怪火を止めろ!
卵まみれになった顔を洗うと、鷺沼はテーブルの上に置いてあった堅井の所有物である学術書を乱暴に片す。するとずさんな管理をしていた自分のことは棚に上げて、その本はあっちだのこっちだのと細かく指示をしてくる。鷺沼は少々顔をひきつらせながらも、それに応じていると夢野教授はひとりでいそいそとハニーローストピーナッツの缶を開けてポリポリと食べ始める。
「おい、抜け駆けか」
書物を全部棚に直し終わったところで、鷺沼が苦言を漏らす。夢野教授は鼻にかけた笑いでそれをひらりとかわす。ここで才華がいれば、この何とも言えない微妙な空気を晴れやかにさせてくれるのだが、いない今は空気が晴れぬまま食事をする以外にない。つくりかけだった味噌汁に臙脂が手を加え、可もなく不可もなくと言った具合になったものをすすり、何ともむさくるしい朝食会が始まった。朝食の内容は味噌汁とハニーローストピーナッツという至極不釣り合いな組み合わせだ。
「そう言えば、こいつには才華は全く手をつけなかったな」
「そうだな、俺達はみんなこいつが大好きなのにな」
味噌汁の味は才華がつくったものに比べれば、味が悪い。従って、皆の手は自然とハニーローストピーナッツの方に伸びて行く。はちみつの香りと甘さ、そこに塩のアクセントが加わり、ひと噛みすればピーナッツの香ばしさが口の中いっぱいに広がる。1個また1個、いや6個ぐらい一気にと言った具合についつい手が伸びてしまう逸品だ。
「こんなうまいものを食べないなんておかしすぎる」
「ああ、まったくだ」
「でも、あいつピーナッツアレルギーだったそうだぜ」
「そうか…、ピーナッツを食べられない人間をつくるなんて神様は残酷だな」
「そんな苦行を受けるなんて、前世でよっぽどの悪行をしたのか。
あるいは悪魔の子供かだな」
「それに、甘いものもあいつ嫌いだったよな」
「ああ、そういやそうだな。女のくせに不思議だと思ったよ。
俺は女で甘いものが嫌いという人はいないと思ってたんだ」
もういなくなってしまった才華のことを未練がましくグチグチと語りながら、気が付けばハニーローストピーナッツの缶詰は空になってしまった。名残惜しいが、朝食も終わりだ。
朝食が終わると、才華が最後に残した予知夢の現場に向かう準備をする。火災を予知できる心臓部を失った今、この次の仕事場は当てがなくなってしまうわけだが、とりあえずは目をつぶることにする。またそのときになったら考えよう。そう胸に言い聞かせて、4人はハイエースに乗り込む。
「目的地は、オフィスビルの建設事業をしている高杉という富豪の家だ」
「少し厄介な件になりそうだな」
堅井が眉間にしわを寄せて、無精ひげの生えた顎をさすりながら怪訝な顔をする。聞けば、堅井は高杉とは知り合いらしい。空想科学読本のような少しオカルトやサイエンスフィクションに感化された書物が好きな堅井とは違い、高杉は徹底的なまでのリアリストで、それらをすべてナンセンスと切り捨てていた。堅井が出版した心霊物理学も、高杉から酷評を受けていた。
「はっきり言ってあいつとは顔を合わせたくない」
ご丁寧にすべて目を通した上で、酷評してきたのだから、意図的に堅井を嫌っていることは明白。そんな高杉に会いたくないという言い分も頷けるが、これを無視すれば次の行く当てがない。ひとつため息をついた後、車は走り出す。冷たくあしらわれるだろうが、もう仕事場は残されていないのだ。
*****
高杉は高層ビルの建設を専門とするバベルという建設会社の社長だ。太古の昔、全世界の人類が決起してつくりあげた神に抗う巨大な塔を建設し、神の怒りを買ったという有名な神話が社名の由来だ。そんな高層ビルの建設事業を執り行っているにもかかわらず、彼の家自体は平べったいつくりの横方向に広い豪邸となっている。しかし、そのすぐ近くには巨大なオフィスビルが建っている。もちろんそのビルはバベル社が建造したものだ。
「見ろよ。雲を槍が突き抜けている」
堅井が遥か上方に伸びる雲を突き抜けたバベル社のビルを指さす。首が痛くなってしまいそうなくらいに上を向いても、てっぺんが見えないほどの途方もない高さ。ひょっとしたら宇宙エレベーターとでも言われてしまうほどだ。
「あいつの建設は実用性よりもビルを高くする技術だけが売りなんだ。
それでテナントが入りきらずスカスカになってしまう」
バベル社のつくるビルは、そのどれもが常軌を逸して高い。テナントスペースも膨大なもので、全てが埋まることはなく、空きスペースが常にあるとのこと。その上、ビルの中のテナントは、建設されてから年を追うごとに空洞化が進み、空の階が出てきてしまう。そうなるとメンテナンスが行き届かなくなり、さらに空洞化が進む。最終的には空っぽのビルが出来上がってしまう。バベル社は、この空ビル問題に全く以って対策をすることなく、ただ悪戯に高層ビルを建て続けているのだ。消防庁などの防災関係者に毛嫌いされているのは言うまでもない。
「あいつは自然に抗い続けて、限界を突破することを美徳と考えている。
物理学は自然の崇拝から始まったというのに。
あいつは自然を支配することしか考えていない。だからあんな生産性のない
建築ばかりしてしまうんだ」
