6 過ぎ去りし日の思い出① ‐日野陽子‐
――中学生の頃、自分はどこかおかしいのだと思っていた。
「え? 断わるの?」
中学二年の秋。部活終わりに友達と三人で帰っていた時のことだった。大きな目を見開いて佐奈は言った。そんな佐奈の隣で優希も驚いたようにこちらを見ている。
「そりゃ、あいつ頭は良くないけど、まあまあかっこいいし、性格だって悪くないじゃん」
「いやまあ、それは思うけど……」
「だったらなんで断るなんていうわけ?」
「……好きじゃないから」
それを聞いて佐奈ははあーっと深いため息をつく。だが陽子には佐奈がため息をつく理由がわからなかった。
陽子が告白されたのは、これが初めてではない。彼女は告白されてもいつも誰にも相談せず、大抵すぐに断っていた。そして今回もまた断ろうとしたのだが、返事はいつでもいいからと、その男子生徒は走り去ってしまったのだ。その姿を追いかけようとした時、後ろから二人に声をかけられ、そして今そのことでずっと質問攻めにあっている。
「取り敢えず付き合ってみればいいのに。それから好きになるってこともあるかもよ?」
今度は優希が尋ねる。
「それはないかな、多分」
「どうして?」
「だって付き合うってことは、手を繋いだり、き、キスとかしたりするってことでしょ?」
「うんまあ、そうだね」
「何か気持ち悪くない?」
「「はい?」」
二人の声が重なる。
「男子って何か汚い感じするんだよね。汗臭いし、カバンとか机の中とかぐちゃぐちゃだし。トイレ行ってもちゃんと手洗ってんの? とか思うし。それに」
「もういい、わかった。私達が悪かった」
佐奈は半分呆れたような顔でそう言った。その後は二人ともそれ以上のことは何も聞いてこなかった。
陽子が恋愛に関して自分の胸の内を吐露したのはその時が初めてだったが、二人の反応を見て自分は少し変なのかもしれないと思うようになった。
その日を境に、友達が学校で好きな人の話や彼氏の話をしていても、陽子はその輪には入らなくなった。元々自分から必要以上に話をしないタイプではあったが、この間のことがあってから、尚更会話に入りづらくなったのだ。そしてだんだんと、そうした周りとの違いに違和感を感じていくようになった。
けれど、そんな陽子の気持ちなど知らずに、その後も何人かの男子達が陽子に告白をしてきた。
友達として接する分には何とも思わないのに、恋愛対象として考え出した途端に気持ち悪いと思うのはなんでだろう……。
陽子は丁寧に断りの言葉を述べながらも、内心ではますます男子に対して嫌悪感を持つようになっていった。
そして陽子はその後も誰とも付き合うことなく中学校を卒業した。結局陽子が誰かを好きになることはなかった。おかしいと思われたくなくて誰にも相談できなかった陽子は、次第に焦り始めていた。
――自分はどこか人として欠陥があるのかもしれない。
そんな不安を抱えながら陽子は高校生になった。
高校では取り敢えず何人か友達を作ることが出来た。けれど、陽子はあまりみんなと心から打ち解けることができずにいた。それというのも、自分が人としておかしいのではないかと、そんな風に考えるようになってから極端に自分のことについて話すのを恐れたからだった。
それでも表面上は皆と何とか上手くやっていくことが出来ていた。しかし、その分陽子に掛かる負担は大きく、友達と話すことで疲れることが多くなっていった。
放課後は帰宅部の友達に誘われて、時々カラオケや映画に行くこともあったが、怪しまれない程度に陽子は誘いを断っていた。そして、断った日は決まって学校の図書室に足を運んだ。用があるといって断っているのに、真っ直ぐ家に帰るのは何だか気が引けて、陽子は人気の少ない図書室で時間を潰してから帰った。
