翠は幸せな若奥様
ドラゴノイドカプセルが数々の有力者に渡り、束の間有力者達の均衡が崩れている間も、遥達はそんな事は知らずに生活している。
その日も遥は部屋に据えつけた大き目の机に向かい、電脳から独立した文章作成に特化した端末で創造神の名無き世界の創作を進めていた。
時折おかっぱ頭の髪の端を弄りながら考え込みながらも、素早くキーをタッチして作文する。
よく見れば端末は二つあり、片方は設定らしきものが纏められている創作メモ替わりらしく、あまり打ち込まれない。
ライムイエローの壁紙の部屋の中、綺麗な姿勢で、ザ・ワンの収録環境音を流しながら作業を続ける。
そんな獣の吐息の音が響くライトグリーンのカーペットの敷いてある部屋の入り口を開いて、お盆にお茶を乗せた翠が入ってきた。
「遥ちゃん。ちょっと休憩しない?」
「んー……今のってるから休憩はしない。でも翠ちゃんがお茶入れてくれたなら飲むー」
「はい。湯飲みを取る時はちゃんと画面から手を放すのよ遥ちゃん。じゃないとまた入れ物倒して慌てても知らないんだから」
「んー」
短い会話の後は、また環境音と端末にタッチする微かな音が響くだけになる室内。
翠は部屋の隅に置いてあった折りたたみ椅子に座り自分の分のお茶を飲みながら、遥が作業をするのをしばらく見つめる。
日によってはこういう時間に、今どんな場面を書いているのかを聞いたりもするのだが、特別書き詰まっている様子も無いので見守るだけに留める。
遥の手が止まっている時などは、翠のほうから話し掛けて、進まない理由を聞いて、場合によってはそのまま内容をどうした方が良いかを聞かれたりもする。
だが、今日はそれも必要ないようだ。
翠は静かにお茶を飲み終わると、そっと部屋を出て行った。
仕事が捗っている夫の状態を保つのもお嫁さんの仕事、と思っているのだろう。
部屋を出た翠は少し何をするか考えてから、取りあえず遥の居る部屋以外に掃除機を掛ける事にする。
掃除機を掛けるとは言っても、これも2450年代においては主な作業は家事統括端末に、清掃機械に回収させるゴミの種別を設定したり、という入力作業になる。
全自動にしないのは、個別に廃棄品と認識しない、取っておきたいものを細かく設定する為だ。
この時代の掃除上手とは、この取捨選択を巧みに行う人間の事を指す。
ちなみに、宿題による選択履修に入る家庭科の達成度が高い人間はこの取捨選択する上での心遣いという物を叩き込まれる。
例えばゴミ捨てなら、人によって異なる大事なものをきちんと把握し、ゴミ扱いして勝手に捨てない。
そういう扱いをするのを基本とし、必要な場合のみ人間の手で廃棄するという具合だ。
他にも家庭科の達成度には他人を気遣う事を要求される部分が多い。
ルベウスが現れる以前の遥に対するコミュニケーションを除けば、翠はそういった能力に長けている。
今は唯一ダメだった部分が解消されて翠は遺憾なくその家事全般の仕事をこなしている。
誰も彼女をお嫁さんではないとは言わないだろう。
「そういえば、ここの所遥ちゃん運動あんまりしてないわよね……手が止まった時にでも近くのジムに連れて行ってあげようかしら」
遥の体調管理も、大抵は翠がしている。
ルベウスが気を遣わないわけではないが、彼女が配慮をする前に翠が調整してしまうのだ。
おかげで物書きをはじめてら出歩きにくくなった遥も毎日元気に食べながら、二の腕がぷよついたりもせずに済んでいる。
遥が身につける服も翠が見立てている。
彼女の頭の中には遥の大よその3サイズどころか、細かい3次元モデルが脳内に構築されている。
それによって翠は遥が居なくとも、正確に身体に合う服を選択できる。
