70 脱出
どうしてだろう?
きっぱりと諦め、自分に言い聞かせ、受け止めていたはずなのにここに来て気持ちがザワザワとする。
ちゃんとローラやゴドウィンやエミリオにも冷静に話せたのに。きっと最近頻繁に会っているせいだ。これが済んだらまた一定の距離を保って、最後は笑ってお別れしたい。
呪いさえ解ければそれでいい、そのはずだ……きっとそう。
アーネストが飲み物を取りに行ってくれている間に深呼吸して空を見上げた。
雲ひとつなく昨夜見た美しい上弦の月が夜空をほんのり輝かせている。その光を浴びると目を閉じて気持ちを落ち着ける。
バルコニーには寛げるようにソファが置いてあり誰も見ていないのをいいことにボフンッとお行儀悪く座った。
早く引き揚げたいがアーネストと仲違いして離れる作戦をまだ実行出来ていない。どうやればいいのか悩んでいるとカーテンの向こうの会場側から話し声が聞こえてきた。
「アーネスト様、私と踊ってくださると約束してくださいましたよね?」
うわぁ……
いいタイミングでエベリーナの登場だ。作戦実行の時を窺いじっと耳をすませた。
「あぁ、そうでしたね。ですがまだリアーナと、殿下と踊っておりませんのでもう少しお待ち下さい」
「殿下は休まれているようですから、今のうちに踊りましょうよ」
夜会での最初のダンスはエスコートしてきたパートナーや身内、婚約者などと踊るのが慣例だ。私という婚約者を連れていながらエベリーナと最初に踊れば、見た人はアーネストが私よりもエベリーナに恋慕していると思うだろう。
「そういうわけにはいきません。今回は殿下をエスコートしているのですから、無理を仰らないでください」
彼女の頼みとはいえ貴族は体面も大事だ。大領地の息子としてはここは我慢しなくてはいけないところだろう。
そう言い終えたアーネストが話は済んだと思ったのだろう。カーテンを開けてこちら側へ一歩踏み入れた時、突然彼の後ろからエベリーナが抱きついたのかギュッと押し込みながらこちらへ入ってきた。
両手にグラスを持っていたアーネストが驚いて足を踏ん張り倒れる事は無かったが私の前でエベリーナに抱きしめられている姿を晒すこととなった。
「エベリーナ様!何を一体」
「アーネスト様、意地悪しないで下さいませ。せっかく私に会うために遥々いらしてくださったのに、これではあんまりです……あっ、殿下……ここにいらしたのですか?」
白々しく驚いたように私を見て、申し訳無さそうにアーネストの身体に回していた手を離したが今度は上着をギュッと握りしめる。
「エベリーナ様、手を……」
「アーネストから離れて!!」
彼がエベリーナに注意しようとするのと同時に私はカッとして叫んでいた。その声に自分でも驚いてしまったがもう後に引けない。
「いい加減にして、もうウンザリ」
これまでの二人の事が次々と思い浮かびムカムカと腹立たしい気持ちがこみ上げる。
「申し訳ありません、ですけど殿下もご存知の通り私とアーネスト様はもうずっと前から」
「何を言っているのだ!!よくもそんな」
エベリーナが二人の仲を話そうとするとアーネストが怒りをあらわにして遮る。
私は立ち上がり彼らの横を通り過ぎカーテンを勢いよく開けた。そこには声を聞きつけた野次馬が大勢集まりこの場がどうなるかを興味深く見ている。
ヒソヒソと話し合う人達の悪意ある視線に晒され戸惑った私の身体がブルッと震える。慣れない状況に動揺しているとその場の空気を変えるように声がした。
「何事ですか?」
野次馬の後ろから冷静なひと声を放ち一人の女性が進み出て、割れるように人垣が二つに分かれる。そこを美しいドレスを身に纏い優美な姿を現したのはエルデバレン国、七番目の王妃の子、王女イスラだった。美しい金髪を結い上げ長い睫毛が碧眼を縁取っている。
