夜闇に紛れて その4
◆
そんな計画を聞かされ、片棒を担ぐ決断を下したのが数週間前。
牛緒源一郎の自由奔放にも程がある行動パターンを、通常業務に追われながら脳を沸騰させて『今なら時間取れるぜェ……』とどうにか把握した旨の連絡を黒田から受けたのが今日。
漸く計画の第一段階に取り掛かれるようになった。
「……コレ、だね?茶色の煉瓦でできた四角い建物……いや、これは化粧煉瓦か。写真で見たものと一緒だ」
すぐ隣から聞こえていた僅かな足音が消える。
横に視線をやると、闇に溶け込む黒い外套から細く華奢な──シルエットから推測するに恐らく人差し指を立てた腕が伸びている。
……吸血鬼が夜目がきくというのは聞いていたが、ここまでなのか。
自分はセラさんが指差す先を見ても何か平たい壁らしき影があることしか分からない。色彩なんて以ての外だ。
「……電気は通っているとの話でしたが、明かりはついていませんね」
連絡通り留守らしい。思わず安堵の溜息が漏れる。
だが、油断は全くできない。
この場所を牛緒源一郎の檻とする計画の最中、本人が帰ってきたら……全てが台無しだ。
聞いていた話を総合すると、まず真正面から武力でぶつかれば勝ち目はない。
もしも──もしもというにはあまりに有り得る事態だが──牛緒源一郎がこの事務所に戻ってきた場合。それに備えて黒田がこの近辺に備え付けた監視カメラ越しに監視を行っている。此処に辿り着くまで自分達もそれの存在を確認した。あの配置ならどのルートから例の老人がやってきても姿を捉えることができるだろう。その瞬間に二人とも預かったスマートフォンに、どのルートから牛緒源一郎がやって来たかも含めた連絡が来る手筈になっている。その場合は即座に痕跡を消して襲来したルートの反対側から撤収する。
今自分が着ている、ドライバーからしたら迷惑極まり無いレベルで夜に溶け込む暗色を基調としたフード付きジャケット。その裏ポケットに忍ばせたスマートフォンと、黒田がこっそり作ったという合鍵を撫でる。作戦を決行する前に二人とも同じものを持ってきていることはお互い何回も確認しているが、それでも不安からこうして何度も何度も確認してしまう。
ここまできたらやるしかない。
心境としては、単身で魔王城に踏み込む勇者のような──諸事情から中のお宝も漁りに来たことも含めて──そんな気持ち。
ザラザラしたアスファルトの上から白いタイルの上に、物漁りをしていた頃から使っているブーツの底が移る。
今度は確認の為ではなく、役割を果たさせる為に合鍵に手を伸ばす──
ふと、気づいた。隣りに黒い外套を羽織った吸血鬼の姿が無い。
振り返ると、まだ道路側に立っている。
頭巾を作るように上部分を紐で縛り、頭全体を覆ってしまえるフード状の物を作った洋風の黒い外套の端が、小刻みに揺れる。
「……セラさん?」
声を掛けた瞬間、ビクンと外套が波打つ。
「あ、ああ、ああ。すまない。今行くよ」
そういって此方に踏み出す脚と、声が震えている。
……何が単身で魔王城に挑む勇者だ。馬鹿め。やってることを考えれば勇者なんて身分からは程遠いし、何より自分は一人じゃない。
視野が狭い。自分も過度に緊張している証拠だ。
大きく息を吸う。吐く。そして、丸いシリンダーと一体型になった錠前付きのシックな扉の方へ向き直る。
「すみませんセラさん。ちょっと確認したおきたいんですが、牛緒源一郎の刺青……というか異世界由来の力についてもう一度話してもらってもいいですか?考えを纏めたくて」
扉に指を沿わせ、暗闇に紛れた鍵穴を確認しながら背中越しに話し掛ける。
「え?ああ、勿論」
フー……と少し長めに息を吐く音が後ろから聞こえる。
「まず、ウシオ・ゲンイチロウという老人が持つ強さ……力の源はまず背中に施された森白人の魔術紋で間違いない。枯れ木のようだったという身体が復活したのもそれの影響だろうね」
ポツポツとセラさんの口から言葉が漏れだす。声の震えは相変わらず感じ取れるが、若干マシだ。
「では、何故急に復活を?」
「この世界……もっというと本人の近辺に大規模な迷宮が転移して、同時にこの世界へ魔力という力と概念が大量に流し込まれたからだと推測できる。いや、推測といったけどそれ以外には考えにくい」
徐々にだが声に力強さが戻ってきた。いい調子だ。
「前にも少し話したけど、魔術紋というのは取り敢えずで纏めるなら魔力の導線。つまり魔力というものに晒されないと、ほぼ只の紋様だ。街が魔物で溢れかえる日まで効果が無かったのはそれでだろう」
この手の話はセラさんの得意分野。よく熱の入った議論を聞いてきた経験が活きた。
緊張を解すには丁度いい。
「だからこの世に魔力が満ち、異世界の住民の内なる力を叩き起こした瞬間に効果を発揮したんだ──しかし、死に体の人間を……大量の魔物を退ける程までに強化する術式というのは……お目に掛かったことが無い。更にこの世界の文化に合わせて意匠も変更している。あれは彫り付けたのは、森白人の感覚で考えても相当な年月を修練に充てた熟練者が施したものだと思う。下手すれば一国のお抱えになる程の」
指先で発見したシリンダーの鍵穴にゆっくりと合鍵を差し込む。
「しかし、それに対して牛緒源一郎の魔力の扱いはあまり達者ではないようで。“火球”も上手く扱えなかったという話ですし」
「まぁそれは適正の問題もあるし……急に魔力を宿した人間が魔術に苦労するのは君だって経験済みだろう?」
カチャリ、と軽い音を立てて鍵が開く。耳が痛い。無論、音の所為ではない。確かに他人事にした発言の自覚はあった。
この半魔力体の身体になってからというものの今まで満足に扱えた覚えのなかった魔術というものに手を出せるようになった。偏にセラさんという指導者がいるおかげだが。
しかし、自分の身体に直接作用するような魔術は兎も角、相手に向かって放つような魔術は中々上手くいっていない。
件の“火球”に手を出してみた時も、火の球を生成するまでは何とかなるものの放つ際の指向性があまりに安定しなかったりする。
この間なんて正面に放った“火球”がブーメランの如く帰ってきた。どういうことだよ。いくらノーコンでもそうはならないだろ。
「それに“火球”という魔術を分解した際に最も重要な要素である“魔力を火に変える”術式の行使は可能なようだしね」
静かに開けた扉の向こうへそれとなく歩を進める。自然と軽い足音が後ろからついてくる。どうやらだいぶ気は紛れてきたらしい。
「それも一応攻撃手段に成り得るんですよね」
「うん。でも魔力を垂れ流しの使いっぱなしにする訳だから、魔力と体力の消耗が凄まじいし、射程もそこまでない上にしっかり当てないと効果は薄いから有効な状況はかなり限られるね。それに一番の問題点として術者本人が炎と熱に耐えきれない。普通は手段に選ばないと思う」
魔術に明るいセラさんが言うのだから間違いはないだろう。
だが、留意するべき点としては、牛緒源一郎は“普通”ではない。それだけは肝に銘じておこう。
「ありがとうございます。おかげでかなり整理がつきました」
「……いや、こちらこそ。気を遣わせて悪いね。早く奥まで入ってしまおうか。ここからだと外から姿が見えてしまう」
そういうと、するりと黒い影が横を通り抜ける。
……何となく目的を察されていたらしい。確かに急に話題振ったしな。




