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Paradise FOUND  作者: 泉野ジュール
Chapter 3: Searching for Paradise - 楽園をさがして
13/50

Searching for Paradise - 2

 貴方の夢を見たの。

 はっきりと、その冷たい灰色の瞳がこちらを見ている。

 なぜか急に、理由もないのにそれが哀しくなって、そのまま彼を抱き締めてあげたいような、抱き締めて欲しいような、不思議な気持ちになる。

 それは夢……だけど目が覚めたときに感じた妙な焦燥感は、間違いなく現実だった。


 私達はなぜ夢を見るの。


 それがなにを意味しているの。それが、私達にどう道を示すの──




 今日もエマニュエルはギレンと共に、宮廷の庭を軽く散策したり、ギレンの運んできた本に目を通したりという風に一日を過ごしていた。

 エマニュエルが巡るのを許されている範囲は、ジェレスマイアの為の建物である『王の間』とその周辺だけだ。

 そこでエマニュエルが受ける扱いは、えてして丁重なものだった。

 この王の間にいる限り、ギレンやマスキールがエマニュエルの世話をやき、対面的に不自由するという事はないようになっている。

 食事は常に一等のものが用意された。

 もしエマニュエルが望むのなら、多分、豪華なドレスや装飾品も手に入るのだろう。

 もちろんエマニュエル本人はそういったことに大きな興味を示さなかったから、時々、ギレンが気を利かせたつもりで持ってくる新しいドレスや髪飾りを受け取る程度だった。


 しかし、エマニュエルが出られる庭にも限りがある。正確には王の間に接続された、専用の庭だけだ。

 周囲は警備の騎士によって重々しく固められていて、エマニュエルの様な小娘に脱出できるすべはない。

 いくら良い待遇を受けているといったところで、結局、エマニュエルは囚われ人に違いないのだ。


 エマニュエルはもう随分と長い間、ギレンとマスキール、そしてジェレスマイアとしか、この王宮できちんと顔を合わせていなかった。





 日は落ち始め、その色に赤みを増しながら、地平線へ向かってゆっくりと沈んでいく。

 夕刻──エマニュエルはいつも、その神秘的な時間の変わり目が好きだった。

 物悲しくも壮大で、一日の終わりを静かに飲み込んでゆく。そして訪れる夜はきっと、穏やかに人々に休息を与えてくれる。

「では、夕食のご用意をお持ちしますね。すぐ戻りますから、お待ちくださいませ」


 ギレンがそう告げて、エマニュエルを部屋に残し、外へ出ていった矢先だった。

 抵抗する理由もない。

 残されたエマニュエルはただ、食事や読書の為に置かれている木製の丸テーブルの前の椅子に、静かに腰を下ろした。


 小さく溜息を吐いて机の上に視線を走らせると、銅製の、インク立てとペン、そして上質の紙が置かれたままになっているのが目に入った。

 先日、両親に手紙を書いた時、そのままにしておいたのだ。

 名残といおうか、残しておくことで少しなりとも気分が落ち着いたし、次もまたあるのだと思える。


 エマニュエルはつい、すっとペンに手を伸ばした。

 逆の手でインクの蓋を開けると、独特の香りが広がる。


 特に意識する訳でもなく、エマニュエルはペンの先にインクを付けると、紙を一枚自分の元へ引き寄せた。

 そしてゆっくり、

(お父さん、お母さんへ──)

 と書き始めようとして、しかし、ぎこちなく手が止まる。


 先日認したためた手紙には、正直に現在の状況を説明した。

 王の屋敷の一角に部屋を与えられ、悪い待遇は受けていないということ。王は、必ずしも自分に手を掛けようとしている訳ではないこと──

 心配させたくなくて、出来るだけ明るく書いたつもりだった。

 最初の数日の、牢での出来事にはもちろん触れなかった。ただ彼らが恋しいということと、会いたいと思っているということを最後に記して、丁重に乾かしてから心を込めて手紙をたたんだのだ。


 止まったペンの先が、紙と触れるか触れないかという距離で、宙に浮く。


(届けてくれたかな……)

