第1話 銅貨三枚で魔王を買った。夕飯の金がなくなった
はじめまして。仲間に殺された勇者と、奴隷になった元魔王の物語です。二人の旅にお付き合いいただけたらうれしいです。
※本作はカクヨムにも掲載しています。
魔王を買うか、夕飯を食うか。
俺の財布では、どちらか一つだった。
「銅貨三枚。これ以上は、下がりませんよ」
競売台の商人が、木槌で空の皿を叩く。
その横で、赤い髪の女が膝を抱えていた。片方の角が折れ、痩せた足には長すぎる鎖が巻いてある。
顔は覚えている。五年前、俺が倒した魔王ローズマリーだ。
「下げぬなら、上げよ。値の付け方から教えねばならぬのか」
「さっきまで銀貨だったでしょう。誰も買わなかったんです」
「見る目のない客ばかり集めた、汝の落ち度である」
商人が短い杖を握る。
黒い首輪に赤い線が走った。女の膝がほどけ、爪が台を引っかく。それでも口元だけは笑おうとしている。
「……客の前で、商品の傷を増やすでない。値が、さらに落ちるぞ」
上着の内側へ手を入れると、財布より先に小さな手帳へ触れた。
師匠が、剣と一緒に置いていったものだ。表紙の裏には、こうある。
『やるべきこと。困ったら読め』
最初の頁は、死にそうな者を助けろ。
魔王を除く、とは書かれていない。
台の上で、爪が一本剥がれかけていた。例外を探すより、先に杖を止めるべきだろう。
「三枚、払う」
財布の底まで空けると、商人の手が緩んだ。
女が顔を上げる。俺を見た途端、痛みに耐えていたときより大きく息を吸った。
「――汝、まさか」
「話は外で聞く。歩けるか」
差し出した手を叩き落とされる。
まだ立てるという意味か。それとも、俺には触られたくないのか。決めつけず、手を引っ込めた。
売買証へ名を書く間、商人は三枚を何度も数えていた。
「壊れても返品は利きませんからね」
「壊したら、お前へ持ってくる」
男の顔が止まる。
修理は別の窓口なのだろうか。聞き直す前に、鎖ごと裏口へ押し出された。
◆
扉が閉まるなり、斧が降ってきた。
柄をつかむ。刃が鼻先で止まり、持ち主の足だけが前へ滑った。
赤い胸当ての大男だ。後ろにも二人いる。
「女を置け。金もだ」
「金は、今払った」
「なら、女だけでいい」
斧を引く力に合わせて押し返すと、男が倒れかけた。反射的に支える。
「何してやがる」
「倒れると思った」
「そのまま倒してやれ!」
背後で魔王が叫ぶ。
男の膝が上がったので、蹴りを外し、胸当てへ掌を添えた。鉄が少しへこむ。大きな身体は後ろの二人を巻き込み、空の荷車へ収まった。
斧だけが残った。手の届かない壁に立てかける。
「死んだはずではなかったのか、勇者デルタ」
女の視線が、荷車から俺の胸へ移っていた。
そこを剣で貫かれたことは覚えている。なのに今は、息を吸っても痛まない。
「葬式も済んでいたらしい」
「らしい、ではない。我は獄で鐘を聞いたぞ」
「俺は聞いてない」
「当人が参列していたら、葬式をやり直すことになるであろう!」
俺も、どうして生きているのか知りたかった。
目覚めた部屋には師匠の手帳と剣があり、外では五年が過ぎていた。死ぬ直前の記憶と、その部屋との間だけがつながらない。
剣の振り方は覚えている。こんなふうに、人を殺さず押し返す加減も。
それより簡単そうなことが、わからなくなっていた。
「汝を刺した者は、どうした」
「捜してる」
「復讐か」
「した方がいいらしい」
今朝、横転した荷車を起こした。礼に銅貨を三枚くれた御者が、俺の事情を聞いてそう言った。
女は荷車の男を見るのをやめる。
「他人の意見ではない。汝は、どうしたい」
「理由を聞きたい。何故殺したのか」
「そのあとだ」
手帳を開く。
そのあと、の欄はなかった。
五年前の、最後の部屋を思い出す。
魔王との戦いを終えた俺は、戦果の確認だと言われて白い床の部屋へ入った。旅を共にした仲間が二人、待っていた。
ようやく剣を置ける。そう思った。
旅の途中、宿が満室だった夜にも、あの男は主人へ頼んで俺の寝場所を探してくれた。背中を預けてもいい相手だった。
俺が剣から手を離すと、男は自分の柄へ手をかけた。
敵が来たのかと思い、扉を振り返った。
胸を押されたのは、そのときだ。
見下ろすと、仲間の剣が俺の身体から生えていた。
柄を握る手をつかむ。相手を間違えたのだと思いたかった。けれど男は俺を見ていた。誰を刺しているのか、わかっている顔で。
膝が白い床へつく。
