第30話 百年に一度、勇者を殺す
詰所で、八つの名前が呼ばれた。
カシム。ミーナ。ヨハン。
最後の返事まで聞き、俺は入口へ担架を下ろした。霊廟へ置いてきたものは、あとから現地隊が回収してくれる。
カシムが立ち上がろうとして、イリスに座らされた。
「お前らも、戻ったな」
「ああ。追ってくるものは止めた」
男は、何度もうなずいた。
俺はその隣へ座り、脇を押さえていた布を見せた。
「先に言っておく。擦れた。少し痛い」
イリスが、こちらを向いた。
ローズが横で、今回は申告が早かったと、なぜか少し誇らしげに言った。
「わかった。先に異物が残ってないか見る。肩と、指も」
「指は、動く」
「石を殴った話は、もう聞いたよ」
俺は右手も出した。
リゼが、欠けた剣を布へ包んだ。これも王都へ戻ってから見てもらう。修理代は、三人の経費から出すことになった。
俺だけが袋を出そうとすると、ローズが押し戻した。
「汝一人の喧嘩を買いに行ったのではない。先ほど確かめたであろう」
俺は金貨をしまった。
……そうだった。三人で受けた依頼だったな。
借りたものを壊したら払う、と覚えていたが、使った剣も一緒に数えるらしい。俺は鞘をリゼへ渡し、修理代が出たら呼んでくれと言った。
◆
詰所で一晩休み、山を下りた。
帰りは揺れの少ない道を選んだので、王都まで四日かかった。
ヨハンは毎朝、自分の荷袋を確かめた。中身を盗られないためではなく、持って帰れたものが何かを、一つずつ思い出していた。
ミーナはその横で、書き直した地図を乾かしている。
「次に入る人が、同じところで迷うと困るから」
俺が紙の端を押さえると、彼女は礼を言った。
同じ声を繰り返す音石の位置も、そこへ足した。声が聞こえても、そこに人がいるとは限らない。次に入る者は、あの霧の中で迷わずに済む。
馬車で、ローズはよく眠った。
頭が俺の肩へ寄り、リゼが首元の襟を緩めてやる。輪の跡は薄くなったが、硬い布が当たると、眠ったまま眉が動いた。
「肩、大丈夫?」
リゼが小声で聞いた。
「今は、痛くない」
「なら、そのまま。起こすと、自分は寝ていないって争いになるから」
俺は笑わないようにうなずいた。寝ていないことにしておけば、もうしばらく寝かせておけるらしい。
ローズは眠ったまま、俺の袖を少しだけ握っていた。揺れて落ちないためなのか、それ以外なのかは聞かなかった。
◆
ギルドで依頼の完了が認められた。
基本報酬、百二十枚。八人全員の生還で、追加八十枚。
合計二百枚だった。
霊廟の管理は現地隊へ引き継がれ、俺たちは持ち帰った目録と、石の欠片を渡した。
「獣の討伐と、施設の調査は別件で扱います。報酬を上積みできるかは、現地の確認後に」
担当者の説明へ、リゼがうなずいた。
まだ決まっていない金を、先に三つへ分ける必要はなかった。
カシムは自分の名で証言した。俺たちが着いた時刻、六人を扉から出した順番、回収した目録の場所まで。
途中から、彼の声が少し掠れた。
「八人、揃って戻れた。そこを、いちばん大きく書いてくれ」
担当者が、もう一度人数を確かめた。窓の外では、八人が受付を済ませた者から、それぞれ迎えの人のところへ戻っていく。
ヨハンは最後まで荷袋を離さず、ミーナは濡れないよう地図を外套の内へ入れた。
報酬は、一人六十六枚ずつ。
残る二枚は共通の資材代へ回した。ローズは自分の袋をしまい、窓辺へ置く鉢を買うと言った。
「俺は薪だな」
「汝は、一度それから離れよ」
リゼが吹き出した。
俺は、薪以外にも欲しいものがあるか、帰ってから考えることにした。
イリスとは、ギルドの前で別れた。
アルバの翼を診に戻るという。もう飛ばせるかと聞くと、先に本人の羽ばたきを見てからだと返ってきた。
「あんたも、明日、傷を見せに来て。勝手に診療を卒業しない」
「わかった」
「次の救援でも、薬師が要るなら呼んで。荷の箱を持つ人は、今回ので足りそうだし」
俺を見る目が、少し笑っていた。
薬師の袋を運ぶくらいなら、頼まれる前に手を伸ばしてもよかったのだろうか。考えているうちに、イリスは自分で袋を持ち直し、手を振った。
ローズが、手を振り返す。
俺も礼を言い、二人と家へ向かった。
家へ戻ると、窓辺の白い羽根が傾いていた。
ローズが先に直す。リゼは棚を確かめ、俺は裏側の隙間へ細い木を入れた。霊廟でリゼに頼まれた、道具が落ちないようにする仕事だ。こちらは剣を抜かずに済んだ。
声の器は、食卓から離れた台へ置いた。
「帰ったのか」
返事があった。
「ああ。八人、全員連れ帰った」
「そうか。よかった」
男は、少し黙った。
「次は、俺にも外のことを教えてくれ。行っても、何も見えなかったからな」
「声は聞こえたか」
「ああ。お前より、ローズマリーのほうがよく聞こえた」
「何故、そこまで正直に答える!」
