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 六月 二日 (金)


 冬子先生に婚約者が出来た。

この話は一気に広まり、白熊大学内では一部お祭り騒ぎとなった。

だが冬子先生は一貫して「あいつはただの助手」という姿勢を取っている。

ちなみに婚約者という噂を流したのは里桜だ。


 花村教授が冬子先生にプロポーズして一瞬間程経った。

突如として大学を去った花村教授。当然大学側は必死に引き留めたらしいが、花村教授の意志は固かった。

 いや、もう花村「教授」と呼ぶのはふさわしくないだろう。

もうあの人は冬子先生の助手なのだから。花村助手と呼ぶのが正しいかもしれない。


 そのせいか、冬子先生が大学に来る頻度は低くなった。

前は週に三日は来ていたが、今週はまだ一日も来ていない。もう金曜日だと言うのに。

もしかしたら、花村助手と一緒に仕事するのも満更でも無いのかもしれない。


「冬子先生……可愛いなぁ……」


そう呟くのは里桜。

いつもの如く中庭で昼食を共にしていた。


「ねえ、晶。私達も恋しよう! というわけで今日合コンね」


「いや、ごめん……今日バイト……」


そう、本日は記念すべき日。

私の生涯の中で初めて、正式にバイトとして働くのだ。着ぐるみバイトはノーカンだ。


「あぁ、あのコスプレ喫茶か……。じゃあ私冷やかしに行こうかなー?」


「別にいいけど……拓也居るかな、今日……」


そう、実は琴音さんが事故に遭った日から拓也には一度も会っていない。

メールでのやりとりはあったが、拓也は琴音さんの話題を避けているようだった。

恐らく私に気を使わせまいとしているのだろう。

 

「拓也君ってさ、あんたと冬子先生がお姉さん助けたって知らないんでしょ?」


「ん? あぁ、別にわざわざ言う事でも無いし……なんか表彰されそうになったけど、冬子先生が無理やり踏み倒してくれたから……」


警察にも知り合いがいるらしい。

冬子先生……何気に顔広いよな。


「じゃあ……あんたも、そんなに気使う事ないでしょ。素直に言えばいいじゃん」


「え? な、なにを……」


「お姉さんのお見舞いに行きたいって」


うっ! そ、それは……そうなんだけど……。

実際今、琴音さんのお見舞いは出来るんだろうか。

事故からまだ一週間程しか経っていない。というか、琴音さん……目覚ましてるのかな。


 そうだ、拓也に……「琴音さん、目覚ました?」なんて聞ける訳が無い。

病院に問い合わせれば話は早いが、私が今行ってもいいんだろうか。

あんな大きな怪我を負ったんだ。私なら……誰にも見られたくない。得に知人には……。


「考えすぎじゃない?」


「そ、そうかな……。でも迷惑だったら……」


「だーかーらー、拓也君と一緒に行けばいいでしょ。なんか手土産でも持って」


手土産か……。

食事制限は確実にされてるだろうから、果物系はアウトか。

あとは暇つぶしのゲーム? いや、不謹慎かしら……。


「じゃあ漫画とか小説とかでいいんじゃない?」


「ふむぅ……」


 じゃあ今日、もし拓也と会ったら言ってみるか。

琴音さんのお見舞いに行きたいって……。




 そんなこんなで大学も終わり、私のバイト先である執事喫茶へと到着。

裏口からコソコソ入り、とりあえず央昌さんに挨拶するべく、事務室の扉を開いた。


「こんにちはー……今日からよろしくおね……」


「キャン!」


うお! びびった!

このワンコは……琴音さんの命の恩犬か。

事務室で飼ってるのか? 央昌さんの姿は無い。ドコダ。


「クゥーン……」


私の足に身を寄せて甘えて来る子犬ちゃん。

むむ、フサフサ……。

抱っこしたい、という誘惑に敵う筈も無く、子犬を両手で抱き上げる私。

うぉぉぉ、冬子先生の所の柴犬よりモッフモフな気がする。

何故だろう……一言で柴犬って言っても違うのか……。むむ、しかしお腹の一部分だけ毛剃ってあるな。

傷跡が痛々しい。こんな傷を負っているのにも関わらず、この子犬は琴音さんが事故に遭った時、私達を呼びに来たのだ。


「お前は凄いな……」


「キャン!」


ベロベロと顔を舐めまわされ、オチツケ、と言いながら床に降ろした。

その時、背後に人の気配が。


「こんにちは、真田さん。今日からよろしくお願いしますね」


「ふぉぉぉ! 央昌さん! よ、よろしくお願いします!」


突然現れた執事にビビりながら挨拶。

むむっ、央昌さんから……なんかいい匂いがする!

そうだ、この匂いは……シュークリームの……


「おや、流石ですね。実は今日はシュークリームフェアなんですよ。いつもの半額で食べれる上に、今日だけしか食べれない特別なシュークリームがあるんです」


な、なんだと! 私お客さんとして来たかった!


