。
「まさか本当だったとは……」
マスキールの声は、驚きと共に半分、呆れが含まれるようだ。エマニュエルは彼の顔をキッと見据えた。
「本当です! 一日掛けて一生懸命書いたんですから、ちゃんと届けてください。ジェレスマイアさんが許可してくれたんです」
「『ジェレスマイアさん』?」
「お、王様です」
「それは分かりますよ。これはまた、面白いことになってきたものだ」
マスキールが受け取った白い封筒には、表に『お父さん、お母さんへ』、そして裏には封と共に『エマニュエルより』という文字が記されている。
確かにマスキールはジェレスマイアから今朝、言い渡されていた。
──もしエマニュエルから手紙を預かったら、それを自分の元へ持って来い、と。
(恋文?)
一体どんな色めかしい方向へ話が進んでいるのかと一日気を揉んでいたのだが、これ……がその正体のようだ。
エマニュエルの、両親への手紙。
これをジェレスマイアが許可したということは、ある意味、マスキールが想像していた男女の秘めたる思いを綴った手紙のやり取りよりも、深層ではある。
マスキールの驚きを別の意味で取ったのか、エマニュエルは不安そうに眉を寄せて聞いてきた。
「内容は調べるけど、ちゃんと送ってくれるって言ってたんですけど……聞いてませんか?」
「いえ、聞いておりますよ。ただ、昨日の今日ですから、少し驚いただけです。王も思い切ったことをなさるものだ。昨夜は、おふたりの間に余程のことがあったと見える」
言葉尻で相手を噛ませる、という話術がある。
挑発するように相手を乗せて、本来なら相手が隠すつもりであっただろう話題を、引き出すというものだ。
政治を生業にする者として欠かせない技だ。マスキールのそれは、玄人として卓越していた。
しかし、今回ばかりは相手が悪かったのか……エマニュエルはただきょとんと、青い瞳を瞬かせるばかり。
「森まで連れて行ってくれたんです。ご存知なかったですか?」
「…………」
マスキールは封筒を口元あたりまで上げて、エマニュエルを見下ろした。
いつか見た海洋を思わせる、澄んだ青……。
嘘を言っている訳ではなさそうだが、なにか隠し事をしているような、頑固さも垣間見られる。
無理に問い質すのも不可能ではないだろうが、どうも遂に、エマニュエルとジェレスマイアは、男女とまでは言わずも親しい仲になりつつあるようだ。
強引に出れば、話はすぐにジェレスマイアへ筒抜けになるだろう。
「失礼、勘ぐり過ぎたようです。他に何か御入用は?」
「? いえ、ただ……それをちゃんと渡して下さい」
そうして幾つか他愛もない会話を交わし、夜の挨拶を済ますと、マスキールはエマニュエルの部屋を後にした。
ジェレスマイア本人に聞いてもどうせ、深い答えは得られないのだ。あの王は、必要以上の事実を相手に見せない。マスキールが相手でもそうだ。
そこをエマニュエルに期待したのだが、どうも、思ったような話は聞けなかった。
マスキールはまた、エマニュエルから託された封筒を裏表させ眺めると、可笑しそうに口の端を上げた。
先はまだ見えない。
このエマニュエルとの関係がジェレスマイアを強くするのか、それとも彼の弱みとなるのか。
しかし変化は変化だ。王の度量が試されるだろう。
(大丈夫だった、よね……?)
