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あの日々は蒼き春  作者: つきもと みや
12/13

12 本当の想い ‐日野陽子‐

 ここ最近二人の様子が何だかおかしい。けれどそれが何かはっきりとはわからなかった。ただ二人の関係性が今までのそれとは違っている気がしたのだ。互いを見つめる目は切なさを帯び、距離も触れ合うほどに近い。なのに友達という関係を無理に演じている、そんな気がした。


 陽子は自分のことには疎いが、周りのそういったことには敏感で、春美の口から直接聞いたわけではないが、なんとなく彼女はシュウのことが好きなのではないかと感じていた。そしてシュウも春美のことが好きなのではないかとも思っていた。しかしそうではなかった。以前シュウに春美が好きかと聞いたとき、彼は否定したのだ。逆に彼の方から、春美のことを好きなのではないかと聞かれて、つい動揺したことを陽子は思い出す。彼はいつも鋭い。けれど今回に限っては少しだけ外していた。

 初めて春美を見たとき雰囲気が先輩に似ていると思った。ふわふわとした長い髪に、華奢で小さい体。顔はあまり似ていなかったが、優しい雰囲気や彼女から発せられる甘い香りは先輩を思い出させた。それは先輩がリュックにつけていたあの猫のキャラクターのTシャツを無意識に貸してしまうほどに。

 春美のことが好きなのか。シュウにそう聞かれた時うんとは言えなかった。

 だって、私は春美が好きなんじゃない。先輩に似た春美が好きなんだから。

 随分酷いやつだという自覚はあった。それでも、春美と話していると不意に先輩が現れて、あの時の気持ちが思い起こされる。それが心地良くてずっと一緒にいたいと思えた。

 そんな風にして見ていたから、春美の気持ちが誰に向いているのかもすぐにわかった。

 最初それがわかった時、陽子はシュウに嫉妬した。というより焦ったのだ。先輩を思い出せる大切な時間がなくなると。けれどそれがどれだけ傲慢なことかは十分に理解していた。

 だから、シュウが春美を好きだと言えば素直に二人を応援しようと思っていたのだ。


 もし二人が想い合っているのに、自分に気を使って付き合えていなかったら。いやそれより、付き合っているのに陽子に言えずにいたとしたら。それを考えると複雑な気持ちになった。


