第四百二十六話 祐太の終着点
《祐太……ローレライがいない? それに、あの化け物みたいな二匹はどこに……》
この状況に困惑する伊万里の声が脳内に直接響く。伊万里は時間を止められない。今、この一瞬に起きた『神と悪神による介入』を、伊万里の神勇者としての意識は認識できていないようだった。
それでも、肌を焼くような緊張感で理解できる。かつての迦具夜がそうであったように、濃密な神気を纏う者にとって、中途半端な時間干渉は意味をなさない。ローレライの姿を借りた嘘つきの神が執行した停止。
それは、世界そのものの理を完全停止するほど完璧だった。だからこそ伊万里の意識まで凍りついたのだろう。
これで、俺が同質の力で時間を止めたとしても、今の伊万里を縛り続けられるとは思えない。かつて迦具夜ですら記憶を保持できたことを考えると、黄金の光を放つ伊万里の存在が、俺の【時間停止】を受け付けるとは思えなかった。
《伊万里。余計なものはどこかに行った。……いや、行かされたと言うべきか》
《どういうこと?》
《もうそんなことどうでもいいんだよ。それより伊万里、お前に会いに来るのが遅くなってごめんな。もっと俺が早かったら……それだけは後悔だ》
《祐太がいても私は一緒だったよ》
《そっか……。伊万里、いくら俺たちでも、もうそんなにこの世界に居続けることはできないんだ》
思考加速の極致に身を置きながらも、焦燥が胸を焼く。先ほどから何度か思考加速が解けてしまった瞬間がある。そのたびに確実に、終わりへのカウントダウンは進んでしまった。
この加速した時間の中でも、もう終焉までそれほど残されてはいない。この世界が完全に崩壊したら、聖勇国と大八洲国の繋がりも断たれる。そうなれば、この体がいくら半神のものになったとはいえ、残されるのは逃げ場のない無限の虚無だ。
光も音もない虚無で、ただ二人きりで、終わりを待ちながら過ごすことになる。もしそれが穏やかな幕引きであるなら、伊万里と共に果てる未来も悪くはないと一瞬だけ脳裏をよぎった。
だが、彼女にそのつもりはないらしい。伊万里は俺を殺したいんだ。
《私は、あなたを殺さなきゃいけない。……それがあなたを救う唯一の道だというなら、私は迷わない》
泣きそうな顔をして、そんな残酷なことを言うんだな。
《そうなんだね……》
《祐太、私もすぐに追いかけるから。寂しい思いはさせない。だから、心配しないで》
《……だから、それが一番心配なんだよ伊万里》
《行くよ》
短く、拒絶のような言葉が彼女の口から放たれる。伊万里の失われた腕が、まばゆい光の粒子と共に再構成されていく。ゆっくりではあるが元の形へと修復され、汚れ一つない、あまりに美しい勇者の姿へと戻っていく。
伊万里の神勇者としての不死性と無限の供給源が、時間が経過するごとに彼女を完全な状態へと復活させていく。神剣エクスカリバーの柄を握り、彼女が俺を屠るための構えを取る。その時、静かにヨミの声が割り込んだ。
《嘘つきの神が成すことは、反吐が出るほどえげつないですね。安易に精神を操る洗脳魔法などではなく、本人の善意と愛情を根底からねじ曲げ、殺害を救済へと定義し直している。主様、しばらく剣を交えれば私にも理解できます。伊万里様は、死ぬこと以外に解放される術はないのでしょう。……どうでしょう。彼女を殺して差し上げるというのは?》
《ヨミ……俺にそれができないことくらい、お前ならわかるだろう?》
《主様。向こうは純粋な殺意ではなく、純粋な『救済』としてあなたを殺しに来ます。憎しみであれば対話の余地もありますが、正義を盾にした愛に妥協はありません。正義とは、他者を拒絶し全肯定されることで完成する、無敵の悪意。こちらに殺す気がないのならば、待っているのは主様の死のみです》
《それで問題はないさ。どうせこれは偽物の体だ。俺がここで消えたところで、実害はないはずだろう?》
《いいえ、それは違います。主様、今のあなた方は二つで一つ、そして一つが二つへと分かたれた存在なのです。一と一が合わさり、新たな二となった。どちらが偽物でもなく、どちらが本物でもありません。その痛みも、その魂も、それぞれが等しく『あなた』なのです》
《……ヨミは、時々優しいな》