ただ、服飾系のセンスはあまり無かったのか、選ぶ服はどこか悪く言えば古臭い、よく言えばスタンダードな物が中心になった。
端的に言えば、遥は翠と住み始めてから主な服装が洋服から和服スタイルになった。
そこの辺りをすんなりと受け入れてしまう遥とだから、巧くいっているのかもしれない。
翠から見た遥は、ご飯さえ美味しくつくればあまり文句もいわず、服を選べばありがとうと言い、時折毎日家事ありがとうと言う、優しい旦那様なのだ。
ついでに言えば笑うと可愛い、というのは翠の完全な主観だが。
そうこうしていると、時間は空くもので、そうなると次は翠は家事統括端末で近所のスーパーなどの市場の価格表と品質評価を閲覧できるページにアクセスする。
品質と価格、二つとも目的に適う物を選び出すのがいつの時代も良い主婦だろう。
翠はその仕事をすいすいとこなし、今日買うべきものと、そこから導き出される昼食から明日の朝食までのメニューを確定してしまう。
この決定を変える事ができるのは、たまに遥が何か食べたいと言った時くらいだ。
ルベウスは基本的に食べ物の種類に頓着する事はないので食べたいものの希望を出す事はない。
こうして買い物をするものが決定すると、翠は静かに遥の部屋に入っていき、お茶を飲んだか確認する。
そして中身が完全になくなっていることを確認すると、遥に声を掛けた。
「遥ちゃん。私買い物に行ってくるわ」
「うんー。行ってらっしゃい。気をつけてね」
文字を打ち込んでいる端末から目を離さず答える遥の姿に少し微笑みながら、翠は出かける支度を始める。
まず部屋着にしている枝垂れ桜の柄入りの小袖のまま軽く化粧を施す。
それから衣装箪笥と財布や身分証明に使う個人認証端末の入ったセキュリティボックスのある部屋で外に出かけるために端末を取り出す。
これを手早く済ませて、足袋に包まれた足で草履を履く。
同時にわざと落としたときに目立つように大きく造られている個人認証用端末を、買い物袋とそれからハンカチなどの小物が入った巾着袋に入れて持って準備万端。
そうして電脳と機械が溢れる街に古めかしい姿で出かけていくのだった。
ちなみに遥や翠の外出時、音も無くドラゴノイドカプセルを服用し、超人的な肉体能力を獲得した護衛が付く。
今住んでいるマンションに越してくる少し前から、それは常の事なので今では二人ともまったく気にしていない。
それどころか翠などは積極的に活用して、車の運転手や荷物持ちにも使っている。
荷物持ちは護衛なのに咄嗟に手が空いていなくなるので嫌われているが、護衛である彼らの上司を通してルベウスから伝達された命令は「遥と翠に従え」である。
そうしてむくつけき男共を引き連れて買い物をする翠は、周辺住民には完全に極道の女として認識されている。
翠なりにご近所づきあいをしようとした時期もあった、しかしマンション一つを護衛と自分達だけで占拠している状態では、近所づきあいなど土台無理な話だった。
15分ほど電気自動車のスムースな運転で運ばれた後、楚々とした動きで筋肉もりもりマッチョマンの野郎どもを連れてスーパーの店内に入る。
ここで買うものが多いなら、翠は自然な態度で護衛の一人に買い物籠を二つ持たせたりするのだが。
今日はそれほど量の多くない買い物なので、自分で買い物籠を一つカートに載せただけで買い物を開始する。
護衛は素早く翠の四方を囲む。
集まる視線を受け流しながら、翠は頭の中で立てていた予定通りに買い物を続ける。
特売品の野菜を数種、昼と夜のおかず用に豚肉と鶏肉を、特に夜に使う豚肉はルベウスも帰ってこれることが解っているので多めにかごに入れる。
後は目減りしている飲み物類を足して買い物は終わり。
一番端のレジで後方に護衛二人、レジの出口に残りの二人が位置に付いて清算の順番を待つ。
