十話
電車がショッピングモールの最寄り駅に到着する。このあとはバスを使って、目的地まで移動する予定だ。
ちらっと隣に座る紫央を見やる。紫央はドジっ子なのか前方不注意なのか、よく転ぶ。だからこそ俺が毎度手を繋いでいるわけだけど。
ただ知り合いの前だと気恥ずかしくて、いつもならすっと伸びる手がなかなか伸びない。そうこうしているうちに、妹が立ちあがって紫央と一緒に降りようとした。また紫央を独り占めしようというわけだ。
次の瞬間、俺は衝動的に紫央の手をつかんでいた。紫央が驚くのが気配でわかったけど、振り向けるような余裕はどこにもない。ただ無言で電車を降り、そのままバス停まで急いだ。
雄大の視線を感じたけど、羞恥のあまりガンを飛ばすこともできない。好きな子を取られたくなくてついって……。俺は本当に小学生のガキか! 今さらながら自分がやったことがとんでもなく恥ずかしくて、人前でなければ悶えそうだった。せっかくの紫央の柔らかい手のひらの感触もちっともわからない。
紫央はおとなしくついてくるけど、内心どう思っているんだろう。俺が妹に嫉妬するような小さい男だと気づいて、幻滅しているんじゃないだろうか。なにもいわないけど、呆れて声も出ないとか? いやむしろ、言葉を交わすのも嫌になったとか……!?
停車中のバスに乗り込んで、そのまま一番うしろの座席まで紫央を引っ張った。怖くて紫央の顔を見れなくて、でも手は離したくなくて。振りほどかれるかもしれないと思いつつ、俺からは絶対に離してやらない。
気づけばみんな揃って最後列に並んで座っていた。二人掛けの席にしなかった俺は史上最悪のバカだ。
しかも反対隣りは、よりによって雄大。サイクリングで焼けた小麦色の肌が憎々しい。
「なあなあ、陽向。モールの中に新しい帽子の専門店できたんだけどさー。一緒に入ろうぜ」
「帽子ぃ?」
いきなり妙なことをいいだす雄大に、俺は怪訝に思って聞き返す。どうせこいつのことだから、ろくな答えは返ってこないんだろうけど。
「そっ。俺ら今年修学旅行で沖縄いくじゃん? 紫外線防止」
案の定これだ。それだけ日焼けしておいてなにを今さら。
こいつのバカ話よりも、俺は紫央と話をしたいんだ。結局電車でもあんまり長い会話をできなかった。紫央が隣にいるのに話もできないなんて、どんな生き地獄だ。
「……別に俺はいらねえけど。紫央はどこ見たい?」
思いきって紫央に話を振ると、予想していなかったのかちょっと面食らった顔。可愛いな、おい。
「今日いくのは紫央のリクエストだから、俺は紫央に合わせるよ」
そういうと、紫央はちょっと顔を赤くさせた。握ったままの手に、わずかに力がこめられる。そのことに俺は安堵した。愛想はつかされてなさそうだ。
紫央は少し目を泳がせながらも、懸命に考えていた。
「やっぱり、洋服とかが見たい、かな」
「んじゃ、まずそっちいこう。雄大のリクは時間が余ったらな」
「あ、あとね、クレープが食べたい!」
最後に付け加えられたおねだりに、思わず眉を寄せる。クレープねえ……。甘いもんはあんまり食いたくねえんだよなぁ。
だけど紫央は、上目遣いにこちらをちらちら見ている。ダメ? そうたずねてくる甘いささやきまで聞こえてきそうだ。好きな女にそんな顔されてノーといえる男なんて、この世にいやしないだろう。
「わかった。でも昼飯食ってからな」
「やった」
紫央は破顔すると、可愛らしく小さくガッツポーズをしていた。
その後もほかの面々のリクエストも(一応)聞いてやって、どう回っていこうか考えた。スポーツショップに文房具店、洋服屋……。
「あそこは広いから、そんなに希望がバラバラだと全部は回りきれねえな。別行動にするか?」
すると凛香が「私、紫央おねえちゃんと一緒にいく!」と宣言する。紫央はうれしそうに笑みを浮かべた。おい、一ミリでも俺と二人きりになりたいとかはないのか?
