引け目と、能力の継承
ルベウスの入院と検査自体には問題は殆ど起こらなかった。
心臓と思しき臓器があった部分が急速な組織の再生で、ただの心臓型の肉の塊になったという結果を持って、彼女の心臓問題は決着した。
病原菌に関しても完璧にクリア、創造神はそういった異世界に渡るという大事に伴う問題を解決してくれていたようだ。
それは異世界を移る時に響いた声から感じる慈悲深さは、偽者ではなかったようだ。
そしてここから先が問題になった部分。
ルベウス様のような存在がこの世に現れ、ザ・ワンの中からルベウスという存在が消えた。
この状況は即座に公的な機関に知られた。
それは当然だろう、外見は人間に近くとも、その内部はまったくと言っていいほど違う者が現れたのだから。
非人道的でないあらゆる検査が行われた。
当然、検体として替えが利かない存在なので無茶な事も出来ない。
だが、問診で彼女の言葉でザ・ワンは異世界と繋がっている可能性が示唆された。
これは画期的な事だった。
彼女の語る神への祈祷魔法などにも研究者は興味を惹かれたが、電脳に築かれた世界が異なる世界と接する。
これに、より多くの人間が興味を惹かれた。
そして急速に異世界を観測する研究に各国が力を入れ始めた。
今までにも異世界の存在を主張し、研究する人間は在野には居た。
しかしそれは2450年の発達した技術においても荒唐無稽な夢物語扱いだった。
それが正規の研究として認められ、人材と資金が動き始めた。
これは後にアウターワールドアドベンチャーと呼ばれた社会の大きなうねりとなった。
それとは無関係に、遥はルベウスとメールのやり取りと、二日ごとの面会日に逢瀬を重ねていた。
白い面会室で、顔を合わせる二人、事情聴取で遥も異世界に行った事実を知られた為、同じ施設に入れられている。
用意された尻尾と翼を邪魔しない背もたれの無いソファに二人並んで腰掛けて、話を始める。
ちなみに今のルベウスは翼と尻尾が出せるミニスカートとチューブトップを着ている。
「ねぇ、ルベウス様。なんで私なんかの為に心臓を捧げてまでこの世界に来たの?」
「その理由は言った筈ですよハル。私が貴女を愛しているから」
「でも……そもそもルベウス様が私に好意を持ったのだって、ゲームのモンスターを魅了する声のおかげで、それも本当なら生きていられない状態で無理やり聞かせていたようなものなんだよ」
「ハル。貴女は気づいていませんか」
「え?」
「あの時、私が貴女を私の世界へよんだその時から、その力は貴女の声の中に宿っていますよ」
ルベウスの言葉に、思わず自分の喉を押さえる遥。
その瞳には困惑が浮かんでいる。
「そんな……私の声にそんな力が?」
「心当たりはありませんか。人に急に好かれる等の変化は」
その言葉に遥はかぶりを振る。
「解んないよルベウス様。私にそんな力感じられないよ」
「おかしいですね。私はこんなにも惹かれるというのに……」
「ちょっ、やーめーてー!そ、そんな近いと、困るよー……」
「冗談ではないのですけれどね。……ふむ、もしかして、あちらの力はこちらの生物には効かないのかもしれませんね」
ルベウスの言葉に、遥は大きく安堵する。
もしザ・ワンの中で持っていたような魅了の能力を持っていたら、それこそ大騒ぎだ。
「ああ、では試して欲しい事があるのですよ、ハル」
「なーに?」
「山歩きの力が貴女に発現しているかどうかです。貴女はこちらとあちらを行き来した存在。もしかしたらそちらの力だけは発現しているかも」
「そ、それは微妙な能力だね……」
「そうですね。この世界では微妙かもしれませんね。翼無き人でも飛行機と呼ばれる乗り物で山を越える事ができるこの世界では」
「ん……でも、試せるか担当の研究員の人に聞いてみる。自分の事だもん、しっかりしないとね」
ふと、話に一区切りが付いて二人の間に沈黙が訪れる。
しばらくただ寄り添う時間が続いた後、遥は少し俯きながら言った。
「それにしてもさー」
「なんですか?」
さりげなく、隣に座る遥の手に自らの手の甲に鱗の浮かぶ手を重ねるルベウス。
それにぴくりと体を強張らせるも、振りほどきはしない遥。
「ほんと言うと、最近になってじわじわ来てるんだけどー」
「なんです?言って見てください」
「2000年掛けた告白とか超はずかしいんですけど!!しかもそれでOK貰っちゃったって!」
「ふふ。良いじゃないですか。私は構いませんよ」
「わ、私が構うのー!もー、ほんと、ファンタジー小説みたいじゃん」
「ファンタジー小説というと、私の世界のような所を描いた本ですね。いいんじゃないですか?お互いそういう世界で出会ったんですから」