 そして、父の顔を思い浮かべると同時に、どうしてだろう。ジェレスマイアのあの夜の、手紙を許可してくれた時の表情を思い出した。


 ──少し、切ない顔だった気がする。

 エマニュエルは今になって、そんな事を思い出した。

 なぜだろうという疑問は、すぐに予想される答えに思考の場所を譲った。ジェレスマイアがあの若さで王座に就いているということは、彼の父であろう筈の先王は、ジェレスマイアの即位時には亡くなっているということになる。

 ギレンによれば、確かジェレスマイアの即位は彼が十七歳の時だ。


(色々あるのかな……やっぱり)


 エマニュエルのジェレスマイアへの印象は、あの夜を境に変わり始めていた。

 劇的な変化とは違う……。ジェレスマイアは相変わらず素っ気なかったし、そもそもの顔を合わせる機会も少ない。


 しかしあの夜に見た、ジェレスマイアの別の顔──

 愛馬に語りかける声、彼を襲おうとした刺客、荒れた手と剣の腕前。

 そんなものが幾つか胸の中で交差して、今まで感じた事のない、妙な熱がエマニュエルの心を浮かせた。


 ぺた、と……ペンの先が紙に触れる。

 無意識にすっと伸びる黒い線が、小さく、しかしはっきりと文字を形作った。エマニュエルはそのまま、存外に丁寧に、ひとつの言葉を書き終えて……そして急に、弾かれたように我に返った。


 そして──

(え、な、何で……っ?)


 自身の書いた文字を見て、驚愕した、といってもいい。

 どういう訳か、エマニュエルの目の前の紙には、ある人物への宛名が記されていた。

 それはもちろんエマニュエル自身が綴ったのだが──最初に意図したのとは別の名前がはっきり残っている。


(変なの! どうして……!)


 無意識の行為の果て。しかしエマニュエルは妙に慌てた。

 もうすぐギレンが夕食を運んでくるはずだ。これを彼女に見られてはまずい……そんな気がして、エマニュエルは問題の文字が記された紙を処分しようと手を伸ばしかけた。その時だ──


 突然、エマニュエルの背後から声が響いた。

「運命の娘──私の具現者。これは中々いい女に成長したようだ、一大喜劇を楽しませてもらえそうだね」

「え?」


 反射的に振り返る、が、そこには誰もいない……急いで前に視線を戻すと、いままで無人だった筈のそこに、小さな黒い人影があった。

 エマニュエルはビクッと固まる。

 それは頭の先から床まで黒いフードに覆われ、重々しく、微動だにしない。

 声がなければ、人かどうかさえはっきりしなかっただろう。しばらく対峙したかと思うと、それはゆっくりエマニュエルに近づいてきた。


「あ、あなたは……?」


 椅子ごと、エマニュエルは一歩引いた。ギシっという音が立つ。

 しかし黒いフードの人物は歩を緩めず、エマニュエルへ距離を詰めてゆく。


「すぐに分かるだろうよ。預言者と具現者の間には、いつだって奇妙な絆があるものだ」

 影が言った。

 声は低く枯れていて、両性的な響きだ。しかし老齢の者の声であることだけは分かる。


「預言者……」

「そう、説明する必要はないね」

 影はエマニュエルの一寸手前で歩を止め、そのまま佇んだ。

 余りにも突然のこと。エマニュエルは驚きに肩で息を繰り返した。しかし、その驚きは、恐怖とは違うもの。


「もしかしてあなたが、あの予言の──」

 エマニュエルは言いかけて、しかしすぐに息を呑んだ。

 影の手が現れ、黙るようにという意味だろう、人差し指を口元に当ててみせる。


「お前さんが色々知りたがっているのはすでに分かっているよ。古書の言葉を頼って、それを紐解こうとしている。悪くない。けどね、真実は実際に目にしない限り誰にも分からないのさ」


 まるで呪文を唱えているようだ。そんな歌うような不思議な調子で、影は喋った。

 女性だろう、ということが声から予想できたが……


「まだ始まったばかりだね。だからまだ、きっと片鱗くらいしか見られない。しかし──見たいかい?」

「見……る?」

「預言の片鱗さ。お前の命が、どうしてあの男の願いと引き換えになるのか──」


 影が微笑みながら言った。表情が見えた訳ではないが、エマニュエルにはわかった。感じた。

 しかし、エマニュエルは動けなかった。

 この部屋にはかなりの警備が敷かれていたはずだ。王宮に関わりのない人間が入ってくるのは、不可能に近い。

 しかもエマニュエルの部屋となると、訪れられるのはギレンとマスキール、そして王ジェレスマイアその人だけだった。それが急に、一体、どうやって──?