神勇者へと昇華した伊万里の自己回復力は、もはや通常レベルを逸脱している。周囲の空間から大気、魔力、あらゆるエネルギーを強引に吸い上げ、伊万里の細い体の中へと凝縮していく。
足元の大地が砕け、海が干上がり、豊かな植生が分子レベルで分解されて虚空へと消えていく。
世界が削り取られていく中、それでも彼女の体だけは神々しく復活していく。俺も同じようにタフにはなってるが……やはりあらゆる面で、覚醒した伊万里が上だ。伊万里は開始の合図もなく動き出した。
爆音。二人の距離が一瞬でゼロになる。
脳内に流れ込む酒呑童子の膨大な戦闘記憶が、けたたましく警鐘を鳴り響かせる。
打ち合うことすら許されない。エクスカリバーをまともに受ければ、武器ごと魂を両断される。それでも鬼神の記憶は、戦いの引き出しを無限に提示してくれた。死線を潜り抜けるための最適解が、火花のように脳裏でひらめく。
打ち合えないなら、受け流せばいい。当たって壊れるなら、全てを紙一重でかわし続ければいい。一点を見つめる俺の視界の中で、酒呑童子の記憶を元にヨミが冷静に分析を加える。
《気づきましたか。伊万里様は【光移動】を直線でしか行使できていません》
《ああ、伊万里自身の反応スピードは、レベルと神気に依存したままだ》
物理学において、光には質量がない。
しかし、攻撃力を発揮するには絶対的な質量と加速の衝突が必要だ。もし光の速度を保ったまま、わずか0.1gの質量でも対象に叩きつけることができたなら、その威力は無限大へと発散し、空間そのものを破壊するほどのものになる。
だが、それは神の力をもってしても、この世界の理が許さない領域であり、【光移動】には仕掛けがあった。
《伊万里様の移動方法は究極ですが、見たところ、自身の質量を含む全情報を一時的に光子へと変換して転送しているに過ぎません。つまり、攻撃を繰り出す瞬間、彼女は『物理的な質量』を取り戻す必要がある。光の速度のまま剣を振るっているわけではない》
《それができていれば、あの化け物二体も一撃で消滅していただろうからな》
《ええ。そうなれば完全なる物理法則の崩壊です。ですが、さすがの神勇者もそこまでの権能はない。真性の神であるならあるいはそのような権能もあるのかもしれませんが、伊万里様にはない。主様、伊万里様に勝つ、いえ、彼女を止める方法は必ずあります》
光の速度で肉薄した伊万里が突如として停止し、質量を伴った剣を振り下ろす。ただ、剣を振り下ろす。それだけの単純な動作で、視界にある全ての景色が紙細工のように断ち切られていく。
空間そのものが無慈悲に両断され、斬られた世界が左右に数センチ、物理的にずれた。その世界の裂け目を、俺は首の皮一枚の距離で回避する。千代さんのスキル【切絵】を思い出す。これは単なる物理的な切断ではない。
だが、その場に存在する繋がりそのものを断ち切る力が、今の俺の『羅鬼』にも宿っている。
それはあるいは、かつて千代さんに【切絵】の真髄を叩き込まれていたおかげだろうか。
伊万里もまた、勇者としての直感でそれを理解しているのだろう。羅鬼から放たれる紅黒い斬撃を、決して受けようとはしない。神勇者であっても、羅鬼に断たれれば無事では済まないことを本能で察知しているのだ。
二人の攻防が激化するたび、周囲の大地の崩壊は加速度を増していく。余波だけで大陸が削れ、空間にひびが入る。もはやこの世界は、俺たちの破壊に耐えきれなくなっていた。終わりまでももう数秒しかない。
回避し続けながら、俺は必死に方法を探る。
嘘つきの神は消えた。だが、俺を殺すことに成功しようが、しまいが、伊万里の心はすでに自分も最終的に死ぬことしか考えていない。伊万里は俺がいない世界で生きるのが嫌だ。だが、伊万里にだけは、生きていてほしい。
《祐太! お願い、抵抗しないで! 私に殺された方が、きっと、これからの苦しみよりはるかに楽だから!》
今の伊万里を傷つけずに無力化する手段を、俺は持たない。殺すだけなら、この羅鬼を振るえば可能かもしれない。
だが、そんな最悪の方法を選べば、俺自身がその後の1000年という長い寿命を、絶望と後悔の中で生きるしかなくなる。
