第三百七話 Side王 五年 愚か
自分が悪神にならない自信はあった。世界というものの枠組みを全て壊してしまっても、ダンジョンがこだわっているのは人の命ではない。そんな気がしていたからだ。きっとどれほど世界を壊そうとも、私は悪神にはならなかった。
ダンジョンは世界が荒廃することを気にしていないし、きっとどれほど人が死ぬのも気にしない。それを気にするならそもそもダンジョン崩壊など起きるわけがないし、ダンジョンのシステムがあれほど過酷なわけもない。
それらのことを考えてみるとダンジョンは短いスパンで起きることにこだわらないのだ。どうしてかといえばダンジョンは長い視点でものを見ている。私はずっとそういう印象を持っていた。だから私が世界を創り直そうとする。
それは認められると思った。実際にそうだった。世界の国という枠組みが壊れるようにこれまでずっと動いてきた。戦争がそれのとどめだった。汚い世界を綺麗に変えたかった。旧来の価値観のすべてがなくなるぐらい壊れるべきだ。
私は今でも悪神に堕ちることはなく。ナディアという個人的な感情でしか動けない女が、悪神に落ちた。
「それなのに、まさかナディアなんかに足を引っ張られるとはね」
ナディアは私の一番嫌いなタイプの女だ。明らかに南雲に未練があるのが透けて見えるし、あまりにも人間らしい女過ぎた。だからこそ悪神に落とすのも難しくなかった。どの道、今回の大戦の中で現れると思っていた悪神。
それも私の手で生み出してあげよう。私と完全に対立する考えを持っていたお婆が死んで、ダンジョンに好かれすぎて動きが予測しにくい六条も排除し、ナディアが悪神に堕ち、クソ真面目なメトが殺されてくれた。
全てがあまりにもうまくいくので、私はたまらない絶頂感に包まれた。後は1年前のあの時点で、私のすることを邪魔できそうな力を唯一残している国。日本の三英傑を壊せば終わるはずだった。
「そのはずだったのにな」
「うまくいかないのが嫌か?」
饕餮に跨がり、空から中国を見下ろしていた。南雲たちが思い通りに動かなかったことで、予定を大幅に変えるしかなかった。あれ以来、南雲たちは慎重な行動しか取らなくなり、その裏で山田総理を使い他国の懐柔を始めた。
取引材料として、質の良い資源を他国に配る手法だ。石油、ガス、鉱物などの天然資源。更に高級品、趣向品。あらゆるものが日本にある。どうやら【千年郷】は避難場所になるだけでなく、そういうものまで生み出せるようだ。
それによってダンジョン崩壊と今回の戦争で疲弊している国々が、息を吹き返している。当然のごとく助けられた国のことごとくが日本になびいていってる。【千年郷】の場所もわからない。探してるが見つからないのだ。
このことからおそらく【千年郷】は移動できる。ほぼそれは確信に近かった。地球のあらゆる場所。あるいは宇宙のあらゆる場所。それを国ごと移動している。もしそうなら探すだけ無駄だ。
「ねえ饕餮、思い通りに行くとさものすごく気持ちよくなるんだ。でもうまくいかないとさ。すごく気持ち悪い。ここ1年は最悪だな。饕餮はどう?」
「俺はお前さえ生きてれば後はどうでもいい」
「嬉しいけど饕餮は相変わらずだね。私が死んだらどうするのさ」
「一緒に死ぬだけだ」
これで恋愛対象には入れてくれないのだからよくわからない男だ。何度か裸も見せたことがあるのだが、全く無反応。饕餮の異性への意識はどうなってるのだ。まあ1000年も寿命があるからゆっくりやればいいんだが。
「はあ。予想外に南雲は人を使うのがうまいよ。自分が私に頭で勝てないなら、勝てそうなやつを使えばいい。探索者としてのプライドはないのかな」
「米崎はともかく、山田総理という男は一般人だろう。南雲は普通の人間まで使うのか?」
「使ってるね」
「王はそれに勝てないのか?」
「実際のところシンプルに一番良い事って限られてくるんだ。国家運営に関しては山田総理を中心に、日本が一丸となって最善手を選んでくる。一般人では予測ができない部分は、米崎みたいに知能が異常に上がっている探索者がすればいい」
「適材適所か」
「本当、それだ」
国を助けてくれる日本の方が探索者にとっても受けが良かった。かなりの数の国が日本側に付き、それと一緒に探索者まで靡く。そうなると一度世界を崩壊させて創り直す。
「そんな無茶はできない」
「最初から無理があったのではないか?」
「うまくいく可能性は高かったはず。次に悪神に落ちやすいのは天使だった。月の魔女討伐の時、田中を殺せるはずだった。田中を殺してしまえばこっちのものだった。その流れで天使はまず間違いなく堕ちる。それなのに——」
『悪いがお前と一緒に月の魔女討伐は断らせてもらう。理由はお前が"嫌い"だからだ』
思い出すと今でも腹が立つ。分かりやすい挑発だが、今まで長い時間かけて組み上げてきたものが、『嫌い』などという言葉で終わる。そのことに私はカチンときた。まず間違いなく乗ってくると思ったのに乗ってこなかった。