一人いじけそうになっている中、悦美が口を開いた。
「でも、妹ちゃんがいきたい店とファッションエリアって、だいぶ離れてるわよ」
「え、そうなの?」
「そうでしょ、雄大」
そういって悦美はなぜか雄大に同意を求める。雄大は首をかしげながら答えた。
「えー、そうだっけ……ってぇ!!」
ぐぎゅ、と音がしそうなぐらい強く、悦美のハイヒールが雄大の靴のつま先にめり込んだ。見ているだけでこちらが呻きたくなる。
涙目で悶える雄大に対し、悦美は涼しい顔……むしろ楽しげな顔をしていた。
「でしょー雄大。あんたもそう思ったでしょ? スポーツショップの方が近いから、妹ちゃんと雄大は私と一緒。紫央は陽向くんと、はい決定」
そうテキパキと勝手に決めると、雄大はわずかに潤んだ目で悦美をにらんだ。
「なんで俺まで悦ちゃんと一緒なわけ!?」
悦美がふんと鼻を鳴らした。
「当たり前でしょ。女二人だとなにかと物騒じゃない。それに今日は陽向くんの大事な妹ちゃんもあずかってるわけだし、ね」
悦美がポンと肩を叩くと、雄大はなにも反論する気がなくなったのか、それともボキャブラリーが少なすぎていい返せなかったのか、押し黙った。
それを肯定ととらえたのか、悦美は腕時計を確認しながら告げた。
「じゃあ、十三時になったら、フードコートで待ち合わせしよう。それでいいよね、陽向くんたちも」
そりゃ、俺としては紫央と二人きりになれるなら願ったり叶ったりだ。悦美様々である。かといって「ぜひお願いします」なんて飛びつくのは男としてのプライドが許さない。努めて平静を装いながら、ちらっと横目で紫央を見る。
「俺は別にいいよ。紫央さえよけりゃ」
紫央と目が合うと、少し頬が紅潮していた。あれ、今日化粧もしてるっけ?
「私も……。陽向くんがそれでいいなら」
悦美が手を打った。
「んじゃ決まり。ほら、もう着くよ」
悦美のいった通り、バスが徐行をはじめ目的地に近づいていた。
バスから降りた俺は地面に足をつけるなり、雄大に肩をガシッとつかまれた。
「わっわっ、なんだよ!?」
「いいか陽向」
雄大は俺をみんなから少し離れたところに連れていくと、小さな声で耳打ちしてきた。
「今日のこれはチャンスだ。二人っきりでいる間に、告白でもキスでもかましてやれ」
「は、はあ!? なんでそうなるんだよ?」
「当たり前だ。おまえ、悦ちゃんの最上級の気づかいを無駄にするんじゃねえぞ? 妹ちゃんは俺らが引き受けてやるから、おまえは紫央ちゃんとデート楽しめ。タイムメリットは昼飯までだ」
……タイムリミットのことだよな? せっかくカッコつけたのに、もったいねえ。
とはいえ、どうやらこいつは悦美にただつま先を踏まれて泣いていたわけじゃないらしい。バカだバカだなんて思っていたが、俺のことを本心から心配して応援してくれていることは知ってる。それに悦美も、いい方はきついが雄大のいった通り、これは彼女なりの気づかいなんだろう。
「あ」
俺は小さく声を漏らした。
「ありがとな」
かくして、俺と紫央は一緒にモール内を回ることになった。手はじめに、紫央が真っ先にリクエストしていた洋服を見るため、レディースファッションのフロアに向かう。するとさっそく目当ての店が見つかったみたいで、紫央が楽しそうな声を上げた。
「あっ、ここだ。この店見たい!」
ちらっと視線を向けると、見たことがあるようなないようなロゴの看板がキラキラ光っていた。同年代の女の子たちがたくさん出入りしている。中には彼氏連れもいるようだけど、ごく少数だ。俺とは無縁な薄くてぴらぴらした服が並んでいる。まあ確かに、紫央なら似合いそうだけど。
手に持っていた地図をしまいつつ、俺は壁に寄りかかった。
「俺ここで待ってるからいってこいよ」
すると紫央は「えっ」と目を見開かせた。
「一緒に入ってくれないの?」
マジかよ。こんないかにも女子向けの店、野郎がノコノコ入れるわけねえじゃん。
俺が顔をしかめると、紫央は腕を引っ張ってきた。
「大丈夫だよ。私と一緒なら全然不審じゃないし」
いや、それおまえが思ってるだけだから! こんな店入ったら、俺間違いなく浮くから!
