第四百二十話 黄泉孵りの卵
手のひらに触れる黄金色の卵は、まるで生き物のようにかすかな熱を帯び、ドクン、ドクンと規則的な鼓動を刻んでいた。
【サファイア級・鳳凰神・六条祐太様の接触を確認。――これより『黄泉孵り(よみがえり)』を起動しますか?】
無機質ながらも、どこか理知的な声の響き。サファイア級最高位のアイテムともなれば、独自の人工知能を宿すこともあるということか。桜千と似ていると感じたが、同じ三種の神器として知り合いだったりするのか。
ともかく、
【使用します】
俺は静かに目を閉じ、意識の底で答えた。視界の裏側、精神的な世界で、自分の魂が陽炎のように浮かび上がる。その輝きは、かつて対峙した煉獄獣バルガレオルの魂を思い出させる、鮮烈な真紅に染まっていた。
以前はもっと静かな、澄んだ青色だったはずだ。サファイア級へと至り、紅麗様の属性が色濃く発現したように思える。あるいは、転生の際に授かった力が変質したのか。
考えながらも確かな熱量を持って渦巻く力が、今の俺の有り様を教えてくれている。おこがましい話だが太陽の守護神的な立場に収まってるようだと感じた。太陽神メトの代わりということか。
【了解。現在の所有権は、弁財天様による正式な譲渡により、六条祐太様に遷移しております。以後、あなた様を『主様』とさだめさせていただきます】
【えっと、了解。よろしくお願いします】
【私への遠慮は不要です、主様。……さて、この『黄泉孵りの卵』を起動するにあたり、詳細なシステムの説明を希望されますか?】
【いや、それより、先に聞いておきたいんですけど、使用にはどれくらい時間がかかりますか?】
俺の問いに、卵の表面に走る紋様がチカチカと明滅した。まるで思案しているかのようだ。
【個体差はありますが、主様の現在の神性純度を鑑みるに、半日から最大で三日。ただし、魂の適合が特殊なパターンに陥った場合、さらにお時間を頂戴する可能性も否定できません】
【一週間以上かかるケースはありますか?】
【私の記録にある限り、それほどの遅延は一度も。はるか昔より、一週間を超える停滞は例外なく失敗と定義されております】
【なら、説明をお願いします】
赤様に運ばれ、大八洲国へ帰還するまでには一週間ほどの猶予がある。心の内では一分一秒を惜しむほど急いでいるが、未知の力を振るう以上、その力の詳細を把握しておく時間は十分にあるはずだ。
でも、実を言えば概要は弁財天から聞いている。だが【黄泉孵りの卵】は、その名に反して単純な死者蘇生のアイテムではない。死者を黄泉から引き戻し、現世に繋ぎ止めるための複雑で、禁忌に近い仕組みだと聞いていた。
【了解いたしました。では、説明を開始します。本質的に、この卵は黄泉の国から魂を呼び戻す『呼び子』の役割を果たします。しかし、肉体を失った魂をただ呼び戻したところで、それは現世において何の意味もなしません。霧が風に散るように、魂は瞬く間に霧散するでしょう】
【なるほど……】
魂だけでは、この世界に干渉する術を持たない。時の狭間でレダと過ごした、あの隔絶された時間。肉体という器がないことの無力さは、身に染みて理解していた。
【ゆえに、製作者たる聖徳様は、死者に与える『仮初めの肉体』を――使用者本人とすることに決めたのです】
【……つまり、死者を呼び戻すために、俺の体が使われるってことでいいですか?】
俺が確認するように呟くと、黄泉孵りの卵は少しだけ語気を強めたように感じられた。
【肯定します。……主様、重ねて申し上げますが敬語はおやめください。私はあなたに仕える者。何よりあなたは既に『半神』の域に達しておられる。配下にへりくだることは、周囲に不要な不信と誤解を招きかねません】
【えっと……分かった。普通に喋るよ。さっきまでの癖でな】
レダはともかく紅麗様や白蓮様にタメ口なんて絶対に聞けない。言葉に気をつけていたから、それがそのまま出てしまった。
【感謝いたします。では、続けます。主様は、魂同士が『融合』し得る現象についてはご存知でしょうか?】
【知ってる。……俺は、何度か経験済みだ】
迦具夜との融合。魂を重ね合わせ、爆発的な力を引き出すあの感覚。弁財天から教えてもらった限り、この【黄泉孵りの卵】は、その融合を極限まで洗練させた到達点のような存在なのだという。