筒の男は、聞こえたとおりだと答えた。俺も、よく使う返事だった。
俺は窓を見た。
「今、ローズが白い羽根の隣へ鉢を置いてる。まだ何も植わってない」
「我が何も植えぬまま終えるように言うな!」
筒の向こうで、俺の声が笑った。
机には、リゼの新しい鑑定鏡も置かれていた。取り寄せが届いたらしく、三枚の硝子を角度を変えて眺めている。
ローズが、見ているだけではなかったのかと聞くと、今は本当に見ているだけよと答えた。
俺は皿を三枚出したあと、声の器も自分の見えるところへ寄せた。
ローズは窓辺を片づけ、鉢の隣に小さな余白を作っている。犬を置くには狭い。何を置く場所なのかと聞くと、まだ決めておらぬと返された。
リゼだけが、あの店の窓みたいねと呟いた。ローズは、食べる前から水を飲んだ。
◆
目録の解読が届いたのは、三日後だった。
回復した調査隊員が読み、古い年代の数え方を王都の記録と照らしたという。リゼは訳だけでなく、原文の写しも並べた。
古い図の印も、写しの端に残っていた。参照先らしい小さな番号は、年代の欄とは分けてある。
「こっちは、まだ意味が確かめられてない。読めたふりで本文へ混ぜないでおくわ」
リゼが言った。俺は先に、名前の書かれた行を読んだ。
勇者ラウル。百五年前。
その前は、二百五年前。さらに前は、三百五年前。
「俺が死んだのは、五年前だ」
百年ずつ、空いている。
日付だけなら偶然とも言えた。けれど名前の下に、同じ手順が並んでいた。
討伐を終えた三日以内に、胸を刺す。
魂が身体を離れたのを確かめ、筒へ保存する。
遺体は別便で運ぶ。
読み終えても、指は次の行へ移らなかった。
勇者が戦いの中で死んだ記録ではない。戦いを終えて帰ってきた人間を、誰かが殺し、運んだ記録だ。
俺のときと、同じだった。
リゼが、もう一枚の紙を隣へ置く。ハンナの照会を受け、監察局が探し出した五年前の記録だった。保存筒を受け取った部署から、首輪へ組み込んだところまで、番号がつながっている。
「こちらは、ローズの首輪に筒が入っていた理由」
俺は、ローズが紙を見るのを待った。
魂の保存には力が要る。筒だけでも封は保たれるが、長く保存するため、捕らえた魔王の力を補給させたとある。
そのために、ローズへ筒を持たせた。逃がさないようにする外側の罰は、また別につけ足していた。
「我を、生きた保管庫にしたのか」
何もない首へ、彼女の指が上がった。
紙を伏せようとして、止められる。
「続けよ。閉じても、書かれたことは消えぬ」
売られた理由も、次の欄にあった。
監査が入れば、筒の所在を調べられる。そこでローズを首輪ごと保管の名簿から外し、商売で売ったことにした。
決めたのはベルナード。実際にドルンを選んで売ったのはハンナだった。
ハンナが筒の中身まで知っていたかどうかは、この紙ではわからない。だが、命じた側は知っていた。首輪を残せと、わざわざ条件をつけている。
ローズの手が首から下り、紙の端を押さえた。
もう、こちらから伏せることはしなかった。
ローズが首輪の記録を手元へ引き寄せた。俺は、隣に残った古い目録の末尾へ目を戻した。そこには、勇者に同行する者の仕事が並んでいた。
討伐の完了を見届ける。
勇者の武装を解く。
帰還を認めず、指定の処置を完遂する。
白い部屋で、剣を置いた手を覚えている。
仲間の前では必要ないと、言われた。
剣を置かせることまで、百年前から手順にあった。
「アルドは、このとおりにやったのか」
リゼはうなずかなかった。
「そこは、本人の証言と照らす。古い規定があることと、あの人がどこまで読んでいたかは別だから」
俺は、もう一度読んだ。
命令があったからといって、俺へ確かめず剣を抜いた事実が消えるわけではない。反対に、あの男一人を罰しても、この紙の手順は残る。
声の器から、男が呼んだ。
「デルタ」
「聞いてる」
「俺のことも、調べてくれ。誰が、何のために、そこまで決めたのか」
俺は返事をした。
手帳の、『裏切った理由を調べる』の下へ、行を一つ増やす。
百年前にも、同じことをされた者がいた。
監察局からは、もう一枚、命令書の写しが届いていた。
古い目録にもあった例外の規定が、そこへ使われている。
『処置後、生存を確認した場合。帰還を認めず、再処置すること』
新しい紙だった。
この写しだけは、監察局の使いが直接持ってきた。今朝、配布の記録から見つかったばかりだという。安全な面会所を用意していると告げ、彼は玄関で俺たちの荷がまとまるのを待っていた。
ベルナードが拘束される前、別の部署へ回した命令。監察局は配布先を調べているが、すべての受領者はまだ確認できていないという。
俺は、いちばん下の欄で指を止めた。
対象、デルタ。
居所。
三人で借りた、この家の住所があった。