するりと遥の腕に、自分の腕を絡めるルベウスの動きに、遥は赤くなりながら言った。
「あ、後恥ずかしいのはさー。ルベウス様と、その……」
「子供を作れという話ですか?凄いですねこの世界は。同性でも子供を成す事が出来るとは」
「そ、それ!ロマンチックな出会いだったのに、なんか人に言われて、無理やりにでも子供つくれみたいな感じ、なんかやだ」
「私はハルの心の準備が出来るまで待ちますよ」
「う、うぅー……」
実際、顔をつき合せて付き合ってみればルベウスは遥にとって極上の相手だった。
いつも気を遣ってくれるし、優しいし、美人だし、何よりも愛情をまったく隠そうとしない。
両親がいつも気をかけてくれる程度の好意の見せ方は感じていたけれど、そんなストレートな愛情表現をされるのは遥にとって初めてだった。
その状態はとても遥に大きな陶酔感を与えた。
それは今、頬に口付けを落とされても受け入れてしまう程度に。
「あのさ、ルベウス様って昔みたいに凄い動きが出来なくなったって本当?」
「……事実です」
「それって、やっぱり心臓が……」
「そうとは限りませんよ。世界を移動した副作用のようなものかもしれません。この世界に私の使っていた破滅の暗黒……こちらの世界では反物質といいましたか、そんなものを自在に吐き出す生き物などいないのですから」
コレはもう何度も繰り返された会話だ。
遥はまだ自分の為をルベウスが心臓を差し出した事を気に病んでいる。
どうしてもその話に行き着いてしまう。
「貴女に罪は有りません。罪が有るとすれば、それは私に有ります」
「なんで?なんでそんな風に言えるの!?」
「私は、貴女を求めるあまり、貴女をこちらの世界に呼ぶことで貴女が失うものを考えていなかったのです。本来なら最初から、私が貴女の元へ行けばよかったのに」
「ルベウス様……そんな考え方は辛いよね?」
「辛くありません。貴女が居るから」
本当に、遥の傍に居る事。
それだけで幸福だというように微笑むルベウス。
彼女の笑顔に応える様に自分も笑顔を作ろうとして、失敗した遥の顔が歪む。
「ルベウス様は、ずっと自分の傍に居てくれる存在を待ってたんだよね」
「そうです」
「それって、ゲームの設定だから?それとも、生きてて自然とそう思うようになったの?」
遥の問いに、ルベウスは遥の肩に寄りかかりながら答える。
「私は生まれた時から1つの存在でした。でも1ではあまりに寂しい。他の生き物は2になり、3にも4にもなるというのに。1である事は哀しいことでした」
無言でルベウスの言葉が続くのを遥は聞く。
「そんな私の前に、私を2にしようと迫った人達。私はそれに怯え、受け入れるのに2000年掛かりました」
背中の翼で遥を包みながらルベウスは続けた。
「そうして最後に残ったのが貴女だった。それはゲームという、仮の器を通しての事だったかもしれません。でも私には、現実だったんですよ、ハル」
この落差が、遥の最後で素直になれない原因だった。
遥にとっては2000年も仮想の出来事なのだ、それにルベウスに語りかけた声にはゲームとしての補正が掛かっていた。
それはなんだかズルをして好意を受けたような気がして、彼女の愛に素直になれない。
美しい生き物に無償の愛を向けられる幸福を、時間をかけたのだから当然とは思えない程度に遥は真面目な少女だった。
遥は理由が欲しかった。
自分がルベウスに愛されるだけの理由が。
でもそんな物は、ゲームの中以外では平凡な自分の中には見つけられなかった。
ルベウスは遥の声に惹かれると何度も言ってくれる。
でもそんな実感の持てない理由では納得できなかった。
まぁ、もし仮に彼女の声にザ・ワンの中でそうだったように、他の生物を魅了する効果があったとしたら。
それはそれで声でこの寂しがりやな神竜人を縛り付けているようで気が引けただろうが。
ルベウスは、そんな遥の気持ちを察してか、コミュニケーション以上の接触は求めない。
理解しているのだ、遥に必要なのは時間と、てらいもなく人に誇れる何かである事を。
そんな二人の時間も終わりが来る。
面会時間の終了だ。
ルベウスのストレスを大幅に軽減するこの面会は先に述べたとおり2日に1度行われるが、それでも時間は有限で終わりが訪れる。
「じゃあ、何かあったらメール送るから」
「どんな細かいことでも教えてくださいね、ハル。愛しい人」
面会時間終了のアナウンスに促されて退室する直前に、そっとルベウスは遥の額に唇を落とす。
遥は一瞬足を止めるが、その後はせかせかと足を動かして、自らの頬を染めた犯人と別れて用意された自室に戻る。