マスキールが出て行った扉を見ながら、エマニュエルはやっと緊張が解れるのを感じていた。
昨日の夜──ジェレスマイアに森へ案内され、しばらくふたりで静かに過ごした、束の間の時間。
あれから彼は多くは語らなかったが、ただ自然の風と大地を感じながら、心を癒した。
数刻経ち身体が冷え始めた頃、やっとジェレスマイアに促され、帰路に着いたのだ。
来た時と同じように、駿馬ルーファスの上でジェレスマイアの胸に抱かれながら。
ただし帰り際ジェレスマイアは、刺客らしい男に襲い掛かられたことは内密にしておくようにと、エマニュエルに念を押した。
詳しい事情までは分からないが、ともあれ軽々しく騒いでならない内容であること位は、エマニュエルにも理解できる。
そんな訳で、マスキールにはなにも言わなかったのだが……
(手紙、ちゃんと届くよね。返事もらえるかな……)
今はそんな事よりも、心が昂ぶる別の理由があった。
そんな事、と言っては何だが、エマニュエルにとっては別の大きな興奮──両親への手紙、だ。
(いつか帰れるのかな)
──ゆっくりと扉、そして天井に視線を這わせ、見上げる。ここは間違いなくお城だ。
たとえ扉一つにも、芸術を思わせる繊細な装飾が施されている。えてしてダイスの建築は派手さを好まないが、そこには計算された洗練美があった。
無意識に前へ出て腕を伸ばし、エマニュエルは壁に手を触れた。
──感触。
これは本物なのだ。自分がこの城に居ること。その理由が何であろうとも。
(お父さん……)
帰りたいと思うだろうか──
心が、あの懐かしい温もりを求めていることだけは確かだ。
しかし自分がここに居る理由……自分の命が、この国の最後の希望になるかも知れないという事実を前にして、ただ心のままに帰りを求めていいのかは分からない。
ジェレスマイアが予言を──
エマニュエルの命をもって願いを叶えるという予言を、国を救うという形で使うつもりである限り、それは多くの命を救うのだ。
ふと背後を振り返る。と、ベッドの横に積まれた本が目に入った。
(預言……)
の真意。いくつかまだ気になる事はある。
もう一度読み直してみよう、と決めて、エマニュエルは床に入り本を手に取った。
*
薄暗く湿った、石造りの塔──
中はぽっかりと空洞で、足音、水滴、声、そんな僅かな音を吸い込むように高く拾い上げていく。
「動き出したね」
黒いフードを被った老婆は、静かにそう告げた。
静か、ではあるが、どこか愉快そうな口調で。特徴的な鼻声をねっとりと響かせながら。
「そろそろ顔を見てやるのも悪くないね。こんな舞台は、そう何度もない。楽しませてもらおうじゃないか……」
クックッという咽の奥から出る笑い声が、それに続いた。
「私の運命の子達。さぁ……ふたりとも、精々頑張っておくれ」
*
ジェレスマイアは神妙な面持ちで、それは丁重に、嫌味たらしい程の装飾が施された文書を眺めていた。
『来る白の月、我等が親交を
ひいては我が国と貴国の親交を深めたく、謁見を申し入れたし
快い御返答を望む』
ジャフの狂王──ダイスを侵略しようとしている大国、その当の王からの、直々の手紙だ。
そこには幾つかの、明らかな意図が含まれていた。
まず、『我が国と貴国』だ。
こういう書面では、本来なら申し入れる相手国の名を先に出す。それを、逆にしている。
自分達の方が力があり、そう遠くないうちに支配下に落としてやろうという、野望と意思があからさまに見られた。
(遂に来たか──)
ジェレスマイアはあの、昨夜現れた刺客の存在を考えた。『あれ』はまだ、少なくとも今はまだ表向きには、ジャフの為に働いているのだ。
まだ一日が経過したばかりだが、あの男なら、すでに狂王に知らせを伝える手段を持っている筈だ。
いや……それ以前に、あの来襲自体が、この書簡の先駆けと偵察の意味があったのかもしれない。
つまりあの狂王は、既にエマニュエルの存在を知っている。
その真の目的までは知らずとも。
しかしあの狂王を突き動かすには、充分な動機ともなり得るだろう。
「どう致しますか、王よ。そう軽々しく断る訳にもいきませぬ」
首脳のひとりが声を上げた。拳を握りながら。落ち着こうとはしているようだが、その表情には怒りが隠しきれていない。
「なんという侮辱だ──どこに受ける必要があるのか!」
別の首脳がまた、同じように声を上げる。
ジェレスマイアの執務室には今、彼自身を含め、四人の男が居た。
ジェレスマイア、ふたりの首脳、そしてマスキールだ。