「大丈夫ですよ、ちゃんと取ってありますから。では早速執事服に着替えて下さいね」


了解ッス、と更衣室に移動。

ロッカーの中には、まだ一度しか着ていない執事服が。

ん? なんか……洗濯してあるっぽいな。もしかしてデビルマツダがしてくれたんだろうか。


「クンクン……柔軟剤の匂いが……」


何気にこの匂い好きだ、と思いつつ袖を通していく。


「えーっと……ズボンズボン……」


今まで履いていたジーンズを脱ぎ、スラックスを取り出したその時、更衣室の扉が開いた。


「ぁ、お疲れ様でーす……って、ぁ……」


「拓也……ぁ、えっと……ちょっと話したい事が……」


「は、はい?! いや、ちょ……その前に……」


なんだ、顔真っ赤にして。


「ちょ……下……下履いてください!」


言いながら顔を背ける拓也。

ぁ、そういえばズボン履いてなかった。

 いそいそとズボンを履きつつ、再び拓也に話しかける私。


「あのさ、琴音さんの……お見舞いに行きたいと思って……」


「……ぁ、はい……ありがとうございます。でも……まだ姉さん本調子じゃないって言うか……」


まだ目が覚めてないんだろうか……。

拓也は何処か泣きそうな顔をしている。


「拓也……大丈夫?」


「はい……」


そっと涙を拭う拓也。

私に向き直り……


「晶さん……」


「うん……どうしたの?」


「……着替えるんで……出てってください……」





 拓也に更衣室から追い出された私。

さて、どうするか。仕事と言っても……まだお客さんは二人くらいしか居ない。

一人は飛燕 涼ちゃんか。もう一人は……って


「だーかーら……なんでこうなるのよ。ここ、計算間違ってる」


「うぅ……分かんないよー……」


里桜が飛燕ちゃんに勉強を教えていた。

っていうか里桜……ホントに冷やかしに来たのか?


「ん? お、晶ーっ、あはは、似合ってるじゃん、執事さん」


私を見つけた里桜が声を掛けてきた!

むむ、お嬢様に声を掛けられたのだ、行かねばなるまい。これも仕事の内なり。


「里桜たん、ご来店ありがとう。涼お嬢様、ご機嫌麗しゅう……」


「ちょ……なんで涼だけ……まあいいや。晶、コーヒーおかわり」


ういうい……とカップを受け取ろうとすると、後ろから私の肩をトントンと叩く誰かが。

って、央昌さん!


「ここでは執事長と呼んでくださいね。とりあえず晶さん、言葉使いがなってませんよ。そこは畏まりました、ですよ」


ひぃ! さっそく怒られた!

うぅ、里桜はなんかニヤニヤしてるし……。


「す、すみません、執事長……か、畏まりましたっ!」


そのままコーヒーカップを持って奥に。

厨房の前を通ると、コックの一人が声を掛けてきた。


「おう、新人執事さん。これ、あとで食ってくれ」


むむ、グラサンを掛けたコックが差し出してきたのはシュークリーム……!

マジか、食べていいの?


「失敗作だからな。それと俺の事は敏郎でいいぞ。あっちの若いのが洋介な」


洋介と呼ばれた男は換気扇の下でタバコを吸っていた。

って、この前もそうだったけど……厨房で煙草吸うってどうなんだ。


「あの……タバコは休憩室で吸った方が……」


思わず洋介と呼ばれたコックへと言い放つ私。


「あん?」


ギロ……と睨まれた!

ひぃ! こ、怖くなんかないぞ! 新人虐めたら央昌さんが黙ってないからな!


「……すみませんでした……」


しかし意外にも、素直にタバコの火を消して仕事に戻る洋介さん。

むむ……なんかやけに素直だな。

もっとなんか文句言われるかと思った。


 グラサン執事、敏郎さんは薄く笑いつつ、私に耳打ちして来る。


「あいつ……女が苦手なんだ。なんでも元カノに虐められたとかで……」


そうなのか……。

確かに話しかけるなオーラが出ている……ような気がする。


「じゃあな、頑張れよ新人」


「ぁ、はい! シュークリームありがとうございます……」


おっと、そうだ。里桜にコーヒーを持って行かねば。

遅いとクレームを付けられる訳には行かぬ。


 そのままサーバーでブラックコーヒーを注ぎ、ミルクと砂糖を添えて持っていく。


「お待たせしました。コーヒーでございます、お嬢様」


「う、うぁぁぁ……なんか晶に言われると背筋が震えるわ」


うっさいボケ、という言葉を飲みこみつつ、里桜の前にコーヒーを置く私。

すると妹の涼ちゃんが私を見つめてきた。

むむっ、なんじゃ?


「貴方……もしかしてこの前の……可愛いメイドさん?」


ん? あぁ、そういえば……なんか可愛いとか言われて……そのまま連れ去られそうになったんだよな。

その時、里桜の目が光った……気がした。


「何、メイドって……もしかして晶、メイドの格好も出来るの?! なんでそっちにしないのよー、見たかったのにー」


ブーブー言ってくる里桜様。

なんでって言われても……メイド服は今日持ってきておらぬ。

残念だったな! 私の可愛いメイド服が見れなくて!


「今度メイド服でやってよ。私が来た時だけでいいからさ」


考えておこう、とそのまま一礼して立ち去る私。

厨房の前まで戻ると、携帯で電話する拓也の姿が。

こらっ、一応仕事中ダゾ。


 しかし拓也は石像のように固まっていた。

ピクリとも動かない。

何だ、どうしたんだ?


「……はい、はい……わかりました……よろしくお願いします……」


「拓也? どうしたの?」


携帯を仕舞い、私に向き直る拓也。

厨房の二人もどうしたのだ、と拓也を見つめていた。


「姉さんが……その……」


「琴音さんに何かあったの?」


コクン、と頷く拓也。


「姉さんが……」


そのまま黙りこんでしまう拓也。


琴音さんに……何があったんだ。


 

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