アドバイスをしている米崎は誘いに乗ることを反対するとは思った。だがあの男では南雲と日本を止められない。そのはずなのに止めてしまった。強引に止めれば必ず不協和音が起きる。
米崎が殺されるだろうし、そうなればあちらの頭脳の質はさらに下がる。そこからはもうどうとでもなる。世界は私の思い通りに動く。そのはずなのに不協和音が聞こえてこない。むしろ以前よりも冴えわたって最善手を選んできた。
流れが一気に日本に傾きだして、それをなんとか止めたのは私じゃなかった。ロロンだ。
「森神が完成してなかったら危なかったな」
「そうだね。今の森神を見ていると、お婆を一番先に殺して正解だったと思うよ」
ロロン陣営の神がもう一人増えた。死んだはずの森神。それが半年ほど前についにレベル1000を超えてあちらに現れた。森神が現れたことで急激に世界のポーション市場が回復。ただしそれはこちらの陣営にいる限りだ。
南雲たちにつけば復興するための物資はもらえるが、探索に必要なポーションは5倍の値段でしか手に入らないようにしている。探索者=軍事力。この大戦で世界はそれを嫌というほど学んだ。
その探索者を最も死なせずに育てられる方法がポーションだ。だからロロンの元に現れた森神の価値は【千年郷】から湧き出る豊富な資源とでも拮抗した。
「でも本来なら森神が現れる前に、終わってたはずだ」
以前以上に攻撃もできる森神。強力な召喚獣を操り、美しいことでも知られる。世界に新たに現れた英傑は人気も高い。日本にもレベル999の【真勇者】はいるが、どういうわけか表舞台に出てこない。
ランキング1000で確認できるだけだ。おかげで森神の人気は高いままだが、主導権をロロンに取られてしまった。まだ続いている戦争もロロンは、
『もう終わりにしよう』
そう言ってきている。そりゃそうだ。私が派手に動いている裏で、自分の目的は全部きっちり叶えてしまった。森神がいることで余計に、アメリカは北も南も全てロロンの言いなりだ。
田中を殺して天使が堕ちれば、次はロロンを殺せば私も目標が達成できたのに、立場が逆転だ。もう少しで私が世界を綺麗に創り直してあげたのに。
「停戦」
私自身そっちに心が向く。南雲も停戦は『嫌い』なんて言ってこないだろう。
「時間をかけてると六条が帰ってきそうだし、日本に三種の神器をもう一つ見つけられたりしても困る。1つでもこれほど面倒なんだ」
【千年郷】のおかげで戦争継続に必要な物資も、復興に必要な物資も他国に売るほどある。はっきり言って不公平だ。向こうだけがサファイア級アイテムを手に持ってる。
「ダンジョンの中の国が手助けするってこと自体がルール違反だ」
「そうではないと結論が出てる」
「はあ」
日本がサファイア級アイテムを手に入れた。その過程には問題がない。中国担当の【盤国】に確認を取ってみたが、それ以上の答えは返ってこなかった。
「お前は自分の狙いを南雲に外されてから少し変だ。自分の国を月の魔女から急に守ると言い出したりな」
みっともなく何度か殺されながら守った。
「王、どうしてそんなことをした……この国に姉がいるからか?」
「さあね」
姉がどこにいるのかなんて知らない。調べてもないから知らない。そもそも助けるなら中国がダンジョン崩壊した時に助けておくべきだ。それなのにしなかったんだからもう死んでるだろう。それなのに今更何をしている。
「本当、らしくないな」
下に広がる大地を見つめながら口にした。あちこちで復興作業も始まり、かつての繁栄が取り戻されようとしている。ロロンに頼んで、ポーションを融通してもらい、日本と交渉して引き換えに物資をこちらにも大量に流してもらった。
おかげで私のこの国での信用はかなり上がった。
「何気に南雲から『嫌いだ』と言われて傷ついてるようにも見えた。その瞬間神様という超然とした麒麟ではなく、本来の素の王が出てしまったように見えた。何気にそれは嬉しかった」
「そうだったのかな……」
なんとか軍事力で持ちこたえていた中国も、三年ほど前についにダンジョン開放を宣言。人間の数はまだかなり残っていたこともあり、その大量の人間が、ようやく開いたダンジョンにこぞって入った。
そうすると元々マンパワーはある国である。三年の間にゴールド級探索者はかなりの数生まれた。そしてルビー級になるものも現れた。国が復興して、景気も上向き、残る二枠の英傑の座も我々がもらうと活気づいている。
今の状況で日本と正面から戦うのは得策ではない。残った英傑で停戦条件を決め、停戦する。
「そうするか……」
心の中がそっちに傾いてきた。
「決めたか?」
饕餮が聞いてくる。
「うん。停戦するよ。つまらない終わりになっちゃうけど……?」
そこで言葉を止めた。
「誰か来る」
