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悪魔の炎

 バベルオリエンタルプライズホテルの大理石のタイルが敷き詰められた廊下をこつんこつんと靴音を鳴らして2人の男が歩いている。ひとりは警官姿で胸元のワッペンには安全衛生管理員と記されており、高層ビル内の不審者、不審物・危険物を見廻る職員であることが分かる。男性警官の隣には、ベルボーイの男性が付き添っている。どうやら出来立てのビルの中の案内とパトロール点検の段取りを行っているようだ。ベルボーイの方はにこやかにしているが、対する警官は眉をしかめている。


「よくもまあ、次々とビルを建てるものだ。

 おかげでこっちの仕事が増えてうれしいよ」


嬉しいとは口先で言っているが、口調は明らかに呆れ調子。空きビル問題で、防災上の観点から強制立ち退き・取り壊しの話が出るほどのずさんな管理をする建設会社バベルには安全衛生管理員という立場上うんざりしているようだ。


「いいえ、お手間は取らせませんよ。当ビルの安全管理は

 最高水準でございます」

「どうだか。各階に消火栓をひいたところで、数百階の階層で同程度の水圧と

 水量が確保できるか、そんなことは常人でも分かる愚問だ。

 お宅の高杉社長とやら、建築物理学などの著作で名を馳せているようですが、

 我々としては、限界に挑むだけの様な不必要な建築は慎んでいただきたい」


「ご心配はわかりますが、消火栓だけでなくスプリンクラーも

 ついておりますし、断熱材もすべて不燃のものを使っております」

「私が言いたいのは、このビルが必要なのかということだ。

 お宅には、空きビルとなって手つかずになったまま取り壊しを

 待つばかりのビルがいくつもあるのを知っている」


 ふたりの会話はどうにもかみ合わない。もとよりより新しく、より高くビルを建設することを美徳とするバベル社が、防災関係者と折り合いが取れるはずもないのだ。平行線の互いの会話の中で、ベルボーイの笑顔はひきつり、警官の顔は険しさを増していく。終着点のないふたりの会話を割ったのは、とある客室。ドアが開け放たれたままで中からは物音ひとつしない。だが代わりに、静寂が身をまとって歩いているかのような不気味さが静けさと相まってひしひしと感じられる。


 たとえるなら、そこに先の見えない洞窟がぽっかりと空いているかのようだ。身をかがめて空き家に忍び込む盗人のような足取りで音を立てることなく恐る恐るとそのドアに近づいていく。近づけば近づくほど、洞窟の奥から漏れるただならぬ気配が感じ取れるのだ。先程の全く以ってかみ合わない会話からは想像もつかないような息の合った調子で、ふたりは生唾を同時にごくりと呑み込み、歩幅を合わせて忍び足。開け放たれたドアの奥をそうっと覗き見る。


 女物と思われるコートが脱ぎ捨てられ、ベッドからだらりと垂れている以外はなにも見当たらない。宿泊客は中にいるのだろうか。ドアが開いていたということを伝えに来たという体ならばきまり悪くなることもないだろうと、声をかけようとしたその瞬間、黒い影がものすごい速さでこちらに向かって走ってきたのだ。その動きは人というよりは獣のよう。前足と後ろ足で大理石の床を掴んで蹴り上げてムササビのごとく宙を舞う。動きがあまりにも速く、黒い何かが走って来たとしか捉えられなかった。黒い影は背後の屋内非常階段の方へと消えて行った。


「い、今のは……」


声を出したところでふたりは、床に尻餅をついてすっかり腰が抜けてしまっている自分に気づく。確かに何かがそこにはいた。そして、今そいつは自分たちの背後の屋内非常階段に息を潜めている。


「…さっきのは人なのか…?」


答えを言うならば『ノー』と言いたい。


 明らかに人間の運動神経で成せる動きではなかった。人か獣か、姿のわからない化け物の行方を追うため、すっかりおびえてしまった眼をきょろきょろと動かしながら、屋内非常階段の鉄製のドアの向こうへと入っていく。先程、客室の方から感じていた異様な気配は、黒い影とともに移動し、今度は階段の先に闇へと続く洞窟がぽっかりと口を開く。その入り口に影はいた。焦点の定まらない瞳をこちらに向けながら、無の表情から狂気に染まったピエロの様に口元を裂けんがばかりにつり上げて不気味な笑いを浮かべる。


