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Lesson4 遠見の筒(3)

 幸いにして、ルチアには常識があった。ボコボコにされ、氷のイバラで簀巻き状態となった夫に、氷点下の美声(ブリザードボイス)を投げつける。


「この、腐れ外道」

「面目ない」


 がっくりとうなだれるロドリゴからは、先ほどのような狂気は感じられなかった。むしろ、しおれたパンジーのようで、なかなか愛嬌がある。


「本当にごめんなさいね。エルフなんて、300年ぶりくらいに見たものだから、主人もつい暴走してしまったようで。お詫びいたします」

「いえっ、あの、そんなに頭を下げないで下さい。全然気にしてない…わけじゃないですけど、ホントもう大丈夫ですから」


 90度はあろうかという深いお辞儀と謝辞を述べるルチアに、かえって恐縮してしまう。美人で怖そうだけど、優しい方でよかった。そんな風にコレットが思ったのも束の間である。


「それで、私の事もごめんなさいね。今のうちに謝っておくわ」

「え?」

「実は、もう我慢の限界なの」

「は?」

「うふ、うふふふふ」

「ちょっと、ルチアさん?」


 ルチアの目が、おかしな事になっている。彼女の変化に気がついた時にはすでに手遅れだった。


「えーるーふーだーわー!」

「ぎぃやー!」


 5分後、ソファの上にはルチアの膝枕でおとなしく耳を触られているコレットがいた。頬はフグのようにパンパンに膨れている。


「あらあら、コレットちゃん。かわいい顔が台無しですよ、うふうふ」

「耳なら耳と、最初から言えばいいじゃないですか」

「あら、言わなかったかしら、うふふ」

「言ってませんよ!本気で貞操の危機だと思いました」

「ごめんなさいねぇ~、うっふっふ」

「その妖しい笑いはどうにかならないんですか」

「無理ねぇ」


 氷の精霊は閉鎖的で有名だが、古来よりエルフとだけは親交が深かった。というのも、彼らにとってエルフの耳は一種の精神安定剤、魔力供給源に近いものがあるからだ。

 どうやら耳に触れていると、とても気持ちよくなって笑いが止まらなくなるらしい。そのうえ、自身の魔力が大幅に底上げされるという。


「なあ、ルチア。そろそろ私にも触らせてくれないか」

「駄目」

「そんな、頼むよ」

「殿方に触られたら、コレットちゃんが怖がってしまいますわ。ほほほ、残念無念。うーふーふー」


 この世が終焉を迎えても、そんな顔はしないであろうという表情で号泣するロドリゴに、コレットはほんの少しだけ同情した。


「ま、まあ少しくらいならいいですけど」

「本当かあっ!」

「ひっ、み、耳だけですよ耳だけ!」

「無論だ、他にどこを触るというのだ?」

「…まあ、そう言われると少しムカつきますが」

「コレットちゃんは優しいのねぇ」


 端から見ると異様な光景だった。ちょこんとベッドに座るコレットの左右で、氷の精霊夫妻が両耳を恍惚の表情で触っているのだから。

 たっぷりと30分が経過し、コレットの奉仕時間はようやく終わりを告げた。


「もうおしまいです」

「まだ名残惜しいわぁ」

「うむ、今宵は泊まってはどうかな。日も落ちてきたことだし」

「ええ、それがいいですわ」

「謹んで、断固拒否」

「コレットちゃんのいけず」


 最後の台詞がルチアでなくロドリゴだったのが若干気持ち悪が、ともあれ、これ以上長居してもろくな事が無いと判断し、早々に仕事をこなして帰ることにした。


「そろそろ、約束の『溶けない氷』を頂きたいんですけど」

「そうだな、そうしよう。丁度この沸き上がる魔力を披露したいと思っていた所だ。ついてきないさい」

「はぁ」


 アンブロゾーリ夫妻に連れられて、やってきたのは地下の巨大水槽室であった。『溶けない氷』を製作するため、不自然なほどクリーンな環境が整えられている。


「さて、普通なら1日はかかる作業なのだが」


 ロドリゴが手を水面近くに掲げると、さざ波が立ち、水が吸い上げられていく。次第に薄い円盤状の物体が宙に姿を現すと、純化、変形、固定化、強化の順番で魔法がかけられていき、やがて『溶けない氷』が出来上がった。見た目はレンズのようなものだ。