気配を感じた。何かが近づいてくる。いや、何かではない。この感じは知ってる。私の眉間に険しいシワが寄る。日本でじっとしてるんじゃなかったのか。どうしてこっちにくる。思っていたら急激に距離が縮まった。
「なんでこっちに来るかな……」
「うふふ、だって寂しかったの」
その顔には狂気が浮かんでいた。金色の髪、病的なほどに白い肌、そして紫色の唇に瞳は完全な黒。その場所にいるのが息苦しくなる瘴気。
「こんにちは王」
まともな言葉を喋った。以前と様子が随分と違う。狂気が垣間見えるが正気に戻っているように見えた。私が堕落へと導いた愚かな女。
「何か用かな"ナディア"?」
「何だと思う?」
12英傑の中で一番穏やかだと言われていた彼女。優しくて慈悲深くて、そして人を癒すことができる。実際は一人の男に執着し続ける粘着性を持っていた。その愛が伝わらないとわかっているのに、不毛なことをずっと続けている。
だから愚かだと見下していた。それが晴れやかな顔でこちらを見る。どちらが愚かだったのか分からせるとでもいうように黒い瞳が糸のように細まる。
「ナディア。質問を質問で返すやつをバカって言うんだよ。知ってる?」
「そうなの? うふふ、じゃあ、とても大事な用があってきたの。王、あれから元気にしてる?」
「それなりに」
体を麒麟に変化させていく。頭に来ていた。南雲たちのことがあって私の歯車が一つ狂った。それだけのことでずいぶんこの女の問題も面倒になった。
「そんなに警戒しないで。今日は紹介したい人がいるの」
どうしてかナディアの機嫌が良さそうだった。まるで友達に結婚相手の紹介でもしているようだ。『紹介したい人』……誰を紹介するんだ? 悪神に堕ちたナディアに紹介できる人間などいるのか。
「紹介?」
「ええ、実は私のところにね。『悪神になるにはどうしたらいいんですか?』って訪ねてきた子がいるの。とっても可愛い男の子なんだけど、なんとなくあなたに似てる気がしたのよ」
「……」
「あれ、お返事くれないの?」
「……」
それは良くない。一番良くないパターンだ。こいつら放っておくと増えるのか?
「ふふ、その間の抜けた顔最高。あなたいつも私をバカにしてたでしょ? 私ずっと気付いてたのよ。でも、あの時の私は気が弱くてね。あなたが怖くて何も言えなかった。だから悪神になって、ほんと最高の気分。あなたがそんな顔になるんだもの。ああ、もっと惨めな顔にしてあげたいわ。ぐちゃぐちゃに泣き叫ばせて、あなたは私に頭を踏まれながら『ごめんなさい』って謝るの」
「……」
どこにいる? ブラフじゃないだろうな。
「じゃあ紹介するわ。日本人の子でね。道明寺湊って言うのよ。私に続いて2人目の悪神。夜刀神というものの転生なのよ。私と同じぐらい強いの」
夜という割には真っ白な髪をしていた。そしてわかる。今この場で戦えば負ける。ロロンを呼ぶか。しかし、ロロンが素直に私の言うことを聞いてきてくれるか。何しろあちらは別に戦う理由がない。
それに、私が最終的にロロンも殺そうと思っていたことに、ロロンは多分気付いてる。気付いてて何もしなかった。それでいてこの戦争で一番得したのはロロンだ。何かよくわからない豪運がロロンにはある。
連絡を入れてみる。しかし返事がない。くそっ。
「ナディア。相変わらず寂しくなると手頃の男で手を打つ尻軽ぶりは健在だね」
「もちろん。あなたみたいな処女と同じにしないで。誰も相手にしてくれないから寂しいのでしょう?」
「君と一緒にするな」
「あら、怖い顔。怒った? 南雲が全然来てくれないから、湊と遊んでいたのだけど、それもあまり続ける気が起きなくなってね。次はあなたでも殺して楽しみましょうって湊が言うのよ。でも、私はちょっとそれには反対なの」
「へえ」
「ねえ、王。よければあなたも堕ちてみない? 私はあなたも意外とこちら側の才能があると思うの。それにこっちはまだ10も枠が空いてるのよ」
私はいつでも自分が有利な位置にいるように最善の手を選んでいる。そのつもりが1つ狂っただけでここまで狂うか。この女を殺したら以後の教訓としよう。
「それなら、断るよ。そして死んでくれ」
麒麟の角の先から閃光を放つ。
「遠慮しないで! ちゃんと私たちの色に染めてあげる! 優しくしてあげるわ! 湊!」
「はい。お姉様」
私の閃光を湊が素手で弾いた。真っ黒な刀が抜かれる。真昼だったのにその切断された先に夜が見えた。そして瘴気が溢れ出た。それが私に触れてくる。なんだ? ただ壊したい。それだけの衝動。何よりも甘く頭の芯に響いてくる。
【我慢しなければもっと楽しいよ?】
一瞬瘴気が私の体に流れ込んできそうになり、頭を振った。この男、いや、女? 瘴気を感染させるのか? ミイラ取りのつもりがミイラ? 冗談じゃない。
「あら、普通の子ならこれで簡単にこっちに引っ張れるのに、さすがね」
「ナディア。あまり私を舐めるな」
空に1000の魔法陣を浮かべた。もう中途半端なことはしない。この女をここできっちり壊そうと思った。