【そうですか……今までこの質問をして融合経験済みの方は主様が初めてです。融合などというものを普通しないものなのですが……主様は、これまで幾度も魂を削るような危うい橋を渡ってこられたのですね。よく知っているのであれば危険性も承知でしょうがご安心ください。この卵は、魂の融合をより安全に、そして分離時のリスクをゼロにするという聖徳様の慈悲から生まれました】
なんだかテレフォンショッピングの宣伝文句のように聞こえたのは内緒だ。
【……融合だけなら、リスクもつきまとうからな】
【はい。使用者はこの卵を通じて、呼び出した死者の魂と完全に混ざり合います。己の魂と相手の特性を掛け合わせ、全く新しい『生命体』として、この世に再誕するのです】
【かなり便利だよな】
【はい、自負しております。この際、意識の主導権は常に主様が握ります。格下の魂であれば魂を強制的に呼び出し融合することも可能。ただし、主様と同等、あるいはそれ以上の高位な魂を呼び出す場合、相手の『承諾』が不可欠となります】
【相手が『悪神』だったとしても、同じ条件か?】
確信を得るため、弁財天から得ていた情報をぶつける。
【問題ありません。死後の世界において、神と悪神の属性差に意味はありません。どちらであっても効果は同一です。また、その属性によって主様の魂が汚染され、堕ちるリスクもございません。ただし、蘇生可能な上限は『サファイア級』まで。それ以上の神格は、たとえ合意があってもこの世のことわりにおいて、不可能ですのでご了承ください】
【……十分だ。そこまでの力は必要ない】
【また、この再誕は永遠ではありません。魂を安全に切り離すための猶予は、最大で一日。それが限界となります】
【ああ、一日あれば十分すぎる。決着をつけるにはな】
伊万里の性格からして俺から逃げるとも思えない。むしろ、俺の命を奪うことで救おうとしているなら、俺を待ち構えているはず。二十四時間という制限時間は、ここまでレベルが上がれば十分以上の時間だ。
【一応聞いておくけど、お前は一度使ったら消えるような消耗品じゃないよな?】
【もちろんです。私は主様が生きている限り、常に傍にあります】
【いや、それはいいよ】
【なぜです?】
【この件が終わったら弁財天に返すつもりなんだけど】
【……弁財天様からは『無期限の貸与』、つまり貸しっぱなしにすると聞いておりますが?】
【えっ、そうなの? いや、まあ、そのあたりは後で本人と話すよ。相変わらずだな……】
俺は苦笑交じりに肩をすくめた。
【承知いたしました。補足として、連続使用には一定の制限があります。一度使用した後は、約一日の待機時間を設けてください。短期間の連続融合は『魂の健康』を著しく損ないますので】
魂の健康、か。聞き慣れない単語にわずかな違和感を覚えながらも、俺は最も肝心な、交渉のプロセスについて問いかけた。
【……もし、相手に事前の許可が取れていない場合、そっちで俺の意向を代弁してもらえるのか?】
【申し訳ありません。それは、どういう意図のご質問でしょうか?】
【つまり、死者はお前の名前からして黄泉の国にいるんだろ? 俺が直接交渉に行けるわけじゃない。だから……えっと、お前のことはなんて呼べばいい?】
【――『ヨミ』とお呼びください】
【分かった、ヨミが俺の代わりに、向こう側にいる魂と交渉してくれるのか?】
卵の鼓動が、一瞬だけ強く、深く響いた。
【通常の死者は黄泉の深淵に沈み、意思を疎通させる術を持ちません。ですので、私が主様の代弁者として、黄泉の国で交渉にあたります。……もし拒絶された場合は、ご容赦を。ですが、できる限りの努力をいたします】
【これから俺が呼び出そうとしてる相手は相当、気難しそうなんだよ】
何しろ、俺が融合相手に指定しようとしているのは、戦うことが三度の飯より大好きな戦闘狂の権化だ。再び現世に姿を現し、その力を全力で振るえるだけで嬉しいとは思うのだが、あくまで主導権を握るのは俺だ。
この点において、“あれ”が首を縦に振るかどうか。若干の不安はあった。
【ご不安はあるでしょうが、あとは私を信用していただくしかありません】
【だな。わかった】
【では、これより魂の呼び出しを開始いたします。対象となる御霊の、生前の名称を記述してください】
【わかった】
俺は頷き、その名を頭の中から引っ張り出す。かつて、マークさんから教わった“あいつ”の正体。マークさんは、自らに宿るその存在について、誰よりも詳しかった。そのマークさんの声を思い出しながら口にした。
