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天使リリスのトンデモ世界観察日記  作者: 朱色の豚


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1.天使リリス、初出勤

「おい!リリス、この野郎!俺が永久氷窟(てんねんれいとうこ)に隠しておいたドラッチンプリン、食っただろ!」


雷鳴が轟き、暴風が吹き荒れる。

威厳に満ちた声が、どこからともなく響き渡った。


「けほっ、けほけほ……!」


背に翼を生やし、頭上に光輪を戴いた女が、身を折って激しく咳き込んだ。

やがて、その口から黄色い不審な物体が吐き出された。モザイクがかかっている。


女はゆっくりと顔を上げた。

青い水晶のような瞳から透き通った涙がこぼれ、右目の下の泣きぼくろをかすめて、形のよい顎を伝っていく。


耳の高さで切り揃えられた金色の巻き髪が、かすかに揺れた。

女は胸の前で両手を組み、真っ白な薄絹に包まれた身体を小さく震わせる。

怯えきったその姿は、どこまでも無垢に見えた。


「主神様、どうか私の過ちをお許しください」


春風が竪琴の弦を撫でるような声だった。


「おい!まずはその姿をやめろ。それ、人間相手に使うやつだろ?」


主神が言い終わるや否や、女は二頭身のちびキャラへと縮んだ。

目は点、口は一本の線。

口元には、まだ怪しげなモザイクがくっついている。


「えへへ、ごめんなさぁい。主神様、許してぇ~」


「おい!とにかく、お前には罰を受けてもらう」


「あー、やっぱダメか。クソジジイ」


「仮にも俺は主神だぞ!ちょっとは敬えよ!」


「姿も見せないくせに、誰が主神だって認めるのよ。クソジジイ」


あたりが、死んだように静まり返った。

しばらくして、ようやく主神の声が響いた。


「てめえ、あの面倒な仕事を引き受けろ」


「まさか……やだ!あれだけは勘弁して!」


閃光が走り、リリスの姿がその場から消えた。


……


「天使様?」


老人の声に、リリスは我に返った。


(しまった、またぼーっとしてた。あのクソジジイのプリン、いつか残らず食ってやる)


「今しがた、神の御言葉に耳を傾けておりました。では、続きを」


リリスは目を開いた。


目の前の老人は金属製の王冠を戴き、腰の曲がった身体に羊毛のマントをまとっていた。

顔を上げ、恭しく彼女の言葉を待っている。


この老人こそ、ロクデナシア大陸にあるキングダム王国の国王である。

一方、リリスは「記録」のためにこの大陸へ派遣された天使だった。


記録とは、さまざまな世界で起こる出来事をすべて書き留め、主神に物語のネタを提供する仕事だ。

主神がそれを何に使っているのかは、リリスも知らない。

あのクソジジイ、ひょっとすると皆に隠れてネット小説を連載しているのかもしれない。


(とにかく、このクソみたいな仕事をやるか)


リリスは雑念を振り払い、再び穏やかな微笑みを浮かべた。


「神の恩寵のもと、授かりし真実の眼を開き、高き天より王国の全土を見渡しましょう」


右手を上げ、人差し指と親指で輪を作り、右目の前にかざした。

輪の向こうで、青い瞳が少しずつエメラルドの輝きを帯びていく。


数分後。


(なんだよこれ、ふざけてんのか)


リリスは、目が点にならないよう必死にこらえた。

この王国には城壁が一つもない。

それなのに、安全ポイントだけは異様に高かった。


(あのクソジジイがくれたこれ、やっぱりバグってるんじゃないの)


「城壁を築き、この地の民を外敵より守ることこそ、神の御心にかなう良策ではございませんか?」


国王は少し気まずそうな顔で咳払いした。


「コホン、天使様。ちょうど我が国では、姫の婿選びの武術大会を催しております。そこで答えが見つかるやもしれませんぞ」


(謎かけしてくるやつ、嫌い)


……


闘技場は、大勢の人で賑わっていた。


「まだ大会も始まっておらんのに、こうも屈強な勇者が集まるとは!実に愉快じゃ!」


国王は貴賓室のバルコニーに立ち、高らかに笑っていた。

けれど、リリスは笑う気になれなかった。


真実の眼を使えば、人の統率、武力、知力、政治、魅力を見ることができる。

五つの能力値が五角形のグラフとなって、目の前にはっきりと浮かび上がる。


だが、今は別の欄が気になっていた。


職業。


盗賊。

不良。

チンピラ。


(なんでこんな職業ばっかなの?これで勇者って言っていいわけ!?王道ものの勇者なら、聖剣は持ってなくてもいいけど、外道はダメでしょ!)