後はつつがなく清算を個人認証用端末で決済して、そのまま商品を買い物袋に移し変える為のテーブルの上で買い物籠から下につぶれにくい物から入れていく。
それが済んだらようやく周囲に威圧感を与えていた護衛を引き連れて店を出て、家路につく。
こうして買い物をするのに、移動時間を抜いて20分。
1時間弱で買い物を終えてマンションの自室に帰る。
護衛達は翠が室内に入ったのを確認して、それぞれが待機室兼自室にしている部屋に戻る。
「ただいま、遥ちゃん」
返事は返ってこないことが解っていても翠は入ってすぐに声を掛ける。
恐らく部屋を閉め切って集中している遥に声は聞こえないのが解っていても続けている習慣だ。
翠はこうしていると遥の家族、お嫁さんになったという感覚を強く覚えて幸せになる。
そうして良くなった機嫌のままに、小さく鼻歌を歌いながら買ったものを一度キッチンに置き、洗面所で手洗いうがいをする。
きちんと清潔にしてから買ったものを冷蔵庫に収めていって、丁寧に買い物袋を畳む。
こうして巾着袋の中から個人認証用端末を取り出し、セキュリティボックスに仕舞う。
こうして完全に家の中で寛ぐ体になった翠は時計を見て、そろそろ昼時の前というのを確認する。
衣装箪笥からタスキを取り出すと小袖の袖口をタスキ掛けにしてたくし上げる。
そうして白米を研いで、炊飯器にセット。
翠はそれを確認すると野菜室から人参とキャベツを取り出し、人参を千切りに、キャベツを一口大に切る。
切った後は浅漬け用の漬け汁を取り出してジッパー付きのビニール袋に入れて二十分ほど揉む。
それから冷蔵庫から鶏肉と葱、それから焼肉のタレを取り出す。
後は鶏肉と葱をシンクの上に置いたまな板の上でさっと一口大に切り分ける。
そうしてからキッチンの棚の中から竹串を取り出し刺していき、タレをつけてから電子グリルの中に並べていき焼き時間をセットする。
こうして後はグリルのスイッチを押すだけという状態にしてから、翠は遥の居る部屋へと向かった。
静かに遥の居る部屋に入る翠。
部屋の中では相変わらずザ・ワンの環境音、今は水の滴る洞窟内の水滴が岩に当たる音が流れている。
「遥ちゃん。後は少しでご飯が出来るところまでは準備したからね。きりがよくなったら言って」
「あいあいー。もうちょっと……待ってね」
何かに魅入られているかのように文章作成端末に向かって打ち込みを続ける遥を、翠は再び折りたたみ椅子に腰掛けて見守る。
真っ直ぐにディスプレイを見る眼差しを横から見ながら、翠は遥ちゃんかっこいいなぁ、などと考えていた。
そうして見惚れていれば、時間が過ぎるのは早いもので、ディスプレイに触れて打ち込んだ文章の保存をした遥が、自分を見つめる翠に声を掛ける。
「お待たせ翠ちゃん。こっちはきりがついたよ。お昼にしよー」
「うん。じゃあリビングで待っててね遥ちゃん。すぐ焼き鳥仕上げちゃうから」
「あ、お昼は焼き鳥なんだ。他にも何かある?」
「簡単だけど浅漬けだけあるわ」
「そっかー。あぁ、書くの止めたら急にお腹空いてきちゃった」
「もう遥ちゃんったら。すぐに焼き鳥焼けるからね。ご飯も……うん、炊けてるよ」
翠はリビングのテーブルに座る遥を背後に、ダイニングキッチンの中へ入り炊飯器を確認する。
炊飯完了の灯りを見ると、電子グリルのスイッチを入れて焼き鳥を焼き始める。
焼き鳥を焼く間に食器棚から底の深い器と浅く大きめな白皿を二枚並べて、深い器の方に漬けていた浅漬けを開ける。
その後は一旦リビングのテーブルに浅漬けの入った器を置いて、遥の向かいに座り口を開く。
「すぐ焼けるから。それとも遥ちゃん、ご飯と浅漬けだけで先に食べちゃう?」
「んと、焼き鳥焼けるの待つよー。それはそうと、買い物行ったんだよね。今日の晩御飯なーに?」