「姉さま、いらしたのですか……」
考えてみればイスラ派のグランフェルト領が懇意にしている領地の夜会だ。イスラがここに招待されていてもおかしくはなく、むしろ私がいることが異様だろう。
「リアーナ様こそ、どうしてここへ……というよりこの騒ぎはなんです?」
落ち着いた面持ちで野次馬を蔑むように見回し、皆に無言の圧力をかける。私のことをネタにニヤついていた貴族達が顔色を悪くすると静まり返った。
私にすれば王位を争うライバルである姉さまにこの惨状を見られるなんて恥でしかない。
「申し訳ありません、目障りでしょうけどご安心を。すぐに引き揚げますから」
私はイスラが開けた人垣の間を通って退場ようとした。
「待つんだリアーナ!」
アーネストが手にしたグラスをどこかへ投げると後ろに引っ付いているエベリーナを振り切るようにその手を払う。
「キャア!」
払われたエベリーナがこれまたわざとらしく倒れると、アーネストが一瞬助け起こすか私を止めるか躊躇した。
「退いてください」
私はそれを一瞥して素早く開かれた道を足早に通ると会場を後にした。
会場から出ると作戦通り控えていたゴドウィンとエミリオがすぐに傍まで来た。足を止めることなく廊下を進みローラが待つ客室へと急ぐ。
「イスラ姉様がいたわ!」
さっきの恥ずかしさと腹立たしさが相まって語気を荒げてしまう。
「我々もさっき知りました。予定外の訪問のようです」
姉さまも色々と支持集めの為にまわっているのだろうか?
「作戦は上手く行きましたか?」
ゴドウィンが嬉しそうに確認してくる。
「えぇ!大勢の前できっちり恥をかいてきたわ……最悪だった」
アーネストが追いかけて来る様子もない……
騒ぎを起こした上に姉さまに見られるなんて大恥もいいところだ。きっとエルデバレン国へ帰る頃には国中に知れ渡っているに違いない。
このままじゃ下手すれば大猿は解呪出来ないかもしれない。だけどオロギラスの呪いだけはなんとかしなきゃ命に関わる。
客室に到着するとすぐにローラに持ってきてもらっていた女性騎士服に着替えさせてもらう。さすがに他国の屋敷から冒険者の服を着ることは出来ない。
「じゃあ手筈通り、ローラは明日の朝に国境目指して荷物と一緒にここを出て宿で待機してて」
「くれぐれもお気をつけ下さい」
前回のオロギラス討伐時に毒にやられたことを思い出したのかローラが泣きそうな顔をする。
「大丈夫よ、心配しないで」
ローラを抱きしめるとすぐにドアから出てゴドウィン達と合流し急いで厩へ向かった。
なんの知らせもなく突然馬を出せと言われて馬番達がオロオロとしている。
「私は王女リアーナよ、この国じゃ他国の王女の言うことが聞けないって言うの?」
居丈高に馬番を睨みつけ無理やり馬の用意をさせるとすぐに飛び乗った。馬番にお詫びのかわりに袋に入った金を握らせると屋敷の門へと馬で駆ける。
「門を開けなさい!」
門番が躊躇したがまたも王女の権威を振りかざし開けさせると金を渡して三人で城を後にした。悪どいやり方だけど今回は仕方がない。この領地の娘が原因で私が怒ったのだと分れば少しは納得出来るだろう。
順調に城から町中を通り環状囲壁まで来ると緊急だと外門を開けさせようとした。
「お待ち下さい、時間外なので領主の許可が必要です」
生真面目な騎士が頑として言う事を聞かないので私はフッと笑っていった。
「エルデバレン国の王女の機嫌を損ねておいて帰ることも許さないなんて、イーデンバッシュは随分傲慢な国ですこと」
国力はエルデバレン国の方が完全に上だ。たかが九番目の王女とはいえその言葉を聞き流せるほどカベナリス領主は馬鹿じゃないだろう。程なく門は開き私達は無事にクイムカ湖を目指して馬を疾走らせた。