「それに私、一人で洋服選びなんてつまんない。誰か一緒じゃないと」
再びぐいっと腕を引っ張っられる。うわっ……い、今、腕に当たった。ふにってした。大きくはないけどやっぱ当たるといい感触……って、俺はヘンタイか!
「わ、わかったよ」
頭に浮かんだ邪まな思いをかき消そうと、思わず声を張り上げる。紫央は満足そうに笑って、俺の腕をつかんだまま店に連行していった。
なんだかはじめて会った時のことを思い出す。あの時も紫央は、俺の腕をつかんでいた。そんでいきなり俺のことを痴漢呼ばわりして、駅員に引き渡して警察&裁判沙汰にしようとしたんだったよな。あの時は純粋そうな顔して、無実の人間に向かってなにしやがんだ、と思っていた。
まさかその時の女の子と、こんな風に一緒に出掛ける仲になるなんて、思いもしなかった。
紫央は俺を引っ張ったまま店内に入り、ラックの手前にあった黄色いひらひら袖のブラウスを取りだした。
「ねえ、これ可愛くない?」
自分の前に押し当てて、紫央は俺に感想を求めてくる。だがぶっちゃけ、俺には女子のセンスなんてまるでわからない。まあ、知り合いから野獣呼ばわりされるようなやつが「あー、それ可愛いー」とかいったら、かなりキモいだろうけど。
それに俺は、紫央がなにを着ても可愛いと思えるような自信がある。だって紫央は可愛い。ただそこにいるだけで可愛いのだから、服なんてなんでもいい。
「いいんじゃねえの」
適当にそう返すも、視線は紫央をまっすぐ捉えられない。なんか、周りからすっごく見られてる気がする。やっぱり俺相当浮いてるよな。こんなヤンキー面したやつが、いかにも女子向けの店に入ってきたら、そりゃ気になるよな……。
紫央の不満げな声が飛んでくる。
「陽向くん、ちゃんとこっち見てコメントしてくれない? 似合うかなあ」
「うん、似合う似合う」
「見ろってば!」
半ば怒るように怒鳴られて、俺はようやく意識を紫央に戻した。なんかまだ視線を感じるけど、これ以上投げやりなことをいったら、本気で怒らせそうだ。
俺が目を向けると、紫央は二着の服を持っていた。一つはさっき手に取ったもの、もう一つはそのうしろにあった青いワンピースだ。
「ねえ、これとこれ、どっちがいいかな?」
「……どっちもいいと思うけど」
正直に俺が答えると、紫央は頬を膨らませた。
「はっきりいってくれなきゃ決めらんないよ」
「迷ってんなら、両方買えばいんじゃね?」
なにを怒っているのかまるでわからない。突然不機嫌になった紫央に、膨れっ面になりたいのはこっちだと思う。
「陽向くんが可愛いって思った方買う」
「は?」
「どっちか選んで!」
そういわれても、俺にはどっちがいいのかなんてさっぱりだった。丈が長いか短いか、下にはくものが必要か否かの違いじゃないのか?