 臀部から背筋、後頭部へとなぞるように蟻走感を感じ、ふたりはすぐ後ろに階段があると知らずに後ずさり。


 すぐさま背後の段の存在に気づき、パニックを起こしてその場にへたり込んでわなわなと震えだす。そんな無力なふたりの様子を見て影はその女性的な姿とは裏腹の低く乾いた嘲笑を漏らす。首が左右にメトロノームのように動き、けたけたと不気味な音を立てると、大きく背筋を反らせてブリッジの格好となり、見る者に嫌悪感を覚えさせるそのポーズで、猛スピードで階段を下りてきた。


「く、くるなぁあああ」


ふたりの制止も虚しく、影はふたりのすぐ近くまでやってくる。すっかり注文の多い料理店の客のようにぐしゃぐしゃになってしまったふたりの顔を逆さにぶら下がった顔でなじる。


 顔立ちや身体は奇怪な行動と体勢を除けば若く美しい女性のそれだ。だが行動と体勢が奇怪なゆえに、その端整な容貌でさえも不気味さに色を添えているようにさえ感じられてしまう。影はやけに長い舌を出して舌なめずりをすると、右腕の肘をフラミンゴの脚のように逆向きに折ってみせ、上方に向けた掌の中に青く揺らめく炎を出現させた。ふたりはもはやそれが恐怖が見せている幻なのか、それとも実際起こっていることなのか。はたまた、とっくに自分たちが死んでいて地獄で鬼にでもあったのか、さっぱりこんがらがってしまっていた。ただただ、目の前の恐怖が晴れることを子犬のようにくんくんと唸りながら哀願するふたりは、影の吐息とともに炎に包まれ、灰と化してしまったのだ。



*****



 バベルオリエンタルプライズホテルは、天突槍あまつくやりスカイタワーと名の超高層ビルの一部であり、全200階建てのうち、60階から199階までが客室であり、200階には展望パーティーホールがある。ちなみに60階より下の部分は、服屋やブランド品店、食料品・趣向品などを取りそろえた数々の店が入っており、一大ショッピングモールとなっている他、バベル社のオフィスも入っている。


 地上200階建て、高さは大台の1kmとなっており、世界で一番高い建築物である。その天突槍高層スカイタワーに入っている全施設が公開された記念式典が本日、最上階である200階の展望パーティーホールにて執り行われていた。窓の向こうは街灯のきらめく夜景どころか雲海が広がっており、雲を突き抜ける姿は天突槍という名にふさわしい。パーティーホールの中心にはメートル原器3本を組み合わせて『千』の文字を表したモニュメントが設置されてあり、このビルが高さ1kmとなっていることの象徴だ。モニュメントには紅白のリボンが巻かれており、設計を手掛けた高杉社長がハサミを右手にテープカットの儀を行う。