「えっと、豚の生姜焼きに山盛り千切りキャベツと、後はレンコンの天ぷらに小松菜のおひたしよ」
「レンコンの天ぷら!やったー!」
「えへへ、楽しみにしててね遥ちゃん」
嬉しそうに手を挙げて笑顔になる遥に、翠も微笑み返す。
そしてうきうきと焼き鳥が焼けるのを待つ遥に、翠が創作の進み具合について聞く。
「ご飯もいいけど、遥ちゃんの書いてるお話って今どんな感じ?ここしばらく読ませてもらってないけど」
「あっ、そだね。そろそろ一回読んでもらった方が良いよね。今日の午後大丈夫?」
「大丈夫よ。後できる事は洗濯物を畳んでしまうくらいだから」
「やた、じゃあ読んで感想聞かせてね」
「いいよ。遥ちゃん的には見所はどんなところ?」
「えっとね……ネタばれになるから秘密!」
「えぇぇ、秘密なの」
「うん、こればっかりは実際読んで感じた事を聞かせてもらいたいから。でもキーワードだけ言うなら、葛藤、かな」
「葛藤かぁ……どんな風になるのかしら」
「上手く書けてるか解らないから、辛口でお願いね」
「解ったわ。後でじっくり読むわね」
二人が話していると、電子グリルから電子音が鳴る。
それを聞いて、遥に断ってから翠は焼き鳥を用意した白皿に2本ずつ盛って運ぶ。
一本一本がそれなりのボリュームがあって、これとご飯を一緒に食べたら、後は浅漬けで更にご飯を食べればお腹一杯になりそうだ。
焼き鳥の皿をテーブルに運んだら、後はご飯だ。
食器棚から改めて茶碗を取り出して、ご飯をほどほどに盛る。
こうしてテーブルに並べれば完全に昼食の準備は完了。
「はい、食べて遥ちゃん」
「はーい!いっただっきまーす!」
元気に食べ始める遥の様子を楽しみながら、翠は自分の作った料理に手をつける。
遥は本当に美味しそうに、美味しい美味しいと嬉しそうに食べる。
翠にとってはそれだけでおかずになりそうなほど、作り甲斐を感じさせる食べっぷりだ。
彼女にとっては遥のこういう正直な所は、好む所だ。
なぜなら翠にとっての遥との原風景は、気持ちの赴くままに引っ込み思案だった翠を、遥が引っ張りまわして遊んだ所にあるから。
遥の感情のままに動く所は、年を重ねるに連れて隠れていってしまったが、翠はそれを鮮明に覚えている。
それが、ルベウスが現れてから、正確に言えば小説を書きだしてから。
遥が自分の中にあるものを叩きつけるように端末に打ち込みを行うのを見るのは翠にとって幸せだった。
そこには世間に対して自分を隠そうとする遥の殻が無いから。
真っ直ぐな視線が向いているのが自分でないのは少し寂しいが、翠は一番近くでそれを見れる立場をくれたルベウスには感謝している。
こんな具合に翠が幸せに浸りながら食事をしていると、よく食べる遥はちょこちょこ動いてご飯をお替りしに行く。
その後姿を見て翠は更に、あぁやっぱり遥ちゃんちっちゃくて可愛い、などと思うのだった。
二人が食事を終えると、翠が遥に食器の片づけを頼んで、お茶の準備を始める。
遥が作業に戻る前に一服入れてもらおうというつもりだ。
「遥ちゃん。飲み物淹れるけど何が良いかしら?」
「どしよっかなー。じゃあコーヒー!」
「じゃあちょっと待ってね」
そう言うと翠は白い、下部に花が咲いている柄のマグカップを二つ出して、顆粒状のインスタントコーヒーを放り込んで、そこに沸かしたお湯を入れる。
後は箸立てに入っていたスプーンで数回かき回して、使ったスプーンを洗って元の場所に仕舞う。
こうして用意したマグカップを運びながら翠は遥に言った。
「そういえば一度目を通すの、今からやったら駄目かしら」
「んー、今日一杯は書きたい気分。読んでもらうのに、ごめんね」
「いいのよ。読ませたいと思ったら言ってね、遥ちゃん」