 しかし不思議な事に、エマニュエルは突然のこの訪問に驚きはしたが、あまり恐怖は感じないのだ。

 この影──の老婆に、妙な安心感さえ覚える。


 なにかの魔法に掛けられているような感じだった。


「おいで、私の具現者、エマニュエル」

 黒いフードから伸びた手が、エマニュエルに差し出された。やはり、多くの皺が寄った老婆のものだ。エマニュエルはそのまま、浮かされるようにその手を取った。


「そうさ、良い子だ、明け方までには帰してやるよ。少しの間だけ、私と一緒に冒険と行こうじゃないか」


 その禍々しいくらいに黒く沈んだフード姿から、意外にも、楽しそうに弾んだ声が紡がれた。

 導かれて、エマニュエルはゆっくり立ち上がる。

 黒いフードの老婆の背丈は、エマニュエルの肩までほどだった。しかし肩幅だけは、華奢な体型のエマニュエルよりずっと広そうだ。


「外に、出してもらえるんですか?」

「お前が望めばね。でも場所はあまり重要じゃない。ここじゃない何処か、さ」

「でもどうやって……」

「最高預言者を甘く見るでないよ、方法はあるのさ」


 扉に向かい歩き出そうとした老婆に、エマニュエルは途中まで従った。しかし扉の前でハッと足を止める。老婆はエマニュエルと共に振り返った。


「待っていて下さい、これだけ……っ」

 エマニュエルは老婆の手を離すと、元いた机へ駆け戻った。

 そして先程『誤って』 ペンを走らせた紙をたぐり寄せ、『誤って』 記した宛名の下に、急いで文を綴った。


 ──突然のことだ。なにがどうなっているのかもわからない。

 この老婆がどうやってこの部屋に侵入したのかも。


 しかし老婆の言葉、預言の片鱗を見せてやるという誘いは、彼女と共に行くのを拒否するのには余りに魅力的過ぎた。


 ずっと知りたかったことだ。ずっと探していた答え。

 それがなんと、今、目の前にぶら下げられているかも知れないのだ。どうして断れるというのか。

 怖いだとか、疑惑だとか、そういった負の感情は突然の報酬を前にかすれてしまう。


 それはエマニュエルの素朴さと、老婆の話術の巧妙さの結果だろうか──


 とにかく、エマニュエルは必要だと思えるだけの短い文を書き終えると、ペンを置き、扉の前で待つ老婆の下へまた駆け戻った。

 そんなエマニュエルを老婆は笑っていたようだ。フードに隠れた肩が軽快に揺れている。


「……本当に、外に出られるんですよね?」

「ああ。ただお前さんの両親の元までは無理さね。王宮の中だ。お前の知らない面白いものもあるだろうよ」

「預言の片鱗って……」

「それはもうちょっと先さ。辛抱をし」


 老婆は扉を開いた。今まで四六時中居たはずの警備達はどういう訳かそこにほとんどおらず、居ても眠っており、ふたりは驚くほど楽に王の間の外へ出た。


 それからすぐ──

 夕食の盆とともにエマニュエルの部屋へ戻ったギレンが発見したのは、無人の部屋と、エマニュエルが残した手紙だった。





「なんという事だ! 行き先さえ分からないとは、いくら最高預言者といえど限度というものがある!」

 声を上げたマスキールに、ギレンはただただ顔を白くさせ頭を下げた。

 マスキールがこうして声を上げるのは珍しい。珍しいだけに、迫力は普段よく叫ぶ者よりもずっと大きかった。


「申し訳ありません、私……部屋に戻るともうエマニュエル様のいなくなったあとで」

 ギレンが震えた声で、頭を下げたままそうささやくと、マスキールはやっと少し正気に戻ったようで頭を振って小さな溜息を吐いた。


「いや、お前のせいではない。責任は私にあるのだし、相手が相手だ」

「相手、とは……どういうことなのでしょうか。本当に最高預言者さまがここにいらしたとおっしゃるのですか……?」

 ギレンの質問に、マスキールは眉間に皺を寄せてうなずいた。


