第10話 歴史の影
1946年 4月15日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
ホワイトハウスの大統領執務室には、大統領ハリー・S・トルーマンと少数の閣僚、そして20歳にも満たない青年がいた。
「君の若さで名誉勲章が授与されるのは極めて異例だ。だが、反対意見は一切出なかったよ」
トルーマンは軍服を着込んだ青年に、笑顔で話しかける。
だが青年は緊張した面持ちで、姿勢を一切崩さない。
その様子を見て、大統領は苦笑いを浮かべる。
「ありがとうございます…しかし、これは私だけの戦果ではありません」
「そうだな。あの戦いで死んだ全ての兵士、そして自らを犠牲にしてあの悪魔を封印した君の"友人"に代わって、これを受け取って欲しい」
そう言うとトルーマンは、青年の首に星を象ったメダルをかけた。
合衆国において、これより上位のものは存在しない、最高位の勲章だ。
トルーマンは自身の手を差し出し、青年に握手を求める。
青年はその手を力強く握った。
「この上ない光栄です…大統領」
「非公式の授与となってしまい、本当に申し訳ない」
「いいえ、これも国家の未来のためです」
青年の言葉に、再び笑みを浮かべる。
「確かに非公式ではあるが、我々は君を心より尊敬している。人類に今日があるのは君のおかげだ、テイラー」
ジャック・テイラーは直立不動のまま、大統領に敬礼を捧げた。
「ジャックが…生きていたのか」
グリフォスはやっとの思いで言葉を紡いだ。
「今は静岡で静かに余生を過ごしているようだ…って、知り合いなのか?」
八重山はグリフォスを見上げる。
セーネとメフィア、そして隼太も、不思議そうに見つめている。
「俺の先代の竜騎士らしい。俺も会ったわけじゃないけどな」
「それは驚いたな…」
未だに驚いているグリフォスに代わり、峰人が全員に解説する。
思わぬ関係性に、八重山も驚きを隠せなかった。
「…とにかく明日、彼に会いに行く。グリフォスも一緒にな」
八重山のその言葉で、今日のところは解散となった。
2018年7月25日 静岡県 熱海市
「よし、あの家だ」
峰人の言葉で、グリフォスは地上へ降下し始める。
その下にあるのは、誰もが羨みそうな豪邸であった。
プールも完備されており、ゴルフ場を作れそうなくらいの庭もある。
その庭の中に1人、朝日を浴びながらコーヒーを嗜む老人がいた。
グリフォスは、その老人の近くにゆっくりと着陸する。
老人は驚き、何事かという様子で振り向くが、すぐにそれは別の驚きへと変わった。
「これは夢か…!?」
老体をものともせず立ち上がり、舞い降りたドラゴンの元へ駆け寄る。
「よう、随分と老けたな…ジャック」
「お前は全く変わらないな…グリフォス」
ジャックは震える手で、グリフォスの顔に触れる。
その感触は、70年前と全く変わっていない。
青く美しい翼も、あの頃のままだ。
「ようやく約束を果たせた。この日をどんなに待ちわびたか…」
"再会するその日まで、必ず生き続ける。"
彼らが交わした、最後の約束だ。
「正直死んでると思ってたぞ」
「お前は…」
グリフォスが冗談交じりに言った。
ジャックはそれを聞き、呆れたように笑う。
「ジャック、一体何が…きゃあっ!!」
家から出てきた年老いた女性が、耳をつんざくような悲鳴をあげて、手に持っていたグラスを落としてしまう。
そのまま腰を抜かし、ガタガタと震えたままグリフォスの姿を見つめた。
「ジャック…そんな、なんて事…」
「おいおいヘレナ、襲われているわけじゃないよ。昔話しただろう?私の古い親友だ」
ヘレナは訳が分からないという様子で、ジャックとグリフォスを交互に見比べている。
「彼女は誰だ?」
「私の妻のヘレナだ」
「なっ!?結婚したのか!?」
今度はグリフォスの方が驚く。
まるで信じられない、と言った様子だ。
「おいおい、私も1人の男だぞ。結婚くらいするだろう」
「いや…お前はそういうのとは無縁かと
「なんて失礼な奴だ」