「やはりエルフの力は素晴らしいな。見たまえ、一瞬にしてこれほどの傑作品が出来上がってしまった。この100年間で見かけたことがない程の逸品だな」

「確かに、綺麗ですね。魔力がもの凄く凝縮されいています」

「だろう。まあ、私の腕によるところも大きいわけだが」

「はあ」

「反応薄っ。まあいい、これを持って行きなさい」

「ありがとうございます!」


 コレットは、嬉々として『溶けない氷』を受け取ると、手早く帰宅準備を始めた。そんな彼女を見て、ルチアは思案顔だ。ふと思い出したようにゴソゴソと机を探ると、何を取り出した。そのまま封筒にもぐり込ませ、コレットに手渡す。


「コレットちゃん、戻ってから困ったことがあったらこの封筒を開いてみてね」

「何ですか、困ったことって」

「私の杞憂であれば、それで良いのです。まあ、開かないことを祈りますわ」


 なにやら神妙な顔つきだ。そんな事を言われると心配になってくるコレットだったが、そんな先のことよりも直近の大問題に気がついた。


「あ、ホウキ…」

「ホウキ?」

「帰る手段が、無くなってしまいました」

「私に叩き落とされて、木っ端微塵だからな」

「どうしよう、間に合わないです」

「あらあら困りましたわね」


 オロオロするコレットの頭を、ルチアが優しく撫でていると、今度はロドリゴがゴソゴソと隣の倉庫を漁り始めた。


「空飛ぶホウキなら、いくつか質草があったぞ。好きなのを持って行けばいい」

「本当ですか!?」

「どうせガラクタだからな」


 部屋を覗くと、乱雑に置かれた魔法アイテム群にまじって数本のホウキが飾られていた。中には有名な工房が作った最新モデルなどもある。


「すごいコレクションですね。本当に貰って良いんですか」

「ゴミが減れば助かる」

「うわぁ、嬉しいなぁ。どれが良いかなぁ、どうせなら高いので…んん?」


 コレットの視線は、一本の古くさいホウキに吸い込まれていった。それは壁に飾られている他のホウキ達と違い、床に転がされている。年季の入ったものだった。


「ロドリゴさん、あのホウキは?」

「あれか?かなり昔に破産した海運商がホウキコレクターでな。しかしレトロすぎて売れなかったらしい。なんでも手動のホウキだとかなんとか」

「手動…ですか、それってもしかして」


 コレットは、興奮で震える右手を左手で押さえつつ、そのホウキを手に取り、柄に描かれた紋章を確認した。


「や、やはりこれは…伝説のバラークRSR!」

「バラ…なんだね?それは」


 きょとんとするロドリゴと対照的に、コレットは興奮で跳び上がりそうな勢いである。


「いまの自動化されたホウキとは一線を画する、素晴らしいホウキです!クラフトマンシップ溢れる工房なんですよ、バラーク工房は。そして、このRSRは歴代最高峰に位置づけられる、有名な『音速のホウキ』なのです。見たのは初めてです、どうしましょう」


 コレットは、突然の事にあわあわと視線を彷徨わせる。

 現在の空飛ぶホウキは、飛行制御が自動化されているものが主流だ。面倒な魔力コントロールや姿勢制御をせずとも、ホウキ側が勝手にやってくれるが、その分出力は低くなるが、圧倒的に扱いやすい。

 しかし、バラーク工房のそれは1000年前から基本的な工法を変えておらず、今でも一部のホウキマニアには垂涎の逸品となっている。

 性能「だけ」で言えば最高級なのだ。手動制御だが。


「これが欲しいです!」

「物好きだね、構わないよ」

「やっほーい」


 くるり、くるりと喜びのダンスを舞うコレット。実は大のホウキマニアなのだ。まだ上手く乗りこなすことは出来ないが、このホウキは何だか自分を呼んでいるような気がしてならない。


「本当に、ありがとうございました」

「こちらの方が感謝したいくらいですよ」

「うむ、また来ると良い」

「いや、それはちょっと…」

「あら、どうかしらねぇ」

「え?」


 一部不安をかき立てる台詞があったが、今は考えないことにした。何度もお礼を言って外に出ると、アラクネ105が律儀に主人の帰りを待っていた。


「さて、急いで帰らないとお師さまに怒られますね」


 指をタクトのように振ってアラクネ105を手の中に収納すると、手に入れたばかりのホウキにまたがって意気揚々と出発を告げた。

                 

「さ、行きますよ。バラークRSR、全速力(・・・)です!」


 コレットは迷うことなくホウキの柄の根本、スロットルに当たる部分を全開にした。

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