「本日はこのような場を頂けて大変光栄にございます。

 人類は、今日に至るまで幾多にもわたる挑戦と発展を成し遂げてきました。

 そのひとつが私は建築であると考えております。

 人類は自らが住む巣にそれ以上の意味を見出し、家や店、宿など

 目的を持った建物をつくるという独自の発展を歩んできました。

 そうしてやがて建築技術が高まり、城をつくり、塔をつくり

 ビルや電波塔などの高層建築物を次々と建てる時代へ。

 私たち人類が歩んで来た発展の集大成がここにあるのです。

 このモニュメントこそが人類の新たなる1ページです。

 見てください。私たちが足を踏みしめているのは地上1000mもの高さです。

 今こうしてあなたのグラスにシャンパンが注がれていることも

 私がこのテープにハサミの刃をかけていることも、全ては歴史に残る一瞬で

 ございます。きっと30年後、いや20年後には再び新たなる高みへと人類が

 上ることを願って、この帯を切りたいと思います」


 リボンが裁ち切られると拍手が一斉に湧き起り、間髪入れずに乾杯の掛け声が上がり、グラスがカランと子気味のいい音を立てて突き交わされる。控えていたジャズバンドが演奏を始めるとともに、談笑とビュッフェの立食が始まる。だが陽気なムードは火災警報器のベルの音で一変することになる。ジャズバンドの演奏もぴたりと止み、皆が皆慌てておどおどとしながらも、その場を一歩も動かずに、ただ周りをきょろきょろと見回すばかりだ。


「なんだ?誤報か?」


高杉が眉をしかめながら呟くと、警報装置の確認をしていたレストランのウェイターがやってきて、火災の状況を高杉に伝える。


「いえ、62階から火の手が上がっているようです。

 警報が鳴った位置から確認いたしました」


互いにひそひそ話で連絡が進む。警報装置は全ての階で連動するようになっており、火元を感知した警報装置の位置がどの階からでも確認できるようになっている。


「そうか、防火シャッターとスプリンクラーは作動しているか」

「ええ、全て正常に動いております。それに消防隊に連絡も入っています」


 防火シャッターが閉まると同時に、高水圧のスプリンクラーも作動する。上層階への延焼は確実に防がれる。それだけでなく、消防隊に火災の報が自動で連絡される。バベル社の中では最高水準の防災システムを搭載したこの天突槍スカイタワーでは火事の死傷者など出るはずがない。高杉の胸中はその慢心にまみれていた。もとより、この防災システムは、彼と折り合いの悪い防災関係者が半ば無理やり強要して導入されたもの。彼にとっては火災報知機が鳴ったからと言っておいそれと避難すること自体が癪なのだ。


「なら、これはただのボヤで済むだろう」

「え? あ、あの避難要請は」


 今現在下の階層で現実に起こっているという火災を軽んじる高杉の言動にウェイターは少しまごつく。すると、高杉は眉間にしわを寄せるどころか青筋を走らせ、乱暴にウェイターの袖を引いてパーティー客からは見えない影に連れて行く。


「パーティーの最中だ。野暮なことは言うな」

「近隣階の宿泊客が残っていたとしたら?」

「そんなもの知るか!」


なんと今度はウェイターの襟元を掴んで怒鳴り散らしたのだ。


「このビルは安全だ!誰も死になどしないさ!

 こんなボヤなどガキの火遊びで取るに足らない。

 近隣階は勝手に火に気づいて逃げ出すさ。それこそ消防隊に

 連絡が済んでるならそいつらに任せればいい話だ。

 あいつらも仕事が増えてさぞ喜ぶだろう。これまで散々私を

 いびって来た報いだ! ここにいる客が死ななければ、

 お前もそれでいいだろう? 私もそれでいいと思っている。

 ならばパーティーを止める意味などないはずだ」


「…は、はい…」

「わかったな……」


ごく通常の判断で避難要請を出すべきだと考えていたウェイターは高杉により丸め込められてしまい、何も言えなくなってしまった。そして高杉は、あろうことか火災報知機のパネルを外し、配線をテープカットの時に持っていたハサミで切ってしまったのだ。


「ちょ、何を考えているんですかっ!」

「何って、どうせ火事は消えるんだ。

 これ以上鳴ったらパーティーの邪魔じゃないか」


平然と答えてみせる高杉にはもはや呆れてものが言えない。


「それとも君は私がつくったビルがボヤ騒ぎごときで

 燃えるとでも思っているのか? 世界の建築バベル社の最高の施設である

 ここが、そんなもので燃え朽ちるとでも思っているのか?」

「い、い…え、いえ……」


 押し切られてウェイターが答えると高杉はにんまりとほくそ笑む。そしてすぐさまそれは得意先に見せるような、つくりものの屈託のない笑みに変わる。パーティー会場に戻り、すぐ様彼はこう言ってみせた。


「失礼しました。どうやら誤報だった模様です。続きを始めましょう」




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