『――なあ祐太、俺に宿ってるこいつよ、実はとんでもねえ大物らしいんだ。俺みたいな凡人が抱えるには、ちょっと重すぎるくらいにな』
『へえ、そうなんですか。まあむちゃくちゃ強いですもんね』
『いやいや、そんな次元じゃねえんだよ。祐太も聞けば腰を抜かすぞ。何しろ、こいつは――』
【大八洲国・山城城主・悪神――『酒呑童子』】
刹那、周囲の空気が凍りついたかのような静寂が訪れる。
【了。……黄泉の国へ呼び出しをかけます。完了まで、しばしお待ちを】
【いや、ヨミ。それは無駄だ。そいつが黄泉にいないことは、もう分かってる】
【……?】
【ゴールドエリア、聖勇国にいるマークさんに声をかけてくれ。あいつの魂は今、そこにある】
【……ゴールドエリアに、悪神の御霊が?】
【ああ、そいつはマークさんと共に在るんだ】
【承知いたしました。……稀有な在り方をする悪神もいるものですね。接触を試みます。少々お待ちください】
ヨミはそう告げて沈黙した。黄金の卵の明滅が一段と激しくなる。俺は待てと言われたけども、まだ気になることがあって問いを投げかけた。
【ヨミ、確認しておきたい。そいつの魂は、別の魂と完全に融合している。その状態で呼び出すことに問題はないか? それと……俺との融合が終わった後、元いた場所へ無事に帰すことはできるのか?】
俺の問いかけにヨミの声が響く。
【……主様それは問題がございます。その場合、融合している両方の魂をセットとして、こちらへ呼ぶことになります】
【一時的な分離は、無理なのか?】
【魂の接合がどの程度の深さかは不明ですが、時を経るほどに魂の境界は曖昧となります。基本的に、完全な分離には融合に要した時間の百倍、あるいはそれ以上の歳月が必要とお考えください。……それも、この私が全霊を以て当たればの話。他の方では永久に不可能でしょう】
【……ってことは、マークさんも一緒にこっちに来る?】
【肯定します。その場合マークと呼ばれる存在が生きているかも大事です。生きている場合、一度死んでいただくことになります。……主様、検索の結果、対象の国には『マーク』という名が八十九名存在します。個体の特定を急ぐため、フルネームを】
【マーク・レジナルド・ハリス】
【了解。該当者一名を捕捉。接触を開始します。……今しばらく、お待ちを】
い、一回死んでくれか……。マークさんは笑って許してくれるだろうが、後で摩莉佳さんにどんな顔で見られるかと思うと、胃の辺りが痛くなる。
そもそも、この【黄泉孵りの卵】の使用にあたって最大の壁だったのは、セラスを超える知り合いが誰もいなかったことだ。弁財天に仲介を頼むことも考えた。だが、その前にマークさんから聞いていた情報が気になった。
何よりもあの時、大鬼に皇帝ホロスから救い出された時、俺は見たのだ。あいつの放つ、研ぎ澄まされた圧倒的な武としての究極の姿を。もし、この卵の真価を引き出せる相手がいるとすれば、それはあいつしかいない。
まあ、断られたらその時は弁財天に泣きつくしかないのだが。
【――対象との交渉、成立しました。マーク・レジナルド・ハリスより伝言があります。再生しますか?】
【頼む】
【『祐太、相変わらず無茶を吹っ掛けてくるな。だが、事情はヨミって人から聞いた。俺でお前の役に立てるなら、喜んで一度くらい死ぬさ。……ああ、でも、俺にも愛する嫁と子供がいるんだよ。お前と同じだ。だから終わったら、生き返らせてくれよな?』……とのことです。受諾されますか?】
【当然だ。必ず、俺が責任を持つ】
【了解しました。対象のレベルは『1883』。主様の『神性純度』を大幅に凌駕しています。意識の主導権が奪われることはありませんが、相手の忌避感が高まった場合、融合は強制解除されるためご注意を。また、霊格の乖離が大きすぎるため、活動限界は『一時間』。さらに、この特殊な二重融合を安定させるため、赤様の到着期限ギリギリまで、調整に全時間を費やすことになりますが……よろしいですね?】
【ああ、構わない。それで頼む】
【了解……マーク・レジナルド・ハリス、および融合個体『酒呑童子』、召喚シークエンスを開始。マーク様の肉体保全のため、先行して奥様が聖勇国にて保存作業を行っております。接続開始まで、待機……】
マークさんには、とんでもない借りができてしまった。というか今度、摩莉佳さんに会うのが怖い。だが、縁もゆかりもない見知らぬ神を呼び出すより、気心知れたマークさんと共に戦いたいという思いが勝ったのだ。
