十六話
※作者自身の見解と憶測による、病気の説明が出てきます。
素人判断ですので、疑問を感じる点がいくつかあるかと思いますが、この小説の中ではあくまでそういうものとしてお考えください。
そうして、俺と悦美は人気のない見舞い客用の休憩室へ入った。悦美曰く、この時間はほとんどの客は帰る時間であり、ここは空いているのだとか。
そこにあった自動販売機で缶コーヒーを二本買い、一本を悦美に渡した。悦美は受け取ったが、プルタブを開ける様子はなかった。俺も同様だった。聞きたいことがありすぎて、コーヒーどころじゃない。
二人でやけにふかふかしたソファに向かい合って座りながら、どう話を切り出したもんか迷った。悦美も自分で誘っておきながら、どうしようか考えているように見えたが、やがて口を開いた。
「ごめん、陽向くん」
「な、なんだよ」
いきなり謝られ、俺は困惑した。
「なんでおまえが謝んの?」
悦美は眉を寄せながら答えた。
「私、全部知ってたから。陽向くんが紫央に告白しても、紫央が絶対に断るだろうってこと。わかってたけどいわないで、むしろけしかけるようなことしてた。万が一の可能性にかけて、結局二人とも傷つけちゃった。だから……ごめんなさい」
それを聞いて、俺の口からかわいた笑い声が出てきた。
「い、意味わかんねえよ。なんで紫央が俺を振るって、おまえがわかるんだよ? 万が一の可能性って……なんなんだよ!?」
混乱して思わず声を荒げてしまった。悦美がわずかに身をこわばらせた。普段、強気な彼女からは想像もできないような、年頃の女の子の反応だった。
「ごめん」
「ごめんじゃねえよ! 俺は宝くじじゃねえんだ。そんな賭け事みたいに、おもしろがって俺と紫央をくっつけようとしてたってことかよ?」
「ちが」
「冗談じゃねえ。こっちが羞恥捨てて告ったってのに、おまえらはそれを陰で笑ってたのかよ。人の不幸がそんなにおもしろいか!」
「話を」
「おまけに賭け事が終われば簡単にポイか。俺みたいな女子に免疫なさそうなやつを手玉に取るのは、確かにバカみたいで笑えたろうよ。二人でさぞ大爆笑できたんだろ? おまえと紫央で――」
「紫央はなにも悪くないっ。あの子のことを悪くいうな!」
悦美の怒鳴り声で、俺は饒舌に語っていた口を閉ざした。悦美の目が怒りにつりあがり俺をにらみつけている。その迫力たるや、今まで我を忘れていた俺も背筋に冷たいものが走った。
俺が押し黙ると、悦美は再び冷静な声を発した。
「黙ってたことは私が悪かった。だけど責任は全部私のもの。あの子はなにも関係ない。それだけはわかって」
「……わかった」
俺はうなずくしかなかった。
「でも事情は聞かせてくれるんだろうな?」
「私が話せる範囲なら」
悦美は曖昧にいうと、缶コーヒーをテーブルに置いた。
「まず先にいっておきたい。紫央は別に、陽向くんのことが嫌いだから、告白されて逃げたんじゃない」
「じゃあなんで」
悦美の視線が揺らいだ。よほどいいづらいことなのか、唇がわずかに震えている。だがやがて、意を決したように言葉を紡いだ。
「怖かったのよ」
「……怖い?」
なにが? と聞き返す俺に、悦美はさらにいった。
「紫央には、私たちと違うところがあるから」
「違うって……」
「あの子の世界は、私たちの四分の一程度しかない」
俺は瞬きをしてから、オウム返しにいった。
「四分の一……?」
それはなんの謎かけだろう。俺は頭にはてなマークをいっぱいに飛ばしながら考えた。
悦美はようやく缶のプルタブを開けて、中身を一口飲んだ。
「そのままの意味よ。紫央はほかの人が当たり前に見えているものが、見えてないことがある」
「だから、それってどういうことだよ?」
淡々と説明されてもさっぱりわけがわからない。冷静な彼女が恨めしかった。
俺の気持ちを知ってか知らずか、悦美は変わらず落ち着いた態度のままだった。
「私にも詳しい説明はできない。ただ私が知っているのは、あの子の目に障害があるということ。昼間はまぶしさのせいで、夜は暗闇のせいでほとんど視界がはっきりしない。視野の狭窄……つまり、見える範囲も限られている。さっき私がいった四分の一っていうのも、左右の残った視野を大体足したもの」
そう平静に語られた話は、頭に入ってきても混乱して処理に難儀する。それでもどうにか飲みこもうと、俺は口に出して整理をした。
「つまり紫央は、俺の想像がつかないぐらい、とても目が悪いっていうことでいいのか?」
「……そんな簡単な問題じゃないんだけどね」
悦美が若干呆れたような顔をした。
「でもニュアンスとしては間違ってはいない。紫央は見える範囲が極端に狭いうえに、それすらも判然としていない。だから人やモノによくぶつかったりつまずいたりするし、遠近感が時折つかめないことがある」
