終話
あれから慧音と共に、永琳や兎たちを簡単に清拭し、輝夜と同じく経帷子を着せた。全員分の経帷子が用意されていたところを見れば、前々から、死ぬ時は全員で、という思いがあったのかもしれない。
並ぶように横たわる、四つの遺体。それを見続けることが出来ずに、思わず目を逸らしてしまう。それに気付いたのか、慧音は遺体から少し離れた場所に座ると私を呼んだ。だが、それに応じて慧音の傍に座ったものの彼女も特に話すことはないらしく、暫くは沈黙が続く。
「…………博麗の巫女とは、連絡がついたのか」
「あぁ。半信半疑だったが、とある道具が使えてな」
「……それで、巫女は何て」
「“夜明けまで待て”だそうだ。こんな満月の夜に、何かが起こらない保証はないから、夜の間は神社を離れられないらしい。それに、私たち二人がいるのなら、ひとまず状況が悪化することはないだろう、と」
先程慧音が淹れてくれた茶を口に含む。冷めてしまったそれはあまりに味気なく、喉を湿らすくらいが精々であった。
……博麗の巫女にとって、輝夜たちが死んだことは異変とはならないのだろうか。人が死ぬとは、そんなものなのだろうか。
いや、そうではない。危険な夜だからこそ、他に事が起こらないようにしなければならないのだ。それに、もしも何かが起こった時に干渉出来るのは、彼女しかいないのだから。
慧音は博識だ。里で暮らすだけあって、常識や仕来たりなどにも詳しい。私はその辺りは門外漢だが、単純な力なら、そこそこはあると思っている。それに心はどうであれ、身体は不老不死なのだ。一般的な戦闘において、負けは存在しない。
そんな二人がいるなら大丈夫と巫女が判断するのも、強ち間違ってはいないだろう。例えこの場に博麗の巫女がいたとしても、夜が明けない限りは何も出来ないだろうし。
……すなわち、私たちはこのまま夜明けを待たなければいけない訳だ。地底には死体を持ち去る妖怪もいると聞く。魑魅魍魎が現れないとも限らない。やはり、ここから離れる訳にはいかない。
……これは俗に言う“通夜”になるのかもしれない。
「なぁ、慧音」
「何だ」
「……輝夜が死ぬ身体になっていることを、知っていたのか?」
「あぁ、知っていた。とは言っても、知ったのは今日の昼過ぎのことだが。永琳が私の家に来たんだ。それで、教えてくれた」
「……私が慧音の家を出た時にはもう、知っていたのか」
「永琳の頼みでな。輝夜の決意の為にも、口外はしないでくれ、と。私も輝夜の意見に賛同し、妹紅には黙っていた」
「そうか……」
「夜になって、再び永琳が来てな。輝夜の所に行くから一緒にどうかと、誘われたんだ。今考えてみればあの時から既に、輝夜は死ぬと予測を立て、そして自身も死ぬ気でいたんだろうな」
慧音の言葉に、少しばかり影を潜めていた後悔の念が、私の心を満たしていく。
ただ、今は傍に慧音がいるからか、思想がそれだけで満たされることもなかった。一人の時とは違い、慧音がいるだけで、冷静に物事を考えることが出来た。
「……これから私は、何をしたら良いと思う」
「逆に問うが、妹紅はこれから何をしたいんだ」
自らが出した問いは、返されてみれば答えを導くにはあまりに難しい問いだった。そもそもこの問いは、後ろめたいことも何もない人ですら、すぐに答えられる人は中々いないだろう。
それでも、答えに全く見当がつかない訳ではない。大まかではあるが、方向性くらいは、考えがある。……それが認められるかは別として。
「もしも、私が許されるなら。……何かが、したい」
「何かって、なんだ」
「わからない。でも……死にたくは、ない」
その言葉に、慧音は微笑みを見せた。何に微笑んだのかはわからない。だがそれは、私が“人”へと戻りつつあるということなのかもしれない。
慧音はどこからか、指の太さにも満たない小さな硝子瓶を取り出した。しっかりとした蓋が取り付けられたその瓶の中は、透明な液体で満たされている。
その瓶を私に押しやると、慧音は手をついて立ち上がった。
「これは?」
「蓬莱の薬の効果を解く薬だそうだ。昼間に、永琳が私に託したんだ。もしも、妹紅が欲しがるなら、と」
「……」
「妹紅が自殺をしたがるのなら、これは捨てようと思っていた。だが、その心配もなさそうだから、渡しておく。……それと」
そう言いながら、慧音は折り畳まれた紙を私の前に差し出した。恐る恐るそれを受け取ると、慧音は自分たちが飲んでいた二つの湯飲みを手に取って、私に背を向ける。
「輝夜からの手紙、だそうだ。最悪の結末になった時に渡してくれ、ということだから、正しく今がその時だろう」
“茶を淹れ直してくる”と言い残して、慧音は部屋を出ていった。私は眺めていた襖から目を離すと、手に収まっていた薬と手紙とを交互に見る。
手紙は、竹の葉を抄き込んだ和紙に書かれていた。封筒に入れられることもなく、ただ折り畳まれているだけの、簡素な手紙。
中には、何が書かれているのだろう。遺言だろうか。それとも、誹謗だろうか。見たところ、使われている紙は、三枚。たったそれだけの中に、一体何を書いたのだろう。
ただ、開いてみようとは思えなかった。死んでいるとはいえ輝夜の目の前で、彼女の書いた手紙を読むのは、はばかられた。それに、私自身が未だ混乱していることもある。これはもっと落ち着いた時に読むべきではないだろうか。