堅井と高杉はどうやら考え方が全く違う人物のようだ。文句をたらたらと言っても結局向かう仕事場は変わることなく、高杉の家の前に車は停車する。嫌がる堅井の袖を夢野が引っ張り、鷺沼がインターホンを押し鳴らす。するとすぐにスキンヘッドに白いひげを生やした男性が玄関から顔を出す。そして、堅井の顔を見るや否や、顔をしかめる。
「なんだ、わざわざ冷かしに来たのか」
顎を出して口をとがらせて言う様子から、どうやら歓迎の意思は全くないらしい。
「あれだけ稚拙な駄学書を出しておきながらよくも顔を出せたものだ」
奥歯を噛みしめて武者震いをする堅井を臙脂がなだめる中、鷺沼と夢野が交渉に移る。オカルトを全否定する高杉が応じてくれる可能性はゼロに近いが、これが仕事なのだから仕方ない。
「ちょっと、いいですか。あなたの家が予知夢で火事に遭うと出たので」
「いろいろと調べさせてもらいますよ」
夢野教授が取り出したものは片手で持てるほどの小さな機械。携帯電話を少しおおきくしたようなもので、トランシーバーにそっくりな見た目をしている。
「…なんだその機械は?」
「これで家の中にある霊の波動を調べます」
「…霊の波動? けっ、バカバカしい」
思った通りの反応だ。最初から幽霊の存在を信じる気など微塵もない。
「あれですか? もしかしてこんな機械信用ならないと思っていません?」
「信用ならないも何も霊など最初からいるはずもなかろう」
「いいえ、幽霊も存在しますし、この機械も信用のあるものです。
それを今からお見せいたしましょう」
夢野教授が自らが持ち出してきた霊波測定装置なるものの効果をデモンストレーションする。
「まずここにナポレオンの位牌があります」
デモンストレーションの際に持ち出したのは、ひらがなで「なぽれおん」と書いた明らかに手作りしたのがまるわかりの位牌だ。
「…、なんでナポレオン…」
「彼はロシア遠征に失敗した怨恨が強いから霊波が強いのです。
わかりやすく言えば番町皿屋敷のお菊さん10人分です」
「わかんねえよ!全然しっくり来ねえよ!」
「ほら、その証拠に霊波測定装置も10マイタリナーイと
かなりの高数値を示しています」
「マイタリナーイってどんな単位? それもお菊さんから来てるの?」
「そこで盛り塩を位牌の前に備えると、これが2マイタリナーイまで減少します」
「ロシア遠征の無念その程度なの?」
「さらにここで、線香を一本立てれば、これが0マイタリナーイになり
ナポレオンは成仏します」
「なんでフランス人が日本式供養で成仏するんだよ」
「このようにして成仏が完了し、悪霊が一体成仏すると、
1サラタリタとなります」
「結局皿の話しかしてねーじゃねえか!どんだけ番町皿屋敷引っ張ってんだよ」
「…かなり危険ですね。この家の霊波数値は
7346京3457兆3300億2310万2040マイタリナーイです」
「インフレしすぎだろうが!ナポレオン軽んじられすぎだろ!」
「これは…数年前に、かっぱえびせんがやめられなさ過ぎて
ナトリウム中毒で死んだ山本さんの霊と同じくらい強力です」
「どんだけ下らない理由で死んでんだ! つーかナポレオンに謝れ!」
「これほどのつよい霊波を取り除くには、盛り塩も線香も役に立ちません。
そこで、この霊が逃げる壺、普段なら40万円はするんですが、
ここはご新規お客様サービスということで10万円にまで値下げいたします。
さらに、この壺を付近の方々に紹介し、購入が成立すれば10万円が
キャッシュバックされ、2人に紹介すれば元が取れる計算です。
こんなお得なチャンス、滅多にありませんよ。購入者の意見がこちらです」
購入者という設定の臙脂の解説が入る。
「はい、うちの祖母が死んでから毎晩老婆の亡霊にうなされていたんですが、
この霊が逃げる壺を買ってから、生活がまるっきり変わりました。
家の中に誰もいないのに感じていた気配がすっきり。
この壺で漬物つければ美味しいし、漬物食べて下腹もぺったんこ。
まさに一石二鳥。いや三鳥の逸品です」
「このように、購入者からも大満足の声が寄せられている例が逃げる壺
どうです? 10万円はお安いでしょ?」
「誰が買うかぁあああっ!」
突如大声を上げて怒鳴り散らす高杉、ここまでつらつらと詐欺行為を目の前でやられたのでは無理もない。4人ともを蹴飛ばすぐらいの勢いで追い出し、乱暴に玄関の扉を閉めてしまった。
「……」
「く、あの堅物が! だからリアリストってのは嫌いなんだ!」
「いや、違うと思います」
しぶしぶ逃げ帰ったハイエースの中、高杉への敵意から暴言を吐く堅井。対して、ここに来て臙脂がやけに冷静な口調になる。
「これもいい機会です。もう、こんな稼ぎは辞めにしませんか」
「こんな稼ぎって、詐欺だとでも言うのか? 言ってみろ
300円で買った壺を口を使って10万円で売りさばく行為のどこが詐欺なんだ?」
「すみません。その潔さはどこから来るんですか」
鷺沼が詰め寄るは臙脂はあくまでも冷静だ。この商売のせいで才華には愛想を突かされ、4人は裁判沙汰にまで担ぎ込まれている。もうこんなペテン商売は御免だ。臙脂は少しでも誠実な商売に戻ろうと3人を諭そうとする。
「……確かに効果のない壺を売ったりするのはよくないことだ。
だが、どうやって霊を退治できる」
「幸いにも、霊現象が絡む火災に関しては才華の予知夢の的中率はほぼ100%。
ならば、やることは決まっているでしょう?」
「才華が予知した最後の怪火を止めるんです」