そのとき、魔法道具で増幅された司会者の声が、闘技場中に響き渡った。


「最後の出場者が到着しました!彼が持っているのは……」


声がふいに途切れた。

少し間を置いて、司会者はさらに声を張り上げた。


「聖剣を携えての登場です!」


(おっ、やっとまともな勇者が来た?)


リリスは翼を羽ばたかせてバルコニーへ飛び寄り、闘技場の入口に目を向けた。

筋骨隆々で、精悍な顔つきの男が歩いてくる。


肩に担いでいるのは、確かに聖剣だ。

ただし、その剣先には小山ほどもある岩がくっついていた。


(おい!こいつ、聖剣に認められてないじゃん!)


リリスの翼がぴたりと止まり、身体が落ちかけた。

慌てて二度ほど羽ばたき、どうにか姿勢を立て直す。

頭の上の光輪まで、電力不足の電球みたいにチカチカと点滅した。


リリスは右手をかざし、真実の眼で男を見た。


知力:D

政治:D

魅力:D


(三つとも最低ランク?統率もBだし、トップってほどじゃないか)


最後の項目へと視線を移す。


(ん?武力は?)


リリスは右手を下ろした。

左手で服の裾をつまみ、右手の人差し指と親指で作った輪を丁寧に拭く。

それから、もう一度その輪を右目の前にかざした。


(……冗談でしょ)


今度は、羽ばたくことそのものを忘れた。


武力の部分だけが五角形のグラフを大きくはみ出し、その隣のランク表示まで覆い隠していた。


(こいつ、本当に人間?)


眼下で、一人の吟遊詩人が突然、大声で歌い出した。


「YOUはSHOCK!」


その歌声に合わせて、出場者たちの顔を描く線がどんどん太くなる。

肩も、タイヤでも詰め込まれたかのように膨れ上がっていった。


(おい!絵柄戻せ!もう「SHOCKは時代」じゃないんだよ!)


聖剣(山)を担ぐ勇者は、わずかに笑った。


次の瞬間、手にした聖剣(山)を振り下ろす。

剣先にくっついた岩ごと。


山のような影が、ほかの出場者たちを覆った。


「親父、死んだばあちゃんが見える気がする。川を渡れって呼んでる」


モヒカン頭のチンピラが、頭上を覆う影を見上げた。

顔の線が急に薄くなり、隣のスーツ姿の男に顔を向ける。


「渡るんじゃねえ、バカヤロウ!」


そう怒鳴ったスーツ姿の男も、ふと遠くを見つめた。


「あれ、師匠。どうしてここに?川を渡るんですか?ちょっと待ってください、奥様のハイヒールを探してきますから……」


聖剣(山)が落ちた。


地面に、底の見えない大穴が一つ増えた。


会場は静まり返った。


「お、おめでとうございます!本大会の優勝者はユウ・シャ様です!」


司会者が慌てて沈黙を破った。

しかし、ユウ・シャは貴賓室に背を向けたまま、微動だにしなかった。


逆光で、その姿ははっきりと見えない。

ただ、一粒の涙が頬を伝い、日の光を受けて一瞬だけきらりと光った。


「貧弱、貧弱……どいつもこいつも、弱すぎる」


「コホン」


先ほどの一撃に呆然としていた老国王は、そこでようやく我に返った。

下からしきりに目配せしてくる司会者に、うなずきを返す。


「それでは、大会を制したそなたに姫を嫁がせ、王国の秘宝たる竜殺しの剣を授けよう」


国王が言い終えると、ピンクのロングドレスをまとった金髪の姫が姿を現した。

腕に抱えているのは、一振りの漆黒の長剣。

刀身からは、血のように赤いオーラが絶え間なく漏れ出していた。


だが、その剣よりも目を引くものがあった。

姫の額に刻まれた、大きな傷痕だ。


リリスは、まず長剣に目を向けた。


「陛下、あの剣はいかなるものでしょう?」


「おお、あれは我が国を脅かす邪竜を討つために用意した武器じゃ」


(邪竜がいるなら、とっとと城壁を造れよ、ジジイ!矢を放つ防衛塔は、邪竜にとっても厄介なんだよ!)