ジャックは自分の財布から、大勢の人間が写った写真を取り出す。
「今は子供が4人、孫が10人いる。これで信じたか?」
「へぇ…何でお前なんかが」
ジャックは勝ち誇ったように、家族の写真を見せつける。
彼らの表情は、一様に幸せそうだった。
「それで、あの後お前はどうしてたんだ?」
グリフォスが何気なく聞くと、途端にジャックの表情が暗くなる。
「グリフォス…あの戦争で俺は、自由の為、独裁者を打ち破る為に戦った。その先に平和があると信じたからだ。だが、それは違った。実際にあったのは、さらなる覇権争いだ。俺は軍に人生の全てを捧げたが、本当に意味があったのだろうか…」
ジャックは椅子に腰を掛け、暗い表情で俯いた。
それは、彼が乗り越えた多くの戦いを物語っているかのようだった。
幾多の戦いに思いを巡らせるジャックに、グリフォスがゆっくりと近づいていく。
「この世に多くの意思がある限り、争いを無くすことは不可能だ。だが今も、この世界はこうして存続している。俺たちに出来なかったことだ。どんな過程があろうとも、結果的に何かを守れたのなら、それは価値のある行いだということだ」
ジャックは話を聞きながら、ゆっくりと目を閉じる。
かつての親友に心中を打ち明けたことで、長年の苦悩が、少し和らいだようであった。
そのまま深呼吸をして、再び口を開く。
「グリフォス、俺は家族や戦友に囲まれ、幸せに生きた」
「なら意味があったってことだろう」
グリフォスの声は優しかった。
それを聞いたジャックは静かに笑い、夏の暖かい風を感じ取っていた。
峰人はその場から離れていた。
話に入れる雰囲気でもなかったし、そもそも英語で会話していたので内容が全く分からなかった。
だが、どちらも心から喜んでいたのはよく分かった。
物陰から彼らの再会を眺め、そして小さく微笑んだ。
「ところで、お前と一緒に来たあの少年は誰だ?」
ジャックは、再会してからずっと疑問に思っていたことを聞く。まあ、おおよその見当はついていたが。
「ああ、あいつは峰人だ。俺の新しい相棒、お前の後釜だな。おい峰人!そろそろ出てこいよ!」
峰人は驚いた。
ここで自分が呼ばれるなど想定していなかったからだ。
恐る恐る、ジャックの前に出ていく。
「お前…….今度はこんな子供を巻き込んだのか!全く信じられん奴だな」
「違う違う!怪我してたのを助けてやったんだよ!」
ジャックに責め立てられ、グリフォスは慌てて弁解を図る。
しばし経つとジャックに手招きをされ、そのまま峰人は彼の方に歩いていった。
「君がグリフォスの竜騎士だな?若さがみなぎっているな」
「あなたがテイラーさんですね?」
「ジャックでいい。我々はもう友人だ」
ジャックの日本語は流暢だった。
日本人と比較しても遜色ないくらいだ。
それにしても、70歳以上も年上の友人というのも、何とも奇妙だ。
その場はしばらくは暖かいムードだった。
だが、それを破ったのはグリフォスだった。
「あ!すまんジャック、自衛隊が来ることを言い忘れてた」
「何だと!?一体どういうことだ?」
「アメリカがゾルダーをどうしたのかを聞きたいそうだ」
「馬鹿野郎!そういうことは先に言え!」
ジャックは慌てて家に戻り、着替えを始めた。
何かとトラブルを持ち込む元相棒に、頭の血管が切れそうになる。
自衛隊の車両が到着したのは、それから数分後のことだった。
八重山を先頭とする数名の自衛官が、ジャックの前にやって来る。
ジャックは軍服に身を包んでいた。
現役時代に何度となく着たものだ。
「テイラー中将、お会いできて光栄です」
「もう中将ではないよ」
八重山が敬礼をすると、ジャックも敬礼を返した。
「ん?あいつ、中将になったのか??」
「ええ、そうよ」
「昔は二等兵だったのにな。"テイラー二等!一体どこで昼寝をしていた!?"とかって怒鳴られてた」
「あはは!そんな時代もあったのね」
グリフォスとヘレナは、知らないうちに打ち解けていた。
ヘレナは夫の恥ずかしい昔話を聞くたびに何度も大笑いしている。