「……詳しいな」
「医者の娘ですから。それに」
悦美はふんと鼻を鳴らして、持っていた紙袋を見た。
「私の父が、紫央の主治医なんだから」
「そうなのか」
「私と紫央が同じ高校に通っているのも、偶然じゃないのよ。父は私と同い年でそんな障害を持っている紫央をずっと気にかけていてね、なにか力になれればと私をあの高校へ入れたの」
少しずつだが、悦美のいうことを理解しはじめた。とはいえ、まだ大雑把な感覚だ。
「でも、紫央ってメガネかけてたよな……。メガネがあっても見えないのか?」
「あれは遮光眼鏡。つまり医療用のサングラスみたいなもの。昼間は外にいるとまぶしくて見えなくなるから、それをかけて抑えているのよ。あまり強い光を見るのも目によくないし。逆に夜になったら、危ないからはずす」
「よくわかんねえけど……。でもそれって、治るんだろ? だから今日も病院に来てたんだよな?」
「……それだったら、どんなにいいか」
缶を握っている悦美の手に力がこもったのが、傍目にもわかった。
「今の医療では、治療は現状維持しかない。進行を遅らせること以外、方法がないの。たとえ進行が遅くなっても、それは治ったわけじゃない。これは一生付き合っていかないといけない病気だから」
悦美はまた缶を一口あおった。
「紫央の病気はまだ研究段階なの。だから、治療といってもほかの患者に効果があった点眼薬を出したり、内服を飲むことだけ。あとは定期的にここへ通って、進行がないかどうか確かめる。それしかできないの」
「……紫央の目は、見えないままなのか?」
「今はどうにかとどまってるけどね。これからどうなるかは、わからない。この病気は何十年とかけて、ゆっくり進んでいくことが多いから。一ついえるのは、今画期的な治療法が見つかっても、それを人間に試せるのはまだ何年も先のこと。その間も病気は待ってくれない……」
先ほどから難しい単語が多すぎて、雄大ではないが外国語を聞いているような気分になってきた。どうにか平静を装いながらも、正直俺は限界だった。聞きたいと思ったのは俺なのに、いきなりすぎてついていけない。紫央が病気? 目が見えなくなる? ついこの前まで、あんなに元気に笑っていた紫央が?
頭を抱える俺に、悦美の冷たい声が突き刺さった。
「わかったでしょう? 紫央は、陽向くんに自分の病気のことで迷惑をかけたくなかった。学校でもそう。私以外の子とは、一線を引いた距離感を保ってる。親しくなれば、あの子の障害に気づくのは時間の問題。それを知った時、どちらも傷つくから。でも、そんな紫央がはじめて、自分から陽向くんには会いにいった」
それから、悦美は打って変わって優しく告げた。
「知ってた? 私、最初は止めたのよ。痴漢を撃退してくれた男の子にお礼をいいにいきたいっていった紫央を。逃げた痴漢を飛び蹴りしたって聞いたし、野蛮な人なんじゃないかって。でも紫央は絶対に譲らなかった。「あの人はきっといい人だから。顔は怖いけど、優しくて勇気あるすごい人だった。もう一度会って、謝ってお礼をいいたいの」って」
まさかその二人が、あんなに仲良くなるなんて。そう悦美はつぶやいてから、ふと時計を見た。
「そろそろ紫央の検査も終わるわ。私も、とっととこれを父に渡さないと」
いいながら傍らの紙袋を取り、悦美は立ちあがった。
「紫央に会っていく? よかったら案内するけど」
「いや……」
俺は首を振った。
「今日はやめとく。雄大たちを待たせてるし、こんな混乱した頭じゃ、会ってもろくに話せないし」
「……そう、わかった」
悦美は静かにうなずくと、先に休憩室を出た。俺ものろのろと立ちあがり、結局一口も飲まなかった缶コーヒーを手にした。
周囲にあるイスやテーブルをよけながら、悦美に続いた。動きながらふと考える。紫央は、俺が当たり前によけられるものをよけられない。俺はそれを今まで、彼女の前方不注意かドジな性格ゆえかと思っていた。だけど実際は、自分でもどうしようもない理由だったんだ。
俺がよく前を見ろ、注意しろというたびに、彼女はどれだけ傷ついただろう。事情を知らないでは済まされない。俺も傷ついたけど、彼女はもっとズタズタに傷ついていたんだ。
悦美の姿が見えなくなってから、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。あんなにわけを知りたいと思っていたのに、いざすべてを知ったらどうすればいいかわからない。俺はこのあと、どうすればいいんだろう。すべてを知ってなお、紫央のそばにいたいと願えるんだろうか。
今はまだわからない。ただ早く帰って、この煮えたぎった脳みそを鎮めたいというのが、正直な思いだった。
ふらふらとその場をあとにしながら、キャパシティオーバーを迎えた頭をおさえた。




