三話
二人でカップを受け取って、空いていた席に座った。こうして向かい合わせで座っていると、本当にデートしているみたいだった。
紫央は熱そうにカップを持ちながら、何度もふーふーと息を吹き込み、おいしそうにココアみたいな香りがするそれを飲んでいた。あれはコーヒーなのか? 俺にはまんまココアに見える。
ふと俺が見ていることに気付いた紫央と目が合った。紫央はもともと黒目がちで大きな目をさらに丸くさせた。
「どうかした?」
「いや、なんでも」
「ふーん。あっ、陽向くんカプチーノだったよね? 一口ちょうだい」
「はっ?」
なんの躊躇もなく、ポカンとする俺の手からカップをさっと掠め取った。俺が止める間もなく、こくこくと二口ぐらい口にする。次の瞬間、紫央は顔をしかめた。
「苦ーい」
「クリームたっぷりあるし、そんなんでもないだろ」
「私はもっと甘い方が好きだもん。ていうか、これもホイップクリームみたいに甘いのかと思ってた……。あ、これ飲んでみる?」
そういって、彼女は今度は自分のカップを差し出してくる。間接キス、の文字が頭に浮かんだ。だが彼女の方は、そんなことはまるで考えていないらしい。天然ととらえるべきか、それとも男として意識されていないのか。
俺が受け取るのを迷っていると、紫央はだんだん眉をさげて悲しそうな顔になった。そんな顔されたら、飲まないわけにはいかなかった。
思いきってカップを受け取り、色もほとんどココアなそれをほんの少しだけ口に含んだ。
「……甘っ」
「当たり前じゃん」
「コーヒーの要素がねえ。やっぱココアと一緒じゃねえかよ」
「えー」
そうかなー、といいながら、紫央はその甘ったるい液体を、幸せそうに飲んでいる。後味にわずかにコーヒーの香りがしたが、甘いものが得意じゃない俺としては、とても飲めたものじゃない。急いでカプチーノを三口一気に飲み、口の中をリセットした。
十五分といいながら、ゆっくり飲んでいるうちに二十分はすぐに経過した。また次の電車だね、なんて紫央は屈託なく笑う。早く帰ってマンガ読みたい、なんて思いはとうに失せていた。
ようやくカップの中が空になり、紫央は出る前にトイレに行くといって席を立った。俺はその間、二人分のカップを捨てに行った。
ふたとカップを別々に分けていると、うしろからいきなり肩をつかまれた。紫央かと思って振り向いたら、そこには別の人物、だがよく見知った顔が立っていた。
同じクラス兼友人の一人、影野雄大が、なにやらにやにやしてこちらを見ていた。姓名に似合わず、見た目がチャラくてちょっとバカ。どうやらこいつも店内にいたようだった。
「よっ、陽向」
「おす」
「おまえ水臭えなぁ。彼女いたんなら紹介してくれよ」
「は?」
「あの制服、桜花だろ? いいなぁ、逆玉できんじゃん。なあ、彼女の友だちを俺に紹介してくんないかな」
どうやら紫央といるところを見て、なんか勘違いしているらしい。目をぎらつかせている雄大から、俺は一歩離れた。
「別に彼女じゃねえし。友だちだよ」
「嘘つけよ。飲み物の飲み比べとかしやがって、このリア充。バカップルオーラ振りまきやがって。コーガイだ、おまえら」
果たしてこいつは、「公害」の意味を分かってるんだろうか。いや、たぶんニュアンスでいってみただけな感じがする。だってバカだもん。
「おまえに関係ないだろ。ほらいけ」
「うわぁ、てめえ彼女ができたからっていい気になんなよ。こんちくしょー!」
「へいへい」
最後までバカみたいなセリフいいながら、雄大はフェードアウトしていった。
タイミングよく紫央が戻ってきた。できれば雄大と一緒にいるのを見られたくなかったからちょうどよかった。
「お待たせー。陽向くんもういける?」
「ああ」
「じゃあいこ」
紫央は自分のカバンをつかもうとして、一回空振りした。
「どうした?」
「う、ううん、持ち手が下の方に落っこちちゃってたみたい」
そういって、今度はカバンごと抱えて持ち上げた。
「ごめんね、いこう」
なにごともなかったかのように手を出され、俺は無意識にその手をつかんでいた。
再び駅の階段を上って、改札口からホームに降り立つ。ちょうど次の電車が来たところだった。下校時間なこともあって、朝ほどではないにしろ少し混んでいる。だけどよく探せば空いている場所がちらほらあった。俺はそのうちの一つに彼女を引っ張っていった。
「ほら、座れよ」
「一つしか空いてないよ」
紫央は困惑したようにいった。
