第15話 銅貨三枚の元魔王、首輪を外す
「外してくれ。我が、そう頼む」
ローズは、図面を返さずに言った。
さっきまで椅子と勝ち負けを争っていた声が、今度は小さい。エッダは頷き、細い工具を持ち帰るから工房へ来いと告げた。
「ここで落としたら、小さな金具が見つからない」
「我が、光を増やせればよいのだがな」
「明るい作業台なら、ある。あんたは来て座ればいい」
俺は灯りを持ち、階段を先に上がった。
後ろから、ローズの足音がついてくる。下りる前に気にしていた髪と襟を、今は触っていなかった。
地上では、オルフェンが職員に止められていた。
管理盤から作業の許可を外した跡が見つかり、上着にはその札もあった。像が回収へ切り替わる直前、彼が触れた盤だった。
「あの像は、生者を殺さずに止める仕組みだ」
「脚を切られたあとで、同じ説明を聞きたいか」
俺が尋ねると、男は下を見た。
脚は、まだ二本ともある。だから済んだ話だとは、俺には思えなかった。
地下から出した記録と、一緒に調べてもらうことになった。
◆
工房で、ローズは自分から椅子へ座った。
エッダが図面を広げる。内側の筒は、自分の蓄魔石で封を保つもの。首につけることが動作の条件ではない。
外側の罰を止め、留め具だけ開く。筒の封は開けない。
「中へ何かがあるなら、そっちは別に調べる。それでいいね」
ローズは頷いた。
リゼが鏡を替え、工具の届く場所を確かめる。俺は椅子の前へしゃがんだ。
「手、貸そうか」
少し待って、片手が重なった。
細い指へ力が入る。俺が動かさないでいると、ローズは自分の指を見た。
「見ているだけの役は、どうだ」
「何をしたらいいか、まだわからない」
「ならば、そのまま待て。今日は、我が先に終わらせる」
なるほど。先に行けと言われても、離れることばかりではないのか。
俺は手を持ったまま、膝へ空いたほうを置いた。
エッダが外側の石を検査台へつないだ。
命令が残っていないことを確かめ、回路を止める。針が動かなくなってから、留め具の小さな蓋へ工具を入れた。
金属が擦れる音がした。
ローズの指が、俺の手を強く握った。
「痛いか」
エッダが尋ねた。
ローズは、首を横に振った。
「……続けよ」
工具が、もう半回転した。
乾いた音がして、黒い輪の端が離れた。
俺の手を握っていた指が止まる。
エッダが輪を支え、髪を挟まないようにゆっくり持ち上げた。
ローズの首から、黒い金属がなくなった。
彼女はすぐには動かなかった。
工具の皿も、壁の時計も、さっきと同じ音を立てている。首元へ空いた手を上げ、何もないところを指でなぞった。
皮膚に残った跡へ触れ、もう一度、同じ場所を確かめる。
「……終わったのか」
その声には、いつもの飾りがなかった。
エッダは輪を柔らかな布へ置いた。
「首から外す仕事はね。赤くなったところは、しばらく擦らないこと。薬も出しておくよ」
ローズは、喉を動かした。
何か言おうとして、言葉にならなかった。うつむいた赤い髪が頬へ落ちる。
俺は声をかけず、手を離さずに待った。首輪がなくなったら何を言うべきかは、手帳にない。ローズが何か言えるようになるまで、そこにいることにした。
やがて、彼女は小さく息を吸った。途中で止められず、最後まで吸えた。そのあとで、握っていた俺の指が少し緩んだ。
◆
首輪は、工房へ預けた。
ローズは自分で署名し、次に調べるときは呼んでくれと頼んだ。費用は昨夜の二枚に加工の四枚を足して六枚。仕事の報酬から精算すると、リゼが帳面へ入れた。
店を出てから、ローズが俺を見上げた。
「まだ、つないでおるぞ」
手を見ると、本当だった。
離そうとしたら、指が少し曲がる。
「いま放せと、命じてはおらぬ」
……では、まだこのままなのか。
反対側からリゼが袖をつかんだ。棚の店へ案内するためだという。曲がる場所は一つなのに、腕まで持たれた。
まあ、二人とも行き先を知っているなら、今日は迷わないだろう。
検品が済み、金貨六十枚を受け取った。
六枚を精算して、残りは一人十八枚。ローズは袋を受け取ると、受付にあった小さな鏡を借りた。
首元を、長く見ていた。
髪を直すときよりも、動かない。もう一度、同じ場所へ指を触れる。
俺は帰る準備をしたが、先には歩かなかった。
「何度、見る」
彼女が俺へ言った。
「たぶん、しばらくは見る」
「……よい。見ておけ」
ようやく鏡が返された。
帰りには、棚も受け取った。店の男が二人で運ぼうとしていたので、一人で持つと、裏口から出てくれと頼まれる。
ローズは、地下で像を止めたときより笑った。
「我らの住まいへ来れば、汝の得手不得手が一度にわかるな」
「不得手は何だ」
「聞く相手を間違えた。リゼ、汝が教えてやれ」
リゼは棚の値段を確かめたあと、両手が塞がっている人には、いまは言わないと言った。
……置いてから聞く仕事が、また増えたらしい。
◆
棚が収まると、食卓から道具が減った。
俺は湯を沸かし、ローズは窓を開けた。首へ風が当たって、一度だけ目を細める。鍵を窓辺へ置き、その隣へ自分の財布も並べた。
リゼは工具を一段ずつ入れ、空いた場所へ、小さな紙を挟んだ。
道具屋で見ていた鑑定鏡の型番だった。
「買うのか」
「取り寄せを頼むだけ。届くまで日がかかるそうだから」
「見ているだけではなかったのか」
ローズが振り向いた。
リゼは、見るだけでよいかを考えた結果だと答える。俺は聞かずに、自分の皿の横へ湯の器を置いた。
今日の二人は、どちらも機嫌がいいらしい。
夕方、エッダの使いが来た。
預かった図面に挟まれていた納品控えの写しだった。外側の留め具を調べる間は、必要のなかった頁だという。
リゼが折り目を広げ、ローズと並んで目を通した。
「元の器には、別の製作責任者がいるのね」
リゼの指が、いちばん下の署名へ向いた。
俺は湯を置こうとして、手を止めた。
『製作監督 エレノアール』
見覚えのある、細い字だった。
名前だけなら、同じ者がいてもおかしくない。それでも、最後の一画を跳ね上げる癖まで、記憶の中と同じだった。
剣の握り方を直され、何度も稽古の場所へ引き戻された。その声が、文字を見た途端に近くなる。
「デルタ、知っている名か」
ローズが尋ねた。
俺は湯の入った器を、今度こそ卓へ置いた。
「ああ」
五年前の礼拝堂から、首輪の作り主へ辿り着いた。
その名を追えば、誰か遠くの知らない職人に会うものだと、どこかで思っていた。
俺は、署名の上にある器の番号を、もう一度確かめた。
「俺の師匠だ」