「近々使いを寄越すだろうとの話は受けていのだ。それがこんな形になるとは思わなかったが――」



 エマニュエルの消えた部屋をギレンが目撃し、すぐに警備を呼ぼうとすると、なんと扉の外にいるはずの彼らの姿はなくなっていた。

 青ざめてすぐに回廊を走ると、やっとひとり、部屋から離れた通路の端で壁に背をあずけ寝入っている警備兵の姿を見つけた。

 ギレンがその者をゆすり起こすと、鍛えられた者とは思えないような鈍い動作で、ゆっくり目を覚ます。

 ──薬を使って眠らされていたのだろう。

 すぐにマスキールに連絡を取ったが、マスキール自身もまた、寝耳に水で突然北の塔から通告を受けたところだった。


 北の塔とは、最高預言者を筆頭とする預言者一族が居を構える、王宮の寂れた一角の通称だ。

 実際の方角もさることながら、北方がダイスの言い伝えで神秘を意味する方角であることから、そう呼ばれている。

 王宮内ではあるが、王家の人間すら滅多に近寄らない。

 近寄ろうとも思わない──そんな場所だ。


『最高預言者さまが、しばらくの間、『娘』をお借りする、と――』


 北の塔からの使いは、マスキールの小間にそう伝えると風のような速さでいなくなってしまったそうだ。

 慌てた小間使いが他国の使者と会席中だったマスキールに耳打ちし、驚いたマスキールはなんとか理由をつけて、ここに戻ってきたのだが──すでにエマニュエルは消えたあとだった。

 結局、いなくなった警備兵たちは皆、薬で眠らせされ、建物の外の一角に置き去られていた。


 そして残されたのは、エマニュエルが綴ったらしい、一封の手紙……


 マスキールはギレンから手渡されたそれをもう一度読むと、天井を仰いだ。

 手紙自身は短いので、すぐ読み終わる。

(これをあの方が見たら、どうなさるか――)

 そう思うと、急に、もうすべてを投げ出しどこか田舎へ隠居でもしたい気分にさえなった。予想がつかないことほど、恐ろしいものはないのだ。


 マスキールがそのままどうするべきかと気を揉んでいると、傍にいたギレンが突然、背を正し頭を下げた。

 それに誘われマスキールも顔を向ける。

 そこにはまるで当然のように──こちらへ向かい真っ直ぐに歩いてくる王の姿があった。


「ジェレスマイア様……」

 マスキールも同じように頭を下げた。しかしそれは、ギレンの慇懃な姿勢に比べると随分楽にしたものだ。身分の違いだろう。


「ここでなにか問題があったようだと聞いた──どういうことだ、マスキール」


 ジェレスマイアの口調はいつも通り、有無を言わせないものだ。マスキールは観念したように顔を上げて、ジェレスマイアを見据える。

 同時に、例の手紙をジェレスマイアに差し出した。

 ジェレスマイアはなにもいわず、その手紙に視線を落とした。


「私はクリエールの使者と会席中でした。突然北の塔が使いを寄越し、『娘をお借りする』と言ってきたのです。そして──」


 マスキールは、ジェレスマイアが手紙を読み終わるのを待った。

 待ったと言ってもすぐだ。それほど手紙は短い。


「……そういう訳です、ジェレスマイア様」


 マスキールは諦めたように言った──―ジェレスマイアは無表情だった。

 これで済めばいい。マスキールはそう思ったが、それが空しい望みであるのもよく分かっていた。



 手紙は、こうだ──

 まず最初に、それは丁寧な綴り字で、『ジェレスマイアさんへ』。


 そしてその下、なぜか不自然な位置に、

『お婆さんと出かけてきます。すぐ戻ると思うので、心配しないでください』


 ──と、心配するなというのが難しいほど、慌てた感じの殴り書きが、斜めに走っていた。

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