EX2話 魔法能力者至上主義
十八時二十四分、世田谷区東北沢。
雪乃が築五年の二階建てアパートの階段を上がり、二つ目のドアの前で立ち止まる。鍵を差し込み、くるっと回す。
『ガチャ』
雪乃がドアを開けると、リビングから遥が顔を覗かせた。髪はぼさっとしていて、スウェットにジャージのズボンというラフな恰好をしている。
「ユッキー、おかえり〜」
「ただいま、ハルさん」
雪乃はドアを閉め、鍵とチェーンをかける。
間取りはワンルーム。玄関から短い廊下が伸びていて、そこに台所と冷蔵庫置き場、ユニットバスが並んでいる。リビングはフローリングで七畳ほど。ダブルベッドとテーブル、テレビ台と腰の高さほどの収納棚が配置され、床には小さめの丸いラグマットが敷かれている。
遥はラグの上に座り、テーブルに置かれたスマホを操作していた。
「ご飯にする? それとも先お風呂入る?」
遥が画面を見つめたまま問いかける。
雪乃は鞄を部屋の端に置きながら答える。
「そうですね……。お風呂にしましょうかね」
「りょーかい。お湯は沸かしてあるよ」
遥の言葉に、雪乃は「はーい」と適当な返事をする。
そのやり取りはまるで熟年夫婦のようだ。
雪乃が入浴を終える頃を見計らって、遥は冷蔵庫から昨日の残りの鮭の塩焼きを取り出し、電子レンジに入れる。
『ピッ、ウィーン……』
「ユッキー、お昼ご飯もコンビニの鮭おにぎりだろうに、飽きないものかねぇ」
遥は呟き、テーブルのスマホを手に取った。
「よ〜し、ギリギリ千位以内!」
スマホにはゲームのイベント結果が表示されていて、遥のランキング順位は九百九十二位だった。千位を境に獲得報酬が大きく異なるので、遥としては何としても千位以内に入りたかったのだ。
「推しが主役のイベントだもん。やっぱ称号欲しいよね」
小さくガッツポーズをしたのと同時に、電子レンジが止まった。
『ピー、ピー』
遥は温まった鮭の塩焼きをテーブルに持って行き、続けて炊飯器の蓋を開ける。
「ユッキー、もう出られる〜?」
脱衣所にいるであろう雪乃に声をかけると、「すぐ出ま〜す」と返ってきた。
遥は小さめの茶碗に半分ほどご飯を盛り付ける。
「こんなものかな」
雪乃は少食なので、こんもりとしたご飯を見ると逆に食欲をなくすらしい。最初の一週間はなかなか分量を掴めなかったが、二週間も経てば慣れたものだ。
遥が茶碗を鮭の塩焼きの横に並べると、雪乃が寝間着姿で出てきた。
「あれ? ハルさんは食べないんですか?」
ラグの上に座りながら問いかける雪乃に、遥は「ごめん、昼遅かったから後でいいや」と答える。
「じゃあ、いただいちゃいますね」
雪乃は手を合わせてから箸を持ち、鮭の塩焼きを口に運んだ。
二十三時五十六分。
暗い部屋の中で、ベッドの隣に置かれたLEDのナイトライトが枕元をぼんやりと照らす。
二人は裸でベッドに入り、雪乃が遥の背中に手を回している。
「ねえユッキー? 魔法能力者至上主義って聞いたことある?」
「何ですか、それ?」
遥の質問に、聞き返す雪乃。
「この前かわべぇが言ってたんだけど、最近友達が変な宗教に勧誘してくるんだって。マギアスプレマシスト? みたいな、確かそんな名前のやつ。そこに入信してから、その友達がよく使うようになったらしいんだ。魔法能力者至上主義って」
「う〜ん。なんか怪しいですね、その宗教」
雪乃の言葉に、遥も同意する。
「そう、聞けば聞くほどすっごい怪しいんだよ。『魔法能力者はカーストの頂点だ』とか、『魔法能力者以外は人ではない』とか。かわべぇの友達を悪く言うもんじゃないけど、ちょっとやり過ぎだとは思う」
「それで、その話を何で私に?」
不思議そうな顔を浮かべる雪乃に、遥が答える。
「いや、魔法能力者が襲われてる事件と、何か関係があるんじゃないかなって思ったから一応。その友達、家が高円寺みたいだから」
「そうですか、頭に入れておきますね。じゃあ、おやすみなさい、ハルさん……」
雪乃が遥の胸元に顔を埋め、ゆっくりと目を閉じる。
「うん。おやすみ、ユッキー」
遥はナイトライトに手を伸ばし、明かりを消した。
翌日、二〇二一年四月十四日。
『ブルルル、ブルルル……』
スマホのバイブレーションに雪乃が目を覚ます。スマホを手に取り、電話に出る。