その背中を、曲がり角の向こうに消えるまでルベウスは目元を柔らかくして見つめてから、自分も用意された部屋に戻るために歩き始めた。
ゆらりゆらりと尻尾を揺らしながら。
「それで、山に登ってみたいと」
「はい。ゲームでの能力があちらの世界へ行ってこの体にも宿ったのか確認するのにはそれが一番簡単な方法でーす」
「なるほど。異世界の法則で動いている生物と、あちらに渡った人間が自己にだけ発現する能力があるかの確認は必要な事項ですね。主任に話を通しておきます」
「はーい。お願いしまーす」
ルベウスとの会話で新たに発見した事柄を研究員に伝えて、退出する白衣の後姿を見送る。
あの優しい異人種が自らの心臓を捧げてから既に1月が過ぎていた。
それから面会日の度にこういった報告をさせられる。
この事は遥にとって軽いストレスになっていた。
しかしもっとストレスが溜まる扱いをされているだろうルベウスを思って気持ちを抑える。
部屋に備えられたあまりスプリングの利いていないベッドに寝そべりながら、ルベウスの事を考える。
今でも遥は考えてしまう。
もしパニックにならず、異世界に召喚された事を受け入れてルベウスとあちらの世界で過ごしていたらの、たられば。
もし受け入れていたら、あちらの世界で何も考えずに声で色々な生き物を魅了しながら、全盛に近いルベウスと平和に過ごしていたかもしれない。
もしもっと自分が特別な人間であれば、自分はルベウスに選ばれるべき人間だと思えていたかもしれない。
全てが過程なのが遥にはむなしく感じられる。
ルベウスと居る時はいいが、1人になるとこの思考は怒涛のように押し寄せて遥を押しつぶそうとする。
それを身体を丸めてじっと耐える。
「……おかーさん達にメール書かなきゃ」
由香里は異世界に行っていた遥に触れてはいたものの、直接あちらに行ったわけではないので簡単な細菌検査だけで自宅に戻されている。
娘が公的な機関の行った事とはいえ、軟禁に近い状態である事に不安を抱かないはずがない。
それを和らげるために、メールは書かなければならない。
そんな使命感に背中を押されて、部屋の隅に据えつけられたリクライニングシートと机と一体型の端末の電源を入れ、メーラーを起動する。
「……今日もまぁまぁご飯は美味しくて、ルベウスさんとスキンシップした、くらいかなー。書けるのって」
呟きながらカタカタとキーボードを叩く。
電子的に進んだこの時代、思考操作でも文章は打てるが、今は手を動かせるアナクロなキーボードの存在がありがたかった。
手を動かしている間は、自分を苛むルベウスへの罪悪感から逃れられる。
二日後、遥は研究所から監視付きでの外出を許可され、富士山のふもとに来ていた。
「それじゃー、登山始めます」
あくまでゲーム内での能力が身についているかを判断するために、遥はろくな登山道具も無しに登山道を登り始める。
いざという時のための装備は監視役が持っているために問題ない。
遥はどうせ何も無いだろうから、何もゲームの中で履いていた様なサンダルで登らせる事ないのにとー、と思いながら登山を始める。
するとどうした事だろうか、サンダル履きで、整備された登山道とはいえ、ややもすると監視役を置き去りにしてしまいそうになる。
その度に遥は監視役が追いつくのを待つのだが、身体がもっと速く進めると訴えかけてくる。
「あのー、もっと速く進める感じなんですけど」
この言葉に、監視役がくじけた。
監視を空からの物に切り替え、登山する遥を撮るという形態に替える。
その後は余りにも滑らかな登山姿の空撮になった。
遥は富士山のふもとから山頂まで、約40分ほどでたどり着き、息切れも起こしていない。
明らかに異常な身体能力だった。
この情報は、結果的に公開された。
本来は情報の公開は先送りにされるはずだった、しかし登山道に設置された遭難者の発生を早期に感知するためのカメラによる撮影動画が流出し、異常な速度で登山する遥の姿が広まってしまったのだ。
だから、異世界に行った少女は、異世界と接していたゲームで身に付けた能力を手に入れていたと公開せざるを得なくなった。
その結果、かなりの数の若者、特に小学生から高校生の間の年齢層を中心にした子供達が動いた。
アバターをテイマータイプの特性の物に変更し、現実に反映される身体能力を課金アイテムで上限を外し鍛える。
そんな、アウターワールドドリーマーと呼ばれるプレイスタイルの人間を生み出す。
それは子供が圧倒的に多かったというだけで、大人にも確かにそういったプレイスタイルに変更する人間は一定数いた。
現実は日々を静かに過ごす遥とルベウスを置き去りにして、異世界に急速に染まっていった。