生き返らせる術なら、後でクミカに頼めばなんとかなる……よな。人頼みの部分が多いことは情けないが、俺一人でできたことなんて最初から一つもなかったんだ。
どのくらいの時間が過ぎただろうか。
不意に、ヨミの澄んだ声とは異なる、地を這うような重低音が脳内に響き渡った。
【――ほう。まさか我を呼び出し、器にしようなどと考える不届き者が現れるとはな。六条……貴様、相変わらず面白い男だぞ】
それは、いつか聞いた大鬼の声。だが、以前の子供の面影を残す響きとは一変し、真の悪神としての重圧を孕んだ、ドスの効いた声だった。
【……まったく。祐太にいきなり死んでくれなんて言われるとは、思わなかったぞ】
続いて聞こえてきたのは、聞き慣れた、そして何より安心するマークさんの声。俺は思考分割をして、二人と同時に意識を繋いだ。
【マークさん、本当にごめんなさい。でも、頼らせてほしかった。大鬼……酒呑童子の力が、どうしても必要だったんだ】
【遠慮すんなって。お前の直感は正しいよ。何しろこいつは、かつての大八洲国でも究極の戦闘狂だからな。……究極武神・素戔嗚様に真正面から喧嘩を売ったっていう伝説は、伊達じゃねえぞ】
【素戔嗚様に……?】
大八洲国において、武神・素戔嗚の名を知らぬ者はいない。他国の神々が束になっても敵わず、その前に立った瞬間に消し飛ばされるという、絶対無比の破壊神。その伝説に挑んだという事実は、酒呑童子の狂気を感じた。
【まあ、それはいいんだけどよ。それより伊万里のこと、俺もずっと心配だったんだ。デビットと一緒に、お前の代わりに様子を見に行ったこともある。あいつのためなら、一回死ぬくらい安いもんだ】
【本当に……ありがとうございます】
【気にするな。お前に恩返しできるのは俺にとっても嬉しいしな】
【そんなの、とっくに返してもらってますよ。……そっちは、大丈夫なんですか? 聖勇国は、今どんな状態ですか?】
【余計な心配すんな、俺たちでなんとか持ちこたえさせてる。俺が一時的に抜けても、残った連中が死守するはずだ】
【本当に、すみません……】
【だから伊万里のことを一人で背負うなって。俺も、デビットも、伊万里のことは他人事じゃないんだ。あ、そうだ……終わった後、その卵で死んだ仲間たちとも話せるか?】
【ヨミ?】
【残念ですが話せません。私は完全なる戦闘特化型アイテムです。その他の用途で使用するには、あまりにも危険だとお考えください。このアイテムの力は天地を壊します】
【マジか……はは、そりゃ無理だな。まあ残念だがそれが当たり前か】
【……本当にそうですね】
【祐太。俺がどこまで力になれるか分からねえが、道は作ってやる。……絶対に、伊万里を助け出すぞ。そして、お前も必ず、生き残ろうな。天国のデビットはもうちょっと待たせてやろうぜ】
【分かってます。必ず】
その後、俺は意識の海でしばらくマークさんと語り合った。他愛のない昔話、エヴィーや伊万里も交えて泥臭くダンジョンを潜っていたあの日々。そんな当たり前の日常が、今はひどく遠く輝いて見える。
あの日に、また戻れるのだろうか。すべては、これからの俺の足掻き次第だった。マークさんとの対話がひと段落しても、大鬼との意識の接続は続いていた。
【……酒呑童子。俺を助けたお前の戦い様を見て、この卵を使うならお前しかいないと確信したんだ】
【くく……今、あちら(聖勇国)は崩壊の瀬戸際だ。米崎という男が遺した予言通り、世界そのものが軋みを上げ、終焉を待っている】
大鬼の意識から、滅びゆく世界の震えが伝わってくる。
【その問題もなんとかしたい……。マークさんではなく、俺と混ざり合うことになる。文句はないな?】
【不服があれば、そもそもここにはおらぬ。……長き眠りの果て、最後に少しばかり暴れて消えるつもりだったが。貴様は次から次へと、退屈させぬ余興を用意してくれる】
【俺はこれっぽっちも楽しくないけどな】
【くはは! であろうな。……六条、この儀式には時間を要するか?】
【ああ。魂への負荷をゼロにする代償として、じっくり時間をかけるらしい】
【ならば急げ。一刻も早くな】
意外なことに、大鬼の言葉には隠しきれない焦燥が混じっていた。共生するうちに、マークさんや摩莉佳さんを、大事に思うようになっているようだった。魂に触れると、その感情が伝わってくる。