 陽子は一人静かに部屋で考える。もうすっかりここにあるのが当たり前になっている自分の持ち物を見つめては溜息をついた。この部屋と別れる日もきっと近い。



「ふあぁあー……」


 リビングにあるソファーの上で陽子が大きくあくびをしたのは、もうすぐ日付も変わるという夜の十一時半のことだった。

 陽子の隣でスマホをいじっていた春美は顔を上げ、陽子を見る。


「もう寝たら?」

「うん……。春美は?」

「私は……」


 そう言って春美は視線を逸らす。逸らした視線の先にはシュウがいた。しかし彼はその視線には気づかずに、何やら雑誌をペラペラとめくっている。

 少し躊躇った後で春美は、まだ起きてようかなと言った。


「そっか……。じゃあ、おやすみ」


 言いたいことは一杯あったが、どれも口に出すことは出来ず、そのまま飲み込んだ。

 そうしてソファーから立ち上がり、陽子はリビングを後にする。


「おやすみ」

「ん?何、もう寝んの?」


 シュウはまるで陽子たちの会話を聞いていなかったかのような反応を見せた後、おやすみと声をかけた。



 二階に上がり自分の部屋のドアを開ける。パタンと閉めると自然に溜息が出た。

 あからさまにシュウを見つめる春美を、陽子は黙って見ていることしか出来なかった。


「いっそ言ってくれたら楽なのに……」


 そう思い声に出したが、寂しさがより一層深まるだけだった。こうして考えていても仕方がない。陽子はベッドまで足を運んだ。

 バタッと倒れこみポケットからスマホを取り出そうとした時だった。


「……あれ?」


 いつもズボンのポケットに入れているはずのスマホがない。


「……リビングかな」


 二人きりの空間に足を踏み入れたくはない。けれど……。

 陽子は仕方なく重い体を起き上がらせて、部屋を後にした。


 ゆっくりと階段を降りリビングのドアの前に立つ。すると中から話し声が聞こえて来た。

 二人とも私がいなくなるの待ってたのかな……。

 途端に自分が邪魔な存在に思えてくる。ここにいてはいけないと、心の中で誰かが囁いてくるようだった。

 一旦引き返そう、そう思った。だがそんなことではダメだと自分に言い聞かせる。そして、ドアノブを強く握りしめ、磨りガラスで覆われたそのドアを思いっきり開けた。


「……っ陽子!」

「……」


 ドアを開けるとそこには、互いを優しく抱きしめ合うシュウと春美の姿があった。



「あ、ち、違うのこれは……」


 春美はすぐにシュウから離れ、まるで言い訳するかのように陽子に話し始めた。


「陽子が思ってるようなのじゃなくて……」

「隠さなくてもいいよ」

「……え?」


 陽子はスウッと息を吸い込み小さく吐き出す。そしていかにもわざとらしい笑顔で春美を見た。


「……二人付き合ってるんでしょ?」

「え、何言って……」

「そんな気はしてたけど、本当にそうだったんだね。でも二人とも私なんかに気使わないで言ってくれれば良かったのに。そしたら私だって……」

「……違う」


 その時、シュウの低い声が陽子の言葉を遮った。


「違うよ。付き合ってなんかない」


 シュウはそう言うと悲しい顔で陽子を見た。


「……嘘」

「嘘じゃない」

「嘘でしょ!だって、最近二人の様子おかしかったし、今だって抱き合ってたじゃない!」


 シュウははぁーっと息を吐き、ズカズカと陽子の元に近づく。


「……何よ」

「本当に付き合ってないんだ。俺たち」

「抱き合ってたのに?そんなの信じられないよ……」


 陽子がそう言うとシュウは辛そうな顔をし、そして何か考えるように下を向いた後ボソリと呟いた。


「……付き合ってはないけど、ああいうことはよくしてた」

「……どういうこと?」


 陽子は頭が真っ白になった。


「ちょっと待って……。付き合ってないんだよね?」

「……」


 シュウは何も言わない。けれど陽子にはそれが俄かに信じられなかった。シュウも春美もそんなことをする人ではない。そう知っているからこそ、この状況を陽子は受け入れ難かった。


「私が……」


 その時不意に春美が口を開いた。


「私が言ったの。付き合ってくれなくていいから、その代わりにって……」

「なんでそんなこと……」

「好きだったからだよ!……シュウのことずっと、好きだったから……。だからそれでも良いって思ったの」

「でもそんなの……。シュウもどうして……」

「シュウは悪くないの!シュウは何も……」


 するとシュウは春美の方を振り返り、彼女を見つめた。


「いや、俺が悪いよ」

「……違う。シュウが弱ってるところに付け狙った私が悪いの」

「だけど結局俺は春美の誘いを断りきれなかった。だから俺が悪いんだ、全部」

「ちょっと待って……。どういうこと?」


 シュウが弱ってた?そこを付け狙う?何のことを言ってるの……?