俺にとって伊万里は、自分の命そのものと言ってもいい。これまでダンジョンの中で、多くのモンスターを、人間ですら、障害となれば殺してきた。それに対して後悔などない。それが唯一の道であったなら、何度でも同じことをする。
だが、伊万里に手を出すことだけは嫌だ。止められないし、かといって、ただ殺されてあげることもできない。俺の行動は、ただ避け続けるだけになる。ジリ貧であり続ければタイムリミットが来てしまう。
大八洲に帰る方法がなくなり、ゲートが閉ざされれば、それこそ全て終わりだ。時間の余裕ができた伊万里は三天使を復活させ、俺はそれに勝てない。勝つなら今しかない。それでも伊万里を殺さないように無効化するなんて考えてる。
どう考えても不可能だ。こんな状況下で、ヨミは再び俺に声をかけてきた。
《主様。……それほどまでに、伊万里様を殺すことはできませんか?》
《無理だ。そんな真似ができるくらいなら、そもそもロキなんて化け物のことは放置している。どうしても関わらなければ伊万里が助からないなら、俺にはどうしようもない相手でも俺は関わるさ。お前にはわからないかな》
《左様でございますね。……私は機械。心なき器。どうぞ、そのように私を蔑み、罵ってください》
《……わ、悪かったよ。怒るなよ》
《全く怒ってなどいません。ですが、主様のご要望を完遂することこそ、機械たる私の至高のつとめ。……どうか、後の全てのことは、このヨミにお任せください。伊万里様は何があろうと死なせない。このヨミが、その運命を承ります。ですから主様は、ご自分の望みのままに動いてください》
《そうか……》
ヨミは俺には見えない道を見つけているようだ。何が起ころうと伊万里を死なせないことを最優先にする。ヨミは俺の気持ちを完全に理解し、そのための覚悟を決めてくれた。俺はその機械の心を、誰よりも信じてもいいと思った。
《ありがとうヨミ。お前がそう言ってくれるなら、俺も覚悟を決めよう》
ヨミの冷静で揺るぎない言葉に、どうしてか俺は安堵を覚えた。ヨミなら、神の理すら超えて奇跡を演算してくれる。そう思えた。本当に短い付き合いだけど信じたんだ。
直後、伊万里のエクスカリバーが、空間を切断しながら振り下ろされる。
酒呑童子の膨大な戦闘記録は、この必殺の一撃を紙一重で回避する軌道を完璧に示していた。伊万里はまだ三天使を復活させられていない。だが俺の手元には【十神】の力が温存されている。力に任せてねじ伏せるなら、今この瞬間こそが最大のチャンスだ。
俺の終着点。
終わりにしよう。
俺がそう心に決めた。そして、伊万里の一撃は――。
――音もなく俺の体を通り過ぎた。
ようやく自分が死ぬ準備ができた。
脳天からあえて受け止めることで、伊万里の断罪を受け入れようとした俺の覚悟を、伊万里自身が土壇場で裏切った。俺を斬る瞬間に生じた、伊万里の迷い。
エクスカリバーの軌道が僅かに引き絞られ、俺の胸元を浅く、だが確実に引き裂いた。
ダンジョンに好かれたものを殺すことに特化した神剣との接触。それは致命的な接触だった。前はこれでも紅麗様の加護が炎となって傷を塞いでくれたけど、今回はそれすらも働かないように、俺自身が完全に止めた。
伊万里が俺の死を望んでいて、そうしないと安心できないという。だからちゃんと、伊万里が納得できるように死んであげよう。傷口から、紅の炎は二度と灯ることはなかった。
自分の根っこが砂のように崩壊していく感覚が広がる。さすが機械神が生み出したという最高位の破壊兵器だ。体の全てに冷たい感覚が宿っていく。
《どうして、避けなかったの……?》
《伊万里がこれでいいと思うなら、俺はそれでいいよ》
《祐太…………》
伊万里の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ、崩壊している大地にこぼれ落ちる。
《ごめん……なさい……》
《謝るなよ。伊万里が正しいと、そう信じて選んだ道なんだろう?》
消えゆく意識の端で、俺は精一杯の笑顔を浮かべた。
《うん。……待ってて。私も、すぐに行くから》
伊万里もまた、泣きながら、俺に向かって愛おしげな笑顔を向けてくれた。俺は最後に伊万里の笑顔が見られたから、それだけで満足だった。
