突然の襲撃
◇
セラさんのダンジョンを念の為四時間程前に出て、現在時刻は午後八時。
日はすっかり落ちて、代わりに電柱に巻き付いた街灯がスポットライトのようにひび割れだらけのアスファルトを照らしている。
この周囲には人気どころか生き物の気配さえまるで無い。光に誘き寄せられたヤブ蚊達が灯かりの中で踊っている程度。
そんなうら寂しい場所で自分は今、屋根が吹き飛び壁に穴が開いた道路脇の廃屋に身を隠している。
かつて此処には農業を営む壮年の男性が住んでいたと記憶している。道路を挟んで存在する畑に根を張り頭を垂れる稲を懸命に世話しているのを何回か見かけた覚えがある。
その男性が何処に消えたのかは……この周辺が異常群衆による魔物の被害を受けたことと、毒に侵され雑草すら生えなくなり荒れ果てた畑を見れば何となく察しはつく。
この辺りは自分の通学路だった。黄色の旗を持って小学校まで行って帰ってを繰り返した記憶が蘇る。白い帽子を被った子供の群れに時々『気ィ付けて帰れよ』と声を掛けてくれた長靴の老人の姿が頭の中に蘇る。
なんとなく、手を合わせる。顔以外は何も知らない。小さい頃に軽く挨拶を交わすだけの関わりだった。だがその程度の繋がりでも悼む気持ちは湧く。同時に彼のかつての住まいに土足で踏み入っていることへの申し訳なさも。
だが、それでもこの廃屋で待ち構えねばならない。此処以外に道路から身を潜められる場所は無い。
ちらりとコンパス機能のついた腕時計を見る。時刻は午後八時十分。
例の、ひょろりと背の高い関西弁男──俺を襲った襲撃犯の元締め──が吐叶市役所を出るのは、張り込んだところによると午後六時から……遅くとも九時にかけて。
通勤には乗用車等を用いず徒歩。
かつて警察関係者が住まう官舎だったが、今は牛尾組の人間が住まう鉄筋マンションの三階三百十号室に居を構える。
時折女性を自分の部屋に招き入れることがあるが、見かける度に女性の顔ぶれは変わっている。未婚で女性との関係性は長続きしないタイプのようだ。同棲している様子も無い。つまりは一人暮らし。
だがあの官舎に押し掛けるのは得策ではない。かつて警察官が住む場所だったが故にセキュリティは万全。監視カメラもばっちりだ。父さんが話してくれたのをよく覚えている。……そのセキュリティが今は暴力団の為に生かされてるなんて何の冗談だ。
“透明化”を扱えるようになったとはいえ、過信は禁物。そもそもあそこの監視カメラにはサーモグラフィが付いている物もあった筈。検知されたら苦労は水泡と消え、瞬く間に牛尾組お気に入りの腕利き達が侵入者のもとに押し寄せるだろう。
吐叶市探索者組合に深く貢献したと認められる人物達、つまりは“LEVEL:5”以上の探索者達。
吐叶市での地位を実力や……貢物で築き上げ、優遇と特権も得た連中だ。
そんなのと真正面から事を構えるわけにはいかない。
だから此処で……あの糸目の関西弁が通勤に使うこの道路で身柄を攫う。
奴が此処を通って職場と家を往復しているのは確認済み。
吐叶市役所から官舎までは別のルートもあり、それも活用している姿も見たが今日のように遅くなった日は一刻も早く帰りたがるのか一番家までの距離が短いこのルートを必ず通る。
たった一人で街灯も人目も少ないこの道を。
下調べはもう十分にした。これ以上時間は掛けられない。ペンダントだっていつまでも保管されているとは限らない。
今日、此処で決める。
「フゥー……」
気分が落ち着かない。何度も息を深く吸っては吐いてを繰り返している。
息が白くなるような気温じゃなくて助かった。誰もいない筈の廃屋の中からそんなものが見えてしまったら計画が台無し──
「──はい。はい。あーそうそう。共有やのうて個人の方。パスワード前に教えたげたやん?わかる?」
息が止まる。鼓膜を聞き覚えのある関西訛りの声が揺らす。
「そうそう。ドキュメントの中。そこちゃっと開いたらパッとでるわ」
間違いなくターゲットの男。だが、誰かと話している?
