とりあえず帰宅
◇
「──ということがありまして。偶然ってあるものなんですね」
「ええ……?」
困惑とも呆れが入り混じる感情の乗った声が、尖った牙が覗く口から漏れ出る。
敵情視察を一旦切り上げて、セラさんが待つダンジョンへ戻ると夕食を作って待ってくれていた。
……誰かが自分の為にご飯を作って待ってくれている。いつぶりだろうか。涙が零れそうになるくらいに有難い。
「……ところで、セラさんは召し上がられないんですか?」
丸テーブルの上に鎮座する、このダンジョンで栽培した野菜と俺が“鍛錬”がてら狩ってきた鹿肉たっぷりのシチューに小麦が香る手作りパンは自分の分しかない。切り分けられた林檎も自分の傍に寄せられている。此処の主人の傍には何も無い。
「ん、ああいいんだよ。勿体無いから」
ダンジョンの主は苦笑いを顔に浮かべ、ひらひらと白い手を顔の前で振る。
「もったいないってそれは──」
「言葉通りの意味なんだよ。吸血鬼が食べても栄養にならないから。野菜なんかは特にね」
思わず強い言葉を発しかける俺を宥めるように、セラさんは淡々と言葉を紡ぐ。
「吸血鬼にもよるんだけどね。動物の血肉くらいなら多少何とかならないことも無いけど……それだけで生命の維持は無理だね。それ程効率は悪い……言ったことなかったかな」
……確かに思い返してみれば、セラさんが血と水以外のものを口にしているのは見たことがない。
探索者を誘き寄せる餌として、ダンジョン内で試験的に作物の栽培を始めたが、驚異的な速度で育つそれを毒見も兼ねて試食したのは自分だけ。
あの時は魔力を吸って育った作物が体に悪影響をもたらさないか、万が一のことを考えて控えてもらっていたのだが、すんなり引いてくれたのはそういう訳か。
「……しかし、そういう体だと味覚も無いのでしょうか」
「いや、味の良し悪しは分かるよ。そうじゃないと料理は難しいだろう?」
確かに試食無しでこの心温まる味を出せるとは思えない。シチューの付け合わせで出されたパンは何もつけずにいくつも食べてしまえるほど美味。
……知らない間にあと一個しか残っていない。全部平らげてしまうとおかわりを催促してるみたいだから一旦手を止めよう。
「懐かしいね。話を聞いてくれる……血を分けてくれる旅人や冒険者と出会った時はこうして料理を振舞ったんだ。お礼もそうだけど失った栄養を取り戻してもらわないといけないから。抵抗がない人には動物の内臓を使った料理をよく出していたよ」
「成程。レバーは鉄分豊富って聞きますからね。俺も狩りを始めてからは三食に山盛り食べてます」
「うん。栄養偏るから止めてね?」
「でも沢山血を作るには」
「止めてね?」
「……ごめんなさい」
「うん。まぁ、でも、よく帰ってきてくれたね。主犯を見つけて逸る気持ちもあったろうに」
「確かに掴みかかってやりたい気持ちも無かったわけではないのですが……なんか突然すぎて怒りより驚きが勝りましてなんか……逆に冷静になりました」
「複雑だねぇ」
実際、今も憤怒や積怒よりも安心や安堵の感情が勝っている。情報の裏が取れたから、形見のペンダントの在処があの探索者組合本部にあると確信を得られたからだ。
…………だが。まだ問題はある。
「でも、そこからどうするんだい?肝心の首飾りがその役所の何処にあるか分からないままだろう?」
「…………いえ、それが盗み聞きしている内に指示役の男がそれらしい場所をぽろっと零しまして。何となく見当はついているんです」
「そうなのかい!?何という僥倖……」
「取りに行くのも……忍び込む形になりますが不可能ではない位置にあるようでして」
「む、ん……まぁそういうことになるだろうね……言って返してもらえる訳も無し……ふぅむそれなら……」
丸テーブルに肘をついて、手で顎を支えてぶつぶつと何かを呟きだす。
セラさんは考えを纏めようとする時に思考の内容が言葉となって漏れ出るタイプ。
自分の為に思案してくれているのだろう。
……やはり心苦しいな。偶々拾い上げたどこぞの馬の骨とも知れない人間の為に考え込んでくれる人に“嘘”を吐くというのはどうしても。
形見のペンダントの保管場所に当たりをつけられたというのは真っ赤な嘘だ。
会話に聞き耳を立てていたのは事実だが、有益な情報は得られなかった。あの後は指示役と見られる瘦躯の男が受付嬢を夕食に誘うが敢え無く袖にされるしょうもない話しか耳に入らず、収穫は無かった。
……やはり“本人”から聞き出すのが一番確実だろう、というのが今辿り着いている結論。
そしてその為に必要なのが──
「セラさん。ご迷惑を承知の上でお願いがあります」
「ん?」
「やっと基礎を一通り終えたばかりですが……自分に“姿を隠す”魔術を教授して頂けませんか?確か以前に覚えがあると仰っておられましたよね」
「ふむ。やはりそうなるかい」
身体を隠蔽する魔術。主に経験を積み才覚がある斥候や魔術師が行使していると聞きかじったことがある。実際に使用している者を見た事は無い程度にはレベルの高い魔術であり技術。というか使用しているならその姿を確認できるはずがないのだが。
「いいだろう。その為に必要な手順を今頭の中で組み立てていたところだよ」
「お気遣い痛み入ります」
「恐らくだけど習得にそう時間は掛からないと思うよ。君は呑み込みが早い。それに隠蔽魔術は私の得意とするところだしね」
「ありがとうございます。狩猟の最中にも自分なりに基礎を応用しやってみましたがどうもうまくいかなくて。静止すれば体を周囲に溶け込ませるところまではできますが、そこから少しでも動くと直ぐに透明化が解けてしまって……」
「……本当に呑み込みが早いね?後少しじゃないか」
そのあと少しが重要なのだ。
例の関西訛りを確実に捕らえるにはそのあと少しが足りない。
これからダンジョンの管理以外に俺がやるべきことは、あいつの行動パターンの把握に通勤及び帰宅ルートの把握。その道中に人気のない場所があればそこで勝負を決めることになるかもしれない。
捕らえたなら、修行の最中に見つけた山中の廃屋に連れ込む。このダンジョンは駄目だ。
聞き出すためにはあらゆる手段が必要になることくらいは分かる。この間みたいに都合よくはいかない。
……最終的に山へ還ってもらうことになる。
俺がやろうとしていることをセラさんに理解させてはいけない。知らぬままでいて欲しい。
狩猟のように命を繋ぐ為でもなく、誇りの為に同族を襲い命を奪う。
……覚悟を決めろ。俺よ。
「ふぅむ。動体が要因……どんな風に失敗するか見せてもらっていいかな?多少助言するだけでどうにかなるかもしれない」
「え、本当ですか?」
「うん。何となく心当たりはあるしね。この魔術に関してはとても自信があるんだ。有事の際、逃げるのにとても重宝したから」
「……成程」
魔術を習うにあたってセラさんから何度もお手本を見せられたが、彼女が放つ火球や雷撃は素人目から見ても研ぎ澄まされていた。
それを人に向けたなら容易く命の灯をかき消せることが察せるくらいには。
だが、彼女はそうしなかったのだろう。自分の信念に基づいて。
「……ご教授、宜しくお願い致します」
「うん。任された」
やはりセラさんには言うべきでない。
自分が教えた魔術で命を奪うことになることを伝えるべきではない。
俺一人で成し遂げる。絶対に。