扉のそばには、もう一人の仲間がいた。何も握っていない手を差し出せば、取ってくれるはずだった。
その手も、届かなかった。
路地の風が頁をめくり、俺は手帳を押さえた。
ここには白い床も、胸の剣もない。魔王が隣に立っている。肺にはちゃんと空気が入る。
痛みも、二人の顔も覚えているのに、怒りだけが遠かった。思い出せないのではない。その記憶を持つ俺が、何を望んでいいのかわからない。
「……まず聞けばよい」
女は俺から目を逸らし、言った。
「顔も見ぬうちから、最後の台詞まで用意する必要はあるまい」
忘れないよう余白へ書こうとしたら、手帳を押さえられる。
「一言ごとに書き留めるな。悪の教典でも編む気か」
「今のは、悪いことなのか」
「我が魔王だからというだけで悪に分類するでない!」
彼女が指を離しても、頁は閉じたままにした。
まず、会って聞く。それだけなら、今の俺にも選べる。
◆
足へ絡んでいた鎖を持ち上げると、女が身構えた。
「首輪に触るでないぞ」
「足のほうだ。ここなら切れる」
首から離れた鎖を断ち、地面へ置く。
黒い輪にも目を凝らした。刻印がいくつも重なり、どれが何を動かす仕掛けなのか、外からでは読めない。
鉄を割るだけなら、手でもできる。だが商人は、あれで彼女に痛みを与えていた。壊した拍子に何が起こるのかを、知らないまま力は加えられない。
「魔王を倒す剣で、こんな小さな輪も切れぬとはな」
「割ることはできる。安全に外せるかは、まだわからない」
「術はどうした。あの、つながりを断つやつは」
「『断絶』も、どこからどこまで切るか決めないと使えない。首輪の中が見分けられないんだ」
罰を与える仕掛けのほかに、何が組み込まれているのかも知らない。
わからないものまで切ってから、間違えたとは言えない。
女は黒い輪を爪で叩きかけ、その手を下ろした。
「……ならば、先に調べよ」
「そうする」
俺の剣から遠い側へ回り、彼女は一歩だけ近づく。
「買って、何をさせるつもりだ」
「まだ決めてない。商人の杖を止めたかった」
「ならば、まず我に食事を出せ」
「金はない」
静かになった。
女の目が空の財布へ落ちる。競売場の扉を見て、もう一度、財布へ戻った。
「まさか、全財産か」
「三枚だった」
「買う前に考えよ!」
怒鳴ったあとで、盛大に腹が鳴る。
彼女は自分の腹を押さえ、俺が何か言うより先に睨んだ。
「我ではない」
「腹か」
「分けて扱うな!」
魔王を買った俺は、夕飯の金をなくした。
路地の先では、煮込みの湯気が上がっている。女の足が、少しだけそちらへ向いた。自分では動かしていないような顔をしている。
あの店で荷を運べば、一食くらいは出るだろうか。
「名は、どう呼べばいい」
「ローズでよい。魔王と連呼されては、食事の前に騒ぎになる」
「わかった。ローズ、あの店で仕事を聞く」
「汝は先ほど、三人を荷車へ積んでいたな。もう少し稼ぎになる持ち方を覚えよ」
彼女は先へ出た。
三歩で立ち止まる。どの店か指すと、最初からそこへ行くつもりだったように顎を上げた。
◆
「稼ぐなら、私も一口乗せて」
銀縁の眼鏡をかけた女が、競売場の脇から現れた。工具の鞄と、大きな帳面。さっきまで、売り物の鑑定をしていた女だ。
「リゼよ。あの用心棒、店でいちばん高い給金をもらっていたの」
「倒すと、給金が出るのか」
「出ないわ。だから私も、働き口を替えたい」
荷車を見て鞄を抱え直す。その手には、細長い依頼書があった。
「その前に、あなたの名前を確認させて。冗談みたいな値段がついてる」
紙には俺の顔が描かれていた。その下に金貨千枚。
ローズが横から首を伸ばす。
「汝、そちらを先に稼げばよかったではないか」
「私もそう言いたいけど、生きている人には払わない契約なの」
『勇者デルタ 遺体回収依頼』
発行は五年前。更新は先月。
棺を用意し、損傷を増やさず回収すること。俺の身体を運ぶ手順まで書かれている。
五年も前に葬式を済ませたのに、まだ捜している。
依頼主の欄で、指が止まった。
「ハンナ」
白い部屋の扉のそばで、俺の手を取らなかった仲間だ。
ローズが紙をつかむ。さっきまで金額を見ていた指が、その名を押さえていた。
「この女を、捜しているのだな」
「知っているのか」
彼女は笑わなかった。黒い輪に触れ、俺を見上げる。
「我の首に、これをはめた女だ」
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