「…それで、例のドラゴンに関することを聞きたいのだったな」
「はい、人類の存亡に関わるかもしれません」
「古い友人の頼みだ。聞かぬ訳にもいかないな。峰人も一緒に来てくれ」
ジャックは2人を家の中に案内すると、何の変哲も無い本棚の前に立った。
八重山と峰人は、不思議そうに彼の後ろ姿を見つめる。
ジャックは本をいくつか取り出すと、本棚の奥にある装置が顔を出した。ジャックはそこに自身の指をかざす。
おそらく指紋認証装置だろう。
すると、本棚が扉のように開き、地下へ続く階段が現れた。
所謂、隠し扉だ。
「これから見せるのは、アメリカが70年間隠し続けたものだ」
八重山と峰人はしばらく見とれていたが、ジャックが階段を降り始めると、慌ててそれに続いた。
地下室は無機質であり、電気をつけて尚薄暗い。
だが部屋の中は、何千、何万という山のような資料にあふれていた。
ジャックは、その中のいくつかを棚から取り出し、手に取った。
「ゾルダーとの戦いの後、合衆国政府は全ての記録を闇に葬った。東側にこの究極の生物の存在を知られないためだ。だが同時に、この生物を極秘に研究し、兵器として利用しようともした。不死身の生物が兵器となれば、核に代わる脅威となり得る。冷戦構造はあっという間に崩壊しただろう」
そう説明しながらジャックは、分厚い資料を手際よく見せていった。資料には、アメリカ国防情報局のシンボルが印刷されている。
「政府はソ連に情報が漏れることだけは何としても避けたかった。だから同じ西側の国家にも協力を求めなかった。そこで、政府と癒着の深かった"ビフレスト社"に白羽の矢が立った」
「ビフレスト社って…あの世界的大企業の?」
ーーービフレスト社…。
峰人には聞き覚えがあった。父が生前働いていた会社だ。
「そうだ。政府とビフレスト社は、ゾルダーを回収する隙を伺っていた。そして'86年の三原山噴火の際、調査と称して極秘裏にゾルダーを回収した。だが直後に冷戦が終結し、計画は全て破棄された」
「回収したゾルダーはどうなったんです?」
「計画はビフレスト社に一任され、その後アメリカは一切関わっていない」
ならばビフレスト社は今もゾルダーを保管しているのだろうか。
ビフレスト社の目的はどうあれ、何としても奴が目覚める前に見つけ出さねばならない。
「ゾルダーがどこにいるか、検討はつきますか?」
「愛知県沿岸に、ドラゴン研究のための海底施設が建造されていた。今はビフレスト社が管理してる。おそらくそこだろう」
ジャックから情報を聞き出した八重山と峰人は、すぐに行動を起こした。
「はい!間違いありません!ゾルダーはビフレスト社が!ギデオン軍が見つける前に、今すぐ動かなければ!」
八重山が、無線機に向かって叫んでいる。
他の自衛官も、慌ただしく帰還の準備をしていた。
「よし、俺たちも行くぞ、グリフォス!」
峰人もまた、急いでグリフォスの背に乗った。
ギデオン軍との激しい戦闘もあり得る。すぐにセーネたちに知らせなければならない。
「峰人、ちょっと待てくれ」
不意に、ジャックに呼び止められる。
「ジャック、今は時間が…」
「分かってる。だがどうしても言っておきたくてな」
ジャックはグリフォスに聞こえない程度の小さな声で話す。
「私は72年前、グリフォスに最後の力を使わせてしまった。私が日本に来たのは、グリフォスを何とか探し出したかったからだ。それだけ、あの戦いのことを後悔していた。だから、君は悔いのないようにな」
ジャックはそれだけ言うと、惜しむよにゆっくりとグリフォスから離れた。
「この世界を頼んだぞ、相棒!」
ジャックが高らかに別れの挨拶をすると、グリフォスは勢いよく大空へ飛び上がった。
同日 伊豆諸島 八丈島
陽は黒雲に隠れ、辺りは冷たい風が吹いている。
エアルとセイバーは、不気味な山の中を一心に進んでいた。
空から見た時、この周辺に遺跡が確認できた。
隼太が見せたのと同じものだろう。
おそらくそこにオリジン・ストーンがある。
ギデオン軍が狙うオリジン・ストーンが。
