暴力的なチェリーボーイ②
それを果たしたからと言って本当に自分の記憶を取り戻す事が出来るかどうかは分からないし、でもだからこそ、どんな可能性にも賭けてみる価値がある、とも思う。
そんなことを考えながら自分は、BARのマスターから貰ったメモに記されている部屋番号を頼りにその記されている部屋番号の部屋へと向かった。
部屋の前に来たはいいものの、ノックを躊躇った。どんな人が自分と同じようにこの列車内に違和感を覚え、記憶の忘却をくぐり抜けて己の記憶を取り戻したのか、純粋な興味は勿論ある。呼吸を整え、心を落ち着かせ、自分はノックをした。すると、すぐに部屋の中から声が聞こえた。それは女性のものだった。女性と言っても幼さがまだ感じられる女の子の声だった。扉が開くと、自分は彼女の顔を見ながらにこやかな笑顔を浮かべながら言った。
「こんにちは」
すると、彼女も笑顔を見せながら晴れやかに答えてくれた。
「こんにちは~。アミリーにお客さんだなんて久しぶりだな~。さぁさぁ、お兄さん早く入って入って」
自分は彼女に手を引かれて彼女の部屋に入った。彼女は自分に対して凄くフレンドリーに接してきて、柔らかい表情を浮かべていた。こんな人間もいるのだな、と自分は思った。
部屋に入ると、アミリーは自分を同居人のベットに座るように言ってきた。自分は言われるがままにそうすると、改めてアミリーの姿を眺めた。白に近い金髪に、真っ白い肌、身長は自分よりも低く華奢な体型をしている。人種は恐らくロシア人辺りだろう。彼女が持つふわふわとした柔らかい雰囲気や偽りのない純粋な笑顔というのは、とても魅力的に思えた。
「ねぇ、別に疑っているわけじゃないんだけど、訊いてもいいかな?」
「いいよ~なんでも訊いていいよ」
「ありがとう。あのさ、君も特異体質者なんだよね?」
「そうだよ、アミリーもお兄さんと同じ特異体質者だよ。アミリーはお兄さんより歳は下だと思うけどー、でもお兄さんと違って記憶を完全に取り戻しているし、お兄さんがまだほとんど発現していないだろう特異体質者が持つ特別な能力〝特異性〟も、アミリーには備わっているのだ!」
「そうなんだ……。あのさ、その特異体質者が持つ特別な能力……?」
「アミリー達はその事を〝特異性〟って呼んでるよ」
「そう、その特異性……まだ自分には発現してないだろうって君は言ったけど」
「アミリーって気安く呼んで」
「分かった、そうする。それでさ、さっきアミリーが言った特異性の発現について分からないところがあって、その特異性の発現って年齢によって発現の有無とか度合いとかが変わったりするのかな?」
言うと、アミリーは俯き加減になり、何か思案をするような硬い表情をしはじめた。そしてしばらくするとその思案が終わったのか、さっきまでの柔らかい温かみのある表情に戻り、アミリーは言った。
「年齢は関係ないと思うけどな。……ねぇ、お兄さん今何歳?」
「キビトでいいよ、お兄さん、じゃなくてキビトって呼んでくれたら嬉しいな」
「うん、分かった。キビトって日本人だよね? キビトって名前の日本人、アミリーは初めて聞いたなぁ~」
「同じ部屋の同居人にも言われたよ。日本人っぽくない、ってね。勿論その名前はもしかしたら自分が勝手に思っているだけの嘘の名前かもしれない。けど、記憶がなくても分かるんだよ。この名前が自分の名前だ、ってね。でも記憶がないって、本当に気持ちが悪いよ」
アミリーは同調するように細かく小さく首を縦に頷かせた。分かるよその気持ち、そう言われているみたいだった。人生の中で誰もが感じるような孤独とはまた種類の違う孤独について、理解をしたり、その孤独な気持ちに寄り添ってくれようとしている気持ちがとても嬉しかった。
「自分は日本人で、そしてアミリーは白人で、自分の部屋の同居人も同じ日本人で、BARのマスターはイギリス人、生まれた所も育ったところも違うってことは感覚で理解はできるんだけど……じゃあ、実際に日本がどんなところなのか思い出せって言われたら分からないし、それはアメリカだってイギリスだろうと同じなんだ。けど、もし自分達が元いた世界の写真を今見せられたとしても、多分今の自分の脳は受けつけないと思う。記憶の忘却の効果がまだ残っているから。記憶を取り戻すっていうのは、その脳に残留している記憶の忘却の効果をはね除けるきっかけを得ることの事を言うんだと思ってるんだけど、どうかな?」