「陽向くんは?」
「俺はいいよ」
「でも……」
なおも躊躇している紫央に、俺は耳元で告げた。
「また朝みたいな目に遭ったら嫌だろ」
すると紫央はおとなしくそこにおさまった。朝のことを思い出したからか、顔が赤い。
俺は彼女の前に吊り革をつかんで立った。次の駅に止まった時、偶然隣の席が空いたので腰かけた。すると紫央は、少しうれしそうに微笑んだ。それが少し照れくさそうに見えたから、不思議に思った。
「どうかした?」
「さっきそこに座ってた人、気をつかってくれたみたいだよ」
紫央はなおもクスクス笑いながら教えてくれた。
「別の空いた席に移動してくれてた」
「なんで?」
「そりゃ、陽向くんがずっと私の手を握ってるからでしょ」
いわれてからはじめて、俺は紫央の手をつかんだままなことに気づいた。無意識のうち、しかも公衆の面前でそんなことをしていたなんて。パッと手を放すと同時に、羞恥心が込み上げてきた。穴があったら入りたいっていうのは、きっとこういう心境なんだろう。
「そ、それなら早くいってくれよ」
「えー、別にいいじゃん。」
「いくない」
むぅっと唇を尖らせる紫央が可愛くて、また心臓がバクバクと鳴りだす。
ふいに紫央がカバンから、スマートフォンを出してきた。
「ねえ、ラインかスカイプやってる?」
「やってるけど」
「よかった。ID教えて」
いわれるがまま俺もスマホを取り出し、互いのラインIDを教えあった。友だち一覧に新規で「蒔田紫央」の名前が入る。
しばらく紫央はやけににやけた表情でスマホを見ていたけど、もうじき自分の最寄り駅に着くとわかってあわててそれをしまった。
電車がゆっくり速度を落とす。いつもあまり気に留めたことがない、降りたことのない駅。そこに紫央の世界がある。
紫央はカバンを肩にかけると立ちあがり、俺を見てにっこり笑った。
「じゃあね。今日は楽しかった」
「う、うん、俺も」
「えへへ。じゃ、また会おうね!」
紫央は最後まで笑顔で手を振ってくれた。俺もぎこちないながらに笑顔をつくり、手を振り返す。電車の扉が閉まり、すぐに発車した。
色々なことがありすぎて、正直頭の中がキャパシティオーバー気味だ。俺の頭はそもそもそんなに容量がない。
ただ、最後に見た紫央の笑顔が目に焼きついて離れない。いつまでも鮮明に頭の中をよぎる。そのたびにドキドキとした。
ほわほわした頭のまま、次の停車駅で降りた。そのまま朝とは違い、ゆっくりと歩きながら家路を進む。その途中、さっき連絡先を交換したばかりのスマホが気になって、立ち止まって取りだした。
ボタンを押すと、新着メッセージの表示が出ていた。はやる思いでそれをタッチすると、画面が切り替わった。
『今日は本当にありがとう。すっごく楽しかった。陽向くんさえ良ければ、また会って遊びたいです。 紫央』
メッセージのあとには、女の子が好きそうなクマのスタンプが張られていた。なんだかもじもじとして、顔を赤くさせている。
どう返事しようか迷っていたら、またスマホが震えて、新しいメッセージが追加された。
『PS 明日からは、いつもより一本早い電車に乗ります』
今朝みたいなことがあったんなら、そうするのも当然かもしれない。いくら犯人が捕まったとはいっても、相当怖い思いをしたはずだ。
散々迷った挙句、女子との会話経験が少ない俺は『わかった』としか返信できなかった。すぐに既読の表示がついたが、それ以降メッセージは来なかった。……嫌われちまったか。
そう思ったのもつかの間、今度はウサギのスタンプが送られてきた。手に持っているニンジンに『またね』と書いてある。
それを見たあとはスマホをポケットにしまった。さっきよりも幾分か軽くなった足で、少し早めに家に帰る。
「ただいまー」
玄関のドアを開けると、中一の妹がすでに帰宅していた。ついこの前まで可愛かったはずの凛香は、まだ学校の制服を着たまま、ぶっきらぼうに声をかけてきた。
「おかえりー。……お兄ちゃん、どっかで頭打った?」
「は? 打ってねえけど。なんで?」
「超にやけてる。キモい」
凛香は心底気味悪そうにいうと、さーっと自分の部屋に逃げていった。本当に可愛くねえ。紫央とは大違いだ。
紫央のことを思い出して、妹にキモいといわれたばかりなのに自分でも顔が緩むのがわかる。こればっかりは抑えられない。あんな素っ気ない返事をしてしまったけど、俺の方こそ、早く彼女に会いたかった。




