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処刑まであと7日。悪役令嬢はもう何もしません  作者: すなな


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【後日談】2- その夜

最後の客を見送った頃には、日付が変わろうとしていた。

朝から続いた祝福の声も、楽団の音も、もう聞こえない。


部屋に戻ったセレナは、鏡の前に腰を下ろした。

侍女たちが退室し、扉が閉まる。

途端に静かになった。

鏡の中には、まだ花嫁の姿をした自分がいる。

純白のドレス。

耳元で揺れる小さな宝石。

そして左手には、今日新しくはめられた指輪。


五年。

あれほど答えを出せなかった求婚に、ようやく頷いた。

今日からレオンは夫になった。


そう考えると、今さら胸の奥が落ち着かなくなる。


髪へ手を伸ばしたところで、後ろから別の手が重なった。


レオンだった。


器用とは言い難い手つきで、髪飾りを一つずつ外していく。


最後の一本が抜かれると、きっちりと結い上げられていた銀髪が肩から背へ落ちた。

レオンの指が、その一房をすくう。

指の間を滑らせて。


またすくう。


鏡越しに目が合った。


先ほどから、やけに静かだ。

式の最中はいつもと変わらなかった。

大勢に囲まれても余裕そうに笑って。


緊張するセレナを見つけては、面白そうに目を細めていた。

それなのに今は。


「……何ですの?」


返事はなかった。


代わりに、後ろから抱きしめられた。


セレナの身体がわずかに強張る。

けれど、それ以上は何も起こらない。

肩へ額を預けられる。

そのまま動かない。


「レオン?」


頬を寄せられた。

まるでそこが自分の場所だと言わんばかりに、さらに深く顔を埋めてくる。


セレナは目を瞬いた。

どうしたのだろう。

少し迷ってから、黒髪へ手を置いた。


撫でる。

すると腰に回った腕が少し強くなった。


もう一度。

今度は、頬を擦り寄せてくる。


思わず笑ってしまった。


「……甘えん坊でしたのね」


不服そうに眉が寄った。

けれど離れない。


むしろ、もう一度撫でろと言わんばかりに頭を預けてくる。


セレナはまた髪を撫でた。

すると満足そうに目を閉じた。


夫になると、こんなにも遠慮がなくなるものなのだろうか。

そう思ったとき。


レオンが顔を上げた。

セレナの指が止まる。

目元が、少し赤い。


「……泣いていらしたの?」


レオンは答えなかった。

また肩へ顔を埋める。

今度はセレナも何も聞かなかった。

代わりに、その背へ腕を回す。

すると、強く抱きしめられた。


嬉しいのだ。

明日もセレナがいる。

明後日も。

これから先も。


もう帰る必要もなければ、別々の屋敷へ戻る必要もない。

そのことが。


この人を泣かせるほど嬉しいらしい。


セレナは胸の奥がくすぐったくなるのを感じながら、黒髪へ頬を寄せた。

今まで知らなかったレオンが、そこにいた。

そして。

それを知ることが、思った以上に嬉しかった。





しばらくして、レオンが顔を上げた。

頬に手が触れる。

先ほどまで甘えるようにくっついていた人と、同じ人とは思えなかった。

親指がゆっくり肌を撫でる。

額へ口づけが落ちた。

目元へ。

頬へ。

そして唇へ。


セレナは目を閉じた。

触れて。

離れる。

もう一度。

今度は少し長い。

腰に回った腕に引き寄せられ、自然とレオンの胸元へ手を置いた。

そのまま服を掴む。

胸の奥が騒がしい。

それなのに。

ふっと唇が離れた。

代わりに額へ軽く口づけられる。

そのまま、また抱きしめられた。


「……」


セレナはレオンの胸元で目を瞬いた。

けれど、何も言わなかった。

急ぐ必要などない。

今夜は長い。

そう思った。

少し経つと、また頬に触れられた。

顔が近づく。

今度はセレナも迷わず目を閉じた。

唇が重なる。

一度。

二度。

触れては離れ、また戻ってくる。

先ほどよりも近い。

セレナは自然と首へ腕を回していた。

それに応えるように、腰を抱く腕にも力が入る。

もう一度。

今度はセレナの方から少し近づいた。

レオンも応える。

胸が高鳴る。

このまま――

そう思ったところで。

また、離れた。


「……」


何事もなかったように銀髪を撫でられる。

セレナは眉を寄せた。

何か。

足りない。

抱きしめられている。

何度も口づけられた。

触れる指先からも、自分を求められていることは分かる。

なのに。

あと一歩。

自分がその先を意識した瞬間にだけ、レオンは引いてしまう。

三度目。

今度こそ、とセレナが思った瞬間。

やはりレオンが離れた。

無意識に。

その唇を追っていた。

ほんのわずか。

自分から。

目が合う。

レオンの目元が少し緩んだ。

見られた。

セレナは何事もなかったように顔を逸らした。

耳が熱い。

そのまま抱きしめられる。

レオンは何も言わない。

笑ってすらいない。

それが余計に腹立たしい。

今度はセレナも分かっていた。

また同じことをされる。

だから。

次に顔を寄せられても、待ってやろうと思った。