「翠ちゃんはやさしーなー」
会話を交わしながら、翠はマグカップを渡す。
そしてふーふーと息を吹きかけてコーヒーを冷ます遥はちびちびとコーヒーを口に含む合間に呟き始めた。
「あ……んー、でもなぁ……」
コーヒーを飲むのを止めて眉をしかめて考え込み始めた遥に、翠は優しく問いかける。
「どうしたの遥ちゃん。良かったら私に話して頂戴」
「あ、ごめん。これは翠ちゃんと編集さんに見せてから悩むべきだった」
「小説の内容に関することなのね」
「うん、それも結構ネタばれに触れる内容だから。読んでもらってから聞くよ。今は振り切るよ」
「そう……あ、おやつは何が良いかしら遥ちゃん。何か食べたいものある?」
「はちみつたっぷりのハニートースト!」
「えへへ、遥ちゃんは本当にそれ好きだよね」
「うん。翠ちゃんのハニートーストはハニーたぷたぷで大好きだよー」
「そうかしら。じゃあ今日も蜂蜜たっぷりにするわね」
「わーい!」
おやつが決まると、温くなり始めていたコーヒーを一気に飲むと、遥は自室に戻っていく。
多分先ほど小説に関して何か悩んでいた事も、一度書いてから人に見せて意見を貰ったら修正すればいい、と思っているのだろう。
翠が部屋に入ると、再び遥は白い背もたれの、クッションが柔軟な椅子に座って端末にタッチし続けている。
それを見ながら少し体を休める事にした翠は、部屋の窓際に据えつけられたダブルベッドに腰掛ける。
ここは週に2回ほどの頻度で遥と愛を交わしている場所でもある。
その事を思い出してやや頭をぼんやりさせながらも、ひたすら打ち込む遥を見る翠。
そしてぼんやりと見ているうちに、週7日の内、2日はルベウスに遥は抱かれているという事を思い出す。
現在では1人の人間に夫役と妻役という役割が割り振られ、最大二人なら法律上の配偶者を持つ事ができる。
同性同士でも子供が作れるようになったため、男女問わず本人が望むなら夫と妻の役割を担う事ができるのが適当ではないか。
そんな主張の元に制定された制度だが、実践的な夫婦関係として利用する者は少ない。
多くの人間はこの制度でコネクションを形成し、人間関係に広がりを作る為に利用している。
その上で利益があると判断すれば産婦人科で子供を作るのだ。
自然な妊娠というのはマイノリティになって久しいが、遥の両親はそのマイノリティに属する。
翠も、父と母の間で作られた子供だが、その近くには常に父の夫や母の嫁といった、血の繋がらない家族が居た。
この結婚制度で膨れ上がった姻戚関係を収める為に家は大邸宅形住居を、親とその配偶者の繋がりで維持して居たいのを知っている。
そうした中で数多い戸籍所の「兄弟」……この場合は姻戚関係の連鎖から来る血の繋がらない身内を指す……の中で。
あまり目立たず、他の「兄弟」からは居なくても同じような扱いをされていた翠を、太陽のような一人っ子という立場の遥が照らした。
純然たる両親から、一粒種として生まれてきた遥は、数多くの「兄弟」には無い奔放さと、自分を見てくれる瞳に捉われた。
だから、自分にだけ言ってくれた遥のお嫁さんにしてあげるという言葉に強く執着した。
結果的には遥が夫と妻を迎えている形になったが、それでも約束は果たされた。
その幸せの中でうつらうつらとまどろみ始める翠。
だがそこは抜け目無いもので、眠りそうになったらと午後3時半程度にアラームがなるように枕元のタイマーカウンターをセットする。
後は眠ってもアラームで起きて、洗濯物を取り込んだら、網目状に切れ目を入れたパンをバターたっぷり塗りつけて焼き、蜂蜜を垂らして遥に食べさせる。
そんな計画をぼんやりとした頭で考えながら浅い眠りに翠は落ちていった。
彼女は幸福である。