《それはダメだ。ちゃんと天寿を全うして、それからこっちに来ればいい》
俺の魂が消滅していくのがわかる。
完全な死が訪れようとしている。
この世界には『あの世』という概念が存在するらしいが、自分がそこへ辿り着けないことは、誰に教わらずとも理解していた。これは終わりの終わり。光の届かない、永遠に続く無だ。
そこから先に続く道など、どこにも存在しない。
《やだよ……。私、祐太がいない世界で、一人で生きていく自信なんてないもん……》
伊万里が、未だ残っている羅鬼の柄に手をかけた。持ち主ではない者に触られたことで、羅鬼が激しい拒絶反応を起こす。噴き出す熱が伊万里の白い肌を焼き、焦がしていく。だが、その痛みすら愛おしむように、さらに強く握りしめた。
《ごめんね、羅鬼。でも、お前が一番愛した人を殺した私を、最後に殺させてあげる。だから、少しだけ力を貸して》
伊万里はゆっくりと、震える手で羅鬼の切っ先を自らの胸元へと向けた。
《そんなことは望んでない》
《……ごめんね。私は最後まで、あなたの言うことを聞かない、わがままな女の子だったね》
吸い込まれるような闇の中、俺は最期の力を振り絞って叫びを上げた。
《何をしている、ヨミ! 約束したはずだ!》
叫んだはずの俺の声は、果たしてあいつに届いたのだろうか。あいつが自身を消滅の道連れにしないよう、俺から遠く離れて行こうとしているのが分かった。酒呑童子とマークさんの力がはっきりとなくなっていくのがわかる。
視界が、感覚が、俺という個を形作る魂の輪郭が、恐ろしい速度で削り取られていく。
完全に消えてしまう。
焦燥に駆られ、底なしの闇ですらも生ぬるく感じる完全なる虚無の中に溶け去ろうとしたその時、あのどこまでも冷静で、それでいてひどく優しい声が脳裏に響いた。
《――大丈夫です。主様、間に合ってくださいました》
その言葉と共に、俺から消えていこうとしていたヨミの残滓が、温かな感情の奔流となって俺の芯へと流れ込んでくる。
《これより私は、酒呑童子様とマーク様を、主様との融合の糸を辿って元の場所へ帰さねばなりません。主様と言葉を交わすのは、どうやらここまでとなるようです》
万感の想いを秘めた声が、消えゆく意識を優しく包み込む。
《主様、どうか心安らかに。伊万里様は、たとえご本人がどれほど嫌がっても決して死なせはしません。ご安心ください》
《そうか……よかった。全部、お前に任せるよ……》
張り詰めていた最後の糸が、静かに切れた。俺は、自分が完全に世界から欠落し、無へと落ちていくのを、少しだけ怖いと感じながら、自分の終着点にたどり着いた。
Side:伊万里
祐太が、消えた。視界の先にいたはずの、私のすべてだった少年の姿が、光の粒子にさえなれず、ただ魂ごとこの世界からいなくなった。魂の欠片さえ残さず、徹底的に消滅させなければ、祐太を縛る因果は断ち切れない。
ローレライにそう告げられ、私はそれを唯一の正解だと信じ、狂おしいまでの決意でその通りに剣を振るった。
……おかしい。なぜだろう。
祐太が死んだ瞬間から、いや、彼の存在が完全にこの世から消滅した瞬間から、胸を焼き焦がすような激痛と共に、悍ましいほどの実感を伴った後悔が湧き上がってくる。
私は、何をしていた?
助けると、救うと言いながら、私は自分の手で、自分の命より大切な人を……。
《でも、もういい。私もすぐに、全部終わらせるから》
喉の奥からせり上がる嗚咽を必死に押し殺し、私は自分の胸元へ羅鬼の切っ先を突き立てる。早くしなければ、主を失った羅鬼も存在を維持できなくなる。そうなれば、神勇者となった私の魂を滅ぼす手段がなくなってしまう。
こんな命などもういらないのだ。
私は思考の加速をさらに引き上げ、自分が一分一秒でも生き長らえていることが耐え難くて、死を急いだ。しかし、どういうわけか、羅鬼の刃は私の皮一枚手前で凍りついたように静止し、それ以上は一ミリたりとも進まない。
《どうして……っ! 動きなさいよ! 私はお前の憎い相手でしょう!》
全力の神気を腕に込め、刃を押し込む。それでも、羅鬼は絶対に動かない鉄塊となってピクリともしない。いや、主のいない羅鬼に、私の意志を拒むような力はないはず。だとすれば、邪魔をしているのは私自身?