そしてその日もいつものように適当な本を選んで時間を潰そうとしていた。ただ、いつもと違うのはそんな自分をチラチラと見てくる人がいるということだった。
けれど陽子はそれを気にすることなく、一冊の本を手に取りその場から離れようとした。その瞬間、あの! と声を掛けられた。
声を掛けてきたのは先ほどからチラチラと視線を送っていた女子生徒だった。身長はあまり高くなく、フワフワとした長い髪が特徴的で、その髪が揺れるたびシャンプーのいい香りがした。足元を見ると赤色の上履きを履いていて、三年生であるとわかる。彼女は言いづらそうに何度か目を伏せた後、こちらを見て言った。
「あの……。その本今日借りてきますか?」
「え? ……ああ、いや、借りるつもりはないです、けど」
「あ、そうですか!」
「……もしかしてこの本借りるつもりでした?」
その問いかけに彼女は遠慮がちに頷く。
「じゃあ、どうぞ」
そういって陽子は持っていた本を差し出した。
「いやいや。そっちが読み終わってからで全然。そもそもそっちが先に手に取ってたものだし……」
「いいですよ、私これすごく読みたいってわけじゃなかったんで」
時間さえ潰せれば別に何でもいいと思っていた陽子は、何の躊躇いもなくその本を手渡した。そのことが却って彼女に気を遣わせたようで、本を手にした後、申し訳なさそうに何度も謝られた。
「本当に気にしないでください。それじゃあ……」
そう言って陽子はその場から立ち去った。代わりに別の棚から他の本を一冊抜き取り、適当な場所に座って読み始める。
それにしても、そんなに面白いのかな、あの本。凄く読みたかったわけでもないのに、あの人が声を掛けてまで読みたがっていたあの本のことが陽子は少し気になっていた。
それから二日が経った。陽子はまたも放課後、図書室に顔を出していた。
きっとまだ返されてないだろうな。そう思うのについ気になって、陽子はその本があった棚の前まで向かおうとした。その時、見覚えのある女子生徒が受付に向かって立っているのが見えた。
その人はどうやら本を返却しに来たようだった。しばらくその様子を見ていると、返却し終えたのか急に振り返り、そして陽子と目が合った。
「あ、この前の」
「……こんにちは」
なぜだか恥ずかしくて陽子は真っ直ぐにその人の顔が見れなかった。
「この前はありがとう。実を言うと、なるべく早く読みたいと思ってたんだ」
「そうですか、なら良かったです」
そう言いながらも陽子は、彼女の言葉に違和感を感じていた。
確かあの本は新作コーナーの棚にあったから、他の本に比べて読む人も多いはず。だったら、ここで借りるよりも買った方が確実に早く読めたんじゃないのかな……。いや、まぁでも結果的に借りれてるけど……。
そんなことを考えていると、不思議そうな顔でその人は陽子を見つめた。
「どうしたの?」
「え、あ、いや。別に何でも……」
「そっか。あの本なら今日返したから、多分返却ボックスに入ってると思うよ」
それじゃあね。そう言って彼女は図書室を後にした。彼女がいなくなった後も、その場所にはまだ少しシャンプーの良い香りが残っていた。
「なんだよ陽菜、こんなとこいたのか。連絡しても既読つかねえから探したわ」
一瞬ボーッとしていると廊下から男の人の声が聞こえた。
「ああ、ごめん。見てなかった」
その声に答えているのは、紛れもなくさっきの女子生徒だった。
「あ、てかマジで貸してくれてありがとな。明日返すよ」
「返すのは別にいつでもいいよ。それよりどこまで読んだ?」
「あと五十ページってとこかな。でも麻美龍一はいつもそこから話が逆転して面白くなったりするから、今回のも多分……」
歩きながら話していたのか、次第に二人の声は遠ざかっていった。
そういえばと陽子は返却ボックスの棚を見る。やっぱりだ。彼女が借りていたのはミステリー作家、麻美龍一の新作だった。