「受けるしかあるまい。断ったところで、向こうは別の理由を付けて乗り込んでくる。だた時期だけは出来る限り伸ばすようにしろ」
手紙を机の上に投げ出すように戻し、ジェレスマイアはそう言った。
ふたりの首脳は、悔しげに口を一文字に引きながらも、重々しく頷いた。確かに王の言うとおり、他にどうしようもない。
ジャフは明らかにこの謁見を侵略の足掛けにしようとしている筈だ。
その後、首脳達は王とマスキールを残して執務室を後にした。
人が去り、しばらく沈黙の降りた執務室で、マスキールは意味ありげに咳払いをするとジェレスマイアに向き合った。
「思い切ったことをなさいますね、王。それはあの娘が居るからでしょうか」
ジェレスマイアは顔を上げず、ただ例の手紙と、幾つかの文書を見比べていた。
しかしきちんと聞いてはいるのだ。マスキールは続けた。
「こちらをあの娘から預かりました。貴方がご許可なさったとか……一日掛けて書いたと言っていましたね。無邪気なものです、羨ましい」
マスキールは、エマニュエルから託された封筒を懐から取り出す。
机上に差し出されたそれに、ジェレスマイアは一瞥を投げた。
「気休めだ。これで逃げ出す気も起こさないだろう。特に害になるわけでもない」
「その通りです、王。あの娘は大事な切り札ですから」
ジェレスマイアが顔を上げた。
不快感のようなものが、その表情に浮かぶ。マスキールは眉間に皺を寄せた。
「私は反対いたしません。少しの間、あの少女が貴方の慰めになるなら、いいではないですか。ただ、くれぐれも本来の目的を忘れないよう……」
声量を落としたマスキールのささやき声に、ジェレスマイアは鬱陶しそうに首を横に振った。
「何度言わせる、大概にしろ」
「申し訳ありません。ただ、重要なことだと思いますので、念を押させて頂いたまでです」
マスキールはすっと立ち上がった。
この男は、ジェレスマイアに比べれば精悍さや華に欠けるものの、掴み難い魅力を持っている。立ち姿は、その長身も相成って、容易に人目を惹いた。
「……そういえば、最近北の塔が動き出したとか。あの老婆もまた最高預言者です。中々、時期が分かっているのかも知れません。近々使いを寄越すと、人伝に聞きました」
*
例の本は、読めば読むほどわけが分からなくなる、迷路のようなものだった。
『預言とその結末』。
どうにも、その本から理解できたのは、預言、特に王家直属の最高預言者が行ったそれは、滅多に外れないということだ。
ただし預言者は高位になればなるほど、その能力に余裕があるせいか、『遊ぶ』というのだ。
噓は言わない。
ただし、言葉を巧妙に操って、結果をぼやかす……と。
エマニュエルに関する預言を行ったのは、まさにその、時の最高預言者だったはずだ。
(私の命が、ジェレスマイアさんの願いを叶える──)
それが、エマニュエルとジェレスマイアの預言だ。そしてこの本によれば、その事実だけは確かに成就される。
しかしその過程や方法に、思ってもいない仕掛けがあるかもしれない、と。
エマニュエルは本を閉じると溜息を吐いた。
昼間の興奮はだんだんと冷め、今は落ち着いている。どちらにしても両親への手紙は、届くまでに数日掛かるはずだ。
彼らの反応を想像しながらも、胸のどこかでは、別の妙な思いがざわめき始めていた。
(今夜も、来てくれるかな)
と考えて、エマニュエルはハッと我に返った。
(『来てくれる』って、何? まるで待ってるみたい……!)
エマニュエルは勝手に自分の発想に頬を染めて、勢い良く枕に顔を埋めた。
この繊細なつくりの柔らかい枕はこうした行為を想定していないのか、エマニュエルの顔を受けて中の羽を数枚散らす。
(待ってるの……? 私、どうして……)
あの灰色の瞳を想像した。駿馬の上で抱かれた、あの厚い胸を思い出した。
声、が……。
頭の中に響いて、離れない。
エマニュエルは若さもあり、寝つきが良い。
──それでもその夜ばかりはまた、眠れない夜を過ごした。
と言っても数刻だ。気が付かない内に、夜明け前、小さな失望と共に眠りについた。
ジェレスマイアは結局、その夜、エマニュエルを訪れなかったのだ。
だからエマニュエルは、今晩も長い政務を終え、夜も更けんばかりの頃にやっと部屋を訪れたジェレスマイアの存在を、知らなかった。
彼が、ずいぶんと長い間エマニュエルの寝顔を見つめていたことも。
その表情が、どんなものだったのかも。
その拳が、どれだけ強く握られていたのかも──知らずに。