第2部 10章 巡弥生 残響
「あれ・・・」カムラはつい口にした。
内示の後日、異動一覧表は全係員に公開された。
「異動者と転入者って同格・・・じゃないの・・・」異動者である係長の俺が係長格じゃないことに若いカムラは気づいて何事かを察知したように口をつぐんだ。
係内ではいいようのない沈黙が蔓延する。俺の言動にみな意識をむけているようだった。
「タカシ係長」俺は背中にナベサワの震える呼び声を聞いた。
予想通りだった。「はい課長」皆が俺の動きを注視する。
ナベサワに職場の隅に連れ出される。ナベサワはキョドった眼つきに笑顔を精一杯顔に張りつけている。
「昨日の?どこにやった」ナベサワの問いに、俺はシミュレーション通りの反応をする。
昨日の?ナベサワは周囲を気にしてうんうん小刻みに肯く。
カウント3、1・2・3。
ああ課長の署名ですよねナベサワは目が真剣だった。
俺は内心からこみあげる笑いを抑えるのに必死だった「もう・・・先生にだしちゃったな」とポツリと言う。ナベサワの表情が強張る気配を感じる。
カウント2、1・2。
「・・・何か?」ナベサワは息が詰まり気味な様子で・・・必死だった。
ごもごもと口ごもっている。・・・ああ課長、控えをお渡しするの忘れてました。
すいません。
俺は自席に悠然と戻り奴の署名の控えと
弁護士の例文控を奴の震える両手に捻じ込んで、大きく笑顔。
「どうもありがとうございました」
これが俺のファイナルミッション・・・そう過信していた。
「情報・・・システム課ぁ」妻は俺の異動先を心配そうに呟いた。
「前いた部署なの?」ああ俺は呟いた。
俺はその部署に係長として配属されていた。
またヒラになって出戻りだ。俺が係長時代に見知った係員も当たり前だが多く残っている。
「やりづらい・・・ね」妻は俺にでもなく係員にでもなくふと感想をもらした。
「・・・仕方ないよやるしかない」俺はそう言葉にした。
人事部が用意した異動先の配置により無言の晒し刑を執行され続ける。それはもうずっと前から覚悟していた。
季節・・・わかってないの?朝、ベランダに蝉があおむけになっていた。
・・・死んでるのかな?虫嫌いの妻が騒ぐから片付けようと手を差し伸べると。
俺の指にしがみついた。
あ生きてる。・・・どうしよう。
下の駐輪場ちかくにでも・・・と考えてちょっと躊躇するとギギ・・ギギギ、と。
得体の知れない音をたてて羽を広げた。
ベランダの塀にそのまま激突をくり返し、ようやくその壁を乗り越えると遠くのタワーマンションがみえる大空を目指しているようだ。
ギ、ギギ・・・その鳴き声すらもうわけわかんない。
弱っているのだろうか左右に蛇行をしてでも高く高く羽ばたいていく。・・・失速するか。俺はその姿をぼんやりみていたが、そのまま蝉は遠くにとおくへとんでいった。
やがて小さくなってみえなくなる。
・・・タワーマンションを抜けても都心街、奴の居場所なんてどこにもないはずなのに。
飛ぶしかない、羽音が余韻で響いて消えた。