心の中でぼやいたところで、リリスはふと自分の役目を思い出した。


(まあいいか。私は記録係だし)


視線を姫の額へと移す。


「どうか神のお慈悲を。では、姫君はいかにしてそのお傷を負われたのでしょう?」


「あの邪竜につけられたものじゃ」


リリスは、少しばかり心を痛めた。

あれほど美しい顔に、邪竜のせいでこんな傷痕が残ってしまったのか。


だが、国王の話には続きがあった。


「あの日、姫は竜の巣に着いてから、竜殺しの剣を持ってくるのを忘れたことに気づいてのう」


リリスの胸に、嫌な予感が湧き上がった。


「ヒメの ずつき!こうかは ばつぐんだ!」


そう言って、国王は自分の額を指でとんとんと叩いた。


「傷はそのときにできたんじゃ」


リリスは黙って右手を上げ、真実の眼で姫を見た。


知力、政治、魅力、統率は、すべてB。

武力だけがまたも五角形のグラフを大きくはみ出し、ランク表示をすっかり覆い隠していた。


(……ここまでくると、もうツッコむ気も起きない)


ところが、下から低い笑い声が聞こえてきた。

ずっと背を向けていたユウ・シャが、ゆっくりと振り返る。

その口角が、少しずつ吊り上がっていった。


「ほう……まだ、やり合えそうなやつがいるじゃないか」


(おい!あれ、あんたの嫁になる人なんだけど!)


ついさっきツッコミを放棄したリリスは、即座にその決意を撤回した。


天上の使いらしい威厳を保つ余裕など、もはやなかった。

素足で床に立ち、両手でバルコニーの手すりをぎゅっと握りしめる。

そのまま、勢いよく国王を振り返った。


「神の慈悲をお心に留め、この争いをお止めになってはいかがでしょう?」


国王は咳払いした。


「コホン、天使様。ちょうど我が国では、姫の婿選びの武術大会を催しております。そこで答えが見つかるやもしれませんぞ」


(おい!台詞のパターン少なすぎるだろ!3DS時代のNPCより少ないぞ!)


それまで黙っていた姫が、笑った。

その頭上に、一本のバーがゆっくりと浮かび上がる。


……HPバー?


キングダム王国のヒメ LV.99


「ようやく来たか、戦い甲斐のあるやつが!」


姫は竜殺しの剣を握りしめ、ますます晴れやかな笑みを浮かべた。


「邪竜みたいに逃げるんじゃないぞ!」


血のように赤い、濃密なオーラが刀身から噴き出し、瞬く間に王国全土を覆い尽くした。

ひと瞬きする間に、その赤は一気に引き戻され、余すことなく刀身へと凝縮される。


漆黒の長剣は、今や血のような赤一色に染まっていた。


「EX!!!ドラゴンスレイヤー!」


濃密な死の気配が、ユウ・シャへと押し寄せた。


ユウ・シャの聖剣(山)もまた、光を放ち始めた。

まばゆい光が刀身を伝わり、やがて岩全体が巨大な水晶へと変わる。

その内側から、強烈な光が放たれた。


「通常攻撃!」


二つの力が、轟音とともにぶつかった。


暴風が闘技場に吹き荒れた。

すさまじい風圧に押し潰され、周囲の建物が次々と倒壊して瓦礫に変わっていく。


リリスは、無表情でその風の中に立っていた。

真っ白な薄絹が、激しくはためく。


頭の上の光輪は、とうとう消えた。


「なんなんだよ、このクソみたいな世界」


ずっと胸の中にしまっていたツッコミが、今度こそ口から漏れ出した。


煙の向こうで、国王は相変わらず微笑みながら咳払いした。


「それでは、大会を制したそなたに姫を嫁がせ、王国の秘宝たる竜殺しの剣を授けよう」

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