「うん……そう、その通り。そこまで既に分かっているのなら、キビトにはアミリーのサポートなんていらないんじゃないかな~?」
「そんなことないよ、まだまだ訊きたいことあるし」
そう言ってから、少しだけ会話の存在しない時間が続いた。時間としては二、三分だろうか、二、三分の無言の時間だったけど体感は十分二十分くらいは会話がなかったように思えた。
自分はとあることをアミリーに訊いてみた。
「記憶を実際に取り戻すに当たって、まず最初にやらなくちゃならないことってなにかな?」
アミリーは少し悩んだ末、微笑を浮かべながら答えた。
「何がその人の記憶取り戻すきっかけになるかは分からないけど、アミリーが記憶を取り戻したきっかけは、かつて好きだった男の子としたキスが突然脳裏に浮かんできたことだったかな~。別にキスに限らずだけど、要はその人にとって大切な思い出が記憶という名の自分自身を取り戻すきっかけになるんじゃないかな」
大事な、思い出……記憶という名の自分自身……。
確かに、今の自分には大切な思い出の記憶すら失われている。自分の大切な人が誰だとか、愛した異性がどうだとか、家族が、友人が、仲間が……とか、そういうのは全て一切自らの中から消え失せていた。でもどうしてだろう、逆にそれでいい気もしてならないんだ。勿論、実際に記憶を取り戻してからじゃないとそれを思い出して良かったか良くなかったかなんて分からない。その上でこう思う自分もいた――別に思い出さなくてもいいんじゃないかって。
そのような感覚を胸の中心部分にちゃんと感じるのだ。それにどのような名前を付けようがそれは自分の勝手だ。だから自分はそれをポジティブな方向にではなくてネガティブな方向に解釈した。もしその胸の中心部分にある、妙に消えてほしいような消えてほしくないような感覚に名前を付けるとするならば、こうだろう。
――〝トラウマ〟と。
トラウマはまるで自分自身の中で眠る不発弾みたいなものだけれど、別に不発弾は不発する前提で作られたものではない。そして、トラウマの場合は、その時爆発しようが不発で終わろうが、それはいつしか必ず爆発する運命に定められているように思うのだ。香ばしい嘘によって、自分自身を嘘で塗り固めることは大嫌いだが、トラウマという名の不発弾を抱えながら生きるのは、もっと嫌だ。
自分は一瞬気持ちが掻き乱された。直視し過ぎても駄目だし、直視しなさ過ぎても駄目なのが現実だけど、自分自身でも予想のつかない感情に心が踏み荒らされそうな気持ち悪い気分を覚えたから、自分は胸の奥に眠っている不発弾に触れるのをやめた。
自分の部屋に帰ろう……一度ぐっすり眠りでもすれば気分も落ち着くだろう。自分は無言で座っていたベッドの縁から立ち上がり、何もお礼も言わずに出ようとした。そんな自分に、アミリーは自分の心中を察してでもくれたのか、去り際にこんなことを言ってきた。
「別に無理をする必要はないと思うよ。じっくり、時間をかけて記憶を取り戻していけばいい。記憶を取り戻すとまるで自分が自分じゃないみたいな不思議な気持ち悪さも覚えたりすることもあるけど、仮に自分がどんな人間だったとしても、とりあえずはそのまま受け入れてあげればいいんだ。あと……さ、それにもうひとつ言わせて。あまりノイジーさんに深く踏み込むことはやめた方がいいよ。キビト、ノイジーさんにアミリーに会うといいよって言われてここへ来たんでしょ? アミリーが記憶を完全に取り戻したのは、確かにノイジーさんのおかげでもあるんだけど……でも……あの人、何か隠し事をしているよ。アミリー達には隠していることが……なにかあると思うんだ……。それは、この列車内の大きな秘密だと思ってる。そしてこれはアミリーの勝手な感覚だけど、何故かキビトだったらそれを解き明かすことができるような気がするんだ。だから、さ……また何かあったらここに来てよ。待ってるから」
自分はその言葉に、はっとさせられた。だから、自分が出すことのできる最大限の笑顔を彼女に見せて、自分はアミリーの部屋から立ち去った。
そうだ、自分にはやらなくちゃならないことがある、そう内心強く思った。