「おはようございます、藤島さん。何かありましたか?」
電話の向こうからは、響華の焦ったような口調が聞こえてくる。
『どうしよう雪乃ちゃん。私、狙われてるかも……』
「え? 狙われてるって、誰にですか?」
体を起こし、首を傾げる雪乃。響華は震えた声で呟いた。
『狙撃、されたの……』
「まさか、例の……! 安全なところで待っててください、私もすぐ行きます!」
雪乃はベッドから出て急いで服を着ると、鞄を取ってリビングから出ていく。
「ユッキーも、気を付けるんだよ」
ベッドから起き上がって言う遥に、雪乃は玄関で靴を履きながらこくりと頷いた。
「じゃあ、行ってきますね」
ドアが開き、ガチャンと鍵が閉まる。
「行ってらっしゃい、ユッキー」
一人残された遥は小声でそう言って、大きく伸びをした。
「さて、私も仕事行く準備しなきゃな……」
祖師ヶ谷大蔵駅、改札口。
響華が壁に寄りかかって待っていると、雪乃が改札を駆け抜けてきた。
「藤島さん、大丈夫ですか?」
心配した様子で声をかける雪乃に、響華は笑顔を見せる。
「うん、平気。別に怪我とかもしてないし、撃ってきたのは一回だけだったから」
「そうなんですね。良かったです……」
雪乃はホッとした表情をして、胸をなでおろした。
「もうすぐ守屋刑事も来ると思うから、ここで待ってよう」
響華の言葉に、雪乃が首を縦に振る。
「それで、やっぱり狙撃してきたのは失踪したSATなんでしょうか?」
問いかける雪乃に、響華はポケットから弾丸を取り出して答える。
「これ、昨日のやつと一緒だよね? だとしたら、同一人物なのは間違いないと思う」
響華が雪乃に弾丸を手渡す。雪乃は弾丸をまじまじと見つめて、口を開く。
「SATの狙撃は正確ですからね。藤島さんも回避するのは大変だったんじゃないですか?」
弾丸を返しながら聞く雪乃。
「でも、雪乃ちゃんの狙撃に比べたら全然大したことなかったよ」
響華がそう言って微笑みかけると、雪乃は「いえ、そんな……!」と照れ臭そうに顔を赤らめた。
しばらくして、駅前に一台の警察車両が停まった。
「響華さん、無事で良かった」
守屋刑事が車から降り、こちらに駆け寄る。
「あっ、守屋さんやっと来た」
響華は手をひらひらと振る。
雪乃は軽く頭を下げ、「おはようございます」と挨拶する。
「まさか響華さんをターゲットにするなんて。犯人も随分と調子に乗っているようね」
守屋刑事が怒りを滲ませた声色で呟く。
「これ、拾った弾丸です」
響華が守屋刑事に弾丸を手渡す。守屋刑事は白い手袋をはめてからそれを受け取った。
「昨日のと同じ。犯人は同一人物と考えて良さそうね」
透明な袋に弾丸を入れ、スーツのポケットにしまう。
「守屋さん、今日はどうするんですか? 藤島さんも狙われてるみたいですし、悠長に現場検証を続けるわけにもいかないですよね?」
問いかける雪乃に、守屋刑事も首肯する。
「ええ。失踪中のSATの隊員を見つけ、話を聞く。それが今日の目標よ」
「「はい!」」
守屋刑事の言葉に、響華と雪乃は大きく頷いた。
丸の内、地下共同溝。
ケーブルや管が敷設された暗く狭い通路に、女性が一人立っている。その女性は防弾防刃性能が高そうな、ぴっちりとした黒いボディスーツを身に纏っている。
するとそこへ、ギターケースを背負った男が歩いてきた。男は黒いTシャツとジャケットに紺色のジーパンと、地味な恰好をしている。
「すまない姉さん、ターゲットを撃ち漏らした」
男の声に、女性は鼻先で笑う。
「まあいいさ、所詮は陽動でしかないのだから。それよりアンタ、国民情報システムに行動がバレていたりしないだろうね?」
女性の問いに、男は当たり前だといった様子で返す。
「そんな間抜けなことはしていない。この計画は、絶対に成功させなければならないからな」
「ああ。この計画さえ成功すれば、世界は大きく変わる。その瞬間を、アタシは見たいのさ」
不敵な笑みを浮かべる女性。
男性は腕時計をちらりと見遣る。
「そろそろ時間だな」
「それじゃ、アタシらも行きますか」
女性がビルの地下四階に繋がる鉄製の扉を開け、中に入る。男も周囲を警戒しつつ、女性の後に続いた。