今日に限って誰かと連れ立っている?
そんな馬鹿な。そんなパターンは今までに一度も──
「あった?そうそうそれそれ緑のやつ。ファイル。いやーごめんごめんじゃあそれ送っといて。ありがとー宿題やったのに持ってくんの忘れましたが許されんのは小学生までやんなぁ」
いや違う。奴は一人、平たく小さい光る板を側頭部に押し付けて話している。電話中か。
「当直中に申し訳ないなぁ。ベリーちゃん恩に着るわぁ……こんなヘマしたら指詰めろとか言われんのかな?黒田サンは言わんか。そんなん言うの組長くらいか。あの爺さんヤッバイもんなぁ。ほんまにダンジョン湧くまで入院しとったんか思うわ」
何かダラダラと話し込んでいる。周囲を警戒している様子は欠片もない、が今は襲えない。
やるならあいつが電話を切ってからにしないと。スマートフォンの向こうにいる相手に犯行がバレてしまう。
「根っからの武闘派なんやろ?オレ正面から話したこたぁないけど、ダンジョンの外に出てきた魔物ドスで殺しとんのは見たことあるわ。おっかなかったでぇ……あの爺さん戦後からヤクザやっとるから価値観も古臭いし、いちいち物騒というかやり方がスマートじゃないというか、もうちょっとコスパとタイパ考えて欲しいんよなぁ……あ、これ言わんといてな。オフレコオフレコ」
廃屋の壁に空けた覗き穴からターゲットの様子を伺う。体幹が弱いのか体を左右に揺らしながら道路を歩いている。
「ほんまおおきに。お礼に今度ご飯、いやいや気が済まへんから……あー……そう。うんうんしゃあないわな。ほんならまた明日……」
話が終わろうとしている。もう間もなく電話は切られるだろう。
……それをホイッスルにしよう。
今のところ俺の“透明化”は長続きしない。使っている間はまるで素潜り中の酸素のように魔力と集中力を消費する。
行使した瞬間から時間は一秒たりとも無駄にできない。
電話を切った瞬間、自分に透明化をかけて廃屋から飛び出し接近し、背後から締め落とす。
透明化し背後から襲撃する訓練は積んできた。実践もした。
ずかずかとダンジョンに踏み入り、セラさんのことを『よっぽど腕無しの考え無し』と嘲った成長不全のモヤシみたいな色白ヒョロガリクソ魔術師もどきがみっともなく伸びた姿は記憶に新しい。
……あいつはセラさんの慈悲でダンジョンの外に放り出されたが、ここには命を慮る風変わりなあの吸血鬼はいない。
外出の目的も伝えていない。これから壁の向こうにいる男にすることと、その末路を知らせたくなかったから。
「ハァー……ガード固いわぁ……落ちんのぉ」
溜息をついて男が光る板を顔から離す。そしてそれを指で一突きし──目を刺すブルーライトの光が消える。
今だ。
飛び出す前に自分を魔力で構築された膜で包む。マントのように身体を覆うそれに、肉体を照らし暴く光を吸い込ませて──自分の存在を消し去る。
後は足音を殺す為に屈んで──
≪……ジ君……サ……ジ君……≫
頭の中で響く声にぶったまげて思わず跳ね上がる。集中が切れて透明化が切れる。
セラさん?セラさんの声だ。
セラさんの念話?確かに吸血鬼にはそんな力があると聞かされていた覚えがある。セラさん自身が行使できるとも。
確かにあの洞窟からは直線距離で言うとそこまで離れてはいないが届くものなのか?
いやそれは今疑問に思うところじゃない。なぜ急にこんなことを?
帰りが遅くなって心配させてしまったことは何回かあったが、こんなことをされるのは初めてだ。
≪迷宮……い……ま………だ………≫
何かあったんですか?と聞き返せれば良いけれど、返せない。自分に遠距離の相手へ言葉を返せる術はない。一方通行だ。
「どうにかできんかのぉ~……一回連れ出せば後は何とかなると思うねんけどなぁ~」
頭に直接ではなく、耳から入る方の声が遠ざかってゆく。
まずい。絶好の機会を逃す。一旦こっちを──
≪迷宮が……乗っ取られた……≫
「……なんですって?」
誰にも届かない、声が漏れ出た。