思ったのに。

口づけられれば、目を閉じてしまう。

腰を引き寄せられれば、身体を預けてしまう。

そして。

また離れようとした。

今度は。

首へ回した腕を解かなかった。

それでもレオンが少し身体を引く。


「……待って」


声が出た。

二人とも止まった。

セレナは遅れて、自分が何を言ったのかに気づいた。

離れていくレオンを。

自分から引き止めた。

急に恥ずかしくなって、腕を解こうとする。

けれど今度は、レオンが離さなかった。

腰を抱いたまま、セレナを覗き込む。

その目に。

初めて、少しだけ意地の悪い色が見えた。

頬を撫でられる。


「『待て』って言われる方の気持ちがわかった?」


甘い声だった。

セレナは目を見開いた。


数秒。

そして。

ようやく全部がつながった。


「……わざとでしたの?」


レオンは答えなかった。

ただ、頬を撫でる。

その指は優しい。


「オレは五年も、『待て』の状態だったけど」


胸の奥が鳴った。


五年。


求婚されてから今日まで。

レオンは一度も答えを急かさなかった。


好意があることくらい、きっと分かっていた。

一緒にいたいと思っていることも。


それでもセレナは頷かなかった。

待ってほしい。

もう少し。

まだ。


そのたびにレオンは笑っていた。

だから。

平気なのだと思っていた。


待つことも。

自分が手に入らないことも。


この人にとっては、それほど苦しいことではないのだと。

レオンの指が、セレナの唇へ触れた。


「オレがほしい?」


息が止まった。

答えられなかった。

それでも目を逸らさず。

小さく頷いた。

レオンの笑みが一瞬消えた。

ほんの一瞬。

すぐにまた、意地悪そうに目を細める。


「今すぐに?」


分かっているくせに。

セレナはレオンを睨んだ。

けれど。

首へ回した腕を解くことはできなかった。

もう一度。

今度は少しだけ強く頷いた。

レオンの顔が耳元へ寄る。


「セレナは『待て』ができないんだね」


低く、甘い声が落ちる。


「人にはさせるのに」


顔が熱くなった。

五年待たせた本人には、何も言い返せない。

悔しくて。

レオンの服を強く掴んだ。

すると。


耳元にあった気配が止まった。

顔を上げる。

レオンが見ていた。


今までとは違う目で。


その瞬間。

セレナは気づいた。

この人が欲しかったのは。


ただ、自分を手に入れることではなかった。

セレナの方から手を伸ばすこと。

自分を欲しがること。

離れていこうとすれば追いかけて。

行かないでと、掴むこと。


きっと。

ずっとそれを待っていた。


セレナはレオンの首へ腕を回した。

自分から引き寄せる。


唇を重ねた。

離れて。

もう一度。


今度はレオンが離れようとしても、追った。

服を掴んだまま離さない。


それが答えだった。

次の瞬間。

腰に回った腕の強さが変わった。

セレナは息を呑んだ。


今までとは違う。

もう。

すぐには離れない。

これまで何度も、セレナが少しでも戸惑えば手を放した。

追うこともなかった。

今夜だってそうだった。

けれど。

今は違う。

触れる手からも。

抱きしめる腕からも。

隠しようのない熱が伝わってくる。

こんなにも。


そう思った。

こんなにも欲しがられていたのか。


胸の奥が熱くなる。


「……レオン」


思わず名前を呼んだ。

その瞬間。

腕が緩んだ。


また。

セレナは胸を衝かれた。


こんなときでさえ。

自分が嫌がったと思えば、離れようとする。


ずっと。

そうしてくれていたのだ。

平気だったからではない。

欲しくなかったからでもない。

この熱を全部押し込めて。

セレナが自分から選ぶまで。

五年も。

セレナは離れかけた腕を掴んだ。

そして、自分から腰へ戻した。

レオンが目を見開く。


「違いますわ」


頬へ手を添える。

今なら言える。


「強引にいらしても」


黒髪へ指を入れる。


「甘えてくださっても」


自分から身体を寄せた。


「わたくしは逃げませんわ」


レオンは動かなかった。

セレナはその目を見つめる。


「ですから、もう」


少し笑った。


「そんなに簡単に、わたくしを離さないでくださいませ」


長い沈黙。

やがて。

レオンの手がセレナの左手を取った。

薬指の指輪を、親指でなぞる。

何度も。

確かめるように。

その横顔を見ながら。

セレナはようやく分かった。


ずっと自分の中にあった、小さな不安の正体。

レオンはいつも引いてくれた。

待ってくれた。

無理を言わなかった。

だから時々。

本当に自分でなくてはいけないのだろうかと思った。

自分がいなくても。

この人なら笑って生きていけるのではないかと。


違った。

待てたのではない。

待ってくれていた。


一瞬だって待ちたくなかったのに。


それでも。


セレナを失うくらいなら、待つ方を選んだ。

その事実が。

たまらなく嬉しかった。

レオンは指輪から目を離さなかった。


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