思いのほか人間臭い。いや、最初からそうだったのか。かつて戦闘狂として暴れ回り、ダンジョンで“人を育てる”ような真似をしていたのも、神からの命だけではない。自分がそういう生き方だったからなのだろう。
【悪神、なんて呼ばれてるのが不思議なくらいだ】
【……壊すことも同じくらい好きだったからな】
【――主様、お三方とも、準備はよろしいですか?】
時を計ったように、ヨミの透き通った声が介入する。
【問題ない】
【頼む、祐太】
【いつでもやれ】
俺、マークさん、そして大鬼。三つの意志が一つに重なった。
【了解。これより魂の融合を開始。操作主格を鳳凰神・六条祐太とし、酒呑童子、並びにマーク・レジナルド・ハリスを統合します――】
その宣告と共に、俺の意識は急速に遠のいていき、黄金の光の中へと沈んでいった。
Side 弁財天
私は、宇宙の静寂の中で小さく溜息をついた。
正直に言って、ひどく落ち込んでいた。神としての意地を見せようと気合を入れて準備していたのに、蓋を開けてみれば、私は祐太君の背中を追いかけるのが精一杯だった。
祐太君が用意していたレダがいなければ、あの絶望的な状況でどこまでできたことか。信長たちですら気づかなかった真実に、祐太君だけが辿り着いていた。私にできたことといえば、神獣・赤様を手配したことくらいだ。
「せっかく、とっておきの神様まで用意しておいたのに……」
融合の相手として私が選んでいたのは、かつて神の位にまで到達した先代・弁財天様だった。その中でも最強の神格を持つ方を繋ごうと、裏で手を回していたのだ。
「それすら、自分で解決しちゃうんだもの……」
酒呑童子……。もう死んで存在しないが私も噂ぐらいは聞いたことがある。鬼神がひとたび咆哮すれば、下位の魔物やレベルの低い者は、その風圧だけで霧散する。
サファイア級の神格ですら、鬼神と目を合わせれば、己の存在そのものが『捕食対象』であると本能に刻まれ、膝をつく。そんな伝説が残っている。音楽神である弁財天よりは、確かにそちらの方が良かった。
黄金色の卵は、祐太君の体を取り込み、脈動するように強く、神々しく輝いている。ここはダンジョンの宇宙空間。滅多なことで邪魔が入る場所ではないが、私は見守り続けていた。
この戦いが終われば、私の神としての地位は揺るぎないものになる。
けれど、それがすべて夫の手柄だというのが、妻として、神として、少しだけ情けない。
「……落ち込んでいるのか、弁財天よ」
隣で待機していた赤様が、静かに声をかけてきた。
「はい。……夫が優秀すぎるのも考えものですね。私はただ、あの人に付いて回っているだけの添え物のような気がして」
「それは致し方あるまい。あやつは、我らが系譜の長である『紅麗様』と接触し、その御力を直に授かっている。長く生きるこの私ですら、紅麗様の御姿を拝んだことはないのだ。あの方に近づくことは不可能に近い……正直に言えば、羨ましくてならぬ。後で、どのような御方であったか詳しく聞かせてもらえるか?」
「そ……それはもちろん。祐太君も、喜んでお話しすると思います」
厳格な赤様から出た意外な言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「そうか、それは楽しみだ。【意思疎通】で映像データとして共有してくれるなら、尚のこと嬉しい。見返りが必要なら、我が秘蔵の宝具でも何でも出そう」
「ふふ、そんなの受け取れません。祐太君なら、二つ返事でお見せしますよ」
「おお、真か! 恩に着るぞ!」
赤様が子供のように喜んでいるのが伝わり、私は思わず頬を緩めた。
「赤様でもそんなにお喜びになるんですね」
「笑うな、弁財天。赤の系譜に連なる者にとって、紅麗様のお姿に触れることがどれほどの誉れか。お前も神なら理解できよう」
「ええ、もちろん」
ああ、私はなんて単純なのだろう。祐太君が赤様にこれほど高く評価されている。ただそれだけで、自分のことのように誇らしく、嬉しくなってしまう。
私は、愛おしさを込めて黄金の卵の表面を撫でた。ここから出てきた時、彼はきっと、帰還の保証すらない戦地へと飛び込んでいく。
「……祐太君。ちゃんと帰ってきて、祐希丸と玉姫の授業参観、一緒に行きましょうね」
ただの妻として、私は祈る。かつての日常を取り戻すための戦い。その無事を黄金の輝きに願った。