 陽子には二人が何を言っているのかまったくわからなかった。不安な気持ちでシュウを見たが、彼は陽子の疑問に答えようとはしなかった。

 すると痺れを切らしたように春美が口を開いた。


「シュウには好きな人がいるの」

「え……春美じゃなくてってこと?」


 春美は小さく頷く。シュウは春美が好きなんだと思っていただけに驚いた。じゃあ一体誰のこと……。


「シュウは、シュウの好きな人は……」

「春美!」


 シュウは大きな声でそう名前を呼ぶと、春美の腕を掴んだ。そんなシュウを春美は辛そうな顔で見つめる。


「……私、シュウが傷つくの見たくないよ」

「……」


 そう言うと春美は陽子の目を真っ直ぐに見つめた。陽子もまた目を逸らさずに彼女を見つめ返した。


「シュウはね、ずっと陽子のことが好きだったんだよ」

「え……」


 その言葉に思わず陽子は固まる。違う、そんなはずない。だってシュウは……。


「ごめん……」


 シュウは小さい声でそう言った。彼の顔はまるで色を失ったようにみるみると白くなっていった。その姿を見て陽子はそれが事実であるとはっきり気がついた。


「高校の頃から、俺ずっと陽子のことが好きだった。だけどお前があの日俺に打ち明けてくれた時に、友達でいようって決めたんだ」


 頭を強く叩かれたような衝撃が陽子を襲った。そんなに前からシュウが自分のことを好きだったなんて……。

 彼の気持ちを考えるといたたまれなかった。どうして自分は気づいてあげられなかったのだろう。そんなこと今さら思っても仕方ないのに、そう思わずにはいられなかった。


「だけど……」


 シュウは声を少し震わせて話し続ける。


「それが出来なかった……」

「え、どうして……そんなことないよ!シュウはずっと私と友達でいてくれた」

「違うんだよ、全然違う。俺は本当に酷いやつなんだ」

「何でそんなこと言うの?」

「それは……俺がお前が寝ている間にキスするような奴だから……」

「え……」

「お前にバレないように何度かキスしてたんだ。お前のこと友達とか言っておきながら、全然友達としてなんか見れてなかった……。本当にごめん」


 まさかそんな……。思わず陽子は自分の唇に触れる。自分の意識がない時にそんなことがあったなんてとても信じられない。しかもその相手がシュウだなんて……。それを聞いた瞬間、陽子は咄嗟に気持ち悪いと思ってしまった。

 それから、陽子のシュウを見る目が一気に変わった。今まで自分に好意を寄せてきた男達と同じようにシュウを見てしまう。

 シュウのことを大事に思う気持ちは変わらないはずなのに、陽子は裏切られたように感じた。


 陽子はそのまま何も言えずに黙り込む。シュウの顔をまともに見ることが出来なかった。


「本当に謝って済むことじゃないのはわかってる。でもごめん……」

「……」


 何と言えばいいのかわからずに、ひたすら下を向いて口を閉じる。こうしていても仕方がない。けれどあまりにも衝撃的な事が次々に起こってしまい、陽子は何も考えられなくなっていた。


「陽子だって酷いよ……」

「え?」


 暫くの沈黙を破ったのは春美だった。彼女は今まで見た事ないような鋭い目つきで陽子を見ていた。


「確かに、シュウがしたことは良くないことかもしれない。だけど、今までずっと陽子のことだけを思ってそばにいたんだよ? 友達だからって……」

「それは、わかってるよ」

「ううん、わかってない。わかってたら……そんな風に自分ばっかり傷ついた顔出来ないよ……」


春美の言葉はまるでナイフのように陽子の心に突き刺さる。彼女の言う通り、陽子は自分だけが傷つけられたと思うばかりで、シュウに対して何も優しい言葉をかけることが出来ずにいた。


「さっきの話だって、陽子に悪いからって本当はもっと前に言おうとしてたんだよ」

「え……」

「だけど、陽子と友達にも恋人にもなれないシュウがあんまりにも可哀想で……。だから私が言うのはやめたほうが良いって言ったの」


 その言葉でシュウが今どんな思いで、陽子に本当のことを伝えたのかがわかった。友達にも恋人にもなれないことが、彼にとってどれほど辛いことか。そして、そういった関係を壊さないようにずっと自分の気持ちを隠して一緒にいることがどんなに辛かったか。

 その時、陽子の目からポロポロと涙が溢れた。シュウの優しさに気付かなかったこと。もう今までのようにはいられないということ。そしてやはり、シュウにとって私はただの異性でしかなかったということ。

 そういったことが一つずつ涙に変わり溶けていく。ただただ陽子は静かに泣くことしか出来なかった。


「陽子……」

「ごめんね……ごめん……。ごめんなさい」


 陽子はもうそれしか言えなくなった。そんな彼女のそばに春美が駆け寄る。


「違うの。私陽子を責めたくて言いたかったわけじゃない。だから、泣かないで……」

「春美……春美も、ごめんね」


 謝っても仕方がないとわかりながら、それでもそれ以外の言葉が浮かばなかった。自分がシュウを好きになれないことも、シュウが春美でなく自分を好きなことも、春美がシュウを好きなことも全部どうしようもない。それなのに、それが凄く辛かった。

 その時陽子の身体を大きな腕が優しく包み込んだ。それがシュウであるのはすぐにわかったが、陽子はそれを振りほどけなかった。

 今一番甘えてはいけない相手なのに、彼の腕の中は心地よく、いつまでもこのままでいたいと思えた。


 どうして皆でずっと一緒にいられないのだろう。そう思いまた涙が溢れた。熱い熱いその涙はシュウの肩に落ちて消えていった。

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