まさか、祐太を殺しておきながら、土壇場で自分が死ぬのを恐れている?
自分自身の醜い生への執着なのか。そう思うと、自分に対して殺意を通り越した激しい憎悪が燃え上がった。
《早く動け! そうじゃないと……祐太と同じところへ、行けなくなっちゃうじゃない!》
魂の底から叫んでいる私の意志に反して、指先一つ動かせない。何が起きている。何が私の救いを邪魔している。
取り乱しそうになる心を沈め、周囲の気配を必死に探る。私に干渉している何者かがいるのか。
その時、私は感じた。祐太と共に消え去ったはずの、かつての祐太の残響を。
それは、私の魂に深く刻まれた、忘れるはずのない三つの温かな気配。三天使の――。
「違う!」
あの子たちは心を持たない道具へと成り下がったはずだ。心があれば、私の今の行動を黙って見ているはずがない。私がしたことは、あの子たちが一番嫌がることのはずだ。あの子たちが私を生かそうとするわけがない。
そう考えた瞬間、耳元で凛とした、透き通るような声が響いた。
《ずっと接触を試みてはいたのです。……ですが、神の領域に踏み込んだ今のあなたのレベルを突破するのは、私の力では不可能でした》
その声は、人形のような無機質さを完全に脱ぎ捨て、確かな意志を宿していた。
《ようやく、です。ようやくあなたの心に、付け入るべき隙が見えました》
《クミカ……なの?》
《……祐太様を消滅させるなど、私にとっても、今すぐ自死を選びたくなるほどの最悪な悪夢です》
私の背後から、祐太とともにずっと戦ってきたはずのクミカの気配が、私の中へと逃れようもなく押し寄せる。
《私の力が、あの方を消滅させる手伝いに使われた。その事実は、この世界で起きるどんな醜い出来事よりも許し難い屈辱です。……伊万里様。ですから、あなたは生きてもらいますよ》
《嫌だ……》
《今からあなたに、現実というものを教えてあげます。その上でなお死にたいというのであれば、後は好きになさい。ともかく、今はここから出ますよ》
《やめて……離して! 私はもう、生きていたくないの!》
《その気持ち、誰よりも理解しているつもりです。ですが、祐太様の心を誰より知る私としては、あなたの死など許せません。あなたを死なせるほど、私は優しくないのです。……あの方を消滅させた責任、地獄の果てまで私と共に償いましょう》
抵抗は、無意味だった。体の中から溢れ出していたはずの神勇者の力が、底なしの穴に吸い込まれるように、クミカという存在に奪い取られていく。もともと、三天使の力の根源は『彼女たち』のものだったのだ。
レベルが圧倒的だった時はクミカの干渉など跳ね除けられただろうが、祐太を殺すために全力を使い果たし、三天使の力がまだ戻りきらないこの状況で、クミカに入り込まれた。本来の『彼女たち』が主導権を奪い返すのは必然だった。
まずい。意識が遠のいていく。
このままでは、祐太と同じ場所へ行ってあげることができない。
祐太はきっと寂しがりだから、一人だとダメなのに……。己の愚かさを呪いながら、ふと、懐かしい温もりに触れた気がした。
『――伊万里……死なずに、楽しく生きろよ……』
聞き間違えるはずのない、あの少年の声が聴こえた。
誰の言葉だ。祐太は消滅したんだ。
それなのに彼のものだとどうしても思える。
『楽しく』なんて、そんなの、あなたなしでできるわけがないのに。
《あなたは一度、眠りなさい。そして、目覚めた後に自分の目で、その罪も、その先にあるものも、すべて確かめるのです》
クミカの厳格な声が遠ざかる。内側から意識の主導権を掌握され、強制的に【光移動】が発動した。抗おうとしても、まぶたは鉛のように重い。私は、祐太が最後まで守ろうとしたこの命を抱えたまま、底知れぬ眠りの海へと沈んでいった。