……それにしても、輝夜は卑怯だ。勝手に死んでおいて、私が一人になってから、手紙だけ残すなんて。輝夜からの意思を、一方的にしか受け取れないなんて。
私が幾ら呟いたところで、彼女にはもう、届くことはない。……色々と考える内に改めて、輝夜の卑怯さと己の浅はかさを感じた。
暫くは身勝手な思想に耽りながら手紙に見入っていたが、ふと慧音がくれた薬の存在を思い出し、ひとまず手紙を脇に置く。そして、握り締めていた薬瓶を目の高さまで持ち上げて、蝋燭の光に透かせた。
無色透明の液体は、私が瓶を揺する度に波立ち、蝋燭の鈍い光をちらちらと反射させている。
…………永琳は、蓬莱人となった罪で受ける罰は、永遠を生きることだと言った。ならばこの薬は、罪を更に上積みする物でしかない。しかも、蓬莱人であればどんな罰にせよ効果は無かったが、人間に戻ってしまえば、処刑されればそれで、お終いなのだ。間違いなく、死んでしまう。
また罪と言えば、私には輝夜を殺した罪がある。それに直接ではないが、永琳や兎たちの死に関わっていないとも言い切れない。
罪人である蓬莱人への罰が永遠を生きることであるならば、輝夜を殺した罰も、それに当たるのだろうか。己の犯した愚行を永遠に、悔いて生きることが罰なのだろうか。それならば、私はこの薬を飲むことは出来ない。
ただ、仮に薬を飲んで人間に戻ったならば、私は死罪となるのだろう。人間なのだから、死して詫びることが出来る。自ら腹を切ることを求められるだろう。
死か永遠か。
私の足りない頭で考えれば、これくらいの未来しか思い付かない。死ぬことと生きること、どちらが罪を償うに相応しいかさえ、私にはわからない。
もう、永遠の命なんて嫌だ。知人が、友人が、私を置いて死に逝くのを見続けるなんて、耐えられない。また、私と同じく永遠を生きていた者はもう、死に絶えた。
それに、私は人の温もりを知ってしまった。その心地よさに浸ってしまった。今までは知らなかったから済んだものの、私は、それを知ってしまった。それを知りながら、昔のような一人籠る生活には絶対に戻れない。それは、誰よりも自分がよくわかっている。
ならば、薬を飲むのか。
……死ぬのは怖いと、ついさっき感じたばかりである。本当に我侭な願いではあるが、罪を背負いながらでも、死にたくはないと、思っている。
この薬を飲んだとして、もしもそのことに対する罰が無かったとしても。処刑も自害もなく、普通に暮らすことが許されたとしても。私は不老不死ではなくなってしまうのだ。
人間は事故や病気などで、いとも簡単に死んでしまうものだ。それに、怪我をしても治りは遅い。治らない可能性だってある。当然、寿命も存在する。つまり、これを飲めばいつかは必ず、死ぬ。
この薬を飲むことは。人間に戻れる、永遠を生きる呪縛から解かれるということであり。それと同時に、いつ来るやもわからぬ死の恐怖に怯え続けなければならないということでもある。……どちらにせよ、己の犯した罪を真っ向から受け止めなければならないということに変わりはないが。
……それにしても、今まであれだけ毛嫌いしてきた能力をやっと手放せるというのに。いざそれを目前にすれば後込みをしてしまうなんて、どこか可笑しな話だった。
私は溜め息を一つ吐いて、薬を手紙の上に置く。
あまりにも大きな月が、僅かに開かれた障子の隙間から、その一部を覗かせている。
……私は、この手紙を読むべきなのだろうか。この薬を飲むべきなのだろうか。
どちらを選ぶにしても、それは正しいことであり、そして間違いである気もする。
…………ただ、いずれどちらかを選ばねばならなくなった時にどうするべきなのか、決められる自信は、ない。
……それでも、出来ることならば。
慧音を納得させることが出来るような選択がしたいと、そう思った。
拙作を最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。作者のピースブリッジです。
私が読んだことのある作品に、“永遠”である者と“寿命”がある者が、その境遇に葛藤するという作品はありました。死に逝く者が、又は死ねない者が、自分とは違う何者かに抱く思いや葛藤。それらは大変に辛く、居た堪れないものがあります。
今作は、それを別の角度から切り取ってみたつもりです。
元々は人間――寿命ある者――だった妹紅が、理由はどうあれ、不死の存在となる。
また妹紅は、不死でありながら寿命ある慧音との関係、同じ不死である輝夜、永琳との関係もある、なんとも複雑な立場にいると私は考えています。
そんな妹紅がもしも、寿命ある者に戻れたとしたら。不死を止めることが出来たなら。そんな考えから、今作は生まれました。
僭越ながら、ここまで読んで下さった読者様に質問があります。別に答える必要はございません。ご自身の中で、考えて頂きたいのです。
“もしもあなたが妹紅の立場なら、蓬莱の薬の効果を解く禁薬を飲みますか?”
どちらにせよ、この質問に正解も不正解もありません。ただ、これを考えて頂けるだけで、作者は嬉しく思います。
また、評価・感想など頂けましたら、作者は大変喜びます。技術の向上の為にも、次作へのモチベーションの為にも、お暇なら宜しくお願い致します。
最後になりましたが、後書きまで長くなってしまい、申し訳ありませんでした。ここまで読んで下さった皆様に、最上級の感謝を。