09. side KAITO ― 疑惑 ―
「あ、お疲れっす」
例の合コンから3日後。
閉店後の後片付けをしてから、一服しようとして外に出ると、店長がタバコをふかしていた。
「おう、大野。終わったか?」
「まあ大体……今日は返却分もほとんど棚に戻せたし、明日の朝の人に残したのはほとんどないかな」
と、返事をしながらタバコの先に火をつける。
「お疲れさん。……みんなは?」
「一服する間待ってろって言ってあります」
そう。 今日は週に一度の新作試写会の日だ。
もちろんAV限定。
……倉本がいたらキーキーうるさいだろうな。
「ところで、倉本さんをお持ち帰りしたっていう話はマジで?」
倉本のことをちょっと思い出したのと同時に言われた突然の言葉に、僕は思わず咳き込んでしまう。
「……誰がそんな話……」
「村中」
やっぱり……。
当の本人は今日バイトじゃないくせに、『試写会』に合わせて店にやってきた。
店に入ってきたときに僕に何か言いたげな顔をしていたが、その時ちょうど接客中だったし、今も一服だけさせてって言って出てきてしまったから、まだ村中とは話していない。
「で? どうよ?」
その聞き方エロ親父っすよ、と言おうかと思ったけど、喉元で飲み込んだ。
「どうもこうも……家に送ってやっただけっすよ」
本当にそれだけだし、それ以上のことなんかも全然、そんな雰囲気すらなかったというのに。
「またまた。かわいいもんな、倉本さん」
それなのにこのエロ親父ときたら、僕の話なんかちっとも信用していない。
「ちょ……マジで! マジっすよ。でないと次の日朝一でなんかバイトしてないし」
「……そっか、大野って土曜朝からだったっけな」
「向こうは彼氏いるって話だし。…大体俺、基本的に年下はあまり……」
そりゃ、倉本は好みのビジュアルだけど、あの性格と付き合うのはちょっと疲れそうな気が……。
純情も場合によりけりだろ。
「基本的にナシでも応用としてはアリなんだろ?」
店長はにやけ顔で手の中の小さな灰皿に吸殻を潰し入れた。
「ないから。俺はオネーサンが好きなんですっ」
「へーそうかい。いろんな味を知っておかないとグルメにはなれないぞ」
ほら、行くぞ。と言って扉の中に入っていった。
「……なんでそんなことになってんだよ……」
ちっと舌打ちをして、携帯灰皿にタバコを押し付ける。
事実無根だし、それ以前に倉本のことは別にそんな目で見てない……つもりでいるんだけど……。
僕はもう一度舌打ちをして、裏口の扉を開けた。
結局その夜はDVD鑑賞どころではなく、1時間以上合コンの話で盛り上がっていた。もちろん僕以外の人間で。
それでも最終的には倉本お持ち帰り疑惑はなんとか誤解を解くことができた。
誤解が解けた理由は、次の日の倉本の様子に特別変わった様子も何もなかったというのが最大の理由らしい。
……そんなに女知ってるメンツでもないくせに……とは思ったものの、僕にとっては都合が良かったのだから黙っていた。
数日後、僕はカウンターの中で来週からのゴールデンウィークのシフト表と睨めっこをしていた。
「……大野さん、顔怖いですよ……」
どうも僕は倉本と一緒の時間に当たることが多い。
……というか、ほとんど僕が決めているんだから、自分でちょっとずらしたりすることもできなくはないけど、個人的には大学から真っ直ぐバイトに来ることができる『夕方から深夜前』の時間帯が一番都合がいいし、たぶん倉本も同じなんだろう。
倉本の希望の時間帯はほとんど必ず『夕方から』の時間帯だった。
「いや……倉本さん、GWこんなに働いていいの?」
休日の間ほとんど毎日シフトに入っている。
しかも、朝から夕方までの長い時間だったりして。
そりゃ、学生バイトはこういう時に稼いでおくのがベターではあると思うけど。
「はあ……」
僕の疑問の意味が理解していないような顔で曖昧な返事をする。
「彼氏に文句言われない?」
「ええっ」
わかりやすいな、この子のリアクション……。
さっと顔色が青ざめるのがわかる。
「なんか言われたんだ」
「……いえ、別に……そ、そんなことないですっ」
「……ま、学生としては小遣い稼げる時期なんだし、働けるなら働いたほうがいいよな」
なんて、なぜかフォローしてあげる僕ってなかなか優しい先輩だと思う。
「そうですよっそうなんですよっ」
倉本にこんなに力いっぱい肯定されたことって今まであっただろうか……と考えながら、カウンターの中に溜まってきた返却分のDVDやビデオをワゴンに乗せる。
「そういうことで、今日も働こー。…これ戻してきて」
と、山盛りにしたワゴンを倉本に押し付ける。
そのワゴンを見て、
「……ああ…AVもある……」
と、小さな声で呟くのを聞いて苦笑した。
事件は、連休初日に起こった。
「え。嘘……」
と、呟く倉本の視線を辿ると、倉本と同い年くらいの男が店に入ってくるのが見えた。
「倉本さん?」
明らかに固まっている倉本に向かって、その男はにこにこと笑顔を見せながら真っ直ぐに歩いてくる。
これは……彼氏だな。
そしてきっと倉本には内緒でここに来たに違いない。
その証拠に倉本が固まって……ていうか、微妙に嫌そうな顔をしてるような……おいおい、そんな顔してやるなよ。
「倉本さん、ちょっと早いけどお昼休憩行ってくれていいよ。戻りは予定通りでいいから」
僕はとっさにそんな風に声をかけた。
すげー親切。
「え? でも……」
「気にしなくていいよ。ご覧の通り暇だし。もうすぐ川村さんも来てくれるし」
実際に客は少なかったし、あと15分もすれば昼前後だけのパートさんが来てくれる。
15分程度なら一人でもどうってことない。
僕の言葉にやや不機嫌そうな表情で少し間を置いたあと、
「じゃあ、お言葉に甘えてお先にお昼いかせて貰いますね」
と言い残して、控え室に戻って行った。
倉本の背中を見送りつつ、ちらりと彼氏のほうを見た。
新作DVDの棚を眺めつつ、手に取ることもないから、そんなに興味がないのだろうと思う。
高校卒業の時につきあい始めたばっかりみたいなこと言ってたっけ……同級生かなんかかな。
カウンターの作業をしながら、ついチラチラと見てしまう。
そのうち、裏口から出てきたらしい倉本が店の入り口から入ってきて、ふたりで出かけていった。
これはやっぱり皆にチク…いや、報告すべき事件だろうなあ。
でも僕は基本的にはそういうことに関しては面倒だと思うタイプなので、メールでバラまくようなことはしないつもりだ。
でもこれから来る川村さん、噂好きだけど……一緒に戻ってきたりしたらもうバレバレだよな。
……ま、僕はあまり関係のないことだ。
そう思ったら、倉本の彼氏について考えることはそれっきりになってしまった。
「お疲れさまです、あの、ありがとうございました」
倉本はひとりで戻ってきた。
「いや、いいよ、彼氏でしょ。楽しかった?」
何の気なしにそう言うと、いやにしょぼくれたような顔をされた。
あれ? 何か……言っちゃマズイことだったりするのか?