やっぱり紫央は、俺じゃなくて妹や悦美と回った方がよかったのかもしれない。その方がもっと、女同士でワイワイやりながら、楽しく買い物できたはずなのに。俺のヘンな独占欲のせいで、せっかくの紫央の楽しい休日が、ダメになってしまう。
「俺、女の子の服なんてわかんねえし」
おずおずとそういっても、紫央はきっぱり告げてくる。
「直感でいいの。早く答えて」
こうなったらこいつは、意地でも俺に選ばせようとするんだろう。なんでそんなことをするかはわからないが、これも紫央の望みなら仕方ない。
「えーと、じゃあ……」
俺は指をあげ、適当に指さした。
「こっち」
それは、紫央が先に手に取ったブラウスだった。なんでそっちにしたのかは、俺にもわからない。ただ漠然とこれがいいと思った。
紫央は理由を聞いてくるようなことはしなかった。ただ俺が選んだ服を大事そうに手に抱いた。
「じゃあこれにする。レジ並んでくるから待っててね」
「はっ? 本当にいいのかよ」
あまりにもあっさり決めるものだから、俺の方が唖然としてしまう。対して紫央はきょとんとしている。
「だって陽向くんがこれ選んだんじゃん」
「そうじゃなくて……。紫央の好きなもの買えばいいだろ」
俺のイメージする女子との買い物っていえば、男がこれって選んでも文句をいわれて、結局別のものに決まるって感じだ。だったら最初っから自分で選べやってやつ。
紫央はなぜか、呆れたような顔で俺を見ていた。その口からため息が漏れ、小さなささやきが聞こえてくる。
「……うじゃん」
「え、なに?」
ただそのささやきは小さくて、俺の耳には届かなかった。紫央はわずかに顔を紅潮させ、怒ったようにいった。
「なんでもないです!」
そのまま紫央は、ずんずんレジに向かっていった。俺はなにか、機嫌を損ねるようなことをいったんだろうか?
考えても理由は結局わからず、俺は思考を放棄した。
紫央が会計をしている間、俺は店を先に出た。さすがに一人で店内に突っ立っている勇気、俺にはない。
店から出てきた紫央は、紙袋を持ってさっきよりも機嫌がよさそうだった。そのことにちょっとホッとする。せっかくのデートなんだから、紫央には笑顔でいてほしい。
近づいてくる紫央を見て、俺は壁から離れた。
「終わった?」
「うん、お待たせ」
「んじゃ、別の店見るんだろ? 次はどこだ」
たずねながら、俺は紫央の手から紙袋を取る。紫央はカバンもあるから、紙袋があると俺と手を繋げない。俺はショルダーバッグだから、荷物が増えたところでさして問題でもない。それに女に荷物を持たせたと母さんが知ったら困る。あの鬼ババアのことだから、俺をタコ殴りにするだろう。
その後も、紫央と手を繋ぎながら、彼女が気になるといった店を回っていく。人が多いショッピングモールでは、自然と肌が密着して、しっとりした腕の感触がじかに伝わってきた。そのたびになんだかヘンな気分に陥る。理性を保つので精いっぱいだ。
「陽向くん?」
ふいに紫央が上目遣いにこちらを見てきて、一瞬ギクッとした。俺のやましい思考がバレたのか。いや、でも俺は自分から触ろうなんてヘンタイな真似はしてねえぞ。あくまで俺は、ごくたまに触れる肌を楽しんでいるだけで……って違う! 楽しんではいない! ラッキーと思っているのは事実だが、そんないやらしい思いだけじゃない。
「な、なんだよ」
動揺して思わずきつい言葉が出る。直後に自己嫌悪に陥った。この顔ですごんだら、俺は正真正銘のヤンキーじゃねえか……。
紫央は眉を寄せて、俺を不安げに見つめていた。大きな黒目がちな瞳が潤んでいて、ますます罪悪感にさいなまれる。
「やっぱり陽向くんは、楽しくなかったかなぁ」
「そんなことねえよ」
「だって、さっきから私ばっかり見てる。陽向くんは私に付きあってくれてるだけだもん」
まさかそんなことをいわれるとは思わなくて、俺はまじまじと紫央を見た。
今日は紫央の買い物に付きあうつもりで俺はここに来た。だから俺の見たいものなんて、まったく考えていなかった。むしろ、紫央とこうして二人っきりでいられるんなら、どんだけ振り回されても構わない(女子向けファッションの店は、かなり勇気いるけど)。
でもそれが、紫央にとっては気がかりだったんだろうか。俺が楽しんでないんじゃないかって、ずっと気にしてたのかもしれない。
「俺は別に……」
おまえといられれば楽しい。そういおうとしたが、次の瞬間、頭が真っ白になった。
ぎゅっと密着された腕に、再び柔らかい感触。そして夏特有の大きく開いた胸元からのぞく――……。
「も、もう十分」
大満足です、紫央さん。
『紫央バカ』全開の陽向。
この話だけで彼は、紫央を何回可愛いといったでしょうか。
正解は……作者もバカバカしくて、数えていません(笑)