エアルの故郷は、ギデオン軍に滅ぼされた。
友人も、家族も、奴らに殺された。
だからもう、仲間は持たないと決めた。初めから失うものは無い方がいい。
「なぁエアル…やっぱりグリフォスたちに協力してもらった方が良かったんじゃないか…?」
そう言ったセイバーに、エアルは若干苛立った調子で答える。
「お前も解ってるだろ?今更仲間なんて持ってどうする?」
「…まあ、そうかもな」
「俺は必ず皆の無念を晴らす…俺自身の手でな」
遺跡の入り口に立つと、エアルは鋭い目で空を見つめた。
死んでいった者たちの顔が、今も鮮明に思い出される。
世界を救った英雄になりたいわけじゃない。
ただ復讐のため…それだけのために生きてきた。
エアルは遺跡に入ると、迷うことなく奥へと進んだ。
至る所が破壊されており、そこら中に水が溜まっている。
「ここまで荒れていたか…?」
エアルは胸騒ぎを覚えた。
何かがおかしい。風化による壊れ方ではない。まるで強い力で叩き壊したような感じだ。
さらに進むと、やがて遺跡の最深部に到着した。
だが、そこにオリジン・ストーンは無かった。
ストーンが置かれていたであろう祭壇の上にも、今は何もない。
「まさか…もうギデオン軍が?」
エアルは来た道を急いで戻り、セイバーの元へ向かう。
「…エアル?どうしたんだ、そんなに急いで」
「ストーンがどこにも無い!」
「何だって!?見落としたんじゃないのか?」
「遺跡はあちこち破壊されてた…きっと誰かが侵入したんだ!」
話を聞いたセイバーは驚きながらも、思慮を巡らせた。
「何てことだ…ギデオン軍が来ないわけだ。早くみんなに知らせないと…」
「そう急ぐな。私はここにいる」
そう、答えたのは、エアルでもセイバーでもなかった。
彼らは驚いて、上を見上げる。
そこには、30mはある巨大なドラゴンの姿があった。
体が不気味に発光し、そこから不定期に放電が行われている。
「お前は…ノヴァ!!?」
セイバーが驚きの声を上げる。
「ノヴァ…?ギデオン軍のNo.2か!?」
エアルも、ノヴァの話はよく聞いていた。
ゾルダーの右腕で、七聖竜に次ぐ実力を持っているらしい。
無論、実際に見るのは初めてであったが。
ノヴァはゆっくりと、周囲を見回す。
「グリフォスもいないとは…話にならんな」
「くっ…なめるな!」
挑発とも取れる言葉に怒ったセイバーが素早く飛び上がり、ノヴァの顔に向け火球を放つ。
ノヴァはその間微動だにせず、まともに火球を食らう。
「よし!」
エアルも、喜びの声を上げた。
だが、その喜びも一瞬で鎮まった。
「分からないか?お前たちでは決して私には勝てない」
ドラゴンの火球は強力だ。通常のドラゴンならば、直撃すればただでは済まない。
だがノヴァは、顔の一部が焼け焦げただけだった。
その僅かな傷も、一瞬で治癒してしまう。
愕然とするセイバーに、ノヴァの視線が定まる。
「ではこちらの番だ」
ノヴァの口から、稲妻のような電撃が放たれる。
「ぐわあああああああああああああああああああああああああ!!!」
その直撃を受けたセイバーは、エアルが聞いたこともないような悲鳴をあげる。
電撃を受けたのはほんの数秒だったが、身体の至る所が痛々しく抉られ、傷口が焼け焦げた。
ドラゴンの強靭な皮膚も、ノヴァの前には全くの無力だった。
「くっそおおおおおおおお!!!」
エアルが、竜剣から渾身のエネルギー弾を放つ。
それはノヴァに命中したが、異常なまでの耐久力の前には効果は無かった。
次の瞬間、ノヴァの鋭く巨大な鉤爪が、エアルの右腕を叩き潰す。
右腕の肘から下を失ったエアルは絶叫し、悶絶した。
ノヴァは敢えて急所を外した。痛めつけられる相棒の姿を見せつけるためだ。
ノヴァは再び電撃を放ち、動けないセイバーの翼を根元から切断した。
「お前にはまだ用がある。一緒に来てもらおう」
そう言うとノヴァは、両足でセイバーを抱え、どこかへ飛び去っていった。
「セ…セイバー…」
エアルは無力感に苛まれながら、仇敵が去っていくのをただ見つめていた。