「はあ、それなりに……」
……倉本ってノリ悪いのかな。
僕だってそんなにいいって言えるほうではないけど、それなりって言っちゃ彼氏かわいそうだろ。
……ま、関係ないけど。
「じゃ俺も昼飯言ってくる。あ、川村さん来てくれてるから。今奥の方で商品整理してくれてる」
「あ、はい。行ってらっしゃい」
何とはなしにパラパラと捲っていた客からのリクエストファイルを棚に片付けて、控え室に向かった。
恋人として付き合っているってことは、相手のことが好きってわけで。
告白されて付き合ったにしても、やっぱり嫌いだったり全然興味持てなさそうな相手だったら、付き合わないだろうし。
そして付き合ってる相手と思いがけず会ったりできたら、やっぱりうれしいと思うんだけどなあ。
僕だったらそういうのはやっぱりちょっとうれしい。
残念ながら、バイト先まで来て一緒に昼飯食べるなんてことは経験ないけど、付き合ってる相手がそうやって来たら……ラッキーって感じでそれなりにうれしいだろうけどなあ。
今さっき、休憩から戻ってきた倉本の表情を思い出しながら、コンビニの弁当を突付いていた。
「……なんだろうな……」
この前の合コンのときに零した言葉を思い出す。
『……じゃあ、私、高木君のこと…そうでもないのかなあ……』
そんなに好きじゃないのかもとか、そういうのってちょっと不誠実かなとも思うけど、何せあのときの倉本はかなり酔ってたし、それ以前に恋愛とかあんまり今まで経験どころか興味もイマイチだったんじゃないかとか考えると、仕方ないのかなあ。
当の彼氏が自分の友達とかだったらもう少し何か言いようもあるけど、全然知らないヤツだし。
「……ま、関係ないけど」
ぼそっと呟いてから、気がつく。
今日さっきからこの言葉を何回思っただろう?
いや、実際関係ないし。
「……別の繋がりで合コンでもないかな……」
テーブルに置いてあった携帯のアドレスをぼんやりと見ながら、心当たりのあるような女友達を探した。
そう、大学でも同じゼミでは偶然男ばっかりだし、最近一番近い女が倉本だったから、なんだか変に気になっちゃうだけで、もうちょっと交友関係を広げるとそんな自分に関係のないことをぐるぐると考えることもなくなるだろう。
何より、僕が余計なことを色々考えたって、倉本には迷惑…というか、きっとすごい怒るだろうし。
「あ……こいつなら大丈夫かな」
と、学部違いの知り合いにメールを打ってみた。
『たまにこっちと合コンでもしてよ』
とだけ打って送信すると、何分も待たないうちに返事が返ってきた。
『海斗から言ってくるの珍しいねー。何人くらいでやる? いい男揃えてね♪』
よし、向こうはやる気満々だ。
まあまあ美人のくせにさばさばしてて話しやすい女で、男友達も多いけど、なぜか趣味が合コンと言い切るちょっと変なやつだ。
何でも運命の男を捜しているとか言うけど、そもそも合コンじゃそんなのは見つからないと思う。
『4人くらいがいいかな。こっち、いつものメンバーになると思うけど』
と打つと、すぐに電話の着メロが鳴り出した。
「もしもし」
『もしもしー。今いいの?』
「うん、今昼休みだから」
『いつものメンバーでもまあいいけど、ちょっと目新しい男も連れてきてよ』
「……お前に会わせてない友達はもういないんだよ」
そう言うと、携帯の向こうで舌打ちする音が聞こえた。
美人だし、いいヤツだけど誰も彼女にと思わないのはこういうところなんだよな……と思う。
『それじゃ合コンってよりもただの飲み会じゃん』
「じゃあ飲み会でいいよ」
『…まあいっか、たまには。いつ頃がいい?』
「GW明けてからのほうがいいかな。その次の週末で調整できる?」
『オッケー。飲める子に声かけておく。幹事やってくれるんでしょ?』
「…まあ、言いだしっぺだから、やるよ」
『おいしいところでお願いねー。じゃ、メンバー決まったらメールする』
「おう、頼んだ」
じゃねーっと明るい声がしたあと、電話が切れた。